意識という無限なる存在の証明 | 森羅万象をつなぐスーパーコネクターどろんnのブログ

森羅万象をつなぐスーパーコネクターどろんnのブログ

あなたと森羅万象すべてをつなぎます!

意気 真心 義理 人情を大切にしていきたいです。

幸せ言葉
ついてる 楽しい 幸せです 愛します 許します 感謝します
ありがとう うれしい 
やってやれないことはない やらずにできるわけがない

ごきげんよう どろんnです

いつもいいね 並びにフォローありがとうございます

Amebaのブロガーのパートナーがいて 他愛もない

メッセを送る(一方的w)のですが たまに以前投げた球が

宇宙を通じて 思わぬ方向でズバーンとキャッチャーミットに

ダイレクトで返ってくることがありますポーン

彼女の持つ聖母マリアの導きと慈しみと忍耐の加護を得て

おっさんは今後も不思議な事象と果てしないひらめきを

皆さまにシェアしたいと思いますおねがい

 

 

 

そんなパートナーに紹介された

 

 

ープルーフオブヘブン

 

 

というエベンアレクサンダー博士の実質脳死の状態で見た

臨死体験の話しがあるのですが これまで左脳的に考えて

死後の世界などないと 切り捨てていた人が反対に

 

 

ー死後の世界の証明へと駆り出されることになったw

 

 

という面白い出来事になった訳ですが 丁度

脳と意識の関係性で臨死体験を例えると

 

 

ー左脳(分析 過去未来 自分)の時間と空間の制約がなくなり

右脳(原子脳 今 無限)の世界があらわになった世界

 

 

といえ 本来宇宙に匹敵する人間の意識は

 

 

ー狭い空間と時間という体に押し込められている

 

 

と知ります その中で左脳よりの現代人の思考は

 

 

ーテープレコーダーのように恐れや行動しない理由という

心の声を繰り返し そこに意識の大半のエネルギーを遣う

 

 

というジレンマを抱えつつ それでも頭(論理)で解決しようと

もがくものです

 

 

 

しかし 灯台下暗しの様に その左脳の声の覆いを何らかの

理由で取り払った時 そこにあるのはネバーランド

(境界なき世界)だった とした時

 

 

ー自分(左脳)がこの世界で成し遂げようとしている夢や現実

(ないし恐れ)など取るに足らないものであった

自分はゼロの存在であり 無限の彼方までその意識の裾野を

広げ あらゆるものはエネルギーで繋がっている

 

 

丁度映画フックでロビンウィリアムズ演じるピーターの妻が 

けたたましく鳴り響く会社からの携帯(左脳の声)を棄てるシーンは

象徴的といえます

 

 

 

 

私たちは自分の環境にあるものをインプットして 自分の世界と

いうモノをつくりあげています 一人ひとりが別々に自分の世界をつ

くっているというのに なぜかみんな同じ世界にいると錯覚しています 

だから わかりあっているつもりになって
わかりあえなければ ー裏切りだ とまで思います

 地球というのは不思議な場所で  みんなと同じ世界を生きるために

生まれてきたはずなのに 一人ひとりが違う世界を引き受けたまま 

そこから逃れることが出来ない現実を抱えています

 自分の人生をさらっと眺めた時に ーああ 自分は機械なんだ 

という自覚はあるでしょうか? 機械のところでしか生きていない 

インプットしたもので反応するところでしか生きていない という

自覚です その自覚があれば まだいいほうだと思います
 
 人と人が 自分という存在の奥深くまで響き合うことなく

生きること まるで機械と機械がコミュニケーションしているように

生きること 感性ではなく反応だけで生きることを
ー催眠状態 と言います
 
 カセットテープレコーダーにたとえてみると わかりやすい

かもしれません
 はじめて言葉を獲得したとき 人は自分の内側から出てきた言葉を

声に乗せて会話をしていました 今は 相手に会った瞬間 

レコーダーのプレイボタンをガチャっと押して
ーこんにちは と言っているのです 互いにレコーダーで

対応しているので 相手の言うことなど聞いていません 

それぞれが録音したものを流し合って終わりです

 本当の会話をしたいと思っても したいという思いだけで終わって 

実際にそこから何かが生まれることはありません 

テレビの討論番組でも 最初から最後まで意見が
変わらないのはそういうことのあらわれでしょう

 本当のコミュニケーションとは人と人が出会い 自分の思う所を

口にし それを受けて相手も自分の思う所を口にし そのうちに 

自分が解けて 相手も解けて ともに変わることです 

 

より価値の高いものにー物事を変質させる力(アルケミー)が
起こるところに 人と人が出会う本当の意味があるのです
外側のインプットされたものが自分だ という錯覚から覚めると

ー自分はどこから来たのだろう? 

という感覚をぐっとつかむ段階がやってきます そこまでくると
自分の意識が二か所あることに気づきます 

 


 一つは 内側をしっかり実感しながら 外側という物質的な

世界もあるという実感 もう一つは まったく形のない世界の知覚です 
 


 ー内側を実感しながら 外側の物質的な世界を見ている 

といっても 通常私たちの意識は一方向(シングルアクション)

になりがちです 
 つまり ー内側の世界だけを見ているか あるいは 

ー外側の世界だけを見ているかのどちらか一方の状態で生きています
 それがきちんと二方向(ダブルアクション)に向くようになると

 つまり 
ー外側の世界を見ると同時に 内側の世界を見る ことが

できるようになると
その向こうにー形のない世界 が立ち現れてきます

 そのとき 目の前に展開するのは物質的な世界でも 自分が

ここにいるということは形のない世界があるからだ と気づきが訪れます
 そして ドラマではない本当の世界が立ち上がると同時に 

たとえば算数の約分をして八分の四が二分の一になると気持ちが

いいように スカッとした感覚におちます
 
 言葉にすると難しいですが 悟りを開くというのは 

二つのアテンションのバランスが完全にとれたときに 

主体も対象も落ちるという感覚です
 それはときどき垣間見る覚醒体験とは別の体験で 

ー唯一存在 即 唯一非在
というものです
 その世界が立ち上がった時に 人生を生きるとは 物質の世界と

形のない世界をつなぎながら 本来の存在で生きるものになります

 

                                                         ー時空を超えて生きる Kan

 

 

 

 真の自分というのは 自覚している意識のこと(顕在意識)

ではありません

意識のほとんどが潜在意識ですが 潜在意識は自覚することが出来ません
 では どのように 真の自分と向き合ったらよいのでしょう 

瞑想も悪くないのですが それよりもー自分の周りがどうなっているか 

を見るのが手っ取り早い方法です
 
 自分の環境 周囲の人々たちの態度などはー自分自身 より

距離があるのでエゴの影響が弱くなります 
 現実は真の自分の投影ですから 真の自分は自分の中から探すより 

外側から探した方が見つけやすいかもしれません
 
 周りを見ることと 内観することをバランスよく交互に

やることが必要ですが悩んでいる時や八方塞がりのときは 

自分の殻に閉じこもっていることが多いと思いますので 

そういうときほど外側の世界と向き合って見てください
 外側の世界は あなたの意識の投影ですから

 例えば 他人の態度とか それに対する自分自身の心の反応
置かれている環境と それに対する自分自身の心の反応
自分が興味のある動画やニュース 小説などの物語 それに対する

自分自身の心の反応 などです 

 

 

あなたの周りにいる人やもの 遭遇する出来事など それらすべては

あなたとご縁のあるものなので そのご縁があなた自身です
 あなたという存在はエネルギーで 実体がありません あなたは

他との関係(ご縁)によって定義されます

 二章で私が認識しているー私という存在は わたしという

実体ではなく 他人の波と自分の波が衝突したところである 

という説明をしました ここではそれを言い換えています
 すべてはあなた自身が何かに気づくために あなたの潜在意識が

引き寄せていることなのです
 すべては高次のあなたが望んでいることなのです この事実に

納得がいかなくても仮定でもいいのです

 仮にー目の前の現実すべてが 高次のあなたが望んている

ことだとしたら それは何のために起きているのか ということに

気づいていくと 直面している悩みや苦しみから解放されます
 ーなぜ自分に必要なのか に気が付くことが出来れば 執着から

解放されて選択肢が増えたり 具体的な解決策に気づくことができます
 ただ あまり深く傷ついていたり 辛い場合 現実逃避することは

悪いことではありません タイミングが来たら ちゃんと気づくように

なっていますし なるようになりますので無理をすることはありません

 

                                                 ー終わりなき魂を生きる 月夜見

 

 

 

リコネクション エリックパールより

 

 

ーその後ある種の堕落 僕たちを愛と幸福の中で一つに
結び付けてくれていた諸力からの離脱 ーが起こった
 ー分離
 ある人たちは この出来事がエデンの園に起因するとしている
 またある文化は これはそれよりも前のある時点に起因する
としている わずかに内容が異なることはあるが この話は
世界共通で 人類の集合的無意識の中に閉じ込められ 僕たちの
遺伝子に刻み込まれている

 程度に差はあるが リコネクション現象は 内在する記憶の中で
この黄金時代に僕たちを連れ戻し 僕たちがすべての生命と深く
つながっているという原初の感覚に結び付けてくれる しかしながら
それは単に時代を逆行するというだけでなく 新たな何かに向かって
前進することでもあるのだ ヒーリングはこの全体性から

やってくるのだ
 それが真のヒーリングであり 進化的ヒーリングなのだ

 ー全体だった そのため 僕たちをリコネクトさせる特定の周波数は
必要ではなかったのだ 最初からずっと僕たちに備わっていたものは
この種の周波数を受け入れ それに順応することができるレベルまで
集合意識を高める能力なのだ ついに僕たちの集合意識はそのレベルに
達し 宇宙が それらの周波数を公開する時間は今だと決めたのだ

 僕たちはみな この新しいヒーリング周波数を運ぶ能力を持っている
 グルとか 聖人 聖女といった少数の選ばれた人たちだけに与えられる
能力ではないのだ その能力はこの時代の贈り物であり 僕たちが
導きのために必要とする知性や叡智はすでにちゃんと用意されている
 人類として僕たちが入っていこうとしている周波数レベルでは 

真実でないものはそれらの振動(波動)と同調することが

できないばかりか
 密度が高すぎて それレベルにとどまることができずただ離れていく
ことなるだろう


 ー分離の感覚は癒され 迷信は解き放たれるだろう


 非常に多くの恐れがどのようにして愛と美の儀式に見せかけて

やってくるのかを認識することにより恐れから抜け出すという 

ワクワクするようなプロセスに僕たちは乗り出しているところなのだ

 

 

エゴはまた 物事をあるがままに正しく評価する能力の中に そして
正しく評価することがヒーリングにおいて 僕たちの役割であると
認識する能力の中にー入り込んでくる
 僕たちがすでに完全・完璧な状態で現れているものと交流している

ことを認識するときー完成しているものに手を加えたい という気持ちは

なくなるだろう

 その完全性に手を加えようとすること 何かー加え ようとすること
ー改善しよう とすることはそこに顕現しているものを僕たちから
そしてその完全性から どんどん遠くへ押しやってしまうことに

なるだけだ

ーこれは自分の内部に基礎を置く(すなわち主観志向の)かわりに 

自分の外部に基礎を置いた(すなわち客観志向の)自尊心の表れである

僕たちはこのような人を知っている そのような人は 自分は重要だと

感じるために 何かに変化を起こさずにはいられないのだ 

変化そのものに内在する価値のためにではなく 

ー良くなったこと を見せるために 何かに対して自分が行ったことの

効果の外的証拠を得て 願わくばそれを他の人たちに
認めてもらわんがために これは僕がー霊的に人を出し抜く術 と呼ぶ
エゴの形態だ

 

 

感傷的な愛は リコネクテイブ・ヒーリングを仲介する愛ではない
 そのような愛は 宇宙を創造している愛の本質からほど遠い
 死後の世界を体験した人で その体験そのものがー愛 である
ことを理解できるレベルまで行った人に聞いてみるといい

 これらのヒーラーたちは 愛を甘言と勘違いしているのだ
 それはホルモン性の愛でもなければーあなたがいなくてはダメ
式の愛でもなければ 目を潤ませてーお気持ちをお察しします
式の愛でもない それはすべてのものを包容する創造と意識の
愛なのだ それはあなたがエゴから抜け出し 脇にしりぞき


ー観察するものと観察されるものの両方になれる


ようにしてくれた それにより患者にも恩恵をもたらす愛なのだ
 それは身体を創造したパワーにその身体を癒させてあげる愛だ
 そのとき 変容が起こる そのとき 光と情報が流れる これが愛だ

 ー愛を体験する準備ができる前に恐れをすべて手放す必要はない
あなたは恐れを腕に抱えたまま愛の中に入っていくことができる
 ひとたび愛の中に足を踏み入れれば 恐れは幻想である本性を
現し 愛だけがそこに残るのだ

 

 

 

 

 ヘリゲルの師 阿波研造が的を射る時に 射ようとする自分も

これから射る的も ー滅び ただ放たれた矢が 闇夜の静寂を

切り裂き 吸い込まれるように的の中心へといざなわれた

 その射(しゃ)を得たのは何のためだったか?

という野暮な質問は もはや宵闇のその厳粛な空気の中で 

ただ頭を下げ それに謝を示す 阿波の後ろ姿をもって

察しなければならないものであろう     by どろんn

 

 

 

 

一九二〇年( 大正九年) 、四十一歳の時に阿波は、決定的に

エキセントリックな体験をする

次のように表現している。 「 大爆発」を経験する

 

阿波は ある深夜、家族も寝静まり、四周は寂として音なく

月が穏やかに夜の闇を照らすのを見るだけである

研造は一人道場に入り、

愛用の弓矢とともに静かに的前に進んだ。

 

決意があった

肉体が先に滅びるか、精神が生き残るか。

 無発。統一 。

一歩たりとも退かぬ覚悟の射であった。

 

苦闘が続く。肉体は既にその限界を越えた。

わがいのちもここに究まる。

 

 

 

遂に滅びた。

 

 

 

と思ったとき 天来の妙音が響いた。

 

天来と思ったのは、これまで自分にも耳にしたことのない、

もっとも澄明で、もっとも高く強い弦音であり的中音であった。

 聞いたと思ったと同じ瞬間、自己は粉微塵に消し飛んで、 

 目も弦む五彩の中、天地宇宙に轟々たる大波紋が充満した