補欠問題と教育虐待の共通背景/沈みゆく日本(2) | ドングリクンパパのブログ

(1)  からの続き

 

日本特有のスポーツにおける補欠問題。海外から来たサッカーの有名指導者が、スタンドで応援する子達の多くが実は選手だと知って愕然とした、なんて話が良くあるよね。一体なぜそんな酷い事をしているのかまったく理解できないと。

 

パパは補欠問題には3つの視点があると思う。でも実は3つ目の視点は日本ではほぼ完全に無視されている。日本で補欠問題を議論する際に土俵とされる視点は主に次の2点だ。

 

1)競技力問題(補欠があった方が国全体のサッカー力が上がるか?もしくは下がるか?)

2)物理的問題(補欠をなくそうにも指導者が足りない、試合会場が足りない、審判が足りない等)

 

これらも非常に大事な視点でもちろん沢山議論されるべきことだ。でもねえ、パパ(、、、とよしひろパパさんも同じだと思う)の視点はもうひとつ別のところにあるのだ。

 

3)子供の人権問題

 

サッカーをしたい子供がサッカーをすることができない。サッカーとはサッカーの試合の事だ。子供達は何より試合がしたいのだ。しかし練習をどんなに頑張っても身体が小さい、足が遅い、動きが鈍い等の問題で試合に出られなかったりする。

 

それだけではなく指導者の好み妬み偏見等で干されたりもする。高校顧問の戦術に意見をしたら翌日から干された、ブロ友さんの息子さんに2人もそういう子がいる。2人とも非常に優秀な選手だったが、それがきっかけでサッカーをやめてしまっている。補欠問題でもあり、パワハラ問題でもある。

 

日本においては監督が依怙贔屓、縁故、偏見、賄賂等でスタメンを選んでも誰も何も言えない。意見をしたら干されるからだ。これは間違いなく健全ではない。どんなに頑張っても監督やコーチの一存で一切試合に出られない、それはそもそも「全ての子供たちが平等に成長の機会を与えられるべき」という子供の人権に反しているのではないだろうか?

 

ところが海外ではまた状況が違う。海外強豪国では育成年代の監督も頻繁に解任される。イタリアの子供達は監督が気に入らないとわざと負けて解任に追い込むこともある、なんて興味深い話が下記に書かれている。

 

 

 

監督は常に「育成で成果を出し、かつ試合でも結果を出すこと」が求められる。わざと負けるというのは特殊な例だとしても、子供達から信頼されない監督は解任させられるのだ。

 

しかも海外においては移籍のハードルが低い。移籍シーズンがあり、チームに合わなければすぐに移籍できる環境が整っている。監督やコーチに納得がいかなければ子供達は移籍する、つまり監督に人気がなければチームの存続問題になるのだ。

 

そんな状況で「監督に意見したら干された」なんてことになればあっという間に問題になり、監督はすぐに解任の危機にさらされる。ましてパワハラやら暴力なんてな。海外ではこうした解任環境が監督の権利乱用の防波堤となっているとパパは見ている。市場原理が働いているとも言える。

 

実際持って生まれた気質の違いもあるが、海外の子供達は「こんな練習つまらないからやりたくない!」「こんな練習よりもっとこういう練習をやってほしい!」と平然と、そして頻繁にコーチに言うそうだ。

 

そこにあるのは例え子供でも大人と対等であるという当たり前の前提、まさに子供の人権だよね。そうした環境においては必然的にコーチも鍛えられる。ベーシックに子供の人権意識が高く、解任や移籍といった市場原理も働いているからこそだとパパは思うのだ。

 

続く

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