Doodlin' Records -9ページ目

Doodlin' Records

神戸元町のバー「Doodlin'」店主がチョイスするジャズレコード紹介。
勝手気ままに書かせていただきます。

ビッグバンドジャズからモダンジャズまで何でもこなすオールマイティー型の見本のような偉大な人物クラーク テリーさんが、37歳という実にあぶらの乗り切った時期にあたる1957年に吹き込んだ作品。

脇を固めるのは当時まだ20代だったジョニー グリフィン、ウィントン ケリー、ポール チェンバース、そしてフィリー ジョー ジョーンズという押しも押されぬ人気プレイヤーばかり。したがってテリーさんのアルバムの中では恐らく最もハードバップ色の濃い1枚ではないだろうか。
ただ断っておくが他のハードバップの人気盤のようなテンション上がりまくりの生々しい演奏ではない。したがって豪華メンバーにつられて聴いた方は少し肩すかしを食わされるかも知れない。

でも僕はこの上なくこのアルバムに愛着を感じている。それはこの地味さにテリーさんの味が滲み出ているからに他ならない。これほどワームでテンダーなハードバップはなかなか探してもみつからないと思う。半分を占めるテリーさんのオリジナル曲も素晴らしい。

ジャズは特別に演奏者の人柄が表れるというが、これを聴けばテリーさんがこの世界で最も尊敬され、愛されているという話も頷けるというもの。また過激にやればいくらでも出来るはずのサイドメン達がテリーさんに合わせてか、ここではたまらなく寛ぎ感を醸し出してる姿も逆に驚異だ。

またタイトル曲はテリーさんが、かつてバンドメンバーらとバスで各地を移動していた頃の思い出を綴り作曲したもの。自動車がまだそれほど普及していなかった頃のバンドマンの移動は列車かバスというのが普通だった。この様子はビリー ホリデイの伝記映画「奇妙な果実」やレイ チャールズの傑作伝記「レイ」などを観るとよくわかる。
アメリカ国内で自家用車が急に普及したのは50年代からだという。ただし交通ルールに対するモラルがそれに追いつかなかったのだろう、おかげで50年代は自動車による交通事故は後をたたず、特に移動の多いバンドマンが事故に巻き込まれるケースが多いという悲劇も生んでいるとか。
テリーさんはこの時に何故かそんなバスでの日々が懐かしく感じたのだろう。それをもうすでに各自が自動車で移動する時代のメンバーらと演奏してるというのも、考えたらまた面白い。

$Doodlin' Records
ジャズのお店を始めたのならば、何かひとつ胸をはって「僕はこういう事をやりました」と言いたい。現在の自分の大きな部分をしめるジャズに何か恩返しをしたい。そんな気持ちで企画しました。

1950年代からありあまる知性と教養、そして包容力で常にジャズをひっぱり続けた男。その名はクリフォード ジョーダン。没後20年がたった今もニューヨークでは彼の恩恵は生き続けているという。正にジャズ界、音楽会、そして人としてのレジェンドと呼ぶに相応しい偉大なる人物だ。

明日5月20日のDoodlin'はそんなクリフォードの残された音源のみでお送りします。クリフォードは亡くなる直前まで並々ならぬ行動力で音楽を創造し続けていた。よって80年代から90年代にかけてのCDによる音源も膨大な量におよぶ。
今回は僕の同級生のクリフォード ジョーダン研究家ともいえる玉垣氏にもDJとして入っていただき、貴重で壮大なるクリフォードの世界をかいま見れる展開となるのは必至。

夕方から深夜まで、いつお越しいただいても万全の状況でお聞かせ出来るでありましょう。ご期待くださいませ。

なお僕たちのクリフォードに対する気持ちは過去のブログを参照ください。テーマ別のテナーサックスですぐ見つけられるでしょう。


$Doodlin' Records
タイトルにはMEETSが使われていますが、実際にはコールマン ホーキンスがエリントンと愉快な仲間たちにJOINTしたみたいな感じの方が内容的には合っているのではないか?そんなことを感じる楽しい楽しいセッションだ。録音は1962年。

以前に何かの記事で、アメリカの評論家たちが選ぶ本当のジャズの最盛期はいつか?というものを読んだが、どうもその評論家たちというのはトラッドジャズに偏った人たちばかりだった様で、結局サッチモがホット5だか7を結成した戦前の頃と結論付けされていた。もちろんサッチモの偉大さは計り知れないものがあるのは承知だけど、残念ながら本題の意味を考えると少しずれてしまってる感は拭えない。

これはあくまでも僕の独断であるのだけれど、ジャズの最盛期というのであれば、本作が録音された1962年ではないかと思う。理由は簡単で、1962年はサッチモからオーネット コールマンまでのありとあらゆるスタイルのプレイヤーのほとんどが元気で活躍していたから。もちろんビックス バイダーベックやレスター ヤングやビリー ホリデイは既に亡くなってしまっていたけれど、それを言い出すときりがないので、ここはひとつご勘弁をといった所だ。もうひとつはこの年にビートルズがデビューしたからというのもある。

そんな1962年の地点で、すべてのスタイルの人達に尊敬されていたという巨匠であったエリントンとホーク。それにホッジス、ローレンス ブラウン、レイ ナンス、ハリー カーネイ、サム ウッドヤードといったエリントンメンといった人達が教えるジャズがここまで楽しいものであるのは、今考えると不思議でありながら大変喜ばしい。
とにかく全編のりまっくたリズムに小難しいハーモニーなどは最小限(もちろん独創的)にして、皆がみなアドリブソロの応酬を楽しみきっている。若者よジャズはこうだ!と実践して教えてくれている様ではないか。これを今の巨匠と呼ばれる人達が教えてくれるか?となれば残念ながら無理な話だろう。
また唯一しっとりと聴かす、ホークをフィーチャーしたお馴染みの名曲「ムード インディゴ」は、数ある同曲の録音の中でも最高の聴き応えを感じるものだ。この貫禄!流石としか言いようがない。

もうひとつ、本作の楽しさを強調させた要素がある。あのルディ ヴァン ゲルダーによる生々しくもヌケ切った素晴らしい録音がそれだ。
ヴァン ゲルダーは最近ブルーノートのレコードを手がけたエンジニアという点が強調されすぎて、かなりの数の人々がブルーノート専属と勘違いしている感がある。個人のホームページならともかく、関西ではフリーペーパーという紙の媒体で堂々と(上から目線で)間違った内容のものが出回ってしまっているのは困ったものだ。
何はともあれ、ジャズの本質である生々しさを録音するのに長けたヴァン ゲルダーにとって、エリントンやホークの音は正にベストマッチだったとみえて、恐らく彼らの最高の録音の一つに数えられるものに挙げられるのではないかと思う。こちらも流石といったところだ。

$Doodlin' Records
お待たせいたしました。ジャズ史上に燦然と輝く金字塔「ジャイアントステップス」!遂にお出まし。なぜこの超名盤がここまで登場しなかったかというと、それは僕が本アルバムを購入したのがつい先週の事だからだ。

僕は中古レコードを漁る時、いつも気になったモノはその棚の一番奥に退避させて、後でもう一度戻ってから選んで購入するのだけど、何故かその日はこのレコードが最初から一番奥に潜んでおられたのである。どうやらよっぽど僕に聴いてもらいたかったとみえて自分からそこにもぐり込んだものと思われるのだが、何ともけなげな話ではないか。
割といつでも入手できるものに限って気付けば所有してなかった、というのはレコードオタクにはありがちな事ではある。が、それにしてもこんだけジャズを聴いておきながら、こんだけの名盤を初めて通して聴いたのがつい先週とは、呆れたものよ。

しかもやっぱり思った通り、この一週間一日二回は聴いているという惚れっぷり。コルトレーンはジャズの探求者やら聖者やら、やたらとスピリチュアルな面が取り沙汰されますが、僕は基本的にコルトレーンは吹くのが楽しくて仕方がないといった、純粋な子供の様な心をもったハッピーなタイプのプレイヤーであると感じている。今回このアルバムを聴いたらなお一層その思いに確信を持てるようになった。「ジャイアントステップス」はとにかく楽しい。だから名盤といわれるのに違いない。
タイトル曲の入ったA面、「ミスターPC」のB面と、いつもどちらを聴くか迷う迷う。

僕は子供の頃から椎茸が苦手で食べれなかったのだけど、酒を覚えてから焼鳥屋で成り行きで食べてみるとやたら旨いのに気付き、それ以降今までの分を取り返すが如く椎茸を注文している。僕にとって「ジャイアント ステップス」は椎茸のようなアルバムになるのだろう。ポン酢で食べると旨い。

$Doodlin' Records
わしたち広島県民にとって、いっちゃん好きなテナープレイヤーがイリノイ ジャケなんじゃ。

イリノイがわしたちの住むロスへやってきた時は、仲間といっしょにダンスホールに見に行ったもんじゃ。ライオネル ハンプトンんとこでやった「フライング ホーム」にはぶち興奮したんじゃ。
あのころイリノイは毎日毎日ダンスホールで仁義なき戦いを繰り広げとったのじゃから、それはたまらなかったんじゃ。たしかにおやじ達は、こげな音楽は好かんと顔をしかめとったんじゃけど、わしら2世には関係のないことじゃったんじゃ。とにかくイリノイはわしらにとってはぶちブチすごい大スターなのじゃったんじゃ。

じゃけど、そのあと大日本帝国軍が真珠湾を攻撃して戦争になったけえ、わしらはマンザナールに入れられてしもうたんじゃ。ほんまにみじめな毎日じゃったんじゃ。なにしろラジオはスパイの疑いがかけられるとかで禁止じゃったから、なかでもジャズが聴けないのが一番つらいことじゃったんじゃ。わしらはたまに隠れてラジオを聴いてはイリノイの勇姿を想像したもんじゃ。イリノイがロスのフィルハーモニック オーディトリアムで行われたJATPの旗揚げ公演で目のさめる活躍をしたと聞いたのはもう戦争が終わる一ヶ月前のことじゃき。もうちぃとじゃったのにホンマに悔しいんじゃ。

戦争が終わるとイリノイはロスだけじゃなく、全米のスターになっていて、レコードはJATPでイリノイをスターにしたクレフとヴァーヴから出とったんじゃ。
でも時代は一気にニューヨークから攻めて来よったバップっちゅうものに替わってしまっとったけえわしらも自然とそちらの方に流れていってしもうたんじゃ。ただイリノイの事を忘れたっちゅうわけじゃないんじゃ。

このレコードはそげなヴァーヴから発売されたイリノイのレコードなんじゃ。
ここでのイリノイは11歳年上のロイ エルドリッジを迎えて、あいかわらず猛烈な凄みでブロウしまくっておるんじゃ。何といっても大好きな「ハーレムノクターン」はさらさら甘さに流れてしまうこともなく、あくまでもイリノイらしく強烈に吹ききっておるし、たいがいはバラードで演奏される「ララバイ オブ ザ リーヴス」は意表をついてブギウギみたに変わっておるんじゃ。これなんかほんまにイリノイらしいんじゃ。とにかくイリノイの凄さは言葉には表せられんよってに。ロイ エルドリッジもぶち強烈で、これを聴いたら嫌なこともみんな忘れてしまうっちゅうものじゃ。

このころ、まわりの仲間は、そげなイリノイをずいぶん古くさいジャズを演るプレイヤーだといって、ばかにしようるものも出てきたんじゃ。じゃけどわしはそれは違いと思うんじゃ。なんでじゃならイリノイの音楽こそジャズそのもの。そこにスタイルも新しいも古くさいもないのじゃから。これはロイ エルドリッジにもいえる事じゃ。イリノイは能書きで聴いても面白くないんじゃ。心と体でうけとめなばならん。なにせイリノイ ジャケじゃけえ。

※本文は架空の人物を想定したフィクションです

$Doodlin' Records
ゴールデンウェークもあと2日。楽しかった分何か寂しい気分になりがちですね。でも仕事に戻ると逆に一気に気が晴れたりなんかもして不思議なものです。

さて、そんなゴールデンウィークの最後に仕事なんか忘れてしまう企画のご紹介。

明日5月6日の月曜日は毎月第1月曜日にお送りしていますBLUENOTE MONDAY。今月はゴールデンウィーク スペシャルとして「ナヴァロ、パウエル、J.J、マイルス GREAT BE-BOP ERA」をお送りいたします。

50年代にニューヨークの最先端ジャズシーンを録音してきたブルーノート。しかしその原点はそれ以前からこつこつとビバップの素晴らしいプレイヤーを追いかけ続けた点にあります。そしてその記録は今ではとんでもなく生々しいまでのジャズ本来の姿を捉えた貴重なものばかり。
明日はそんなブルーノートに録音されたビバップ総集編として、夕方から深夜までノンストップで追求してお送りいたします。もちろん入場無料。

登場予定プレイヤー
セロニアス モンク、ミルト ジャクソン、バド パウエル、マイルス デイヴィス、J.J ジョンソン、ファッツ ナヴァロ、ハワード マギー、ルー ドナルドソン、アート ブレイキー、エルモ ホープ、ハービー ニコルズ ...ETC

$Doodlin' Records
誰が何といっても歴史的名演でありましょう「バグズグルーブ」僕も全く意義なし、というより誰よりも愛してるかも。
でも流石に歴史的だけあって、このレコードでいえばA面にあたる演奏については、さんざん語られておりますので、今日は反対にあまり話題になる事がないB面のセッションについて語ってみたいと思います。

マイルスが自分のバンドを持ったのは1955年。その前は約4年半にもおよぶ麻薬漬けの生活をおくっていたのは誰もが知るところ。
このセッションはその麻薬地獄からようやく脱出した54年6月に行われたもの。健康をとりもどして、やりたい事が出来る喜びがこちらにも伝わってきそうな晴れ晴れしさが感じられます。

しかし注目したいのはその参加メンバー。ソニーロリンズにホレスシルバー、パーシーヒース、ケニークラークというモダンジャズを支えた強者ばかりで固められた人選はマイルス自叙伝によれば、はっきりとこのメンバーでレギュラーグループを結成したいと考えていたもの。事実ここではスタンダード曲は一曲のみで、あとは「エアジン」「オレオ」「ドキシー」というロリンズのオリジナル曲で構成されていて、そのアレンジを聴いても、それまでの単なるジャムセッションとは違ったバンドサウンドを意識したものであるのは明らか。特に切れ味抜群の「オレオ」はお見事としか言いようがない。またマイルス本人だけではなく参加メンバーの全員がケチのつけようがない素晴らしいプレイに終始しているのも特徴。つまりこれは54年のマイルスにとって、夢がひとつ叶った演奏であった事になる。

しかしいくらマイルスであっても物事はそうは上手く運ばないのが世の現実。この地点でホレスはアートブレイキーとメッセンジャーズを、パーシーとケニーはMJQを結成する話が決まってしまっていた。おまけにロリンズはこの後謎の雲隠れをしてしまっているといった有り様。自業自得とはいえ麻薬に漬かっていた時期があまりにも痛かったという事か。自叙伝ではこのメンバーとグループを作れないと知って落ち込んだとある。まあそうでしょう。このサウンドを聴いたらほんと気持ちわかります。


$Doodlin' Records
ジーンクルーパはまぎれもなくジャズドラムの巨匠、そしてスターとして名をあげられるべき人物だ。なんせ50年代にはサル ミネオ主演でハリウッドで伝記映画も製作されているのだから、よっぽどの人気を誇っていたのだろう。
シカゴに生まれたクルーパはその名前からして恐らくイタリア系であり、恐らく貧困層の出身であったと思われる。

こんな話がある。
1938年に行われたベニーグッドマン楽団による有名なカーネギーホールコンサートでの一曲目「その手はないよ」の演奏中のこと。歴史的コンサートとあって楽団員があがりまくって、まとまりが無くなっているのに気付いたクルーパが、いつもの倍の熱演をのっけからくり広げ、メンバーを呆れさせつつもリラックスさせたという。
仲間意識を特別に大事にするイタリア人らしい話だが、こんなドラマーが中心に構えていたグッドマンの楽団が、当時の最高の実力と人気をかねそろえたスーパーバンドであったのは頷ける。この日の成功はまさにクルーパありのもの。「シング シング シング」を聴いてあのドラミングに心踊らない人はさっさとジャズファンなんてやめるべきであろう。

本作はそんなクルーパをリーダーとした1953年の作品。
脂の乗り切ったベン ウェブスターを筆頭に、チャリー シェイバース、ビル ハリス、ウィリー スミス、テディ ウィルソン、レイブラウンと、泣く子も黙る強者が大挙顔をそろえた傑作と申し上げましょう。

その中心でクルーパは時にはタイトル通りエキサイティングに、時には緻密に、そしてブルーズではグルービーに、どこを切ってもジャズ本来のビートを叩き出している。

現在はこういった時代のメンバーはひとくくりにバップより前の世代のスイング派とされて分けられて、何故か主流とは別のものとして扱われているようだ。そしてクルーパは白人ドラマーという事で、逆に話題にあがる事などほとんどないのが事実。正に忘れ去られたスターそのものになってしまっている。
でもカテゴリーや人種にとらわれずジャズを聴くのはとても大事な事だと思う。みながそうなればこの生粋のいかしたドラマーの再評価にも繋がると思うのだけど。

$Doodlin' Records
ポスターが完成いたしました

$Doodlin' Records
今だ現役、ご存知ジュニア マンス。その素晴らしさは以前も「アット ザ ヴィレッジバンガード」で紹介した通り。この人こそ日本でいう人間国宝みたいな称号を与えてあげなければいけないのではないか、と僕は真剣に考えてしまうのであります。

さて、そんなマンさんが初めてレコード会社と契約したのが、リバーサイドとその付属レーベルであるジャズランド。本作はその輝かしき第1作にあたるもので、1960年の録音。

調べてみると1928年にシカゴでお生まれになったマンさんはこの時32歳。ジャズプレイヤーとしては心身共に最高にノリまくれる歳ではあるのだけれど、初契約(初リーダーはヴァーヴ)としては、その実力と才能からすれば遅すぎる感が無きにしもあらず。
ただし、この原因は評価が遅れたからといったものではく、逆に評価されすぎたからだったのではないかと思う。

というのはマンさんの場合、生地シカゴにおいて19歳でジーン アモンズのグループでプロとしての演奏活動を始めるや、ニューヨークに出てからはレスター ヤング、ソニー スティット、キャノンボール アダレイ、ディジー ガレスピーと錚々たる人気プレイヤーの元で働いている。マンさんの実力からして、これらはすべてリーダー達から望まれての参加であっただろうし、人気スターだけにその仕事の数も尋常な数では無かったのではないか?恐らく同じ所に滞在してる時間なんて無かっただろう。
これでは自分のリーダーアルバムなんて制作してる余裕なんてある訳はない。ピアニストの場合、実力の割にリーダーアルバムが少ないプレイヤーを度々目にする。以前紹介したギルド マホネスやリチャード ワイアンズなんかもそうだろう。しかしだからといって彼らをすぐに過小評価と結びつけるのは早合点で、実際にはこの様に信頼され、大御所にひっぱられ続けた結果、自分の活動が出来なかった人もいたと考えなければいけないんじゃないかと思う。

そんなマンさんだが、それでもこうして1つのレーベルからリーダーアルバムを制作して行ける機会を与えられたのは、我々ジャズファンからすれば嬉しい限りだ。
紹介する「THE SOULFUL PIANO OF~」はタイトルからして、これからマンさんを売っていくぜ、という姿勢が表れたものだが、そのわりにはマンさん自身や、ミルト ジャクソンなどのジャズマンオリジナルが中心だし、エリントン ナンバーにしても「MAIN STEW」なんて通しか知らない曲を取り上げている。唯一の有名曲でも「SWEETS AND LOVELY」止まり。はっきりいって地味だ。これは恐らくレーベルよりもマンさんの考えた選曲なのだろう。
しかしその分、本作はこれまでのありとあらゆるジャズピアノのスタイルを網羅したというマンさんの魅力が120%発揮されている作品であるのは間違いない。本作こそ良作の見本の様な出来映えであり、またその姿勢があくまでもミュージシャンの意向を尊重するジャズランドらしく好感がもてる。淡いブルーを基調としたハイセンスなジャケットデザインも良いね。

ジャズランド並びにリバーサイドは、結局マンさんのリーダーアルバムを、僕の知る限り6枚制作した。そのうち5枚がピアノトリオ作だ。レーベルがいかにピアニストとしてのマンさんに力を入れていたかが伺える。「ヴィレッジヴァンガード」の項でもふれたが、それらは皆、ソウルフルだけにとどまらず、ピアノトリオの理想型を感じるものばかり。作品としての完成度の高さが半端ではないのだ(もう1枚は「ハリウッド ソウル」で、正直???な作品)。

ただし、その5枚には同じメンバーで録音されたものは無い。マンさんはリバーサイド時代、やはり並行してジョニー グリフィン&エディ ロックジョウ デイヴィスなどとも活動している。恐らく自分のトリオを結成する余裕は無かったのだろう。もしレギュラーグループでアルバムを発表していればリバーサイドにおけるスリーサウンズのような存在になっていたかも知れないし、オスカー ピーターソン トリオやビル エヴァンス トリオの様にもっとポピュラーな人気を獲得していたかも知れないと思えば少し残念な気がする。

といってもこれらがこのレーベルのマンさんの作品の評価を落とす一因には全くならないのは当然。なぜならいつでもどこでも誰とでもマンさんは変わらず素晴らしいからだ。

$Doodlin' Records