精神世界がリアルになる時 | 森羅万象をつなぐスーパーコネクターどろんnのブログ

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ごきげんよう どろんnです

いつもいいね並びにフォローありがとうございます

近年はパンデミックなどで 異常気象 天変地異が逆に

日常化していて また市井の台所事情はインフレや政府の

増税するかもしれないw という真綿で首をしめられている

ような日常が続きますが 各地で資本主義のほころびが

垣間見られている中で これまでの物質至上主義という

ー持続不可能 な社会から ー持続可能な社会 へ

というパラダイムシフトを人類は危機感を持たなければ

ならない時に差し掛かっているのかもしれません

 

 

 

 

 

陰陽師の世界でいえばこの世界は 

 

ー念 

 

というエネルギーが取り巻いているとされます

 

多くの場合 人は馬鹿にされたり 年齢的な焦りが生じると

 

ープラスの念よりも強力なマイナスの念が起こり 

プラスの念よりも強力で一瞬の内に燃え広がり執拗に消えない

炎のような念を生じます これらを

 

ー執念

 

とも呼んだりしますが 人間が願望を成就する中でそういった

マイナスの念を取り込んで エネルギーにする性質は古今の

歴史を見ても枚挙に暇がないということです

 

 

それはウクライナの戦争にあるように 過去の歴史における

屈辱と理想の実現のために多くの人が ある一人の野望の為に

犠牲となり それはまるでその炎が燃え広がり 大陸を飲み

焼き尽くすまで終わることはありません こういった姿勢は

 

ー持続不可能な社会 

 

といえます 

 

 

 

イエローハットの鍵山秀三郎さんは

 

ー会社の利益だけを上げれば何をしたっていい そういった

会社は世相を悪くし 働く従業員の心を荒廃させ

そんな会社はとても続かない とおっしゃられます

 

では持続可能な社会とは何か とした時に

まず浮かぶことは

 

 

ー足るを知る者は富む 足るを知らぬ者は貧しい

 

 

という老子の言葉です 例えば 

 

全員が一人腰掛けられる椅子があったとして それを

全員が一人が腰掛けられることだけを願えば それは実現します

 

しかし 誰かがそれを奪ったり 仲間内でそれらを

牛耳れば たちまちの内にその場は地獄と化します

 

 

鍵山さんの話しで 戦時中にやかんに入っただけの水をその日一日

兄妹で回し飲みしなければならないときに 自分は少しだけ飲んで

あとは譲ったとあって ー忍耐と我慢をして しかしながら

その心は豊かであったというのを思い出します

 

ー耐え忍ぶ心がなければ 世相を確実に悪くします

 

と述べられますが 鍵山さんにとって

 

ー今日食べる食事や水という物質よりも 家族の命を繋ぐ為に

自らを使役し我慢するという美徳の中に 普遍的な命題を

見つけます それはイエスの最期の晩餐のようにです

 

 

ー分け与えられたものはパンではなく

イエスの永遠の命を分け与えられた

 

 

つまり これが今回のタイトルになる 

 

ー精神世界がリアルになる時 というお話しです

 

 

ある聖者が当時世界を飲み込まんとしていた

アレクサンダー大王に述べます

 

 

ー早晩死ぬ身のアレキサンダーは 決して神などではない 

 

ー自分の内なる国土の支配者にもなれない男がどうして世界の

支配者になれよう?

 

彼はまだ 生きながらに黄泉の国へ行ったこともなければ 

この地球の域をはるかに

超えたあの大空の太陽の軌道についても何も知らぬ
この地上でさえ 大部分の国では彼の名前など聞いたことも

ないではないか

 

続けてヨギは神とはどういうものかを語ります

 

ー至高の王である神は 不遜な悪の創造者ではなく 

光の創造者であり また 生命や 水や 人間の肉体や 

魂の創造者だ その神は人が死によって解放されたとき 

すべての者を 不幸や病のない国に迎え入れて下さるお方だ
それ以外に私の崇める神はない 神は殺戮を憎み 戦いを

仕掛けるようなことは決してなさらぬ

 

 

当時世界を征服することが至上である思っていたアレクサンダー

大王に ある一人のヨギーがその不遜な態度の支配者に

一喝します 

 

ー自分の内なる国土の支配者にもなれない男がどうして世界の

支配者になれよう?

 

 

 

これも鍵山さんの話しで 

 

ー戦時中は疎開先で割り当てられた作物のあまり実らない

畑で両親は日が明けないときから せっせと働きに出かけて行った 

愚痴も泣き言も言わないで 子供たちの為に懸命に働く

うしろ姿を思い出しては合掌します

 

されど 懇切丁寧に真心を込めて作った畑も台風や

嵐がくれば 一瞬のうちに苦労も水の泡になります

 

ーこの秋は 雨か嵐か知らねども 今日のつとめの 田草取るなり

 

という言葉がありますが 鍵山さんは

 

ー見返りを求める姿は人を駄目にします この作物のならない

畑があったからこそ 今の自分があります と述べます

 

 

つまり この世界の目に見える代償を見える限り欲した

アレクサンダー大王と

自然の中で 見返りを求めない姿勢を手にした鍵山さん

いよいよそのリアルの違いが見えてきました

 

 

 

二宮尊徳は

 

ー翁はこう言われた

天道は自然である 人道は天道に従うけれども また人為である

人道を尽くして天道に任すべきである 人為をゆるがせにして天道を

恨んではいけない 庭前の落葉は天道である 無心に日夜積もる

これを払わないのは人道ではない 払えばまた落ちる それに心を煩わし

心を労し 一葉が落ちれば 箒を取って立つなどは 塵芥のために

使い立てられるというもので 愚かな事だ 木の葉の落ちるのは天道

である 人道をもって毎朝一度は払うがよい しかしまた落ちても捨て

置いて 無心の落葉に使い立てられてはいけない また人道をゆるがせ

にして 積もり放題にしてはならない これが人道である 愚人であろうと

悪人であろうと よく教えるがよい 教えて聞かなくても それに心を

労してはならない 聞かないからと言って捨てることなく 何度でも教えるが

よい 教えてもその通りにしないからと言って憤慨してはいけない 聞かない

からといって捨ててしまうのは不仁である 教えてもその通りにしないからと

いって憤慨するのは天智である 不仁と不智とは徳者の恐れる所である

仁・智二つを心がけて 自分の徳を全うすべきだ

 

 

勘のいい人はわかるとおもいますがw 精神世界のリアルとは

ー禅 の心得であると解きます 弓と禅では

 

ーあなたは意志をもって右手を開く。つまりその際あなたは
意識的である。あなたは無心になることを、矢がひとりでに
離れるまで待っていることを、学ばなければならない。

 

 

それはイエスの

 

ー自分の義を、見られるために人の前で行わないように、

注意しなさい。もし、そうしないと、天にいますあなたがたの

父から報いを受けることがないであろう。

 

 

 

ーイエスはこの無心に仕える心をー僕 と呼びますが

尊徳はそれをー勤め と述べます

 

 

 

ー翁はこう言われた 

人道は人がつくったものである だから自然に行われる
天理とは別である 天理とは春には生じ秋には枯れ 火は乾いたものに
燃えつき 水は低い所に流れる 昼夜働いて永遠に変わらないものである
人道は日々夜々尽力を尽くし 保護して成り立つ それゆえ天道の自然に
任せれば たちまち廃れて行われなくなる だから人道は 情欲のままに
するときは成り立たないものだ たとえば 漫々たる海上には道がないよう

だが船道を定め それによらなければ岩にふれる 道路も同じこと 自分の

思うままに行けば突きあたる 言語も同じ 思うままに言葉を出せば 

たちまち争いを生ずる
 そこで人道は 欲を押え 情を制し 勤め勤めて成るものだ うまい食事
美しい着物が欲しいのは天性の自然だ これを押え それを忍んで家産の
分内にしたがわせる 身体の安逸 奢侈を願うのもまた同じことだ 好きな
酒をひかえ 安逸を戒め 欲しい美食・美服を押え 分限の内からさらに
節約し 余裕を生じ それを他人に譲り 将来に備えるべきだ これを

人道というものである

 

 

 

かくも現代人は文明も発展し使える時間も増えたのに やれスマホだ

やれ鬱だ と忙しそうですw しかし 瞑想もそうですが 無心で

一点に集中する中で 余計な迷いやおごりが取れて  

ー余裕 や ースペース が出来て そこに ーひらめき や 

ー開運 がもたらされます

 愚痴を言う人は年がら年中愚痴ってw 自分の心をそれで埋めつくして

およそ何もできません

 それは良い方向に導こうとする神がいても 一切耳をふさいで聞こえない

ようにしているかのようです しかし

 天国地獄胸三寸 とあるように 心の浄土とは自らの心の在り方次第

今その心が地獄であれば 二元論で言っても確実に天国が同時に存在しています

 それには心の余裕という人への献身がなければ とても見つけることのできない

灯台下暗しなものであります

 以前ホームレスと背広のサラリーマンに 服につけたお金を取ってもいいと

した企画があって ホームレスは今日一日必要なお金を取り サラリーマンは

あーでもないこーでもないと支払いがあるからと いっぱい取っていったのを

見た時 さもありなんと思ったものです

 そのホームレスは仲間で困っている人間にそのお金を使い サラリーマンは

自分の月々の支払いにお金を使った時w どちらが人生の勝者で余裕が

あるかは言うまでもない気が致します

 時間がない まだ足りない と周囲に騒ぐ前にw

 あなたの座った席を譲ったり 寄ったりしてあげた時 あなたの心は

今豊かで余裕があると知るのです