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Doodlin' Records

神戸元町のバー「Doodlin'」店主がチョイスするジャズレコード紹介。
勝手気ままに書かせていただきます。

Doodlin'がジャズ バーという部類に入るのであれば、恐らく日本で一番オルガンジャズ率が高いジャズバーがDoodlin'だろう。何せ4枚に1枚はオルガンの音を聴かないと禁断症状が発生するといったあんばいなもんで、毎度まいどコテコテな音を大ボリュームで聴かされるお客様はたまったものではないだろう。

当然本ブログにも相当な数のオルガンプレイヤーが登場した。しかし、オルガンジャズを愛している方の中には、ある1プレイヤーを取り上げていない事に怒り心頭かも知れない。
そのプレイヤーこそジョニー ハモンド スミスだ。

1933年、モハメド アリと同じケンタッキー州ルイビルに生まれたジョニー ハモンド スミス。調べても解らなかったが、ハモンドというのは恐らくニックネームであり、オルガンプレイヤーの永遠の愛機、B-3オルガンでお馴染みのハモンドから付けられたものだろう。ハモンドオルガンを演らせたらピカ1という事か。

そしてそんなハモンドのオルガンプレイはまぎれも無く強烈さ、グルーヴ感、アーシー度、その他オルガンジャズに求められる全ての要素においてピカ1だ。ハモンドが弾けば弾くほどハモンド社の株が上昇する、な訳ないか。
何にせよ全くこんな凄いプレイヤーの紹介が何故こんなに遅れてしまったのか。心あるオルガンジャズのファンの方、やきもきさせてごめりんこ。

他の多くのオルガンプレイヤーと同じで1960年代から70年代にかけて、ハモンドはオルガンジャズの宝庫プレステッジ レーヴェルのお世話になっている。そしてやはり我が国では1990年代にレキシントンのジャズ グルーヴ シリーズで紹介された。もちろんそれまでにもハモンドの凄さを認め愛聴していたファンも多かれ少なかれおられただろうけれど、僕の世代では恐らくこのシリーズから聴き出した者がほとんどなのではないか。

紹介する「エブ タイド」もそんな1枚だ。ただ注意しないといけないのは、本作は当初作品中に収められたハモンドのオリジナルである「ゲッティン アップ」をアルバムタイトルとして発売された。ジャズ批評社の「プレステッジ ブック」で同じ番号を調べたら「ゲッティン アップ」で記載されている。

それが何故「エブ タイド」に途中から変更させたのか。「エブ タイド」はロバート マックスウェルという人が作曲した元々はムード音楽的なポピュラー曲である(らしい)。
考えられるのは本作には他に「スタンド バイ ミー」「ノック オン ウッド」「ジ イン クラウド」というソウルヒットナンバーに「サマータイム」といった有名曲が程よい長さで収録されていて、これにハモンドの作曲したナンバーが3曲挟み込まれているといった構成だ。当時のプレステッジのジャズアルバムにはポピュラー曲が多く演奏されているが、本作はその中でもその率はかなり高い。よってタイトルもヒットナンバーを多く演ってまっせ的なニュアンスを出した方が売れると見込んでの変更だったのではないか。まあそれだとプレステッジらしい話ではある。

しかし間違っても本作はただの売れ線を狙ったものではない。それはプレステッジのお抱えプレイヤーの中でもひたすら腕ききなジャズプレイヤーであるヴァージル ジョーンズとヒューストン パーソンがフロントを勤め、ジミー スミスがブルーノートでおもいきりジャズを演奏していた時代のギタリストであるソーネル シュワルツに、1962年にホレス シルバーの日本公演に帯同して「トーキョウ ブルーズ」にも参加したジョン ハリスがドラムを担当しているという点だけでもわかってもらえるだろう。この時代のプレステッジがとにかくジャズに拘っているのは以前にも記した通りだ。

そんなジャズメン達を時にはバップさせ、時にはリフを決めさせ、変幻自在にあやつるハモンド。そして本人はまるでソウルの大スターとなったかの如く強烈なグルーヴを持ってして乗っかっていく。たくさんの優れたオルガンプライヤーを紹介したが、ジミー スミスやジャック マクダフと並んでスターの音を出せるのがハモンドだ。

そんなジョニー ハモンドのソウルジャズ魂で今夜のDoodlin'はまたシャウトするのだ。

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1956年6月29日深夜、ペンシルヴァニア州ベッドフォード近くのターンパイクで起こった自動車事故は、一瞬にしてジャズ界の若き天才トランペッター、クリフォード ブラウンの命を奪ったとして今も語り継がれている。もしこの事故が起きていなければ?と今でもジャズファンであれば一度は考えてしまった事はあるだろう。
残酷だがここでブラウンの短い生涯は途絶えた。僕らはその事実を踏まえてジャズの歴史を遡っていくしかないのだ。

しかしこの事故において、もう一人ブラウンよりまだ若いプレイヤーの命も一緒に奪われている事実は今のところあまり話題に上がる機会が少ない。ブラウン&ローチ クインテットのピアニスト、リッチー パウエルがその人、いやその子といった方がいいかも知れない。
リッチー パウエルは1931年9月5日ニューヨークの生まれ。ブラウンが1930年生まれだから、ブラウンより1歳下の24歳で亡くなった事になる。事故を起こしたのはリッチーの奥さんであるナンシーで、フィラデルフィアからシカゴの仕事先に3人で向かう途中で交代しながら運転していた時にスピードの出し過ぎ故のハンドルをきり損ねた結果の衝突事故であった。3人は即死。この時、ペンシルヴァニアはかなりの雨模様だったという。

リッチーの7歳上の実兄はバップピアノの生みの親と言われた鬼才バド パウエルだ。しかしリッチーがブラウン&ローチのもとに参加した時は、全くといっていいほどその才能の恩恵は受けていなかった。グループ初期の録音を聴けばエリート中のエリートであり、猛烈なイマジネーションを開花させていたブラウン、マックス ローチ、ハロルド ランドらに対してリッチーのピアノはあくまでも添え物でしか無いように聴こえる。ソロもこれといった特徴も無いうえに短く、機械的にコードを提供する役割を担っているだけの印象しか持てないのが初期のリッチーだ。
ただし作編曲の仕事は早くから与えられていた様だし、天才の弟だからといってコネが効く時代では無かっただろう。したがってグループに参加出来たのも何かしらの才能を見込まれての要請があったのではないかと思う。

それを物語る様にリッチーはグループの発展ごとに段階を踏まえながらピアノと作編曲の腕を上げて行った。僕の場合、このグループのレコードを録音年月日順に聴いていった訳ではないが、リッチーのピアノが心地よく、または刺激的に聴こえたものは間違いなく最後期に録音されたものだ。そしてグループ最後の公式録音にして最高傑作として挙げられる「アット ザ ベイズンストリート」でその頂点を迎えている。本作の内容の素晴らしさと歴史的価値については既に語り尽くされている感があるため、ここでは今さら繰り返すことは控えよう。しかしリッチーに関しては本作で聴かれるコードワークとシングルトーンによる抑制されながらもイマジネイションに溢れたソロは完全にグループの高度な音楽性に追いついたものだ。
さらにリッチーが提供した「タイム」「ガートルーズ バウンス」「パウエルズ プランセス」は派手なA面に比べて地味なB面に収められていながら、非常に優秀な楽曲として今も聴き継がれている。中でも「クリフォード ブラウン/天才トランペッターの生涯(音楽之友社)」の筆者ニック カタラーノ氏によれば「パウエルズ プランセス」は56年の地点にしてコードに基づくソロではなく、スケールに基づいたインプロヴィゼイションが展開されているという。マイルスが同じ手法をモードと呼び、ジャズの流れを変える数年前の話だ。音楽的にかなり先に進んでいたというグループだが、これにリッチーも大いに貢献していた様子が伺える話である。

リッチーの死に関してもう一つ忘れられがちな点がある。それはリッチーの兄であるバドが1956年の地点で弟を亡くしたという事実があるにも関わらず、その事件が生涯に与えた影響を全く論じられていないという点だ。パウエルは巨匠であるうえ精神を病んだ悲劇のジャズジャイアントとして今でもその生涯が語られている。1956年ならばブルーノートとヴァーヴに録音を重ねて、そろそろ欧州に移住する気配が見えてくる時期ではなかったか。その地点で実の弟が同じく天才でありながらバドとは正反対に位置していたブラウンと共に命を落とした。これがバドの音楽家としての生涯に多少なりでも影響を与えなかったとは僕はとうてい思えない。しかし今のところその点に迫った文献を僕はまだ読んだ事が無い。バドの音楽と生涯に弟の死はどんな影響をもたらせたのか。または皆が指摘しない様に全く何事も無かったのか。リッチーの死を考えると自然と気になってくる。

リッチーは決してジャズの歴史を変えたジャイアントにはなれずに生涯を閉じた。もしあの時事故に会わなかったとしても、なれたかどうかは定かではない。じっさいジャズピアノが好きという通の人にフェイバリットを聞いてもリッチーを挙げる人にはお目にかかった事はないし、僕も挙げない。
ただ、近年のジャズの世界では演奏テクニック的にかなりの高度であるというのが条件であるかの如く、テクニックに長けた者がデビューしてくる。しかし言い換えればテクニックに長けていないとデビュー出来ないという時代になったともいえる。したがってリッチーの様に段々と上達していく者をファンが見て行くという大らかな時代はもうジャズの世界では望めないのか。

そう考えれば不器用ながらもどこか憎めないリッチーの死をブラウンの死と天秤にかけることなど絶対に出来ないというのがファンの心理だ。

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先ほどシダー ウォルトンの訃報ニュースが入ってきた。2年前にニューヨークで目の前で観たウォルトンは確かに老け込んではいたものの、往年のレコードと全く変わらない覇気でもって僕を圧倒させてくれたものだった。

Doodlin'には僕より年配のジャズファンの人もたくさん来られて、それぞれに好きなプレイヤーを語っていかれるのだけれど、その全ての人たちが共通して特別に好きなピアニストがウォルトンだった。70年代のメインストリートなジャズの不毛時代にサム ジョーンズ、ビリー ヒギンズ、クリフォード ジョーダンらと制作した一連のアルバムが特に思い入れが多いと話してくれる。ウォルトンの功績を話すみなさんの顔がかつてジャズ少年だった頃を彷佛とさせてくれるものだ。

70年代、ウォルトンこそがモダンジャズの最後の砦だったのだろう。しかし2013年、僕らはまだまだ常日頃にジャズを鑑賞できる。本当にごくろうさま、そう声をかけてあげたい。

本日のDoodlin’はそんなシダーを特別に特集してお送りしよう。

無理もない事だが、盟友クリフォード ブラウンをなくしたマックス ローチの落胆ぶりはそうとうなものだったらしい。1956年度の世界一の落ち込み男は恐らくマックスだったに違いない。
もともと気が短いマックスだったのだが、それ以降は常に攻撃的で扱いにくい人間に変わってしまったという。

しかしそんなマックスにも一瞬的に明るい光がさした時期がある。2年後におとずれたトランペッター、ブッカー リトルとの出会いがそれ。この天才的で見事なうたいっぷりの若者を発見したマックスは、恐らくクリフォードとの日々の再来を感じたのではないか。グループ最初の本アルバムを聴くとそんなマックスの気持ちがまざまざと伝わってくる。迷いも怒りも無い、純粋で清々しいハードバップが展開されていて、ブッカーを煽りたてるマックスのドラムは最高にハッピーに聴こえるというもの。このときばかりはマックスの周りの人達もさぞほっとしたでありましょう。

しかし何という事でしょう。そのブッカー リトルまでもが3年後、クリフォードよりまだ若い20代前半で病気のために亡くなってしまう。

マックスの不機嫌男の象徴としての人生が決定づけられたのはいうまでもない。

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Doodlin'のギターランキングがえらいことになっている。

先日、いつもの様に仕事前にハックルベリーに立ち寄った際の話だ。いつもの様にJAZZのえさ箱の左端から物色しはじめた途端に衝撃が走った。レキシントンのJAZZ GROOVEシリーズから発売されたブーガルー ジョー ジョーンズのアルバムが全部で7枚、まとまって売り出されていたのだ。このうち1枚は既に所有している。したがって残り6枚、全て大人買いでございます。バンザイ万歳!!

Doodlin'のギタリストのリーダーアルバムでは何といっても20枚近くを誇るグラント グリーンが不動の1位。そして共に6枚を所有していたケニー バレルとウェス モンゴメリーが同率2位だった。ところが今回の大人買いによって、このブーガルー ジョーが1枚からいっきに7枚となり、バレルとモンゴメリーを抜いて堂々の2位に躍進とあいなった。プロ野球でいえば、くすぶっていたチームが急に11連勝した様なものだろう。とりあえずプレイオフ進出は確定的だ。

ブーガルー ジョー ジョーンズは1940年の生まれ。確かヴァージニアかウェスト ヴァージニア出身と何かのプロフィールで読んだ記憶がある。
ブーガルーがプレスティッジに初リーダー作を吹き込んだのが1967年。それから1973年までの間、目いっぱい思う存分ギターを弾き倒していった。とにかく理屈なんてくそ食らえ、ジャズであろうがファンクであろうがポップであろうがブルーズであろうが何でもかまわない。痛快ここに極めれり。自分のスタイル、自分の音で通しきった男、それがブーガルーなのだ。とにかく店で大音量でブーガルーを流した時に体を動かさなかった者は今のところ皆無だ。

プレステのリーダーアルバムは合計8枚。そのうち最初の2枚を除けば後はみなオルガンと1テナーという構成で、しかもテナーはたいていラスティー ブライアントかグローヴァー ワシントン jrだし、ドラムはほとんどがバーナード パーディーだ。はっきりいってどれも大して変わり映えはしない。
しかし、ブーガルーの弾き倒しによる、黒いながらの清々しさを体感する喜びは何ものにも替える事は出来ないだろう。たくさんのギタージャイアントは存在するが、ここまで解りやすく弾ききった者はいないのではないか。ドアーズの「ハートに火をつけて」ジャクソン5の「アイル ビ ゼア」ポール マッカートニーの「マイラブ」など多くのポップス曲を取り入れてるのもいいし、黒ぶち眼鏡にゴリラ顔という正にギターオタクを絵の描いた様な風貌もたまらなくいい(小林克也に似ている)。上屋劇場やジェームズ ブルースランドのブルーズセッション デイに行けばもくもくとギターを弾き倒していそうだ。そして昼は腕カバーをつけた役所の職員だったりするのだ。

結局ブーガルー ジョーは1973年の傑作「ブラック ウィップ」を最後にプレステを去った。その後1975年にJOKAというレーベルに1枚リーダー作を作っている。そしてその後は全くアルバムを作ることなく姿をくらましたままだ。1967年に颯爽と現れ、8年間大活躍して急に消えていったブーガルー。彼のスタイルはジャズかといえば、あまりにもポップスすぎた。そしてポップスかといえば、あまりにもジャズ的すぎた。ひょっとして時代がブーガルーを必要としなくなったのかも知れない。ギターは器用だが生き方は不器用だったのだろうか。しかし時代に適応した時のブーガルーは正にスーパースターの音で今の我々をもおもいっきり楽しませてくれる。そんなブーガルーが愛おしくてしかたがない。

今回代表に挙げた本作は1971年の録音でブーガルーのレコーディングキャリアでいえば中間より後に位置するもの。絶好調中の絶好調を捉えた1枚で、「エイント ノー サンシャイン」「アイ フィール ジ アースムーヴ」「レット ゼム トーク」などのポップ曲と自作のブルーズ、ファンク曲が絶妙なバランスで配合されている。とりわけ「レット ゼム~」はあまりにも切ないバラード表現に涙する事うけあい。今度ふられたら絶対に聴きたくなるという名演であります。

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1989年6月6日は僕にとっては忘れられない日だ。神戸チキンジョージにルー ドナルドソン カルテットが来演したのだ。

ルーさんはその後のレアグルーブやアシッドジャズのDJらによって不動の人気プレイヤーとなられたが、当時はジャズファンの間でも正当な評価を得られていない状況だった。それを反映した様にこの日、あの汚くてボロい昔のチキンジョージに集まった客は僕と同級生2人に、当時「木馬」でバイトしていた友達一行5人。それに知らない人約7人。
さらに沖縄からの飛行機が遅れて開演時間が1時間半くらいのびるという非常に淋しい状況だった。待っている間に木馬の連中とトランプして時間を潰したのを覚えている。

しかしルーさんにとってそんな状況はまさにノープロブレムだった。客が何人だろうとたまらなくソウルフルでアーシー、そしてお茶目なプレイを披露してくれたのだ。さらにピアノはルーさんの盟友、盲目のハーマン フォスター。この人がまたのせるのせる!おかげで我々のテンションは上がりまくり。これが本当に十数人の入りのライブであるのが信じられない雰囲気に満ち溢れるに至ってしまったのであった。逆にノーアナウンスで演りはじめた曲に誰か知らないおじさんが「バイバイブラックバード!」と反応すると、曲を吹きながらそちらに向かい頷くという。何なのだこのフレンドリーなムードは?田井中福司のドラムもグルーブしまくりで我々には驚異であった。
補足になるが、この知らないおじさん達の一人がDoodlin'に来ていただいたお客様であり、そのおかげでこの日に集まったほぼ全ての人が現在は判明している。

僕らはこのライブでジャズの神髄とその楽しさを知った。そしてジャズとはどういう物かと訊ねられれば、こういう物だと答えることにしている。25年近くたった今もそれは変わっていない。

このライブに一番近い状況のアルバムがこれ。更に5年前のパリでの録音で、ミューズより発表されたものだが、ルーさんとハーマンのカルテットでのライブという点では正に同じ状況だ。しかも当然だがルーさんもハーマンもあの時と同じ絶好調。特にハーマンのノリはヤバい。フランスでも日本でもルーさんらには関係なかったのだろう。

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以前このブログで1960年にブルーノートから発表されたアート ブレイキー&ザ メッセンジャーズの「ア ナイト イン チュニジア」を、神懸かりな名演であると紹介した。リーモーガン、ウェイン ショーター、ボビー ティモンズ、ジミー メリットというメッセンジャーズ最盛期を担ったスター達が本気になって取り組んだ作品にして、今だこれを聴く喜びは何ものにも代えられないのは変わりない。

しかし僕はこの時の紹介文において、あるひとつの事実を記すタイミングを逃していた。それがこのアルバムのディジー ガレスピー作曲であるタイトル曲のアレンジに関しては、このメンバーによるオリジナルではなかった、という事実だ。モーガン、ショーターの時代はメッセンジャーズが最も音楽性においても新しい試みを繰り広げた時代である。にもかかわらず「チュニジア」という曲のアレンジは既成のものであったのだ。

アート ブレイキーはこの「ア ナイト イン チュニジア」を録音する約3年前の1957年4月に、ヴィックというレーベルに全く同じタイトルのアルバムを発表し、「チュニジア」を演奏している。メンバーはビルハードマン(tp)、ジャッキー マクリーン(as)、ジョニー グリフィン(ts)、サム ドッケリー(p)、スパンキー デブレスト(b)。この時のアレンジやもっていき方、その他色々な要素が1960年の「チュニジア」と、3管であるという以外はほぼ同じ展開であるのだ。

考えてみれば1954年のジャズ メッセンジャーズの前身となったといわれる「バードランドの夜」でもブレイキーは「チュニジア」を演奏している。ただこの時はドラムを多くフィーチャーしてはいるが、メンバー各自がパーカッションを手にして盛り上げるという形は取っていなかった。この形をメッセンジャーズに取り入れたのは、レコード上では1955年の「カフェ ボヘミア」セッションにおけるハンク モブレイ作「アヴィラ アンド テキーラ」が最初ではないだろうか。
恐らくメッセンジャーズは「チュニジア」にこの形を取り入れ、早い段階から大事なレパートリーとして演奏していたのではないか。このスタイルは恐らくディジー ガレスピーやチャノ ポゾらのアフロ キューバン バンドが演奏していたのを拝借したものだろう。そしてこのスタイルによる「チュニジア」はモーガン、ショーター時代いっぱいまで続けられた様だ。
そういう意味で1957年の「チュニジア」はその通過点、対して1960年のものはその最終点を録音したと捉えることが出来る。

話を1957年に戻すと、このビル ハードマンが在籍した頃のメッセンジャーズというのはレコード会社が常に流動的であり、そのため統一性に欠けたため大変評判がかんばしくない。日本の有名な評論家に暗黒時代だなんてふれまわられもした。したがって、「チュニジア」の決定打を1960年録音とするのには何も反対意見などはない。
ただし、評論家やライターなどと名乗りながら、ほとんど調べもしないで記事を書く輩というのがいるもので。そのため1960年の「チュニジア」に対して「ウェイン ショーターの斬新なアレンジによって、生まれ変わった~」などと記されているものをよく見る。演奏が神懸かりなのは賛同するが、事実と違う事が横行するのは絶対にあってはいけないと思い、今回ここに取り上げたという次第だ。

で、おおかたの予想はついているだろうが、このメッセンジャーズ暗黒時代というのにも大いに反対意見を述べないといけない。
先に記した通り、この時代のメッセンジャーズが評価されない理由は発表するレコード会社が常に流動的で、統一感に欠けたからだ。そしてそれ以外の理由など何もない。この「ア ナイト イン チュニジア」においても、タイトル曲は当然だし、「オフ ザ ウォール」「セオリー オブ アート」「エヴァンス」とメンバー各自がとびきりカッコいいナンバーを持って来ているのは変わらなかったし、それらは全てこれぞメッセンジャーズだ!と言いたくなる位にエネルギッシュで、エモーショナルに溢れている。ビル ハードマンの巧みさと独特なカッコ良さはリー モーガンでもフレディー ハバードでも追いつかない個性があるし、早吹きの迫力とイカつさにおいてはグリフィンに敵う者などいないのはジャズ界の常識だ。これにあのマクリーンが負けるものかとキリキリ迫って来る。そして何より1957年のブレイキーがどれほど凄いか?この同じ年に録音されたブルーノートなどのレコードを調べていただければ納得していただける。
とにかく僕はこの時代のメッセンジャーズを愛してやまない。このメッセンジャーズを新たに発見すると、ジャズの素晴らしさがもっと良くわかるし、生活が楽しくなるのを保証したい。まずはこの「チュニジア」の聴き比べから始めてみるのはどうだろうか。

ちなみに意識したのか、してないのかは知らないけれど1960年の「ア ナイト イン チュニジア」とアルバムジャケットもよく似ている。僕は1957年の方がチュニジアの家らしいイラストとロゴの全ての I の上にチョンがついてるのがかわいい(i)という理由で好きである。

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1959年にレッド ガーランド トリオが残したライブ録音。ライブといっても会場となったニューヨークのプレリュードという所は、ジャズクラブよりもサパークラブの様な趣のお店だったという。

僕はよく知らないのだけれど、ガーランドのピアノタッチはホテルのラウンジなどで聴かれるカクテルピアノ的であって、それはかつてのコアなジャズ愛好者からすれば「いかがなものか」という事であったらしい。とすると、この様なラウンジ的な場所でジミー ラウザー、スペックス ライトなんていうあまり有名じゃないメンツとの演奏なんて、まるで許されない1枚なのでしょうか。

もしそうだとすれば、その意見は僕から言わせれば非常に偏った頭でっかちなものであると思う。何故かといえば、まずカクテルピアノ自体の何がいけないというのは置いておくとしても、レッド ガーランドのプレリュードにおける演奏こそがジャズそのものの本質をついたものであるからだ。嘘だとお思いの方はぜひこのアルバムの特にB面をじっくり聴いていただきたい。ここでのガーランドの演奏はたまらなく躍動感があり、エモーショナルに溢れかえっている。そしてそれらがみなとびっきりのブルース感覚で料理されているうえ、どこを切っても小粋さを忘れていない。抜群のテクニックとその聴かせ方の術を知り尽くしたピアノトリオの極致と言ってしまいたいものである。

で、これが一番大事なんだけど、そんな凄い演奏をまるでカクテルピアノを聴いている様にさらりと聴かせてしまう。それこそがガーランドの凄いところである。

現在、Doodlin'に来られる僕より年配のジャズ通の方の多くは本当にジャズに対して真剣であり、また僕の知らないレコードや知識をたっぷりと持っておられる。しかしそんな方達の多くがこの「アット ザ プレリュード」をこよなく愛している。やはりいいものは本当のファンの中で残るのだ。レッドを批判する意見の人は現在では見当たらない。正しい方が残ったという事実に胸をなでおろしたい思いである。

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もしお手元のジャズ名盤ガイドとか「ブルーノートはこれを聴け」なんてたぐいの本で、当アルバムについて「当時流行りのファンキージャズを演奏した伝伝…」なんて紹介する文章が載っていたとすれば、その評論はあまりにも安易だし、書いた人も大した者ではないと思う。

なぜならファンキージャズというのは、流行のジャンルとして演奏されたものではなく、黒人ジャズメンが黒人ジャズメンとして自分達の音楽を表現するのに、それが当たり前の如く演奏する事が出来てた時代の音楽を指したものであるからだ。
とはいえファンキージャズというカテゴリーだけについては沢山の見解もあるとは思うのだけど、僕は少なくともこの素晴らしい音楽を当時の流行りうんぬんで片付けるのは、あまりにももったいない事であると思う。

紹介するアルバムはブルーノートから60年に発表されたファンキージャズの申し子といってよい我らがリー モーガンを主役にした傑作中の傑作。リーだけでなく、ジャッキー マクリーン、ボビー ティモンズ、ポール チェンバース、そしてアート ブレイキーといった参加メンバー全員がその申し子といって良いだろう。

リー モーガンだけに絞れば、これ以前に録音された2~3枚のビージェイ盤もファンキーこのうえない仕上がりではある。しかし当アルバムはやはりブルーノートらしく、音楽的に考え抜かれてるうえ、たっぷり時間を割いて制作しているのは一聴して解るというもの。4曲中2曲をカル マッセイという人にアレンジを任せてるのも、このレーベルらしく、他レーベルとの差別化をはかるという点で成功している。つまり非の打ちどころのないくらい濃い内容を誇っているのがこの「リー ウェイ」なのである。
しかし、それだけ丹念に制作されたものの全体を覆うものが、どこをどうとってもファンキーそのもの、というかその代表作になっているという結果。

そういう点で、やはりファンキーとは決して流行りではない、大袈裟にいえば当時の彼らのステイタスそのものの音楽だったのだと思う。
またはファンキーとは、熱く聴いても熱くは語るなという音楽だったのかも。そうだとしたら長々としたこの文章にも意味はなくなるね。

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ご存知レイ チャールズの大ヒットナンバー「アイガット ウーマン」で、あの有名なテナーソロを演じたのがドン ウィルカーソン。コキコキした吹き方が独特だ。

彼はジャズプレイヤーとしてブルーノートに3枚のリーダーアルバムを残している。
ソニー クラークと組んだ「プリーチブラザー」、ジョン パットンと組んだ「ショウティン」、そしてギターのグラント グリーンの他はジョニーエイシアのピアノ、ロイド トンプソンのベース、ウィリーボボのドラムというブルーノートではあまり登場しないメンバーを集めて録音された「エルダードン」だ。
ところで、この3作には全てにいくつかの共通した特徴があげられる。すなわち、ワンホーンである。ギターにグラントグリーンを迎えている。そして全部「アイガット ウーマン」のソロと同じノリであるという点。ただしこれは言い換えると変わり映えしないという事でもある。困ったものだ。

そんな中でも唯一ある一つのテーマ性が見受けられて、他とは差別化がはかれる作品が、今回紹介する「エルダー ドン」である。
本作はまずこのタイトルを頭に置いたうえ、ここに収録されたナンバーをみてほしい。そうすると「セニョリータ ユーラ」、「ローンスター シャッフル」そしてカントリーの定番「サンアントニオ ローズ」と、ドンの出身地であるテキサスに関係したタイトルのつくナンバーが目立つのに気付いてもらえるだろう。つまりドンの故郷回帰アルバムといえるのが本アルバムの特徴なのだ。

そのせいだろうか、どこか大陸的で砂埃を感じる様な田舎臭いノリだが、その反面のびのびとドン本人の肩に力が入る事なく、普段着のままに演奏している様子が伺われて、とても楽しい気分になれるのが本作だ。個人的には「サン アントニオ ローズ」のうきうき感が好きでたまらない。これを聴くと、白人のC&Wと黒人のジャズとは、アメリカ内地では非常に密接していた事も感じさせられる。
この半月前に名作「ラテン ビット」を録音していたグリーン、エイシア、ボボのリズムセクションも見事にカントリー独特の大らかさをジャズで表現してみせているのは、あいかわらずブルーノートの上手い所だ。

テキサスはスペイン植民地からメキシコ領となっていたのを、アメリカの開拓民によって力づくで独立。奴隷州として1845年合衆国28番目の州となっている。アラモ砦に立てこもった義勇軍がメキシコ、サンタ アナ将軍の軍によって玉砕された有名な戦いはその時のもの。

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