よしのおもちゃ箱 -1647ページ目
2010年07月25日 10時47分39秒

いったん完了

テーマ:日々是ネタ
ここ4ヶ月の間集中的に手掛けてきた作業が、今日いったん完了しました♪


まだまだ手直しなどの作業が残っていますし、4ヶ月後には同じ作業がはじまりますので完全に息が抜ける訳ではありませんが、少しだけ気が楽になりました。

これから、束の間だけですが、僕自身の時間がすごせそうです。

しかし机の上には、後回しにしてしまった物がたくさん積んであります。
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2010年07月24日 15時00分05秒

歴史なお話(江戸中期)・井伊直通死去

テーマ:歴史だってさ
宝永7年(1710)7月25日、彦根藩五代藩主・井伊直通が亡くなりました。


直通の父で四代藩主の井伊直興は子沢山で33人の子どもが居ましたがその殆どは早くに亡くなってしまいました。
直道はそんな直興の19番目の子どもになります。

直通を一言で表すなら“仁徳の君主”とでも言えば良いでしょうか?


多くの話が残っていますが、その人柄を一番語るエピソードは彦根城に初入城した時だと思います。

13歳で藩主の座を譲られた直通は、その殆どが江戸で過ごす事となりました。そして21歳の時に将軍の代替わりによる京都上使として江戸から京へ向かう途中で彦根城に立ち寄ったのです。
彦根城に入城した直通は家臣達の目も憚らずに大粒の涙を流して泣きはじめたのでした。
家臣の一人がその理由を請うと、直通は「先祖の武功によって、我が井伊家はこの城郭を賜ったのだ。
今、私は多くの領民に君主と仰がれているという幸わせを感じると、知らず知らずの内に涙が溢れ止める事が出来ない
」と口にしたそうです。


他にも・・・
贅沢を禁じ質素を旨としていて、食事は自身を空腹にして粗食でも美味しく食べれるようにしていた。

家法の壷を割った家臣が罰を受けようとしているのを耳にしてその罰の執行を中止させました、そして「壊れた物の為に人が罰を受けるのは無意味である」と口にした。

土木工事は家禄が高い家臣にやらせ、家禄が低い家臣の不満を柔らかくした。

などの美談を多く残しているのです。


しかし、残念な事に京都上使としてのエピソードを残した翌年に彦根で病没しました。享年22歳
直通は、長生きをしたならば父・直興にも負けないくらいの名君として彦根藩史に名前が残ったとも言われているので、若くして亡くなった事が残念がられている人物です。
2010年07月24日 12時37分53秒

夏仕様

テーマ:テーマ付日記
夏が来た!!」と思う瞬間 ブログネタ:夏が来た!!」と思う瞬間 参加中
本文はここから


信じられない話かもしれませんが…

我が家では、今日(7月24日)まで、居間にコタツがありました。

床はホットカーペットが敷かれたままでした…

コタツに布団が掛っていると、熱いとわかっていながらも足を入れてしまいます(汗)

そう、我が家はちょっとした観客の居ない我慢大会が行われていたのです。


「おいおい、今は土用で昨日が大暑(一年で一番暑い日)だぜ」なんて突っ込みすら聞こえてきそうな状態でしたが、ついにコタツが無くなり、床にはい草の敷物が敷かれました♪


そして書斎には新たに冷風機が加わったのです。


我が家では、クーラーは使いません。

扇風機団扇扇子が涼をとる方法なので、冷風機は奇跡の涼しさです♪


今、夏が来たーーーーーーーーーーーーーーーーー!!