戦国未来の戦国紀行

戦国未来の戦国紀行

明智光秀公について調査中 φ(゚ー゚*)フムフム_φ(。_。*)カキカキ

金銭的に活動の継続ができなくなりました。

頑張ってきたけど、悔しいけど、終了です。

今までありがとうございました。

さようなら。

・正親町天皇:坂東玉三郎
・今井宗久:陣内孝則
・摂津晴門:片岡鶴太郎
・覚恕法親王:春風亭小朝
・筒井順慶:駿河太郎
・二条晴良:小籔千豊
・朝倉景鏡:手塚とおる
・お市:井本彩花
・浅井長政:金井浩人
・足利義栄:一ノ瀬颯


 「麒麟がくる」新たなキャスト発表にあたって      
                   制作統括・落合将

8月30日から放送再開の「麒麟がくる」。後半戦の新たなキャストが決まりました!
正親町天皇役に、これがはじめてのテレビドラマ出演となる、歌舞伎界当代きっての女形、坂東玉三郎さんです。光秀や信長にとって雲の上の存在の美しき帝(みかど)を、大河ドラマというはじめてのステージで舞っていただく――どんな華麗な帝が現れるのか、今から楽しみでなりません。
それから、「太平記」以来の池端大河出演の陣内孝則さんと片岡鶴太郎さん。「太平記」とはまた違った個性の、癖のある役を演じていただきます。
帝の弟である天台座主覚恕に春風亭小朝さん。強大な比叡山の主として、光秀たちの前にたちはだかります。
後半戦の「麒麟がくる」は、大ベテラン、中堅、若手の個性豊かな新キャストに支えていただきます。
描かれるのは、光秀と信長がとびこむ京の本格的な政界です。
そこには老若男女さまざまな魑魅魍魎(ちみもうりょう)たちが跋扈(ばっこ)し、従来の室町幕府を守ろうと政治力で光秀たちに挑んできます。戦国時代を室町幕府の崩壊という新たな視点で描く大河ドラマ「麒麟がくる」。ついに物語はクライマックスに突入します!
新キャストの重厚な演技に囲まれた長谷川さん演じる光秀が、いかに困難を乗り越え、麒麟を探し求めていくのか、どうぞご期待ください!

https://www.nhk.or.jp/kirin/news/news_200814.html


『麒麟がくる』は2002年『利家とまつ〜加賀百万石物語〜』のような『明智光秀と煕子』になるのかと思っていたら、全く違った。『明智光秀が見た室町幕府の崩壊』であり、主人公であるはずの明智光秀の影が薄い回もあった。

 

室町幕府を描くなら、必要な登場人物は、

・天皇&公家:朝廷
・寺社勢力
・武士:武家政権

だ。(「中世は、武家・公家・寺社勢力の3権門が、「おしくら饅頭」をしている世界」という考え方を「権門体制論」という。)

「京~伏魔殿編」というタイトルの意味が分からない。京は地名で、伏魔殿は建物名だ。朝廷に絞って「京都御所~伏魔殿編」とするか、「京~魑魅魍魎が跋扈する都編」とするか。『麒麟がくる』の構成を知らないが、

・美濃国編

・越前国編

・京都編

・丹波国編

の四部構成か?
あとは、商人(立入隆佐)、文化人(茶:今井宗久、連歌:里村紹巴)といったところか。(最近のドラマでは、「水田中心史観批判」により、庶民(職人など)が結構重視される。)

 

 

小説『明智光秀幻視行』(全65話)

https://novelup.plus/story/695307463

 
【自己解題】

 『明智光秀幻視行』は、『明智軍記』の解説書です。ただ、『明智軍記』の解説は武将ジャパン様で連載中(現在、諸事情により休載中。いつの日にか、今とは違うライトな形(編集長曰く「10調べて10を書き、おまけに脱線もしていて分かりにくい。解読に時間がかかる(笑)。『明智軍記』に沿って2~3だけ書けば良い。全てを語らなければ、読者が調べる余地が残されるし、「この点はどうなの?」とコメントが入る」)で連載再開予定)なので、別の形「私と彼との旅行の紀行文」で書こうと思いました。

 解説文にしろ、紀行文にしろ、「A=Bである」と書いてしまいがちなので、読者の代表として彼氏に登場してもらい、私が「A=Bである」と言うと、彼氏に「そうだったんだ、知らなかった」とびっくりしてもらったり、「A=Cじゃないの?」と反論してもらったりしています。

 完全な紀行文は書けません。「Go to トラベルキャンペーン」の最中ではありますが、コロナ禍&金欠なので、実際には旅をしておらず、情景描写が出来ないからです。
 
 また、小説投稿サイトに「時代小説」として投稿していますが、実は「小説」ではありません。小説といえば、
①明智光秀の生涯を描いた時代小説(舞台は戦国時代)
②明智光秀に転生するファンタジー小説(舞台は戦国時代)
③明智光秀殺人事件(舞台は現代)
などが考えられます。たとえば③のプロットは、
「殺人事件が起きた。被害者の鞄からは『明智軍記』が発見され、全65話の1話に1ヶ所、地名に赤線が引かれていた。その65ヶ所、全てを回ると犯人が分かり、さらには『明智軍記』の作者と執筆意図が分かり、さらには明智埋蔵金のありかが分かる」
という、今、続編を製作中という『ナショナル・トレジャー』のような、65の山場がある連続活劇!

 繰り返しますが、『明智光秀幻視行』は、『明智軍記』の各話に登場する場所へ行って、私と彼氏で『明智軍記』を解説する解説書です。山場はもちろん、全体を通してのストーリー(たとえば、旅が4月1日の入社式に始まり、四季を通して旅をして、仲良くなって、翌年の3月14日にプロポーズされるとか)もありません。
 
 「桶狭間の戦い」に興味を持った人が、『明智軍記』の第7話を読み、さらに『明智光秀幻視行』の第7話を読んでくれればいいなと思っています。誰でも無料で読めます! ただ、面白ければ読んでいただけますが、面白くなければ、たとえ無料であっても、「時間の無駄」だとして読んでいただけないので、「起承転結のある短編小説」にはしたいですね。
 ・起:今回の旅先はAだと宣言。
 ・承:Aへ行く。
 ・転:Aで不思議な物を発見!
 ・結:その謎を解く。
たとえば、第5話では、最初に「密約をするならどこ?」と読者に投げかけ、最後になぜそんな質問をしたのか説明するという形式にしています。ということで、『明智光秀幻視行』は、「面白くてためになる65篇の短編小説集」を目指しています。
 
 
 
 
【ノベルアップ+】
 
(株)ホビージャパンが運営する小説投稿サイト。
読者が「応援ポイント」(無料)や「ノベラポイント」(有料)付きのコメントやスタンプを送ることで、好きな作品や作家を直接「応援」することができるサイト。
有料の「ノベラポイント」は、作者側に「貢献ポイント」として貯まり、付いてから1年後に消滅するが、1年以内なら換金できる。ようするに、クレジットカードでスタンプを購入してペタペタ貼ってくれれば、作者にお金が入るというシステムのサイト。

 

【『麒麟がくる』人物事典①】主人公・明智光秀(前半生)

【『麒麟がくる』人物事典②】主人公・明智光秀(後半生)

【『麒麟がくる』人物事典③】主人公・明智光秀(5エピソードと故地)

【『麒麟がくる』人物事典④】主人公の妻・妻木凞子

【『麒麟がくる』人物事典⑤】主人公の忠臣①・明智秀満(光春)

【『麒麟がくる』人物事典⑥】主人公の忠臣②・斎藤利三

【『麒麟がくる』人物事典⑦】斉藤道三

【『麒麟がくる』人物事典⑧】斉藤道三、土岐頼芸を追放(『信長公記』)

【『麒麟がくる』人物事典⑨】斉藤道三、敗死(『信長公記』)

【『麒麟がくる』人物事典⑩】織田信長の出自(『信長公記』)

【『麒麟がくる』人物事典⑪】織田信長、足利義昭と上洛(『信長公記』)

【『麒麟がくる』人物事典⑫】明智光秀、織田信長と出会う(『翁草』)

【『麒麟がくる』人物事典⑬】明智光秀の21人の子供たち

【『麒麟がくる』人物事典⑭】Wikipediaの「明智孫十郎」

【『麒麟がくる』人物事典⑮】細川藤孝(長岡藤孝、幽斎、玄旨)

【『麒麟がくる』人物事典⑯】斎藤道三の娘・濃姫(織田信長の正室)

【『麒麟がくる』人物事典⑰】美濃土岐氏盛衰記

【『麒麟がくる』人物事典⑱】主人公の娘・細川ガラシャ

【『麒麟がくる』人物事典⑲】細川藤孝の異母兄・三淵藤英

【『麒麟がくる』人物事典⑳】「明智四天王」の1人・藤田行政

【『麒麟がくる』人物事典㉑】斎藤義龍の生母・深芳野

【『麒麟がくる』人物事典㉒】明智光秀の母・牧

【『麒麟がくる』人物事典㉓】明智光秀の叔父・明智光安

【『麒麟がくる』人物事典㉔】Wikipediaの「明智光慶/南国梵桂

【『麒麟がくる』人物事典㉕】明智晴光/玄琳

 

【『麒麟がくる』ストーリー①】NHKはチャレンジャーだ!

【『麒麟がくる』ストーリー②】司馬史観と『麒麟がくる』のストーリー予想

【『麒麟がくる』ストーリー③】「明智光秀の出自」考

【『麒麟がくる』ストーリー④】明智光秀の就活

【『麒麟がくる』ストーリー⑤】「天下」考 -「本能寺の変」の動機-

【『麒麟がくる』ストーリー⑥】美濃編の出演者

【『麒麟がくる』ストーリー⑦】真の人物像(1)

【『麒麟がくる』ストーリー⑧】真の人物像(2)

 

【『麒麟がくる』系図研究①】「土岐系図」と「明智系図」

【『麒麟がくる』系図研究②】『明智氏一族宮城家相伝系図書』

【『麒麟がくる』系図研究③】『系図纂要』74「明智」

【『麒麟がくる』系図研究④】『土佐諸家系図』「明智系図」

【『麒麟がくる』系図研究⑤】『明智氏血脈山岸家系図書』

【『麒麟がくる』系図研究⑥】舟木氏系図

【『麒麟がくる』系図研究⑦】『喜多村家伝』「明智家譜」「明智系図」

【『麒麟がくる』系図研究⑧】家系図で解く明智光秀の出自

【『麒麟がくる』系図研究⑨】「明智光秀の出自」(9説)

 

【『麒麟がくる』紀行①】明智光秀のゆかりの地

【『麒麟がくる』紀行②】明智滝朗『光秀行状記』

【『麒麟がくる』紀行③】塩見弥一『明智光秀ゆかりの地を訪ねて』

【『麒麟がくる』紀行④】信原克哉『明智光秀と旅』

【『麒麟がくる』紀行⑤】牛久保城(豊川市)

【『麒麟がくる』紀行⑥】明智城(恵那市)

【『麒麟がくる』紀行⑦】明智長山城(可児市)

【『麒麟がくる』紀行⑧】多羅城(大垣市)

【『麒麟がくる』紀行⑨】妻木城(土岐市)

【『麒麟がくる』紀行⑩】高屋館(瑞浪市)

【『麒麟がくる』紀行⑪】白山神社(山県市)

【『麒麟がくる』紀行⑫】堂洞城(美濃加茂市)

【『麒麟がくる』紀行⑬】十兵衛屋敷と明智丸(犬上郡)

【『麒麟がくる』紀行⑭】産湯の井戸と墓(山県市)

【『麒麟がくる』紀行⑮】庵の庭(山県市)

【『麒麟がくる』紀行⑯】山岸氏の桂郷(揖斐川郡)

【『麒麟がくる』紀行⑰】福井旅①一乗谷
【『麒麟がくる』紀行⑱】福井旅②一乗谷から明智神社へ
【『麒麟がくる』紀行⑲】福井旅③明智神社(あけっつぁま)
【『麒麟がくる』紀行⑳】福井旅④称念寺

 

【『麒麟がくる』関連サイト①】明智光秀関連サイト

 

【『麒麟がくる』関連本①】関連本リスト(2018年秋版)

【『麒麟がくる』関連本②】私見・明智本ベスト10(2018年秋版)

【『麒麟がくる』関連本③】橋場日月『明智光秀 残虐と謀略』

【『麒麟がくる』関連本④】明智憲三郎『光秀からの遺言』

【『麒麟がくる』関連本⑤】藤堂裕『信長を殺した男』

【『麒麟がくる』関連本⑥】明智憲三郎『本能寺の変 431年目の真実』

【『麒麟がくる』関連本⑦】『美濃国諸旧記』

【『麒麟がくる』関連本⑧】『明智軍記』

【『麒麟がくる』関連本⑨】『歴史街道』2017年11月号

【『麒麟がくる』関連本⑩】垣根涼介『光秀の定理(レンマ)』

【『麒麟がくる』関連本⑪】司馬遼太郎『国盗り物語』

【『麒麟がくる』関連本⑫】諸田玲子『帰蝶』

【『麒麟がくる』関連本⑬】2018.11.28の本箱

【『麒麟がくる』関連本⑭】『江侍伝聞録』『淡海温故録』

【『麒麟がくる』関連本⑮】柴裕之編著『図説 明智光秀』

【『麒麟がくる』関連本⑯】『信長公記』

【『麒麟がくる』関連本⑰】宮下英樹『センゴク一統記』

【『麒麟がくる』関連本⑱】『備前老人物語』本能寺の変

【『麒麟がくる』関連本⑲】『武功夜話』

【『麒麟がくる』関連本⑳】金子拓『信長家臣明智光秀』

【『麒麟がくる』関連本㉑】井上慶雪『本能寺の変 生きていた光秀』

【『麒麟がくる』関連本㉒】子供向けの本

【『麒麟がくる』関連本㉓】明智本2019-2020

【『麒麟がくる』関連本㉔】桐野作人『明智光秀と斎藤利三』

【『麒麟がくる』関連本㉕】光秀異聞『鹽尻』

【『麒麟がくる』関連本㉖】光秀異聞『若州観跡録』

 

【『麒麟がくる』講演会①】田中豊氏講演会 in 多良(2018.11.3)

【『麒麟がくる』講演会②】呉座勇一「陰謀の中世日本史」(2019.9.23)
【『麒麟がくる』講演会③】小和田 哲男「明智光秀の 実像に迫る」

 

【『麒麟がくる』関連ドラマ・演劇①】関連ドラマ・演劇一覧

【『麒麟がくる』関連ドラマ・演劇②】『明智光秀』

【『麒麟がくる』関連ドラマ・演劇③】『胡蝶綺』

 

【『麒麟がくる』関連コラム①】月のさびゆく今宵 明智が妻の話せむ

【『麒麟がくる』関連コラム②】新史料① 金西寺「當寺御開山御真筆」

【『麒麟がくる』関連コラム③】新史料② 『針薬方』奥書

【『麒麟がくる』関連コラム④】明智家の家紋は「水色桔梗」?

【『麒麟がくる』関連コラム⑤】土地勘

【『麒麟がくる』関連コラム⑥】坂本龍馬は明智光秀の子孫か?

【『麒麟がくる』関連コラム⑦】明智光秀の辞世の解釈

【『麒麟がくる』関連コラム⑧】明智光秀伝

【『麒麟がくる』関連コラム⑨】明智光秀の生誕地を文献調査で比定

【『麒麟がくる』関連コラム⑩】明智氏の本貫地

【『麒麟がくる』関連コラム⑪】2018年9月、『麒麟がくる』が加熱化

【『麒麟がくる』関連コラム⑫】明智光秀の流浪

【『麒麟がくる』関連コラム⑬】明智光秀の故地は・・・

【『麒麟がくる』関連コラム⑭】これって大河効果じゃないの?

【『麒麟がくる』関連コラム⑮】土岐明智氏の領知の変遷

【『麒麟がくる』関連コラム⑯】光秀異聞「光秀は遠山氏!?」

【『麒麟がくる』関連コラム⑰】光秀異聞「光秀は進士氏!?」

【『麒麟がくる』関連コラム⑱】光秀異聞「光秀は妻木氏!?」

【『麒麟がくる』関連コラム⑲】光秀異聞「明智光秀は近江国生まれ?」

【『麒麟がくる』関連コラム⑳】岐阜県大垣市上石津町多良のこと

【『麒麟がくる』関連コラム㉑】新史料③ 柴田勝家書状

【『麒麟がくる』関連コラム㉒】明智光秀は老坂で何と叫んだか?

【『麒麟がくる』関連コラム㉓】明智埋蔵金伝説

【『麒麟がくる』関連コラム㉔】菅沼氏は土岐島田氏なのか?

【『麒麟がくる』関連コラム㉕】最後の沼田藩主・土岐頼知

【『麒麟がくる』関連コラム㉖】丹波と言えば・・・

【『麒麟がくる』関連コラム㉗】妻木照子

【『麒麟がくる』関連コラム㉘】3/19 今日は何の日?

【『麒麟がくる』関連コラム㉙】明智光秀の影武者

【『麒麟がくる』関連コラム㉚】『愛宕百韻』

【『麒麟がくる』関連コラム㉛】若き日の明智光秀

【『麒麟がくる』関連コラム㉜】信長の花押が「麟」でない証拠

【『麒麟がくる』関連コラム㉝】「天下布武」の「天下」とは?

【『麒麟がくる』関連コラム㉞】『土岐定政伝』

【『麒麟がくる』関連コラム㉞】明智光秀の母(八切止夫説)

 

2020年NHK大河ドラマ『麒麟がくる』(全44話)視聴記録

 

第1回 「光秀、西へ」(2020.1.19)

第2回 「道三の罠」(2020.1.26)

第3回 「美濃の国」(2020.2.2)

第4回 「尾張潜入指令」(2020.2.9)

第5回 「伊平次を探せ」(2020.2.16)

第6回 「三好長慶襲撃計画」(2020.2.23)

第7回 「帰蝶の願い」(2020.3.1)

第8回 「同盟のゆくえ」(2020.3.8)

第9回 「信長の失敗」(2020.3.15.)

第10回 「ひとりぼっちの若君」(2020.3.22)

第11回 「将軍の涙」(2020.3.29)

第12回 「十兵衛の嫁」(2020.4.5)

第13回 「帰蝶のはかりごと」(2020.4.12)

第14回 「聖徳寺の会見」(2020.4.19)

第15回 「道三、わが父に非(あら)ず」(2020.4.26)

第16回 「大きな国」(2020.5.3)

第17回 「長良川の対決」(2020.5.10)

第18回 「越前へ」(2020.5.17)

第19回 「信長を暗殺せよ。」(2020.5.24)

第20回 「家康への文」(2020.5.31)

第21回 「決戦!桶狭間」(2020.6.7)


総集編(1)「旅立ち」(2020.8.9)
総集編(2)「動乱」(2020.8.16)
総集編(3)「誇り高く」(2020.8.23)

 

第22回 「」(2020.8.30)

第23回 「」(2020.)

第24回 「」(2020.)

第25回 「」(2020.)

第26回 「」(2020.)

第27回 「」(2020.)

第28回 「」(2020.)

第29回 「」(2020.)

第30回 「」(2020.)

第31回 「」(2020.)

第32回 「」(2020.)

第33回 「」(2020.)

第34回 「」(2020.)

第35回 「」(2020.)

第36回 「」(2020.)

第37回 「」(2020.)

第38回 「」(2020.)

第39回 「」(2020.)

第40回 「」(2020.)

第41回 「」(2020.)

第42回 「」(2020.)

第43回 「」(2020.)

第44回 「」(2020.)

 

 

【note版】戦国紀行 『明智軍記』を読む。

 ※「案内」(入門編)&概要(解説)&原文・現代語訳

第1巻
01案内 概論 美濃国守護事付明智入道宗宿事
02案内 概論 従越前鎮賀州之一揆事

03案内 概論 明智光秀鉄砲誉事付諸国勘合事
04案内 概論 朝倉義景永平寺参詣事付城地事
05案内 概論 北海舟路事付根挙松事
06案内 概論 足利将軍家長物語事
第2巻
07案内 概論 織田信長公由来事付尾州平均事
08案内 概論 秀吉公立身之事
09案内 概論 信長公妹被嫁浅井事付斎藤龍興落居事
10案内 概論 従織田殿被招明智事
11案内 概論 北伊勢軍事付神戸納得並長野事
第3巻
12案内 概論 義昭公濃州御移事
13案内 概論 信長公江州発向事付勢汰事
14案内 概論 箕作落城事付佐々木城城開退事
15案内 概論 信長公奉伴義昭公上洛事付三好党退散事
16案内 概論 三好一族将軍御館攻事付被築二条城事
17案内 概論 今川氏真没落事付伊勢国司事並参宮事
18案内 概論 信長朝臣越前敦賀郡出馬事
19案内 概論 箕作承禎近江退去事付姉川合戦事
第4巻
20案内 概論 摂津国野田福島大坂等攻寄事
21案内 概論 義景信長公江州滋賀郡対陣事
22案内 概論 因噯織田朝倉帰国事
23案内 概論 就尾州長島一揆寄手失利事
24案内 概論 叡山破滅事付討捕和尒越後守事
25案内 概論 信長公被問明智軍鑑事付畠山事
26案内 概論 北近江度度働事付自遠州註進事
第5巻
27案内 概論 将軍被擬誅信長公付堅田城攻落事 
28案内 概論 朝倉郎等降参事付足利公方滅卻事
29案内 概論 西近江被下明智事付朝倉義景出張事
30案内 概論 越前勢自近江退口敗軍事
31案内 概論 信長公越前進発事付義景自害事

32案内 概論 小谷之浅井滅亡事
33案内 概論 三好左京太夫義継自害事
第6巻
34案内 概論 武田勝頼東美濃押領事付前波註進事
35案内 概論 織田一類官位事付大坂本願寺軍事
36案内 概論 上野平井並周防山口古跡事
37案内 概論 長島一揆納得軍付織田勢被討落人事
38案内 概論 丹波国賜惟任日向守事付過部城攻落事
39案内 概論 於参州長篠勝頼敗北事
40案内 概論 荒木山城守降参事付信長公御咄事
第7巻
41案内 概論 越前国一揆蜂起事付所所構新城事
42案内 概論 一向宗族徒誅伐事付柴田勝家越前守護事
43案内 概論 濃州岩村落城事付信忠朝臣御家督事
44案内 概論 信長公御居城被定江州安土事付天守事
45案内 概論 本願寺為退治天王寺拵陣城事
46案内 概論 若州賜惟住五郎左衛門尉事付逸見事
47案内 概論 紀州出陣事付勝家北国追討事
第8巻
48案内 概論 松永弾正叛逆事付奇物燒亡事
49案内 概論 筒井順慶猶子事付播州軍事並波多野事
50案内 概論 丹後国賜藤孝事付丹波鬼ヶ嶽落城事 
51案内 概論 光秀息女縁辺被仰付事付柴田源左衛門
52案内 概論 丹波国八幡合戦事付赤井悪右衛門討死事
53案内 概論 信長公旧臣等被改易事付稲葉郎等事
54案内 概論 於京都馬揃事付国々退治事
第9巻
55案内 概論 甲州武田断絶事付光秀失面目事
56案内 概論 惟任日向守企謀叛事
57案内 概論 光秀諸勢丹波遣事付於愛宕山連歌事
58案内 概論 本能寺並二条城攻落事
59案内 概論 安土城以下開退事付光秀京都政務事
第10巻
60案内 概論 不仁之人者天罰不逃事
61案内 概論 織田七兵衛被殺事
62案内 概論 城州山崎合戦事
63案内 概論 明智日向守最期事付光慶病死事
64案内 概論 藤田伝五並明智治右衛門自害事
65案内 概論 光秀公北方同一族等自害事付秀吉公治世

 「四国一の弓取り」と呼ばれた長宗我部元親は、「海道一の弓取り」と呼ばれた今川義元を破って以降、破竹の勢いの織田信長と手を組んだ方がいいと思い、嫡男の元服に当たって、烏帽子親を、明智光秀を取次として、織田信長に申し込んだ。この時の使者は、無名の下級武士・中島可之介である。家老衆は反対したが、長宗我部元親は、「此の可之介と申すは、背高く、色白く、勇気ありて烈(はげ)しからず、朝に武を勤め、夕には文を学び、和歌に心を寄せ、優にやさしき若者なり」(見た目が良いし、教養もあるので使者には最適)として大抜擢した。(この賛辞、「可之介」を「明智光秀」に替えても違和感がない!)
 中島可之介は尾張国へ行き、織田信長に会うと、四国の戦況を聞かれたので、「連戦連勝。向かうところ敵なしです」と言うと、信長卿、莞爾(かんじ)と笑わせ給ひ、
「元親は『無鳥島の蝙蝠』なり」
と仰せければ、可之介、謹みて、
「『蓬莱宮のかんてん』に候」
とぞ答ひける。信長卿、
「当座即妙の返答使なるかな」
と、大に御成賞あり。烏帽子親を引き受け、元服式の祝を与えて、可之介をかえした。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3441712/180

 

 

「無鳥島の蝙蝠」
「蓬莱宮のかんてん」

の意味は分かりますか?

 

 「無鳥島の蝙蝠」は諺で、「無鳥里の蝙蝠」ともいいます。意味は「鳥がいない場所では、コウモリが我が物顔で飛んでいる(天を制している)。転じて、強い者がいない場所では、弱い者でもやりたい放題である」です。よく使う「里」の方ではなく、「島」の方を選んだのは、「四国」を「無鳥島」に例えているからでしょう。それで、多くの方が、この会話を、

 

織田信長「さすが「四国一の弓取り」と呼ばれるだけあって、連戦連勝とは、お強い。だが、所詮は「無鳥里の蝙蝠」である(四国には強敵がいないので勝てるだけだ)」
中島可之介「そんなことはありません。我が主君は『蓬莱宮のかんてん』(偉大な人物)です」

 

と訳しておられるが、織田信長に反論すれば、織田信長は気分を悪くして、烏帽子親を引き受けてくれません。中島可之介は、使者の役目を果たせず、切腹させられるでしょう。ここは、織田信長が長曾我部元親を褒めた→中島可之介はそれ以上の賛辞で織田信長を褒めた→織田信長は気分良くなり、烏帽子親を引き受けた、という流れのはずです。

 私の訳は、

 

織田信長「さすが「四国一の弓取り」と呼ばれるだけあって、連戦連勝とは、お強い。文字通りの「無鳥里の蝙蝠」である(四国には強敵が多いが、長宗我部元親の強さは突出している)」
中島可之介「ありがとうございます。とはいえ、織田信長様も「海道一の弓取り」と呼ばれた今川義元を倒しただけあって、お強い。私には「熱田の宮の唐の玄宗皇帝」に見えます」

 

です。

 「蓬莱宮」は、白居易「長恨歌」(楊貴妃と唐の玄宗皇帝の恋愛物語)に出てくる言葉で、「蓬が島」と呼ばれた熱田の「熱田神宮」を指します。唐の玄宗皇帝が日本を制服しようとした時、日本の神々が集まって相談し、「熱田大神に絶世の美人(楊貴妃)に化けてもらい、玄宗皇帝をたぶらかして、日本征服を忘れさせよう」ということになりました。なぜ熱田大神が選ばれたのかは不明です。そもそも熱田大神の正体は、熱田神社が「神宮」号を得るために「ご神体・草薙剣を依代とする天照大神」に変えられましたが、本来は、スサノオだとか、尾張氏の祖神・ニギハヤヒだとか言われていますが、日本武尊だとする説の支持者が多いです。もしそうだとすると、日本武(やまとたける)尊は16歳の時、美少女に化けて熊襲武(くまそたける)を倒してますので、選ばれたのでしょう。

 この作戦は成功し、熱田大神(楊貴妃)は、日本に帰ってきました。「長恨歌」にあるように、楊貴妃の事を忘れられない玄宗皇帝が、方士に探させると、「蓬莱宮にいる」ということが分かりました。この蓬莱宮が熱田神宮です。「かんてん」とは、「漢天」=漢の天子です。「漢の天子ではなく、唐の皇帝では?」と言われそうですが、「長恨歌」は、当時の政権に配慮して、「唐の玄宗皇帝」ではなく、「漢家天子」(漢の武帝)としているのです。(一説に「長恨歌」は、当時の政権を批判する漢詩だそうです。)

 ─蓬莱宮=熱田宮だとして、なぜ織田信長は玄宗皇帝なのか?

 

 織田信長は、熱田神宮で戦勝祈願した後、桶狭間に向かい、今川義元と向かい合いました。この時、織田信長の背中から、今川義元の顔に向けて、つまり、熱田神宮の方向から、巨木をも倒す暴風雨が吹いてきました。こうして、織田信長は、今川義元を倒し、その織田軍は「疾風陣」、織田信長は「雨将軍」と呼ばれました。織田信長は、熱田神宮の御祭神・楊貴妃(熱田大神)に味方してもらった、愛されたのです。「楊貴妃に愛されたということは、玄宗皇帝の生まれ変わりである証拠である」と中島可之介が言ったので、織田信長は、気分がよくなり、長宗我部元親の嫡男の烏帽子親を引き受けたのです。

 

 「無鳥里の蝙蝠」と言われたら、私なら「◯◯島の◯◯(鳥の名)」と答えます。例えば「蓬莱島の鳳凰」。「蓬莱島」は熱田の別称「蓬が島」のことです。巨大な亀で、甲羅の上に蓬莱山(断夫山)と蓬莱宮(熱田神宮)があります。鳳凰は「鳥の長」ですから、鳳凰以上の鳥はいません。(ちなみに「獣の長」は、ライオンではなく麒麟(ユニコーン)です。)鳳凰は徳のある場所に降り立ち、麒麟は仁のある場所に駆け来る。ただし、鳳凰は桐の木にしか止まりません。武士が桐紋を好んだのは、天皇家の紋(「凰」は「天皇」の「皇」に通ず)であるからでしょうけど、「(天皇のように)徳治政治を行い、鳳凰を呼びたい」という意味もあるのでしょう。また、織田信長は、平氏を自称し、「織田蝶丸紋」を用いました。「アゲハチョウ」は、漢字で「鳳蝶」と書きます。「鳳」は「鳳凰」、「蝶」は「鳥」に通じます。ただ、この家紋の意味は、徳治政治云々ではなく、不死鳥(フェニックス)の「再生」です。ちなみに、織田氏は平氏ではなく、越前国二宮・劔神社(福井県丹生郡越前町織田)の世襲神主家です。劔神社の主祭神は、劔大神・素盞嗚尊で、気比大神・伊奢沙別命(日本武尊の子)、劔御子・忍熊王(日本武尊の孫)を配祀しています。
https://www.tsurugi-jinja.jp/

 

★『土佐物語』のこの話は創作です。「織田信長の上洛以前」とありますが、長宗我部元親の嫡男の元服は、「織田信長の上洛後」の天正6年(「本能寺の変」の4年前)で、織田信長は尾州(尾張国。蓬莱宮があるので「蓬州」ともいう)には住んでいません。

 

 

【参考】作者不詳『曽我物語』(巻2)「玄宗皇帝の事」
 しかれば、飽かぬ北の御方の御名残りは、玄宗皇帝、楊貴妃と申せし后、安禄山戦の為に、夷(えびす)に下し給ふ。御思ひの余りに、蜀(しよく)の方士を遣はし給ふ。方士、神通にて、一天三千世界を尋ね回り、太真苑(たいしんゑん)に至る。蓬莱宮(ほうらいききゅう)これなり。ここに来たつて、玉妃に会ひぬ。この所に至りて見れば、浮雲(ふうん)重なり、人跡(じんせき)の通ふべき所ならねば、簪(かんざし)を抜きて、扉(とぼそ)を叩く。双鬟(さうくわん)童女(どうにょ)二人出でて、「しばらくこれに待ち給へ。玉妃は、大殿籠(おおとのごも)れり。ただし、いづくより、如何なる人ぞ」と問ふ。「唐の太子の使ひ、蜀の方士」と答へければ、内に入りぬ。時に、雲海沈々(ちんちん)として、洞天(とうてん)に日暮れなんとす。悄然(せうぜん)として、待つところに、玉妃(ぎよくひ)出で給ふ。これ、即(すなは)ち楊貴妃なり。右左の女、七、八人。方士、揖(いつ)して、皇帝、安寧を問ふ。方士、細かに答ふ。言ひ終をはりて、玉妃、証(しるし)とや、簪を分きて、方士に賜たぶ。その時、方士、「これは、世の常にある物なり。支証に立たず。叡覧に備へ奉らんに、如何なる密契かありし」。玉妃、暫く案じて、「天宝14年の秋7月7日の夜、『天にありて、願はくは比翼の鳥、地にありて、願はくは連理の枝、天長地久にして、尽くる事なからん』と、知らず、奏せんに、御疑ひあるべからず」と言ひて、玉妃去りぬ。方士、帰り参りて、皇帝に奏聞す。「さる事あり、方士、誤りなし」とて、飛車に乗り、我が朝(ちょう)、尾張の国に天下り、八剣(やつるぎ)の明神と顕れ給ふ。楊貴妃は、熱田の明神にてぞ渡らせ給ひける。蓬莱宮、即ちこの所とぞ申まうす。
(【大意】 楊貴妃のことを忘れられない唐の玄宗皇帝は、蜀の方士に探させた。方士は、太真苑=蓬莱宮(熱田神宮)で楊貴妃に会った。方士が「玄宗皇帝に報告する。証拠が欲しい」と言うと、楊貴妃は簪の一部を与えた。方士が「これはよくある物。玄宗皇帝と楊貴妃の2人だけしか知らない密約を知りたい」と言うと、楊貴妃は、天宝14年(755年)7月7日、「天にありて、願はくは比翼の鳥、地にありて、願はくは連理の枝、天長地久にして、尽くる事なからん」と約束したことを教えた。方士は唐に帰り、玄宗皇帝に簪を渡し、七夕の夜の密約を聞いたと報告すると、玄宗皇帝は「楊貴妃に間違いない」として、熱田に来て、熱田神宮別宮・八剣宮の御祭神となった。)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/877589/38

 

■東三河から熱田へ

 

「徳川家康の自立」の時期
https://note.com/senmi/n/n4ef12758ff28

牛久保戦国紀行
https://note.com/senmi/n/neba0de9bdf96

牧野氏について
https://note.com/senmi/n/n5f636af3fc75

 

徐福と秦氏
https://note.com/senmi/n/n4af098edd8f5

 

白居易「長恨歌」

https://note.com/senmi/n/n304c495f1032

 

熱田大神=楊貴妃!?

https://note.com/senmi/n/n8363ee7bdce3

 

熱田神宮の御祭神はどなた?
https://note.com/senmi/n/n4941867405cc

 

『土佐物語』「長宗我部弥三郎実名の事」
https://note.com/senmi/n/n11854df06fc5#TmXAJ

 

「本能寺の変」の真相★高島孫右衛門『元親記』
https://note.com/senmi/n/nae376f7ffb37

 

斉藤高政と秦始皇帝
https://note.com/senmi/n/ncbd8f3f9190e

 

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「講演会」ではなくう、「ラジオ講座」ですが・・・汗;

 

歴史再発見 NHK カルチャーラジオ

「明智光秀の 実像に迫る」

講師:小和田 哲男(静岡大学名誉教授)

 

ラジオ第2 毎週火曜 午後8時30分 ~ 午後9時00分

再放送 毎週火曜 午前10時 ~ 午後10時30分

https://www4.nhk.or.jp/P1927/

 

・第1回(3/31)「明智光秀とは 何者か」

明智光秀に関してはこれまで資料が少なく主人に謀反した悪者というマイナスイメージが持たれてきましたが、近年の新資料の発見で従来とは違う新しい明智光秀像が見えてきました。NHK大河ドラマ『麒麟がくる』で時代考証担当の小和田哲男さんが明智光秀の実像に迫るシリーズ初回は、今なぜ明智光秀なのか、そして光秀が生きた同時代人の記録から浮かび上がる光秀とは何者なのかをお話し頂きます。

 

昨日から始まりました。

聞き逃した方は、再放送で聞くか、ストリーミング(2020年5月27日(水) 午後3:00まで配信)で聞くかです。(NHKは、TVは有料ですが、ラジオは無料ですよ!)

https://www4.nhk.or.jp/P1927/28/

 

・第2回(4/7)「光秀の生年・出生地に諸説」

明智光秀に関しての生年と出生地については、現在、いくつかの説が存在しています。生年に関しては1516年、1528年、1540年とする3説です。出生地については、現在の地名で岐阜県の可児市、恵那市、山県市、大垣市、そして滋賀県の多賀町とする5説があります。今回は、明智光秀の生年・出生地に関する諸説を解説すると共に最も有力な説とするその根拠についてお話し頂きます。

 

・第3回(4/14)「各種『明智系図』と光秀」

明智光秀の家系とはどのようなものだったのでしょうか。明智氏は、清和天皇から続く清和源氏系統の一つで、美濃を支配していた有力な守護、土岐氏から途中で分かれたと言われています。今回は、現存するいくつかの明智系図から、光秀に至るまでの家系をたどることにより光秀の父は一体誰なのか、おじの光安との関係についてなど系図を通してその生い立ちとおかれていたポジションを考察します。

 

・第4回(4/21)「斎藤道三と光秀の関係とは」

京都の修行僧から油売りを経て、美濃の戦国大名になったといわれる斎藤道三。娘・帰蝶と光秀がいとこ関係にあったことから考え、光秀は戦の仕方や人の上に立つ者のつとめを道三から習った可能性があるといいます。しかし2人の関係は早くに断たれてしまいました。今回は、斎藤家の思わぬ歴史が浮き彫りとなった新資料の発見をはじめ、道三と光秀の関係が終わった理由についてお話し頂きます。

 

・第5回(4/28)「越前時代の光秀を探る」

斎藤道三と息子義龍が戦った「長良川の戦い」(1556年)で道三が討ち死に。道三側についていた光秀は、土岐氏・斎藤氏と姻戚関係にあった朝倉氏を頼って越前へ逃れました。光秀はすぐに朝倉氏に仕えたと伝えられてきましたが、新たな資料が出てきたことにより、その前に「空白の10年間」があることがわかりました。光秀はその間何をしていたのか?今回は、新資料をもとにその謎を探ります。

 

・第6回(5/5)「光秀と足利義昭・細川藤孝との接点」

斎藤道三と息子義龍が戦った「長良川の戦い」(1556年)で道三が討ち死に。道三側についていた光秀は、土岐氏・斎藤氏と姻戚関係にあった朝倉氏を頼って越前へ逃れました。光秀はすぐに朝倉氏に仕えたと伝えられてきましたが、新たな資料が出てきたことにより、その前に「空白の10年間」があることがわかりました。光秀はその間何をしていたのか?今回は、新資料をもとにその謎を探ります。

 

・第7回(5/12)「織田信長の上洛と光秀」

天下布武を掲げ全国統一をめざす信長は、室町幕府再興をはかる足利義昭を擁立して上洛します。この二人の橋渡し役をつとめたのが光秀でした。義昭の家臣だった光秀は、信長の妻・帰蝶といとこの間柄でした。15代将軍の座についた義昭は、堺・草津・大津を信長に与えます。これが信長飛躍のきっかけになります。今回は、信長の上洛の前後で、光秀との関係がどう変わったのか、お話し頂きます。

 

・第8回(5/19)「光秀の義昭・信長「両属」時代」

信長は行政を円滑に進めるため京都奉行を配置、その一員に光秀を抜擢しました。光秀は義昭の家臣であると同時に信長の家臣になったのです。将軍義昭は自分が全権を握ると思っていましたが、信長に実権を握られ不満をもちます。今回は、義昭と信長の関係が悪化する原因となった出来事、信長が武将としての光秀の力を認めることとなった越前朝倉攻めなどについて、お話し頂きます。

 

・第9回(5/26)「信長が光秀を抜擢したのはなぜか」

武士の身分としては上級でなかった光秀ですが、実力本位・能力主義を貫く「信長流人事」のもと、坂本城を与えられ「一国一城の主」となります。信長が光秀を第一の功労者と認めたのがあの比叡山延暦寺の焼き討ちだったといいます。今回は、近年発見された延暦寺攻めに関する新資料などをもとに、信長が光秀のどのような能力を評価していたのか、いくつかの観点から探っていきます。

 

・第10回(6/2)「光秀が義昭を見限ったのはいつか」

将軍義昭の家臣であり、信長の家臣でもあった光秀。信長の排除に動く義昭の前途に不安を抱くようになります。光秀が義昭の側近に宛てた手紙には「おいとまをいただきたい」と記されていましたが、年月日がなく、いつ書かれたものか定かではありません。今回は、義昭が信長を倒すために手を組んだ武田信玄の動きをひとつのヒントに、光秀がどの時点で義昭と手を切ったのかを考えます。

 

・第11回(6/9)「光秀の丹波攻めと攻略後の民政」
信長が将軍義昭を追放したことで、幕府に従っていた丹波の大名たちが信長に対して反旗を翻す動きを見せます。そこで信長から丹波攻めの総大将を命ぜられたのが光秀でした。光秀は難攻不落の丹波を攻め落とし賞賛されます。今回、光秀がどのようにして丹波を攻略したのか探るとともに、のちに丹波一国を与えられた光秀が行った“領民に優しい国づくり”についてお話し頂きます。

 

・第12回(6/16)「「本能寺の変」に至る光秀と信長」

信長による足利義昭追放のあと、光秀の政治的立場はどうだったのでしょうか?信長家臣の中でも有能な光秀は「近畿管領」といわれる要職に就きまました。さらに、信長が京都で行った大規模な軍事パレード「京都御馬揃え」では、総指揮に抜擢されます。これは「お前が家臣の中で一番だ」と言われたに等しいことだったといいます。今回は、本能寺の変に至る光秀についてお話し頂きます。

 

・第13回(6/23)「「本能寺の変」をめぐる諸説」

なぜ光秀は主君である信長を討ったのか。謀反の真相をめぐり、今までさまざまな推測がされてきました。信長に対する恨みが原因という「怨恨説」、光秀が天下取りを狙ったという「野望説」、誰かが陰で糸を引いたとされる「黒幕説」。他にも、最近の研究から新たな推測も浮かび上がっています。今回は、そうした諸説を一つ一つ掘り下げながら、その推測が成り立つかどうか考えていきます。

 

・第14回(6/30)「「本能寺の変」の真相」

光秀謀反の真相に近づくためには、「本能寺の変」が起きる直前の1年間を注視することが重要といいます。その間、信長は朝廷に対して口出ししたり、高官に暴言を吐いたり、恵林寺の国師を焼殺したりしました。傲慢な振る舞いを重ねる信長のことを光秀はどうみていたのでしょうか?近年発見された「石谷家文書」などをもとに、光秀謀反の原因について考えます。

 藤堂和泉守高虎が夜談の折に、「明智日向守光秀は、織田殿に登庸せられて、はてには大逆に及べり。光秀が罪、申までもなけれど、信長のかゝる凶人を知らで用ひられしは、その過失なり」といふを聞給ひ、「そは信長が悪しきにあらず。明智がよからぬなり」と仰られしは、君臣の名分を正しうせられ、「たとひ君きみたらずとも、臣その道を失ふまじ」と思ひ召しての御事なるべし。」(『寬元聞書』)

 

※藤堂高虎は、「明智光秀は、織田信長に登用された恩を忘れ、暗殺した。明智光秀が悪いに決まっているが、そういう狂人を側に置いていた織田信長も悪い」というので、「織田信長は悪くない。明智光秀が悪い」と正した。「君、君たらずとも、臣、臣たり」(主君が暗愚であっても、家臣は道を外してはならない)である。

 


 古今武將の上を様々評論ありし時、「近き世にては、織田信長ほど優れて、猛勇なるはなし。されどたゞ人の己に従ふ事のみを好みて、人に仕ふる事を好まず。故に思ひの外の災も出こしなり。東照宮の古今に優れ給ひしは、よく此の処をわきまへ給ひて、強弱その度に適い、かつ、人の才能あるをそれぞれ見分けて使はせられし故、天下の大業を成就し給ひしなり」と御物語りあり。(『天平将士美談』)

 

※優れた武将として、まず思いつくのは織田信長であるが、彼は自分の意見を押し通して、他人の意見を聞かなかったので、思わぬ災難にあった。徳川家康が優れているのは、その点よくわきまえて、適材適所で登用したので、天下がとれた。(織田信長はワンマンなので、反感を持たれて暗殺された。徳川家康は、家臣の能力を見分け、その能力が活かせるポジションに置いて、その家臣にそのポジションを任せたので、天下を取れた。)