秘密の扉

ひと時の逢瀬の後、パパとお母さんはそれぞれの家庭に帰る 子ども達には秘密にして


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「ガウチ~ィ」
しんさんは素っ頓狂な声をあげた。私がえんぴつで「焼餃子」と書いてそれを食べたいと言ったからだ。
中国に焼き餃子はないらしい。それは私が納豆に砂糖をかけて食べることに抵抗を感じるのと 同じようなことなのだろう。
「日本では餃子は普通焼いて食べるよ。だから私は焼いた餃子が食べたいの」
「ふふん、ふふん」
しんさんは可笑しそうに笑った。分かっている。無い物は作らなくちゃならない。私はしんさんに頼んで材料を買ってきてもらった。もちろん忘れずに青島ビールも頼んだ。
「あれ?餃子の皮は?」私は香港にも「東京ワンタン本舗」が存在しているような気になっていた。
「モウマンタイ」
しんさんは小麦粉を練りだした。こうやって皮も自分たちで作るものらしい。私が作った具をしんさんの作った皮で包む。それは美味しい日中共同作業だった。
しんさんは手に持った麺棒で器用に皮を丸く伸ばしている。なかなか上手だ。
二人でいくつも作って私が焼いた。
酢醤油につけて一口で食べる。うん、やっぱり餃子はこうやって食べるのが美味しい。
「ホウメイアー、でしょ」
しんさんは笑いながら餃子を口に含む。
「むぉぉ」
口の中をいっぱいにしながらの感嘆の声。
「ウヒヒヒヒ」それでもやっぱりしんさんにとっては奇妙な味なのだろう。なんだかとても楽しそうだ。しんさんにとって餃子は水餃子を意味するし、私にとっては焼き餃子を意味する。
私はちょっと皮の厚い水餃子も大好き。だけど焼き餃子は当たり前の美味しい味だ。
しんさんには水餃子が当たり前の味で、焼き餃子はきっと「変な食べ方」なのだ。
「これさぁ、ビールによく合うと思うよ」
しんさんのコップに青島ビールを注ぐ。
「ん~ホウメイ」
ガス台の上では次の餃子が焼けた頃だ。音で分かる。
しんさん、私のコップにもビールを注いでよ。
「ガウチー、ンフフフフ。ガウチー」
しんさんはなぜか一人で受けている。なにか、よっぽど可笑しいのだろう。
ねぇ、じゃぁ今度は揚げ餃子に挑戦してみる?





まぁ、最終回が終わった翌日にこんなものを書いて未練たらたらw
書き手としてはこの主人公たちを愛しているのでこんな楽しい思いもさせてあげたかったなと。
ところが主人公たちには主人公たちの生き方があるのでストーリーの中にはこれを盛り込めないわけです。
このお話がその後、のことなのか、彼らのもう一つの選択の結果なのか想像にお任せして。

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少し考えて出したしんさんの結論は持ち越しだった。

もうすぐしんさんのセーターも編みあがる。これが出来上がったらいったん日本に帰る事にしよう。少なくとも私の連絡先を置いて、いつでもしんさんからの連絡が付くようにすればよい。
領事館に出頭してどうなるのか一抹の不安はあった。

こちらに来てからのいろいろを詳しく話さなければならないのだろうか…もう何もかも済んだことだし、しんさんに繋がることを詳しく語ったら、しんさんの身になにが起こるかわからない。

だとしたら、余りおかしな格好をしていくわけにはいかない。
「じゃぁ、何か外に着ていけるような服を用意してもらえるかな」
しんさんは黙っていた。


すっかり編み物に慣れてしまった手は、目を割ることも落とすこともなくどんどん編みあがっていく。

自分自身で着々と今の生活を終わらせていくような気持ちだ。しんさんが連絡をくれるのかどうかも分からない。これでしんさんとは終わりなのかもしれない。もしかしたら私がまたここに来て今度はしんさんを探し出すのかも知れない。

でもその時はちゃんとパスポートを持って自分の意志で来る。そこからなにか始まるのかも分からなかった。目がどうなるかも分からない今では、当面、本当にか細い繋がりになるのだろう。


二、三日して、しんさんは服を買ってきてくれた。なんだか嬉しくて私は意味もなくはしゃぐ。

その日はしんさんの休みの日だ。ためしに私がそれを着てみるとしんさんは私の腕を取って導かれるまま二人で外に出る。

外の空気が私の肺に流れ込んできて、深々とその新鮮な空気を吸い込む。

しんさんに掴まりながら廊下に出て階段を下りる。途中エレベーターを使い、迷路のような廊下を抜け、しんさんと一緒に外に出た。色とりどりの街が私の目に映る。


食堂に入って、しんさんが料理を注文してくれた。威勢の良い掛け声、周りの人達の会話する声。

窓の外から聞いていた広東語と同じように、まるでけんかをしているように聞こえる強い口調。私は音の洪水に飲み込まれそうになる。やがてテーブルの上には幾皿も運び込まれる。
そう言えばしんさんとこんな風にデートするのは初めてのことだ。いつもと違う雰囲気で私は無口になってしまう。
「ねぇ、しんさん。私こっちに戻って来て良いの?
しんさんは私のこと邪魔じゃない?」
テーブルの上のしんさんの手が私の手を握る。
「帰ってくるのがいつになるか分からないの。ずっと目が見えないならそれで生活が成り立つように訓練しなくちゃいけないし…」


しんさんは私に電話番号らしき数字を教えた。広東語で何度も繰り返して覚える。
私も紙とえんぴつを借りて実家の住所と電話番号をアルファベットで書いた。しんさんにそれを読み上げてもらい確認する。
涙が止まらない。私たちこれで終わりになるかもしれないね。新しい生活に飲み込まれて、しんさんのことを忘れてしまうかも。

しんさんだって同じことだ。日本と香港という距離は遠すぎる。私のことは忘れてしまうかも知れない。
きっと私が彼の思っていたような人形ではなくて、しんさんの意図とはまったくズレた生活になったのだろう。もしかしたらしんさんは私を厄介払いしたかったのかもしれない。でもそれなら私を叩き出せば良いこと。

そうじゃないんだよね、しんさんそうだよね。


食堂を出て二階建てのバスに乗る。まるで遊園地の乗り物のように感じる。そこでやっと私は気が付いた。後はこのまま日本領事館に行くのだ。
「しんさん、私のカーディガンは?ショールは?」
しんさんに編んだセーターは襟元の始末が残っていたのに。
私は声を立てて泣き、しんさんにしがみついた。
「嫌だよ、嫌だよ。これで最後なんて嫌だよ」
しんさんは私の頭をただ撫でていた。いつかのお客のように。
やがて停留所でバスを降りる。
しんさんに導かれて通りを歩く、とても切ないデートだった。ある曲がり角でしんさんは私の左手をとって壁につけた。
「ゴー、ストレイト、ドール。ゴー、ストレイト」

まっすぐに行くと日本領事館なのだろう。涙は溢れ出す。
「しんさん、ちょいぎん、しんさん、再見、」
「チョイギン、ドール」
光の溢れた通りに向かって私は一人で歩き始めた。振り返るとぼうっとしか見えないしんさんの姿が更に涙でゆがむ。
「しんさん、再見」
「ゴー、ストレイト、ドール、ゴー」



ハイ、これで終わりましたよ。体が軽くなったでしょう。えっ、その後のお話?そうねぇ、それはまた今度のお楽しみにしておきましょう。
あっはっは、そう言われてもねぇ。次の患者さんも待っていることだから。
まぁ私がこうやって中国針を使っていることでいろいろ想像してみてくださいな。

もしかしたら丸っきりの作り話かもしれないし。
ほほほほっ…
次の診療の予約?
3週間ぐらい旅行に出かけるのでね。その頃またお電話いただけましたら。
えぇ、もちろん帰ってきますとも。どうもお疲れ様でした。またどうぞ。

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目の前にいるしんさんは時々ため息をつく。何か心配事でもあるのだろうかと不安になる…。
彼がどういうつもりで私を囲ったのか、未だに掴めていなかった。

初めは自分の身の安全がかかっていたからそれを考えるのは当然だったけれど、ここまで気になるのはやはり恋だと言えた。
私は自分を買ったしんさんの孤独を思う。普通に香港の女の人と恋愛が出来ないしんさんの孤独を思う。


しんさんはなぜ私を「ドール」と呼ぶのか、そこに彼が予定した私の役割が描かれているように思う。
自己主張しない人形として置物のように飾っておきたかったのかもしれない。

人格など認めないセックスだけの対象にしておきたかったのかもしれない。

だけど彼の頭の中で予定していた人形は、やっぱり人間で言葉が通じなくても、目が見えなくても反応し、暴れたのだ。


人は自分だけのノートを持っていてそこに自分だけのストーリーを書いていく。

しんさんにはしんさんのストーリーがあって私はそれを読みたいと思う。そのノートが楽しさや嬉しさで一杯になれば良いと願う。

何もすることがなかったとき、私のノートはずっと真っ白だった。

しんさんのノートに綺麗な色が付き物語が書かれるとき、私のノートにも色が付いて物語が書き加えられるのだ。


薄紙を剥がすように日一日と目が見えるようになってきた。

初めはぼんやりと光を感じるだけだったが、光はより強く、おぼろげながら輪郭を持ち始めた。

しんさんは少しづつ私に広東語を教え始めていた。目が見え始めたことを私は黙っていたが、しんさんはなんとなく気が付いている様子だった。
私は買ってきてもらったペールグリーンの毛糸でしんさんのセーターを編み始めた。しんさん用だというのはしんさんには内緒だ。

目が疲れないように目を瞑って相変わらずの市松で編む。それに飽きると外の音を聞き、ハーモニカを吹き、モーツアルトを聞いた。穏やかでやわらかな毎日がゆっくりと過ぎていく。もう私は不安に怯えることもなく、いつの間にか慣れてしまったこの暮らしを確かなものに感じていた。と同時にもう少し進めてみたい。


「んこい(ねぇ)しんさん
私あなたの部屋に住んじゃ駄目?
しんさんの部屋で私に何かできることがあるかもしれないし
そうしたらきっと楽しいよ
編み物が出来るんだもの、きっと他のことだって出来るよ」
沈黙。
久しぶりの沈黙が少し悲しい。
「そうじゃなかったら日本に帰りたい
だってここにいたら私にはしんさんしかいなくて、なのにちょっとよそよそしくてそれはやっぱり悲しい」
拙い英語と広東語を交えて一生懸命話した内容をしんさんはどう受け止めるのだろうか。

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窓のほうを向くと薄っすらと明るい。そのまま反対に目をやると闇だ。
あぁ、神様、ありがとうございます。
もしかしたら視力が戻るかもしれない。もう一度見ることが出来るかもしれない。前と同じようでなくても良い。
もう少し見えれば…。

しんさんの顔が見たい。しんさんの顔が見たい。もう一度綺麗な色とりどりの光景が見たい。日本の両親の顔が見たい。

私は毛糸を入れてある紙袋の底から丸く輪にした自分用のカレンダーを取り出してみた。輪は6つ目になっていた。見えなくなってから7週間余り。期待して良いのだろうか。


落ち着いて、落ち着いて、あんまり期待しちゃ駄目。がっかりしたくない。少しでも光を感じることが出来ただけでこんなにも幸せなのだ。昼と夜の区別が付くだけでこんなに幸せなのだ。
あぁ、でも。目を開いていることの意味が蘇る。目があることの意味がある。でも、もう少しだけ見えて欲しい。せめて大まかな色の区別ぐらい付くようになって。お願いだから。


ベッドから脚を下ろしてぺたりと床に足が着く。ひんやりとした床が素足に気持ちよかった。今何時なのだろう。
初めの正時が訪れるまで私には時間が分からない。最近は少し早起きになっていていつもガチャンとトレイが届くのを待っていた。7時くらいかしら…
窓の近くに移動して外の音を聴く。以前、外の世界は私と切り離されていた。そこは私が戻ることの出来ない生き生きとした世界だと思っていた。物売りの声、おばさんたちの笑いさざめく声。走り来ては去っていく子供たちの歓声。まるでテレビを見ているように私はそれをいつも遠くに聞いていた。
扉は閉まっておらず、光を感じるようになった今、そこは私がいても良い世界に変化したのだ。


やがていつもと変わりなく食事がトレイに乗ってドアの下から差し入れられる。きょうは粥。そのほかにはミカンと揚げパンが載っていた。やっぱり一人で食べるのは詰まらない。だけどしんさんだって忙しいのだろう。
人間の欲なんて尽きることがない。売春宿に居たときは、あそこ以外の場所ならどこでも良かった。ここに来て何もすることがなかった時は、何でも良いから何か起こって欲しいと思った。だんだんしんさんと話せるようになってきて、目も見えるようになってきて、もっと見たいと思ってしまう。もっとしんさんと話して、もっと目が見えて欲しいと思ってしまう。カーディガンが出来上がったら私は外に出て行くのだろうか。

雲が太陽を遮るように、心配になった。しんさんは目の見えるようになった私をどうするのだろう。目が見えるようになった私をしんさんはどう思うのだろう。
日本にも帰りたい。でもここでしんさんと暮らすのも楽しそうだった。しんさんに必要なのは目の見えない私なのだろうか。それとも私の目が見えるようになったことを、あの人は素直に喜んでくれるのだろうか。

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鍵は掛けられていなかった。そうするとこれは監禁ではない。では出て行きたいかというと、実はそうでもなかった。


自分自身の気持ち、それ自体に戸惑いながら私は再び編みかけのカーディガンを手に取った。もう片袖を残すばかり。広東語で数字を数えて編み続ける。こちらへ来てからの事、しんさんとの毎日を思い出していた。
ドアが開いていると私が知ったことを、しんさんに知られないようにしなくちゃ。


鍵がかかっていなかったことから私の出したしんさんの行動の不思議さを推測してみる。

しんさんは私を単に助け出そうと思ったのだろう。もしくはわたしを普通に囲うつもりだったのかもしれない。
ところが何らかの理由で一線を越えられなかった。
もしかしたら私の何かが気に入らなかったのかもしれない。だからといって目の見えない私を追い出すわけにも行かず、もしかしたらしんさんは困っているのかもしれなかった。
あるいは目が見えなくて何も出来ない私とやっぱりこの先ずっと一緒にやっていくことは出来ないと思ったのか。本当のところは分からない。


売春宿に連絡して買い戻してもらえばよさそうなものだ。
ここの家賃だって馬鹿にならないだろう。
私がここに居ることは彼に負担をかけているのだろうか。
私が出て行ったほうがあの人のため?
しんさんは優しいからそんな酷いことを言えないの?
ねぇ、しんさん私はどうしたら良いんだろうね。だって私しんさんに何もして上げられない…


翌日しんさんが夕飯を持ってやって来た。なんだか機嫌の良い様子で、「金髪のジェニー」を鼻歌で歌っている。私

は嬉しくて一緒にハミングした。その声に気がつくと、しんさんは一瞬黙り、また二人で一緒にハミングを始めた。
カーディガンの袖は、思いのほか早く編めている。目が見えないから纏めるのには時間がかかるだろうが、それでも2

日もすれば出来上がるだろう。
それだけの時間で、自分がここを出て行く決心が付くとはとても思えなかった。


テーブルを前に食事が始まる。青菜を炒めたものが美味しかった。
しんさんが青菜炒めを噛んでいる音が聞こえる。
「ホウメイァ」
しんさんが呟く。
「ホウメイァー、って、ヤミーってこと?」
「ハァ」
立派に会話が成立した。
「ホウメイァー」私も同意する。
「ホウメイァー」しんさんも繰り返す。


「ねぇ、しんさん
カーディガンもうすぐ編みあがっちゃうんだけど、また毛糸を買ってきてもらえないかしら。ニューヤーン」
私は脇に置いたカーディガンの袖をしんさんに示した。
「ハァ」
「今度はね、もうちょっとしっかりした糸で編みたいの」
あぁ、なんと伝えれば良いのだろう。情けなくてもどかしい。
「ディスヤーン イズア リトルソフト。アイウォント アナザ ヤーン。ドゥユゥ アンダスタン?」
「イェス、モウマンタイ」
「モウマンタイ?」
「モウマンタイ」


「モウマンタイ」は売春宿でよく聞いたから意味は分かっていた。ノープロブレムと同じように使う。
しんさんのセーターを編むつもりだった。願わくば、ピンク色の毛糸を買ってこないことを祈るばかりだ。もっともセーターの出来栄えには自信がなかった。目が見えて毛糸用の針を使えばそれなりに仕上げる自信はあるけれど、何もかもが手探りの今、糸の始末がきちんとできるとは思えなかった。だからしんさんが一人で部屋で着る分にはピンク色でも無問題(モウマンタイ)だろう。


そのセーターを編み終わる頃には自分の答えが出ているだろう。あるいは答えなんて出なくて、また一着、また一着と着る物が増えていくのかもしれない。それならそれでも良いではないか。
しんさんが私のことが邪魔であれば食事を持ってくるのを止めれば良いことだ。飢え死にするわけにも行かないのだから私は出て行かざるを得ないだろう。
それならそれでモウマンタイだ。



翌朝信じられないことが起こった。目が覚めるとぼんやりと明るかった。

目を閉じてまた開けてみる。何度も瞬いて確かめてみた。

開けると確かに少し明るい。


香港ドール19へ

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やっほ~い

日曜の午後にブログなんか見ている(書いてる!)

悲しい皆様お元気ですか?


友達のピャーコ(もう呼び捨て!)が私を映画に出演させてくれたので 嬉しくって浮かれております。

ピャーコ!あんたいつになったらコーヒーメーカー送ってくるの!
今じゃすっかり紅茶党になっているから、もういらんっ!
あんたのうちと違って狭いから置き場がないんだけどさっw
酒も送ってやんねー!旨いのに…


というわけで、わたくしも製作いたしました。


映画「香港ドール」の予告編ムービー


罰としてピャーコの出演は無しですけど。
ところがアメ風呂には直接貼れないのだよ。
だもんでseesaaにひとつ作っちまいました~。


リンクからどうぞご覧あれ!

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ビックリして私は思わずドアを閉めた。ギリギリで間に合った自制心が最後に音を立てないように私に命じた。
いつから鍵が開いていたのだろうか。記憶を辿ってみる。
パニックに陥った時、確かに鍵は開いていなかった。その後もたいてい2つ、カチン、カチンとしんさんが几帳面に鍵を掛けている音が聞こえていた。
それは今日も同じだ。鍵は2つ付いていて、確かに音が…


私の頭の中に真っ白な閃光が走りぬけた。音だけだ。


一度やってみて後は確かめもしないで、鍵がかかっているものと思い込んでいた。すっかり諦めていた。
もし一つの鍵を一度かけて、また開けたら同じような音がする。今まで閉じ込められているとばかり思っていたけれど、もしずっと開いていたのなら…。


私を閉じ込めていたのはしんさんじゃない。自分を閉じ込めていたのは自分だ。
自分なのだ。すっかり諦めていた自分なのだ。


外に出られる!日本へ帰ることが出来る!
外に出よう、そこらにいる人に助けを求めたら、日本領事館に連れて行ってもらえるはずだ。靴も履いていない、半裸の目の見えない自分が歩いていたら、きっと誰かが助けてくれる。


すると心の中でもう一人の私が叫んだ。
ちょっと待って、しんさんのことはどうするの。
ねぇ、私しんさんのこと好きになっていたじゃない。あの人のこと何も知らないけれど、しんさんを喜ばせたいって言うのは好きってことだよ。何でか知らないけれどしんさんは私を助けてくれた。なにがしたいのか訳が分からなかったけれど、毎日食事を持ってきてくれたじゃない。しんさんと話したくて辛い思いをしているじゃない。そのしんさんと二度と逢えなくても良いの?


またもう一人の自分が囁く。
落ち着いて考えてみて。明日だってきっと鍵は開いている。明日だって出て行くことが出来る。明日だってきっとしんさんは食事を持ってきてくれる。
もう少しゆっくり考えてみたほうが良い。
ねぇ、もうすぐカーディガンが編みあがるよ。幾らなんでも裸みたいな格好で外に出たら恥ずかしいでしょう。ショールを巻きスカートみたいに腰に巻いて、カーディガンを着たら少なくとも裸じゃない。出来上がるまで待ってみても良いんじゃない。



私は混乱していた。日本に帰りたい気持ちと、このままここにとどまって居たい気持ちが完全に交錯していた。ゆっくり考えよう。確かにいつでも出て行くことは出来る。カーディガンが出来ればそれほど恥ずかしい思いもしなくて済む。ホンの少しの間のことだ。もう少しだけここに居よう。


でもそれは私の自由意志ということになる。ここに居ることは私が選んだということになる。少なくとも気がついてしまった今では完全にそうなのだ。


香港ドール18へ

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窓の外から聞こえる町の人たちの声から「ネイホゥ」というのが挨拶らしいと知ると、さっそくしんさんに言ってみたけれど、いつも返事は返ってこなかった。
私は毎日編み物をし、ハーモニカの練習をして上手くなるとしんさんに披露した。ショールはすぐに編み上がって、私がねだるとしんさんはすぐに新しい毛糸を買ってきてくれた。
今度はいよいよカーディガンに挑戦することにした。同じように市松で編むことにする。何色か分からなかったけれど、しんさんが買ってきてくれたのはショールと同じモヘアの毛糸だ。


毎日の時間の経過は、前とは違い格段に早くなった。何度も目を落とし、編み直しに苛立ちながらも、少しずつ前身ごろ、後ろ身頃が仕上がっていく。わたしは別にした毛糸で鎖編みをして日にちを数えていた。毎日一つ目を編んで、7つ目が出来ると尻尾に通して丸い輪を作る。輪は4つ目に差し掛かっていた。


しんさんは私のメンスの日から一緒に入浴することをやめていた。その理由は分かるような気がする。しんさんは入浴以上のことをする気持ちがないのだろう。そんな私の存在がしんさんにとって何の意味があるのかは私にはどうしても分からなかった。
もしかしたらやってくるかと思われたしんさんの背後の人物も、結局は私の恐怖感が作り出した産物らしかった。


そんなしんさんに気味の悪さを感じるのが普通なのかもしれない。でも私は不思議とそうは感じなかった。後にストックホルム症候群のことを知ったときに、どういうわけか私には素直に理解できた。とても特殊な状況だからこその反応なのだろう。
私にとってはしんさんは地獄から自分を救い出してくれた人物で、危険な外界から自分を守ってくれているようなそんな気持ちになっていたのかもしれない。


毎日夕食の後、その日ハーモニカで練習した曲や、上手くなった曲をしんさんに聞かせる。あるいは一緒にモーツアルトを聴く。単調な生活の中で私がしゃべることも、もう少なくなっていたけれど、しんさんと過ごす2,3時間がとても楽しみだった。
着るものは相変わらずの寝巻きばかり、しんさんはラジオも時計も持ってきてくれなかった。
その代わりといってはなんだが、右隣の部屋の住人は柱時計を購入したらしい。壁伝いに微かに聞こえる音を数えるのが私の習慣になった。右隣の住人は毎朝8時になると出て行き、帰宅はいつもしんさんが帰った後で、それは殆どしんさんなのだった。
ある時しんさんは風邪を引いたのか、咳をしていた。しんさんが帰った後で右隣に耳を澄ますと、やっぱり咳が聞こえてきて、私は思わず笑ってしまうのだった。


週に一度、休みの日にはしんさんは私のところで長い時間を過ごす。私は嬉しくていつもより少しおしゃべりになり、しんさんは昼食のあとにチョコレートケーキや、クッキーを用意してくれた。アイスクリームの日もあった。
毎日は穏やかに過ぎていく。ある晩10目ずつの市松を私はいち、にい、さんと数えながら編んでいた。しんさんは私の側に来て私が編んでいるのをじっと見ているようだった。耳元で小さくしんさんの声が聞こえる。
「やっ、いー、さん、せい、んー …」
数だ。私も数え始める。
「やっ、いー、さん、せい、その後は?」
「…んー、ろっ、ちゃっ、ぱっ、がう、さっぷ」
「んー、ろっ、ちゃっ、ぱっ、がう、さっぷ
やっ、いー、さん、せい、んー、ろっ、ちゃっ、ぱっ、がう、さっぷ」


そんな風に時に心が通じたような気持ちになると、私はしんさんに対して切ない思いを抱えるようになっていた。しんさんが帰る支度を始める気配がすると、寂しくて涙がこぼれてしまう。
ねぇ、しんさん私もっとあなたと話したい。しんさんが帰った後、私は右隣の壁に耳を当ててしんさんの気配を少しでも感じようとしていた。隣室はいつも静かだ。
そうっと壁を叩いてみる。


トントン、トン、トン、トン。


真っ白く長い時間が経って、やっぱり何の反応もない。また大騒ぎをしたらしんさんは来てくれるのだろうか。

半ば自棄になって、乱暴に部屋のドアノブを廻してみる。


あっけなくドアは開いた。新鮮な外の空気が流れ込んでくる。


香港ドール17へ

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生理中で男と入浴しない何日かはともに食事をするだけだった。入浴をして肌と肌が触れ合うことが、何かとてつもない恐怖感を持って迫ってくる。
入浴中からその後にかけて二人の間を走る緊張感が、怖かった。初めの頃のわけの分からなさとはまた少し違う。どうかこのままで、今のままで。
トイレットペーパーに包んだ生理用品のゴミが今日は出なかったのが悔やまれる。私は黙っていた。しんさんも黙っていた。しばらくするとしんさんはまた私の頭をポンポンと軽く叩いて出て行ってくれた。


浴室に湯を張り、自分ひとりで入浴する。ちょっと冷静になったほうが良い。
しんさんは私を閉じ込めている人。でも私をあの地獄から救ってくれた人でもある。しんさんの行動は訳がわからない。この部屋には半分裸に見えるような薄い寝巻きしかなくて、それは娼館上がりの私には当然そういうことだと思われた。でも前提が違うのだろうか。だったらあのキスの意味は?


昼間寝てしまったから目が冴えて眠れない。私はずっとしんさんの行動の意味を考えていた。
少なくとも、穏やかな意図を持っていると信じたいのは私の甘さなのだろうか。目が見えなくても少しでも何かできるように応援してもらっていると思うのは愚かな考えなのだろうか。
しんさんのことをもっと知りたい。私はしんさんの食事の好みや、モーツアルトが好きなことぐらいしか知らなかった。


ねぇ、変だよ私、何であんなにドキドキしたの?
あんなキスぐらいでいったいどうしたの?
誰でも良いの?しんさんのことが好きなの?どこが好きなの?なにを知っているというの?
ろくに口も利いてくれなくて、説明しようともしなくて訳が分からないじゃない。
なんか変だ。私は変だ。変だ、変だ。
こんな風に閉じ込められているからだ。頭のねじがきっと少しおかしくなってしまったのだろう。
こんな風に私がしんさんのことを好きになってしまったことで入浴はきっと耐え難いに違いない。


編み物を取り出してはため息をつき放り投げる。
ハーモニカを手にとって少し吹いてみる。「金髪のジェニー」

きっとしんさんもどこかで聞いたことがあるはず。音の高低が分かれているからハーモニカだと難しいけれど、どこか懐かしさを感じさせるその曲はハーモニカの音色に良く合った。


しんさんが喜んでくれると良いなぁ。


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右隣の住人があの男なら家族は居ないのだろう。
差し入れられた粥を食べ始める。まだ暖かった。トレイにはみかんが二つとチョコレートも乗っていて嬉しかった。
男が独身なら、なぜ自分の住まいに引き入れないのだろう。部屋の中でわたしを繋いでおけばいいだけの話ではないか。

それはしたくないということなのだろうか。だとしたらそれはなぜ、なぜなのだろう。


夕刻男が来て食事が始まる。
「ねぇ、見てこんなに編み上がったの」
ショールは半分ほど編みあがっていた。
「やっぱり何かやることがあるっていうのは、良いねぇ」
男の反応は覗えない。


「この分だとすぐに編みあがっちゃうよ。ねぇ、そうしたらまた新しい毛糸を買ってきてくれる?ニューヤーン。
あと、時計も欲しいの。クロック。ボーン、ボーン、ボーン。分かる?
それからラジオ。えっと、なんていうんだっけ、ショートウエーブ?ジャパニーズプログラムが聞けるやつ」
男のため息が聞こえた。いろいろ要求されて閉口しているのだろうか。でもわたしだって閉じ込められているならできるだけ快適に過ごしたい。
どれぐらいこの状態でいるのか分からないのだもの。全部に応えてくれなくて良い。でも伝えなければ分からない。


「ドール」
久しぶりに呼びかけられる。食事が終わっていた。いつものように口を拭ってもらった後だった。


左手を取られて、その手にひんやりとした金属の硬さを感じる。
「ハーモニカ?」
急いで口元に当ててみる。反射的に吹いた曲は「ツィンクルスター」だった。
♪ド、ド、ソソ、ララ、ソ
この曲なら男は知っていると思う。
吹き終えるとなんだか嬉しくて笑ってしまう。男もきっと笑っているのだろう。
次の曲はと考えて「スワニー河」を吹いてみる。日本の歌じゃなくて、彼が知っている曲を吹いてあげよう。
これは一曲終わるまでに、たくさんつっかえた。「スワニー河」と分かってもらえただろうか。
「練習しなきゃね」と笑うわたしの頬に暖かい男の手が添えられて唇にかすかに触れる感触。


ドクン、ドクン、ドクン、
胸が痛い。ドクン、ドクン、ドクン、
喉が苦しい。ドクン、ドクン、ドクン、
ドクン、ドクン、ドクン。


時間がゆっくりと凝固していく。まるで私の鼓動が固めていくみたいだ。ドクン、ドクン、ドクン。
唇の感触はすぐに離れても、添えられた手は離れないで彼の手まで私の鼓動が固めているみたいだ。


ドクン、ドクン、ドクン。ドクン、ドクン、ドクン。
時間は短いはずなのに、なんと濃密に流れることだろう。


何か男に呼びかけたい。
男が私を「ドール」と呼ぶように私も男に対して呼びかけたい。


ドクン、ドクン、ドクン、ドクン、ドクン、ドクン。
広東語で男の人を呼びかけるときなんと言っていたっけ、えっと…


「しんさん…」


後で分かったことだけれど、「先生」という漢字を広東語でシンサンと読むのだそうだ。だけど私はなんだかシンという名前にさんという接尾語をつけて呼んでいるような気持ちになっていた。


「しんさん…」
胸が苦しいよ…


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