それでも私はがんばれと言うよ | 秘密の扉

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ひと時の逢瀬の後、パパとお母さんはそれぞれの家庭に帰る 子ども達には秘密にして

こんぶうさんの 瑣末かも知れない疑問(2)~恐怖感はいけないこと?~ にトラックバックです。


自分の周りが変化するとき人は不安や恐怖を覚える。それはとても自然なことだと思う。多少居心地が悪くても、慣れ親しんだ場所には安心を覚える。自分自身を省みてもそうだと思う。
けれど、そんな自分の思惑の外で世界は絶えず動き続けている。そのことを忘れてはならないと思う。
変化し続ける世界の中での現状維持は退化に等しい。変化に対応できなくては、私たちはただ取り残されていくのだ。


「平和憲法を護れ!」と一貫して主張していた党は衰退していっている。なぜなのだろう。
それは変化に対応できなかったからだ。自らの主義主張に拘った余り、時代の変化、世界の変化、世の中の変化に取り残されていったのだろう。
その頑なさを信頼できるという人も居るだろう。それはそれで一つの見識だし、わたくしはそれを否定しない。

政治家には20年後、50年後を見通して現在を導いていく責任があると思う。その中で「今」を変える勇気は単なる無謀と片付けられてしまうのだろうか。
国民への安易な迎合は衆愚政治を生まないだろうか。


こんぶうさんの指摘する問題点はもっともなことだと私は共感する。
けれど、それでも思うのだ。今のままでは幸せな未来は見えない。
理想は美しく在るべきだ。時に現実との差が大きすぎて埋めることは難しく思うし、その距離の大きさが無力感を生む。
でもそのままでは何も変わらないのだ。変わらないということは衰退を意味する。これが私たちの陥っているジレンマだ。


何かを行うときに小異にとらわれず大同を取る。議会制民主主義での難しいところはその辺の兼ね合いなのだろう。
理想を実現するためには柔軟さと忍耐強さが要求されるのだ。
絵に描いた餅を食べたいと思うなら田を耕すことから始めなければならない。
いたずらに変化を恐れて居ないでまず前進する方法を考えたい。その上で細かいところを詰めていくことが私は大切だと思っている。