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Doodlin' Records

神戸元町のバー「Doodlin'」店主がチョイスするジャズレコード紹介。
勝手気ままに書かせていただきます。

ウェス モンゴメリーが故郷インディアナポリスで演奏している所をキャノンボール アダレイに発見され、ニューヨーク デビューを飾ったのが1959年。
J.J ジョンソン、スライド ハンプトン、フレディー ハバード、ジェームズ スポールディングなど錚々たるスターを排出したジャズ シティーとはいえ、やはり田舎町であることには変わらなかったであろうインディアナポリスから、一気にニューヨークで注目のまとになったウェス。女性ならさしずめシンデレラ物語でありますが、男性の場合は何と呼んだらいいものか。

紹介する本作は、それから3年が経過した1962年に録音されたもので、同郷のメル ラインのオルガンとリバーサイドのハウスドラマー的存在であったジミー コブを従えたトリオ作。ただことわっておくが、「ボスギター」なんてたいそうなタイトルが付けられている割には、しっとりとしていて、かなりおとなし目の地味な印象を与える内容である。

その原因の一つが、このメル ラインという人のオルガンが、普段このブログに登場するコテコテでノリ出したら止まらないという強引なタイプのプレイヤーとは正反対なスタイルを持っているからだろう。音もあまり大きくは出していない。あまりオルガンジャズのイメージが無いリバーサイドだが、やはりレーベルのイメージに沿ったオルガンプレイヤーであったという事か。
これに合わせたのかジミー コブのドラムもまた控え目に聴こえてくるし、ウェス本人も売りである超絶技巧を少し自粛している感もあるというもの。
ただ、この3人の息の合い方は正に絶妙で、その結果地味ながらも洗練されてセンスの良さに溢れた独特のオルガン サウンドを誕生させるのに成功している。もう田舎者とは呼ばせないぜ、という意識のあらわれか。スーツもきまってます(顔はちどりのダイゴに似ているが)。

さらに付け加えるべきは、この特徴を強調させたかの様な録音で、三者のバランスと音圧がブルーノートとプレステッジで数々のオルガンジャズの録音を手がけたルディ ヴァン ゲルダーのものとは明らかに趣きが違うという点であろう。あくまでもハモンドオルガンの持つ迫力と破壊力を押し出したヴァン ゲルダーに対し、このレイ フォーラーという人の音は、恐らく三人のインタープレイを意識したものなのではないか。ビル エヴァンス トリオでもインタープレイを強調させて成功したリバーサイドらしい作品になったとも言える。

面白いのはその結果として、ここに聴かれる音の随所に、これよりまだ20年も先の音が聴き取る事が出来るということ。僕はギターにもギタリストにも特別に詳しい訳ではないので、いつくらいからのどういう派の音という指摘が出来ないのだが、いわゆるフュージョンが生まれて以降のギタリストのレコードで多く聴かれる音が1962年の地点で生まれているように思うのだ。ウェスがクリード テイラーと組んで新しい境地を切り開いたのはもっと後の話。でもその予兆はこの地点で十分に感じる事が出来るといえるのではないか?

この音のアイデアを持っていたのは果たしてウェスなのだろうか、それともメル ラインなのか、録音担当のレイ フォーラーなのか、リバーサイドなのかは僕には判らない。ひょっとしてただの偶然かも知れない。
ただウェスとメル ラインはインディアナポリス時代から共に活動していた仲だ。とすると今のオシャレなギターサウンドが作られたのはインディアナポリスの田舎からだったというのは考えられないだろうか。

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唯一のジャズ映画としても大好きなスパイク リー監督作品「モ ベター ブルーズ」だが、聞いた話によると、当初は「LOVE SUPREME (至上の愛)」というタイトルで準備が進められていたとか。何でもジョン コルトレーンの未亡人であるアリスの許可が下りなかったために変更されたらしい。
僕はこの映画のタイトルもテレンス ブランチャードとブランフォード マルサリスによるタイトル曲も大好きなので結果的には良かったと思うのだが、もし「至上の愛」ならばまた違う印象のものになっていたんだろうな、と思う。そういえば映画には「至上の愛」から「パート1 承認」が使われていたはずだ。

ジョン コルトレーンが1964年に発表した「至上の愛」は言うまでもなくジャズ史上で最も重要な問題作だ。それほどこの当時のコルトレーンの思想などに精通しているわけではないのでよく知らないのだけれど、コルトレーンの神への想いをカルテットで表現した組曲であるとは聞いている。ただしここで言う神というのは特別に何教のだれそれ神というのではなく、コルトレーンの世界の中での神であるらしい。
とにもかくにも、聴くという行為自体にまで聴き手の精神を問われそうなこの問題作。それゆえにコルトレーンを神とし、本作をバイブルとして崇める人もおれば、反対にその仰々しさを毛嫌いする人もいるのは確かな様だ。

僕はこの問題作をジャズを聴きだして間もない頃に聴いた。同じく本作の意味などもわかっていない同級生が、何かを読んで感化され、興味半分で入手したのを聴かせてもらったのだ。二十歳くらいだったと思う。
結果は全く意味が解らなかった。特に「パート1 承認」で、例の「ア ラブシュプリム…」というお唱えが聞こえた時は、その気持ち悪さに何か触れてはいけないものに触れた気がした。まだメッセンジャーズだ、マイルスだ、ホレス シルバーだと騒いでいた時代(今もか)、こんな若造にその意味など解る訳はない。おかげで後期のコルトレーンはヤバい、そんな印象だけが残ってしまったのであった。

そんな偏見に変化がおとずれたのは、恥ずかしながらまだ最近の話。例によって仕事が始まる前にハックルベリーに寄って千円以下という安値で本作を発見したからだ。初めてコルトレーンを知ってから30年近くの月日が流れている。当然それなりに僕もコルトレーンの事を理解し、好きになっていたのだけれど、何故か本作を入手する機会にはめぐまれてなかったのだ。

そして約30年ぶりにガッツリと聴く「至上の愛」は、またまた例の如く僕をノックアウトした。何故なら「至上の愛」は言葉に出来ないくらいカッコいいからだ。
「至上の愛」はその意味が解るか解らないかなんて問う前にコルトレーンとそのバンドの持つ普遍的なカッコよさが200%引き出されている。30年前は仰々しいタイトルと周りの評価、それに気持ち悪いお唱えばかりが頭に刻まれていて、このカッコよさに気付かなかったのだ。

コルトレーンはその音楽性においてやたらと精神面ばかりが取りざたされている。しかし僕はコルトレーンはそもそも音楽を創造するのが楽しくてしょうがない子供の様な心を持ったプレイヤーだと思う、とは以前にも記した。本作を聴くと同時に音楽のカッコよさも追求したスターでもあったのではないかと思う。もちろんマッコイ タイナー、エルヴィン ジョーンズ、ジミー ギャリソンというメンバーも同じで、見事に魅せるその勇姿に当時の時代を背負って躍進していったソウルスター達と同じ匂いを感じるのは僕だけか。「パート4 賛美」で聴かす振り絞る様な吹きっぷりの見事さは、後にも先にもコルトレーンに追いついた者はおらず、「パート3 追求」の熱演はあくまでもスタイリッシュである。
世に語られるコルトレーンの後期の精神性の大元となったのであろう本作が、何よりも音楽的なカッコよさを表していたというのは不思議な話である。

とはいっても当時のコルトレーンが普通の人間には追いつけない精神的な高みにまで登りつめていったのは、やはり事実なのだろう。でも恥ずかしながら僕は本作を聴いてもちっともそれらを理解する事は出来ない。よってコルトレーンを神と崇め「至上の愛」をバイブルとしている人には合わす顔はない。そのかわりDoodlin'においては、その仰々しさを毛嫌いしている人には「至上の愛」を他のファンキーでソウルフルなレコードを聴くようにイエイ!やらヤッホー!やらと騒いで聴くという、ひょっとして間違ってるかも知れない聴かせ方で喜ばす事は出来ると自負している。

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最近少し気になっている事がある。あのデヴィド マレイの動向が全く僕に伝わってこないのだ。

僕がリアルタイムでニューヨークのジャズを追いかけていた1980年代~90年代は、まさにマレイさんこそが、最も多忙であり、最もエネルギッシュであり、最もアグレッシブであった。とにかく次から次へと違う編成で違う試みをぶつけてきたマレイさん。それは正に2日として同じ事はやらなかったのではないかと思うほど。そしてその動きは次々に僕らの耳に入ってきたものだ。そのヴァイタリティーは驚異的と呼べるもので、正真正銘ニューヨークのジャズをひっぱっているのはマレイさんその人だと、僕らは確信していたものだ。

そのマレイさんのニュースが、ここ数年僕にはぱったりと途絶えたままになっている。僕は2年前に生まれて初めてニューヨークの地に赴いて、あれやこれやとジャズを鑑賞して来たのだけれど、かなり目当てにしていたマレイさんのギグは発見出来なかった。
何か考える事があって休んでいるのか、どこかニューヨーク以外の地へ活動の拠点を移しているのか。ただ体をこわしてはいないかだけが気がかりだ。

今回紹介するレコードは、僕がマレイさんを知る少し前の1984年に、グリニッジビレッジの名店スイートベイジルで行われた、マレイさんのビッグバンドのライヴ録音。ブッチ モリスのコンダクターやチューバ、フレンチホルンを含む総勢12名で、過激で騒々しくもユニーク極まりない激演が2枚にわたって繰り広げられている。

このメンバーの中ではマレイさんも含め、オル ダラ、ブッチ モリス、バイキダ キャロル、ジョン パーセル、クライグ ハリス、それに若き日のスティーブ コールマンといった連中は、恐らく1960年代末くらいからニューヨークで面白い音楽の試みを繰り広げていたロフトのプレイヤーであると思われる。ロフトとはすなわち倉庫を改造したスペースの事。出来る限り営利やコマーシャルにのっからずに新しい音楽を創造していこうといった試みを続けていた場所で、決して茶屋町や三宮の黄色い袋のお店ではない。

デヴィッド マレイのビッグバンドはそのロフトプレイヤー達が実力の全てをあますところなく発揮している。収録されている曲の全てが違うノリ、違うアプローチで料理されているのだ。大勢でハーモニーをかぶせた美しいバラードの「Lovers」があると思えばニューオーリンズジャズそのものの「Beche's Bounce」があるといった具合に。他にもダルなブルーズ、前衛の響きを残す実験的な楽曲、それにラストをしめくくる「For Minute Marvin」はニューオーリンズ ソウルに乗ってメンバー紹介が行われていく。その全てのナンバーに共通するのが、とことんいっちまう事、そして果てしなく楽しい事。トランス状態に陥れられてはしゃぎまわる観客の姿が目にみえる様だ。

下手をすれば小難しいイメージにとらわれがちなロフトプレイヤーだが、本作を聴けば全員がことごとく音楽の知識の幅が広く、またその楽しさを表現出来る術を持ち合わせた素晴らしいプレイヤー達であったのを思い知る。
営利とコマーシャルを求めないというのと、エンターテイメント性を無視するのは違うのだ。そんな事まで教えてくれている気がする。

そんなロフトプレイヤーの中、少しスタンスが違い、なおかつ中心的で重要な位置に座っているのが当時もう既にベテランの域に達していたドラムのビリー ヒギンズだ。このオールマイティーで創造性に富む怪物こそ、このビッグバンドの全ての鼓動を支配し、全員が安心していっちまえる空気を醸し出しているのは間違いない。マレイさんは恐らくヒギンズ以外にはドラムの座を考えていなかったのではないか。そしてマレイさん以下全員がヒギンズに対する尊敬の念をありあまるほど表に押し出している様に感じる。ひょっとしてロフトプレイヤーが迷わずにエンターテイメント性を発揮出来ているのは、このヒギンズの存在が大きいのではなかろうか。
ヒギンズをフィーチャーする事から始まる「Dewey's Circle」こそが本作中で最高に楽しく、過激で、ユニークで、一体感に溢れているのがその証拠だろう。

このゴッタ煮感こそがニューヨーク。そんな空気をここまで引き出せるのは正にマレイさんの実力と人柄の賜物だろう。
そんなマレイさんもロフトのプレイヤーも今では全くその動きは伝わってこない。もうこういったジャズは過去のものなんだろうか。もう解散してみんなニューヨークからいなくなってしまったのだろうか。ヒギンズはもう既にこの世の人ではない。

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※デヴィッド マレイの出ない2年前のシカゴ~ニューヨーク旅日記はこちら
このコーナーでも頻繁に取り上げられるブルーノートはジャズ史に残る偉大なレーベルとして今も語られ続けておりますが、その正反対な運営を展開したヴァーヴもまた偉大なレーベルである。

アルフレッド ライオンのブルーノートは、ほんの個人的な零細レーベルで、資金練りの苦しさ故に彼自身に元々携わっていた先見性を頼りに、ギャラの安い新人プレイヤーを発掘し、録音を決行。その結果として現在の評価を得たレーベル。
それに対してヴァーヴの方はノーマン グランツがジャムセッション興行でたんまりと資金を貯めて興したレーベル。新人発掘にはあまり積極性はないが、それまでの巨匠達の組み合わせの豪華さはそこらの新興レーベルには到底太刀打ちできません。

その代表例がこれ。テナーサックスの3大巨匠のうちの2人、すなわちコールマン ホーキンスとベン ウェブスターががっぷりと組んでしまったツインテナーアルバムである。
因みに3大のうちのもう一人は当然あのレスターヤングで、これまた当然ヴァーヴに多くのアルバムを吹き込んでおります。

で、そのコールマンとウェブスターの共演。こちらはその他のツインテナーバンドの様に、熱い熱いテナーバトルや絶妙な掛け合いを楽しめるものではない。構成も1曲を除いて2人の合奏などはなく、お互いが好きな曲を持ち込んで、その場でアレンジを考えてこしらえていったという趣きを感じるもの。
しかもサブトーンを多様して、あくまでも朗々と歌い上げるこの二人。聴きようによってはまるで演歌。鶴田浩二か村田英雄かといったところ。

しかしこの二人の貫禄は間違いなくこれ以前にも以後にも追いついたものなどいないのはたしか。その点でこんな贅沢を聴かせてくれるのはヴァーヴ以外では考えられないのは絶対だ。

またそう思うと、その演歌的な部分こそが、そもそもジャズの本質だったのではないかと思ってくる。
つまりジャズの本質がそもそも芸能であるとすれば、その究極の到着点がここにあるのではないかと。それ以降のロリンズとコルトレーンに代表されるモダン テナージャイアンツ達は芸能ではなく芸術にいってしまったから、この味が表れないのではないか、なんて考えてしまうのだ。

たしかに本作の二人の貫禄と味はジャズの世界遺産に登録されても全くおかしくはない。しかし、そんな過去の遺産にしてしまうのも何かもったいない気もする。いつまでもいつまでも、こんな素晴らしいジャズを人々に素で楽しんでいただきたいからだ。

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1957年はアート ブレイキーとアフリカ的なパーカッション奏者との共演が目立つ。
まず2月に本作。翌3月の「オージー イン リズム」は、ブルーノートのオーナーのアルフレッド ライオン氏とブレイキーの夢がかなったという、文字通りのリズムの大響宴にして大作。そして5月の「キューバップ」はメッセンジャーズを基本に、サブーのコンガをゲストに加えた痛快なるハードバップ作。後者2つはすでに本ブログにおいて紹介は終わっている。

さて、そんな3つのうちの最初にあたる本作であるが、A面に収録された「アート ブレイキーとパーカッション アンサンブル」というのが今回話題にあげるセッションだ。
先に参加メンバーから紹介すると、ブレイキーのドラム、レイ ブライアントのピアノ、オスカー ペティフォードのベースとセロを中心にして、スペックス ライトのティンパニ、キャンディドのコンガ、サブーのボンゴ、大御所(パパ)ジョー ジョーンズのドラムが変幻自在にリズムのアンサンブルを重ねていくといった内容。ただこう記すと参加メンバーも多く被っている点からして、翌月に行われる「オージー イン リズム」の少し縮小版と思われがちだ。

しかし、本作は「オージー~」とはかなりその内容が異なっている点が面白い。
というのは、あくまでもブレイキーとリズムの大響宴を壮大なるスケールで演じきった前者に比べ、本セッションは最初の「SACRIFICE」のみがパーカッションによる楽曲であるものの、続く2曲はしっかりとピアノとベースを芯に、あくまでもジャズを演奏しているからだ。つまり見方を変えれば、通常のピアノトリオに豪勢なパーカッションのアンサンブルが加わるという形とも取れるもの。このバランスは「オージー~」とははっきりと趣きが違っているのはたしかだ。
またその2曲がレイ ブライアントの名曲「CUBANO CHANT」とオスカー ペティフォードのこれまた名曲「OSCALYPSO」というはっきりとしたジャズ曲で構成されているのも本セッションの特徴であるし、この2人の素晴らしすぎる好演がまたジャズ的興奮の火に油をそそぐという相乗効果を発揮している。
超名手によるジャズ的なグルーヴの後に、それいけー!とばかりパーカッション軍団が躍進してくる。この興奮はついつい癖になることはうけあい。こんな大それた素晴らしいセッションが今まで誰も見向きもしなかったとはどういう訳なのか。。ジャケットも今を先取りしてる風でオシャレだ。

それでは1957年に、なぜ趣きの違う3つのパーカッション物がアート ブレイキーの元でくり広げられたのだろうか?しかもレーベルは異なっている。

実はその謎を解く手がかりともなりそうな話を、最近同級生のアート ブレイキー研究家から聴き取ることが出来たのだ。
彼の手に入れた情報によれば、ブレイキーはホレス シルバーがジャズ メッセンジャーズを脱退した後、自身のジャズ メッセンジャーズを組みながらも複数のパーカッションを加えたアフロ キューバン的なバンドをパーマネントとして継続させようと躍起になっていたという。しかもそのバンドで定期的にクラブなどに出演も果たしていたという。
が、ワールドミュージックが普通に浸透している現在とは違い、この画期的な試みは残念ながらほとんど賛同を得る事が出来ず、パーマネント バンドとしてのブレイキーの野望は夢に終わったという事実があるというのだ。
考えるに、ブルーノートの「オージー~」はこの計画の数少ない賛同者であったアルフレッド ライオンと共に、この構想を最善の形で具現化しようとしたものだったのではないか。

一方本作が録音された経緯は今だに謎のままだ。しかもレコード片面分の長さしかない(もう片面はビル ハードマン、ジャッキー マクリーンによう通常のメッセンジャーズで、これもた素晴らしい)。ただこれらの話から想像するに、ブレイキーのバンドとしての構想に近かった内容は「オージー~」よりクラブでも活動出来そうな編成である点からして、こちらの方ではなかったのか?そして大御所のパパ ジョーとペティフォード以外は、このメンツでグループを続けようと企んでいたのではないか?

夢はひとつ潰れたものの、本作と「オージー」を録音出来た事で一旦気持ちをきりかえ、ブレイキーはジャズ メッセンジャーズを一生の活動の形として選んだ。そして「モーニン」を生み、「チュニジアの夜」を生み「モザイク」を生んだ。この推測が合っているのかいないのかは判らない。ただ、パーカッション アンサンブルが続いていれば、メッセンジャーズが何せ巨大な力を持っていたいただけに、ジャズの歴史が変わっていたのは間違いない。

その点からすれば、確かに歴史的にはこれで良かったのかも知れない。しかし本作の素晴らしい内容を考えれば、これを目の前で拝見出来るチャンスにめぐりあった当時の数少ない人については、最大級に羨ましいという気持ちを隠しえない。

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孤高の天才トランペッターといえばケニードーハムの名前が一番に思い浮かぶ。ちょっと聴いただけでもすぐに彼と判る独特な音色を持っているうえ、スタイルも同時代のビバップ~ハードバップの他プレイヤーとはどこか異なっているという超個性の持ち主だ。1955年に結成されたジャズ メッセンジャーズの初代トランペッターであった事は皆が知るところだろう。
とはいえ「静かなるケニー」とか「ウナ・マス」とか、そこそこ人気盤があるにもかかわらず、やはり過小評価なイメージは拭えません。

それもそのはず、僕の独断と偏見で選んだ彼の最高傑作にあたるであろうアルバムが、発売当時から現在まで全くといっていい程評価されていないのだから無理もない。

そのアルバムこそがこれ、ABCなるレーベルから発売された「ジャズ プロフェッツ vol.1」だ。

ジャズプロフェッツというのはケニーがジャズメッセンジャーズを辞めた後に結成したパーマネントバンドで、相棒のテナーは白人のこれまた個性的なJRモンテローズ。小刻みにスイングするJRのフレーズが、ケニーの超個性をよりいっそう際立たせていて、正にベストと呼ぶに相応しいコンビネーションぶりを発揮している。

このバンドの最大の特長というか、思い浮かぶ言葉といえば「絶妙」ではなかろうか。
特別に新しい境地を開拓したり、特別に高度な音楽性を誇ったり、特別にテンションが高い訳ではない。しかし何気ないちょっとした決め事や、些細な部分部分が、まさに絶妙のタイミング、絶対のムード、絶妙のさじ加減に決まりまくっているのだ。
また通常の4バースやベースソロなどのルーティーンを微妙に変化させるなどの工夫も、普通の展開にはもっていかないぞという意気込みを感じさせたうえ、これまた決まりまくっているというもの。

それは正にパーマネントバンドの成せる技。つまり本当に良質なサウンドを作るのは、やはりバンドとして活動したグループにしか出来ない事なのではないかと思う。ジャズプロフェッツはその最良の例だ。地味だがその渋さは全ジャズアルバムの頂点に立つものと断言したい。
この素晴らしさを文章に上手く表せない自分の文才の無さがもどかしいのだが、どうか今からでもいいので、一人でも多くの人に聴いていただければ嬉しい限り。そんなアルバムなのだ。

ちなみにVol.1とあるけれど、Vol.2が出た形跡は、ない。

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1990年代初頭に夢みるオシャレクラブキッズを夢中にさせたレキシントンのJAZZ GROOVEシリーズからの1枚。このステッカー、なかなか取る気になれませんねえ。同世代の方ならわかっていただけるかも。

そんなシリーズで再発売された後期プレステッジのお宝レコード。これまでに紹介したのはラスティー ブライアントにヒューストン パーソン、ソニー フィリップス、メルヴィン スパークス、バーナード パーディーと、世間の評価は知らないけれどDoodlin'ではキラ星の如くなスターが勢揃い。一時代にハーレムやニュージャージーにこれほどの才能がかたまっていたというのは、にわかに信じられない光景であります。

しかし、今回紹介する人物であるサックスのソニー スティットだけは、このシリーズの他プレイヤー達の中では少しスタンスが違う感は誰もが感じるところだろう。

というのは1924年ボストンで生まれたスティットは40年代から活躍しているバップの大スターだ。早くても50年代に出て来た他のプレイヤー達とは少なくても15年くらいのキャリアの差がある。言い換えれば当時の若い力でブラックパワーを見せつけようとしていた、このシリーズの連中からすれば、スティットはもう既にジジイの年代に届いていたという事である。その証拠に裏ジャケットに収められたスナップには所々白髪も少し見られるというものよ。

本作はそんなスティットが1971年に制作したレコードで、ヴァージル ジョーンズ、レオン スペンサー、ドン パターソン、メルヴィン スパークス、そしてアイドリス ムハマッドという当時のプレステッジを背負って立つ新進気鋭たちを起用したもの。このうちパターソンは元々スティットのバンドのメンバーとして頭角を表した一人であります。
1969年くらいから数年間におけるプレステッジのジャズレーヴェルとしての充実ぶりについては、以前にもこのブログでふれた通りだ。そして本作は主役のスティットが既にジジイであったにも関わらず、他作品と何ら変わりなく力強く、ファンキーで、アグレッシブで、しかも洗練されている。しかもスティットは何らきばることもなく、まるでのうのうと素の自分でこれらをこなしているという事実。余裕そのものだ。
そんな中で特に注目すべきは、B面の頭に収められたスティット作による「Calling Card」だろう。4ビートを基調としたリフで押し切るといった所謂ジャンプナンバーというもので、エンターテイメントとしての黒人ジャズの原点に立ち帰った様なナンバーだ。これで猛烈ブロウをぶちかますスティット!お前ら、こんなん出来るか、と言っている様だ。若いメンバーも必至で付いて行っている。この当時、ノスタルジックな意味ではなく現行のリアルタイムなコンセプトのアルバムにおいて、こういったものをここまで演りきった者はスティット以外にはない。スティットとプレステッジに拍手を送りたい気持ちだ。

生涯100枚を超えるリーダーアルバムを残したといわれるスティット。通常の小粋なスタンダード作からビ バップ、ハードバップ、テナーバトル、おまけにマイルスとも一時行動を共にし、さらに本作の様にブラックパワー運動にもたずさわっていそうな作品もものにする。一体この潜在能力はどうなっていたのかと考えてしまうというもの。
ただその器用さゆえ、少し評価も定まっていないような気もするが、とにかく、とんでもないプロ中のプロであるスティットの才能と実力には正に脱帽するしかないという事か。

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ビルボード誌のトップ100入りしたという本作のタイトル曲。ネット配信やCD離れがささやかれて、何がどうなってるのか皆目わからない現在と違って、星の数ほど多岐にわたり、しかも総合された当時の全米の音楽チャートの中でのベスト100入りというのは、ジャズでは快挙だったとか。

以前何かのインタビューで、この曲について尋ねられたルーさんが、「よく儲かったよ」とお札を数える手振りで答えたという。おちゃめなルーさんの本領発揮といったところか。

さて、その大ヒットナンバーである「アリゲイター ブーガルー」だが、これはどう聴いても単純な3コードによるCのブルーズで、テーマにしても楽器を覚えたての素人でもすぐに吹けちゃうといった素朴なもの。これで大儲けなんて全く美味しい話だと正直思ってしまう。

ルー ドナルドソンといえば、パーカー派の強者であり、ブルーズの名手としてもブルーノートに多数の傑作を発表し続けたジャズ界のマエストロだ。また先のインタビューの件でもわかる通り、非常にマイペースで、悩みとは無縁な楽しいスタイルで親しまれているのも確か。したがって本作のヒットも、この個性あってゆえの結果だったのかな、とつい考えてしまうし、実際にもののガイド本にはそういう書き方をされているのもよく見かける。

しかし、それはあくまでもステレオタイプなルーさんの個性を鵜呑みにしたもので、実際には本作をよく聴かずに決めつけたという早合点な見解であると言わざるを得ない。
なぜなら「アリゲイター ブーガルー」は基本的に暗いからだ。タイトル曲だけに限らず、本作は全体に渡りダークでシリアスであり、またハードボイルドなムードに覆われている。そこに以前までのほんわかルーさんの姿はない。

これまではハーマン フォスターやジョン パットン、グラント グリーンといった職人達と和気あいあいなセッションでシーンを盛り上げたルーさん。しかし約4年間ブルーノートを離れ、そして帰って来て第1作目にあたる本作では、ジョージ ベンソン、ロニー スミス、さらにこの直後にはアイドリース ムハマドになるレオ モリスといった当時の超新進気鋭達を使っての問題作とも呼べる作品に仕上がっている。
そしてその点がビルボードのトップ100に入るという結果をもたらせたのではないだろうか。

本作が発表されたのは1967年。このブログでは何度もふれている通り、当時はアメリカ黒人の公民権運動が最高潮に盛り上がり、様々な変化がおこった殺伐とした時期である。したがって黒人達から発せられるヒット曲のほとんどはジャンル問わず、皆が黒人としてのアイデンティティを前面に押し出したメッセージ色の強いものばかり。今考えるととてつもなくパワフルな時代だったといえる。
そしてルーさんも知ってか知らずかそんな時代の動きに反応したのだろう。ほんわかハッピーな姿をいったん隠し、時代の担い手としてこの「アリゲイター ブーガルー」は生まれたのではないか。うけた原因は曲としての甲乙ではなく、この時代を反映させたからであろう。

僕の周りには優れたミュージシャンの友達が多くいるが、そのほとんどの者がこの「アリゲイター ブーガルー」は絶対に真似出来ないという。作りは簡単な3コードのはずなのに、このニュアンスは醸し出せないというのだ。自分達で演奏すれば形としては出来るが、ただ明るいだけのブルーズセッションになってしまうのは必至らしい。そして心からルーさん達の音楽性に感銘を受ける結果となってしまう。「アリガイター ブーガルー」はこの時代にプロとして生きた彼らにしか演奏出来ないというのか。

そんなルーさんを特集するDoodlin'のBLUENOTE MONDAYは次回6月3日の月曜日。夕方から夜中まで、ブルーノートのルーさん一筋でお送りいたします。例によってレア盤もたっぷり揃ってますよ。お楽しみに。

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テキサス生まれのバディ テイト。カウントベイシー楽団などでも名をあげたテナーサックスの巨匠の一人だろう。

紹介するアルバムはそのバディが1978年に吹き込んだライブ録音版。
1978年といえば、まだあのウィントンマルサリスも現れておらず、本当にこういったストレートなジャズプレイヤーには向かい風の強い時期であったろう。

しかし彼らは強かった。バディ以下ピアノのレイ ブラウント、ベースのジョージ ディビビエ、そしてドラムのアラン ドーソンといった名手中の名手たちがくりひろげるスインギーでブルージーな演奏には、全くといって他者にこびる様子もなく、威風堂々とジャズとは何かを我々に教えてくれている様だ。したがってそんな逆風など微塵も感じられない。
と同時に特別に逆風をはねのけようとする意気込みも感じられない。つまり普通で凄いのだ。

一方この頃流行っていたといわれるフュージョンミュージックの大半は今やほとんどが忘れられている様だ。それに比べこういったストレートなジャズは当時に忘れられていたにも関わらず、現在でも中古レコードの市場をある程度賑わせてはいる。
音楽のスタイルが流行るのは必ずその時代を反映させた理由が存在するというし、音楽のスタイルに甲乙の差はない。とはいうものの、やはり一方は流行に乗っただけのもの(フュージョンファンの方ごめんなさい)。それに比べてこういったストレートなジャズアルバムには脈々とブルーズをはじめとしたブラックミュージックの根本的な要素を含んでいるものばかりだ。35年後にこちらの方が多く残っているのは、どちらの音楽が優れているとかの問題ではなく、ブラックミュージックの神髄を少しでも知ろうとする我々ファンにはありがたい。

ただし!これは絶対なのだが、こういった記録だからこそ我々ブラックミュージックファンが声をあげて残していかなくてはならないのだ。誰もが見向きもしないこういった小品にこそジャズをはじめとするブラックミュージックの本当の普段着の姿がみえるという事。こういったアルバムにはミュージシャンや当時のニューヨーカーの生活の音が滲み出ている。よって絶対にこの音楽を理解するのにとてつもなく役に立つ記録だと思う。見過ごしてはならない。

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パノニカ ドゥ コーニグズウォーター、通称ニカ婦人の「三つの願い」は、近年になって刊行された事自体がジャズ界にとっては奇跡とも呼べる事件であった。
何せ婦人が生涯にわたって有名無名を問わず、出会ったジャズミュージシャン達に、今考えられる三つの願いは何かを聞いて書き残したメモの内容すべてが、貴重極まりない個人で撮りためていたスナップ写真と共に掲載されているのだから。

その内容はきちんと答えているものからおちゃらけたもの、君の気を惹きたい、白人になりたいといったものまで様々。しかし大体の者が、この音楽がアメリカでもっと認められる事と、まっとうな金が手に入る事を願っている点に、アメリカのジャズのシビアな部分が見え隠れするというものだ。

そんな中、「おれの心の中にあるものを、正確に演奏できること」と、その1点だけを答えているのが、トロンボーンのパイオニアと呼ばれたJ.J ジョンソンだ。

J.J ジョンソンの初リーダーアルバムのジャケットには「バブルトロンボーンにあらず」とわざわざ記されていたという。それほど当時そのテクニックは驚異的なものであったのだろう。
したがって、J.Jを語る時はその驚異的テクニックを抜きには始まらないのは当然の成り行きといえるだろう。

しかし、先の文章を考えてみると、J.Jという人のテクニックは、あくまでも自分の心にある音楽を演奏するためのものであったのではないかと思う。つまりやみくもに巧さを聴かすのではなく、音楽性ありきでそのテクニックを聴かせたい。そんな思惑があったのではないか。

J.Jのその音楽性を見事に発揮させたのがブルーノートより発表された、2枚の「ジ エミネント J.J ジョンソン」だ。元々は10インチとして発売されていた3つのセッションを2枚の12インチにまとめたもので、1953年から55年にかけての記録である。

本作でのJ.Jは当たり前ではあるが、最初からその圧倒的テクニックが炸裂してはいる。しかし、ウィントン ケリーやチャーリー ミンガスとのカルテット、ハンク モブレイとホレス シルバーを迎えたクインテット、そしてクリフォード ブラウンとジミー ヒースを迎えてのセクステットと、すべてが異なる編成で挑んでおり、またその音楽性は50年代初期のジャズシーンの変化を見事に表しているものばかり。全編において全くの隙が無く、楽曲やアレンジは今聴いてみても創造性に溢れている。何をとってもパーフェクトなセッションが3つ連なっているというのは、正に本作をおいては見つけられないのではないか。今さらながらJ.Jこそが、当時麻薬により身を隠していたマイルス デイヴィスの再起に多大な影響を与えた人物であるというのが心底納得させられるというもの。
J.Jがその後数十年に渡りジャズトロンボーンのトップに君臨し続けたのは、本作を聴くと当然のことだと認めざるを得ないだろう。

2001年、ジャズ雑誌にある訃報記事が掲載された。J.J ジョンソンが自ら死を選択してしまったという。記事によると、数年間癌などによる病により音楽が思う様に創造出来なくなったのが原因だという。
願いを三つ聞かれているのに「おれの心の中にあるものを、正確に演奏できること」としか答えなかったJ.J。きっと音楽でしか生きていけない人間であり、またそれを自分自身がわかっていたのだろう。その死は確かに悲痛ではある。しかしこの1文を読めばこの人らしい幕切れであったのかなと考えてしまう。


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