迎合せずにもてなす。遠慮じゃなくて配慮。
今の仕事をするようになって、・そのコミュニケーションは失礼だ・自分のことしか考えてない・矢印がいつも自分に向いてる・自分軸を持って。スタンスをとって。・相手の事を考えて。でも、迎合はしない。と、何度も言われて、、、わかっているようで、完全には飲み込めなくて、何だったら、自分は、周りのことを、相手の事を考えて動いているつもりなのに、何が違うんだろう…とずっと思ってました。どちらかといえば、自分より周りを優先してるつもりで、周りの事を考えながら動いているつもりだった。優しい、丁寧って言ってもらえるし…何がおかしいのかな…何が違うのかな。でも確かに、私のそれは、配慮ではなく、遠慮。どうすればいいんだろう?でも、今日、ふっと気がついた。あっ、、、私の行動原理となっている「理由」は、いつも消極的だった。私はいつも、プラスにしようとして、動いてない。マイナスにならないようにしか、動いてない。選択方法が、消去法なのだ。プロジェクトを任された時、一生懸命やってるんだけど、それは、失敗しないように一生懸命なだけで、もっといいものにしよう!というモチベーションじゃなかった気がする。後輩がミスを連発したとき、人間関係が壊れたらこまるから、様子を見ながら話そうかな…と思っていて、後輩がこのあと、活躍できるように!という視点じゃなかった。上司の言っている事がいまいち理解できなかったとき、つべこべ言ったら、上司の時間無駄遣いかな…って、考えてた。でも、このあと仕事をスムーズに進めることに思きを置くなら、ちゃんと質問すべきだった。そしてこの消極的な理由づけは、間違いなく相手にとって、失礼だ。あぁ、すごくしっくり来た。腹落ちした。私の課題は、これだ。ずーっと、感じていた。自分の意志って、なんだろうって。何が食べたい?何がしたい?何が好き?と聞かれるのが、子供の頃からいつも苦手で、レストランにいったら、一番安いものを頼んで、おもちゃをねだることはことんどなくて、あるもので遊んで、相手も好きそうなものを、自分も好きだと答えて最初から、コミュニケーションすることを放棄しているのと一緒だ。相手とも。自分とも。だから、自分を大事にしなきゃいけないんだ。自分を偽っている時点で、どれだけ相手を思っていても、失礼。だってそれは、相手にも、自分を偽れと言っているようなものだから。相手の態度は、自分の態度の鏡。そうか。うん、そうだ。下を見て、落ちることを怖がって行動するのではなく、上を見て、目指すところに向かって歩こう。