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Doodlin' Records

神戸元町のバー「Doodlin'」店主がチョイスするジャズレコード紹介。
勝手気ままに書かせていただきます。

ボストン音楽院に学び、パリでオネゲルに師事したジジ グライスと、マンハッタン音楽院を出たドナルド バード。そんな二人が組んで結成したバンドがジャズラブ クインテットだ。

ラブとはLaboratory、つまり実験室の事。

実験で思い出すというと「透明人間」「フランケンシュタイン」「蠅男の恐怖」「底抜け大学教授」「バックトゥーザ フューチャー」と、何かしら人騒がせなイメージがつきまといますが、彼らの生み出したのは嬉しい事に特別に清々しいハードバップの理想型。恐らく50年代の黒人ジャズプレイヤーでは珍しい高い学歴を持つ二人が組んだ事で、こんな名称がついたのだろう。

しかし、この二人に限ってはそんな高学歴をひけらかす気配など微塵もない。何故なら二人はその前にまず生粋の最先端バッパーであったからだ。アップテンポは痛快にスイングするし、ブルーズはあくまでもファンキーでドス黒い。昨今のように理屈が表に出て、乗りが伴わないなんて部分は微塵もなく、まず最初に乗りありきといった姿勢がたまらなく好ましい。

一般的にはこのグループは短命に終わったため成功はしなかったと言われている。しかし調べてみると、その短い期間にレーベルはばらばらながら、合計6枚ものアルバムを発表していて、それは決して少なくはない枚数だ。学歴とバンド名からくるイメージでいつのまにかそういう見方に偏ってしまったのだろう。とにかく学歴と大衆性を見事に一致させたこの二人の実力には驚かされるばかり。

紹介するアルバムは彼らの2枚目にあたるリバーサイド盤で、ジジのリーダーとして発表されたもの。何といってもジジの超名曲「マイノリティー」の最高バージョンが収録されているという事で、ジャズラブの代表作として全国のハードバップファンに推薦いたします。

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1962年、フレッシュ極まりないジャズ クルセイダーズの、名門ライトハウスにおけるライブ盤。テキサスから西海岸に出てパシフィック ジャズと契約を交わして、ほんの1年後の録音という事になる。

僕はこれまでジャズ クルセイダーズ、またはクルセイダーズに関してはほとんど知識が無かったというのは、以前もクルセイダーズの「スクラッチ」を紹介した際に記した通りだ。
何せクルセイダーズというのは、僕にとってはジャズに興味を持つ前から流行のフージョン グループの一つだと思っていた。あまりにも安易な決めつけを許していただくとして、フージョンというのはアコースティックでストレートアヘッドな所謂「ジャズ」プレイヤーよりも後の世代の、ちょっと軟派な者が演る音楽という認識しか無かったのだ。

だからファンの方ならわかりきった事なのかも知れないが、こうして改めてこの録音が1962年に行われたものなのかと考えると、そのキャリアの長さに驚きを隠せない。
何せジャズメッセンジャーズの初来日が1961年。その翌年ならまだリー モーガンとウェイン ショーターがフロントを飾っていたし、ホレス シルバー クインテットも黄金のミッチェル&クックの時代である。つまり、ジャズの主流がまだまだバリバリでファンキー一直線な時代でもあった事になる。

そしてそんな時代のジャズ クルセイダーズもまたバリバリでファンキー一直線なサウンドを心情としている。いや、それどころか、それよりも更に今聴いてもスマートでスタイリッシュなサウンドまで聴き取る事も出来る。今これをニューヨークの最先端バップの1グループのものと言われても通じるのではないか。これが前年までテキサスに暮らしていた田舎者達のつくり出した音楽なのかと考えると、これまでの僕のジャズ観までもを考え直さないといけないくらいだ。1962年のジャズ クルセイダーズを聴くと隠しておいた言葉がポロリとこぼれてしまうフージョンやったやん!

「新 世界ジャズ人名事典」によれば、クルセイダーズのオリジナルメンバーは1938年~1940年にかけてテキサス州のヒューストンに生まれている。全員ハイスクールの仲間だったらしい。因みにリー モーガンも1938年生まれだから、ほぼ同世代という訳で、考えてみれば彼らがバップに憧れて音楽を始めたのは時代的には当然だったのではないか?ただ何故ここまでヒューストンの一部グループが特別に優れた演奏能力を持って、新しい感覚を磨き上げていたのかは僕にはまだ謎だ。

そんな超都会サウンドの最先端の名を欲しいままにしていたジャズ クルセイダーズだが、それゆえにエレクトリックの導入も積極的に進め、やがて名称はクルセイダーズとなる。
しかし、そのエレクトリックのクルセイダーズが70年代を迎えて制作した「スクラッチ」を聴くと、音自体は洗礼されているものの、そのサウンドは逆に内陸の田舎的ホンキートンクに向かっているように聴こえる。これはやはりベトナム戦争を経てアメリカの社会も音楽も何かしらの変化を余儀なくされた結果なのだろうか?映画でもニューシネマ(この呼び名もいいかげんだが)以降はリアルに内陸の地方都市を描いたものが増えている。

クルセイダーズはそんな時代の変化にも非常に敏感に対応した、実に賢いグループであるというのがわかって来るというものだ。

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強い影響力を持つ天才が現れた時、かならずもう一人の比較対象となる天才が出現してくるのは世の常なのだろうか?赤バットの川上が出れば、青バットの大下が出て来るし、明るい長嶋が出れば、雑草からはいあがった野村が出て来る。だから野球は面白いのだろう。
音楽も同じで、60年代にビートルズが出て来たら、ローリングストーンズが出てきている。この2バンドの関係は今さら説明も何も不要であろう。

そしてその前となれば、何といってもデューク エリントン楽団とカウント ベイシー楽団の存在につきるのではないか?この2バンドも今だにビッグバンドを志す人達にとっては常に目標であり、手本であり続けるというスーパーバンドである。
そしてそれをビートルズとローリングストーンズにむりやり当てはめると、様々な実験性にとんだビートルズがエリントンに近く、変わらない魅力で押し通したストーンズがベイシーに近いといえる。
まあ、こんな比較には大して意味など無いし、実質8年の活動で終わったビートルズと今でも活動しているエリントン楽団は全く違うものなので、あまり真剣にならずに流していただきたい。しかし、少なくともストーンズとカウント ベイシー楽団には、不変の魅力という点では共通点を見いだせるとは思う。

紹介するレコードは1969年のカウント ベイシー楽団のもの。50年代にニール ヘフティーやクインシー ジョーンズのアレンジを用い、両フランクやサド ジョーンズらとよりモダンなビッグバンド サウンドを追求したベイシー楽団だが、この地点ではお馴染みフレディー グリーンとマーシャル ロイヤルが残っている位だ。ベイシーの代表作を挙げた記事でも本作が取り上げられているのは見た事はない。
しかし、ゴージャスなアンサンブル、キレまくるリフ、そして軽快かつ豪快にスイングするその様は間違いなくベイシーのものであり、人気のあった50年代の代表作とは何も違うところは感じさせない。冒頭の「アイダホ」に針を置いた瞬間にぶっとんでしまうのは必至だ。
また新しい楽団のテナースターとして、あのエディ ロックジョウ デイヴィスを多くフィーチャーしているが、そのどれもがとんでもない吹きっぷりを示していて、改めてベイシーがスターを輝かせる才能を持っていた事に感銘さえうける。「ブルーレディーに紅いバラ」「ムーングロウ」「シカゴ特捜隊Mのテーマ」など、よりポップな選曲も良い。

このレコードは僕が選んで購入したものではなくて、元々は親父が昔から所有していたものだ。僕が小さい頃にたまたま手に入れたものだろう。しかし、そのたまたまが現在、僕らをここまでスイングさせるに至っている事に感謝したい。

うちにはもう1枚、ベイシー楽団のレコードがあって、それは77年のパブロから出たモントゥルー ジャズ祭の実況盤だ。何故それから8年たって更にベイシー楽団が追加されているのかは判らないのだけれど、こちらもジミー フォレストを迎えて、8年の歳月など全く感じないくらいにスイングしまくっている。よって紹介した「ベイシック ベイシー」はベイシーの隠れた1枚ではなく、ベイシーの当たり前の1枚であって、何故か埋もれたままに終わってる1枚であるだけの話なのだ。

それにしても。実質ローリングストーンズでも時代に乗って少しはサウンドが変化していったというのに、この不変性は正に偉大どころのものではない。

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※お店情報
クリフ ジョーダンの日、5月20日に決定!
アート ブレイキーはそもそも故郷ピッツバーグで、ピアニストとしてヤクザ経営の店で働いていた。それがある日ヤクザが連れてきたピアニストと替われと脅され、しかたなくドラマーになったという。で、そのヤクザが連れてきたピアニストがエロール ガーナーだったらしい。

エロールガーナーも我々ジャズをカテゴリー分けしたがる日本のジャズファンにはとらえ所のないアーティストだ。バド パウエルならバップ、ハービー ハンコックなら新主流派と分けられるのに、エロールに関してはアール ハインズとオスカー ピーターソンの中間に位置するなんて程度の知識があるだけで、だからどこのカテゴリーに入るのかとなると、まるでわからないのだ。
ただスナップをみると大きな目玉をめいっぱい広げて弾いてるものをよくみる。だから最初は白人向けに道化を演じるたぐいの人かと思ったのだか、どうやらそれはただ顔が面白いというだけで、実質は全く違うものだとわかった。

それはこのエロールが1955年にカリフォルニアでおこなったコンサートの実況盤を聴いてわかった事だ。

猛烈なエモーションでピアノを弾き込むエロール。超人的なテクニックに呆れる程のスイング感。圧倒的な迫力の「イッツ オールライト ウィズ ミー」だけでも聴いてほしい。ハインズともテイタムともピーターソンとも違うワン&オンリーな世界がここにある。
道化でもカクテルピアノでも、古めかしいものでもない。こんな勘違いをしてた自分が恥ずかしい。

つまりガーナーはジャンル、カテゴリー分けうんぬんを超越した、ピアノ達人、ピアノでしか生きられないザ ピアニストであった。これは後のピーターソンもヒィニアス ニューボーンもラムゼイ ルイスもジーン ハリスもその系統なのかも知れない。エロールはその親玉といえる存在だったのではなかろうか。

日本人はもっとこのようなザ ピアニストを楽しむべきで、そのためにはもっとこんな素晴らしいアルバムを評価するべきであると思う。

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明日4月1日のDoodlin'はBLUENOTE MONDAY。今回は初の試みとなる2者対立形式でお送りいたします。
デューク ピアソンとアンドリュー ヒル。共にブルーノートを代表するピアニスト。しかし両者のスタイルは全く違う。明日はリーダーアルバムを中心に6時から夜中まで2人を交互に聴いていきます。
それによって60年代のブルーノートの奥深さを追求していけると思います。日付が日付なんで嘘だとお思いでしょうが、本当にやります。

お楽しみに。

※明日、クリフォード ジョーダン没後20周年記念デイの詳細も決まります。
エリックドルフィーとブッカーリトル。共に60年代の初期に頭角を現し、あの時代をかけ足で過ぎて行った天才型プレイヤーである。
そんな二人が残した双頭バンドでのライブ盤は、間違いなくジャズの歴史に燦然と輝く超名演にして、超貴重なドキュメントであろう。

この2人に限らずリズムセクションも含めて、あまりにも時代を先取りしていたのが原因か、これまで一般的にはこのアルバムはおおむねフリー的なカテゴリーにあてはめられてた様。事実僕も初めて聴くまではそんなものだと思っていた。

しかし、初めて聴いた時からそんなジャンル分けなど関係なしに、その格好良さにどっぷりはまってしまった。
よくよく聴いてみると全体的には全てちゃんとした曲としてのテーマがあり、進行も曲のコードに従っている楽曲ばかりだ。確かにみんな変な曲調ではあるものの、基本的にはいわば普通のフォーマットな演奏であるといえるもので、特にブッカー リトルに関しては果てしなくかっこいいハードバップスタイルとも聴ける。フリーに見られる小難しい、または過激などの印象はまったくない。

にもかかわらず、これは録音から40年以上たった今に聴いても特別な刺激に溢れ、全く新しい響きに感じてしまうのは何故だろう。この後にもこれは新しいジャズてすよと、レコード会社の宣伝やスイングジャーナル誌の宣伝文で聞かされて聴いてみても、このアルバムから感じられる新しい「何か」はそうは感じないものばかりだ。

だけれど結局はその「何か」の正体は説明など出来ないものであろうと思う。そしてその解らなさ、不思議さこそがこの連中とこのレコードの価値なのではないか。もう僕たちはいらん分析などせず、ひたすら彼らの格好良さにのめり込むしかないのだ。

こんな記録が残されている事に感謝をしたい。そんなレコードだ。

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※お店情報
昨日はクリフォード ジョーダンのちょうど20周年の命日でした。Doodlin'では命日はずれましたが、一日特集の日を設けます。意味のある日となるでしょう。決定次第告知いたします。

1976年録音のクリフォード ジョーダングループによる傑作を紹介します。

その前に本作でトランペットを吹くのがジャマイカ生まれのロイ バロウズ。以前紹介したジョーダンの「プレイズ レッドベリー」や「ジャマイカン ジャズ クルセイダーズ」に参加しており、ジョーダンとはかなり深い関わりを持った音楽史でも重要な人物だ。彼の経歴やジョーダンとの関係は当ブログの「ジャマイカン ジャズ クルセイダーズ」におけるコメント欄に、Doodlin'調査員のK出君によって詳しくリポートされているので、ぜひ参考にしていただきたい。

さて、1976年に録音された本作はジョーダンとバロウズのフロントに、クリス アンダーソン、ウィルバー ウェア、ジョージ アヴァロスという、当時のジョーダンのレギュラークインテットが 基本となったもので、これに数曲でキヨト フジワラがベースを弾き、さらに半分はハンク ダイアモンド スミス、セロニアス モンクの娘である(らしい)ブー ブー モンク、ジョーダンの娘ドナ ジョーダン、テリ プライアという人達の歌が入っているという壮大なもの。そして予想通りその内容は通常の所謂ジャズの範囲からは逸脱している。

しかし、マックス ローチの元で差別社会に牙をむいた1961年の「イッツ タイム」のこれまた激しい再演から始まり、録音1ヶ月前に亡くなった黒人オペラ歌手で公民権運動家のポール ロブスンをテーマにした(であろう)「パワフル ポール ロブスン」などジョーダンのありあまる知性と社会に対する想いを伺わせるものばかりだ。ダイアモンド スミスの母を歌ったタイトル曲もジャケットの絵からして、何かしらの黒人解放運動に関与している様子を感じさせるもの。それらは全て得体の知れない感動と聴き応えに満ちあふれたものばかりだ。
中でも特筆すべきはジョーダンが訪れた北欧で覚えたフォークソングにJ クリドランドという人が詩を付けたという「オレ ファニー コロンバイン」。遥かなる壮大さに満ちあふれたこの物語こそ、ジョーダンの知性と教養、そして優しさを感じる楽曲だ。まだ今の様に世界の音楽の情報が少なかった時代に、どこまでワールドワイドな視点を持っていたのか?ジョーダンの世界観を思うと底が知れない。

1976年はストレートなジャズにとっては決して恵まれていた時代だったとは言えなかっただろう。しかしジョーダンにとってはそんな状況など何も関係が無かったのだろう。ジョーダンの人としての大きさにただただ圧倒されるばかりだ。

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1960年、新しい感覚を持った二人のマルチリードプレイヤーがデビューした。手前の土人そのものの様な(失礼)いでたちの男がケン マッキンタイアという人。そして奥のおでこにコブのあるくりくりっとしたおめめの男前が、ご存知エリック ドルフィー。

今でもファンが多く、研究もされているドルフィーですが、ここでは一応リーダー名義はマッキンタイア。まあこの地点では二人共どこの馬の骨なのかわからんくらいの知名度だったろうから、そんな事もありましょう。実際これはドルフィーのレコーディングの中でももっとも初期のものにあたる1枚なのだ。

ところでこの二人、共にアルトサックスとフルートを演奏する。これにドルフィーがバスクラリネットをさらに加える訳だが、特別に明記もないし、聴いててもどっちがどっちなのかわからんようになる。これにはもう一つ理由があって、ここであてがわれたリズムセクションがウォルタービショップ、サムジョーンズ、それにアートテイラーという極めてハードバップ的な人選であるという点。おかげで後々のドルフィーを象徴する、よりフリーな展開があまり聴く事が出来ない。

ただそれがいかんのかというと、実はまったくその逆で、この最高のリズムセクションをバックに自分の音楽を展開しようとしてるドルフィー達に、かえって新鮮な印象をおぼえるのは僕だけではないはず。「アウトトゥランチ」が好きでたまらない人には物足りないだろうが、あれを聴いてもチンプンカンプンの僕にはかえってドルフィーのカッコよさがストレートに楽しめるのだ。まあこれを意図して選んだ人選ならば大したものなのだが、とかく一束なんぼの浪花商魂レーベルのプレステッジのこと。多分偶然でありましょう。
ただ大した馬の骨をつかんだのは確かですな。

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ライオンズは僕の寿命を少なくとも5年は縮めた。

1980年代末から90年代初頭にかけて、わが近鉄バファローズと西武ライオンズはよくぞまあここまでと言いたくなるまでシーズンの優勝をかけて死闘を繰り返していた。バファローズが今は亡き仰木監督、ライオンズが森監督だった。

そしてそのほとんどのシーズンがほんの僅差でライオンズに持っていかれた。

1988年の有名な対オリオンズとの最終ダブルヘッダー、所謂10・19の時が0.5ゲーム差でライオンズ優勝。あの日はバファローズの選手もファンものたうちまわって泣いたものだ。
翌89年はこれまたライオンズとの最終ダブルヘッダーにおいて我がヒーロー、ラルフ ブライアントの3本のホームランが飛び出しバファローズが優勝。あの時ほど天敵渡辺久信にざまあみろと言った事はない。

しかし夢はこれ1回きりだった。つづく3年間はことごとく最後の最後まで壮絶な戦いを繰り広げた末に最後はライオンズに持っていかれたのだ。久信にざまあみろと言えたのもあの時だけだった。

中でも忘れられないのが確か90年だったかの藤井寺球場での最後の直接対決。この1戦に勝てば優勝だった。そして試合はバファローズの勝ちゲームだった。それなのに、嗚呼それなのに8回か9回の表に代打で出た鈴木健がよりによって逆転ホームランを打ちやがったのだ。僕は仕事中だったが、正に崩れ落ちたのを覚えている。まさに悪夢だ。
この様に仰木対森の戦いは毎年このパターンの繰り返しだった。これでは寿命が縮まるのも無理はない。そして毎年が僅差だっただけに今をもってしても死ぬほど悔しい。

仰木監督の率いたバファローズは最後の野武士軍団といえるくらいに、パ・リーグらしい昔ながらのむさ苦しくも豪快な野球を信条としていた。選手一人一人がひと癖もふた癖もあったものだ。
対してライオンズは清原、秋山、デストラーデのクリーンアップこそスラッガーだったが、周りをかためる者は辻、平野、石毛、伊藤、田辺とことごとくがエリートだった。前出の鈴木など伏兵にしてもそうだったし、両渡辺、郭たいげん、鹿取、潮崎といった投手陣も言わずもがなだ。大体憎くて仕方がないのに何でこんだけの選手を覚えているのか。
そしてその差が結果となって表れたのであろう。

とにかく僕はライオンズが嫌いだ。

さて、紹介するレコードは50年代に当時のジャズの若き精鋭を集めた企画もの。特別にリーダーは指定されていないが、恐らく音楽的にリーダーシップを取ったウェイン ショーター以下、リー モーガン、フランク ストロージャー、ボビー ティモンズ、ルイ ヘイズなど、全員が有り余る程の才能を持ち合わせたスターばかりだ。当時のジャズを反映させたファンキージャズであっても全く新しい感覚で演じられているし、隙が無い。そしてそのタイトルが「ヤング ライオンズ」とは。
それは正にあの頃の西武ライオンズを彷彿させるエリートぶり。こちらのライオンズは敵じゃなくて良かったとつくづく思う。

ただ本当はヤングバファローズと呼びたい衝動にかられたりもする。

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同じタイトルのテレビ番組がありましたが、それとは無関係。コルトレーンの出発点を記録した輝かしいテナーカルテットの傑作であります。

コルトレーンのカルテットといえば何といっても後のマッコイ タイナー、エルビン ジョーンズらからなるジャズ史上最重要のものが有名ですが、こちらはレッド ガーランド、ポール チェンバースというマイルスバンドの同僚にアートテイラーを加えたもので、レコーディングのための編成だったのか、さほど話題に上る事は少ない。

しかし僕は最強カルテットよりこちらの方によりいっそうカルテットとしての魅力を感じる。何故ならばジャズにとって非常に大切な要素の一つであるワビサビという点において、このメンツに特別な味わいを感じるからだ。遂に自分だけのサウンドを発見し、並々ならぬエモーションで迫ってくるコルトレーンと、あくまでもマイペースでリラックスした感のガーランドとの調和が最高に気持ちがいい。全員が手の届かない高みにまで登りつめた最強カルテットもいいが、こちらはコルトレーンの音楽を創造する楽しさや演奏する喜びをひしひしと感じさせてくれるという点で、僕にとっては実に愛すべきカルテットであるという訳だ。

とはいえ超高速で演じられる「ロシアの子守歌」の全員が束になった劇演を聴けば、この後のコルトレーンの歩んでいく道は充分に予測されるというもの。このカルテットありの最強カルテットであったと想像出来るのではないか。

プレステッジには僕の知る限り同メンバーの吹き込みがあと2~3枚あり、そのどれもが甲乙つけがたいくらいに素晴らしい出来である。今回はこの「ロシア」とリラックスの中にエモーションを盛り込んだ「グッド ベイト」、それに素晴らしいバラード「アイウォント トゥ トーク アバウトユー」の初演が収められてるといった選曲の良さでこのアルバムを推薦する事にしよう。

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