「子供を信じる勇気」が「子供の勇気」を育てる/サッカーでも同じ! | ドングリクンパパのブログ

前回からの続き

 

この話はサッカーでもまったく同じだよね。

 

例えばチームで上手く行かない時に「チームメイトがパスを出さない」とか「監督が俺の良さを分かってない」とか周りに対する愚痴不満ばかり言っている子は伸びない。当たり前だ。そこで必要なのは「自分に足りないものは何か?」「自分がチームに対して出来る事は何か?」という発想だよね?

 

人生の主人公は自分なのだ。自分の人生を自分で歩む事。当たり前のような事だけど実は簡単ではない。「○○のせいだ」と愚痴ばかり言っていたら、自分の人生の主人公は○○になってしまうよね?「ゲームがないとする事がない」これを親が許容してしまうとゲームが主人公になってしまう。ゲームがない?だったら自分でゲームを作れば良いのだ。

 

昔の子供はみんなそうして遊んでいたのだ。ないものは自分で作る、それが当たり前だった。だからパパはボウズも姫ちゃんもそうして育てている。例えばボウズは小1の頃のある日、友達のうちで野球ボードゲームをやったのが超絶楽しかったんだよね。

 

翌日どうしてももう一度やりたいがうちには野球盤がない。ボウズは一瞬も迷わなかった。即座に自分で作る事にした。2日間かけてダンボールとガムテープでぶっさいくな(笑)でもある程度ちゃんとプレーできるゲーム版を作り上げてしばらく遊んでたよ。

 

それを作り上げたボウズはめちゃめちゃ得意げ&嬉しそうで、そしてこう言ったのだ。「野球ボードやるのも楽しいけど、それを作る方がもっと楽しい!」とね。友達のうちにあって自分の家にないもの、でもどうしても欲しいものは必ずそうして自分で作ってたね。

 

大概3日かけて作って実際遊ぶのは10分でおしまいだったけどな(笑)。ポケモンカードが流行った時もそうだった。1枚も持っていなかったボウズは自分でオリジナルのモンスターカードを沢山作っていたよね。めちゃくちゃ面白くてママがどこかに取ってあるはずだ。

 

無論子供にスマホやゲーム機のようなものは作れない。でもボウズの言う通りだよ。自分の手で「ゲームらしきもの」を作るのは、スマホやゲーム機で遊ぶことを軽々超える面白さに満ち溢れているのだ。そしてこの年代で「自らの力で作りだす喜び → 自らの人生を自分でクリエイト出来る力」を育んでおくことは、後の人生に計り知れないほど大きなプラスになる。

 

そうして育つと「ないものは自分の工夫で手に入れる」のが当たり前になる。それは間違いなくボウズのサッカーに繋がっているよね。「ゲームがないなら自分で作る → それが楽しい!」は「上手く行かないなら自分で工夫する → それが楽しい!」に直結している。

 

ボウズのサッカーは上手く行かない事の連続だった。今でも上手く行ってない。でもボウズが上手く行かない事を人のせいにした事は一度もない。人の文句を言うのも聞いた事がない。そしてどんなに上手く行かない時もサッカーを心の底から楽しんでいる。「ボールひとつあればそれだけでボウズは楽しい」のだ。

 

サッカーでプロになるには才能が必要だ。でも自分に才能があるかどうかは最後の最後までやってみなければ分からない。そこには当然苦しい事もたっぷり含まれているが、ボウズは間違いなく最後の最後までチャレンジするよね。そして仮に限界までやって自分の思い描くものが手に入らなかったとしても?

 

それをボウズが嘆く事は一切ない。断言できるよ。なぜならそこまでの過程を死ぬほど楽しんできたからだよね。そして実はそれは「ゲームをするより、ゲームを自分で作る方が面白い」から来ている。プロになって有名になってお金を沢山もらえる事が楽しいのではない。「簡単に手に入らないものを、工夫して自分で手に入れようとするその過程」が何より楽しいのだ。

 

仮に最後の最後までやってプロになれなかったとする。本当になんの心配もない。ボウズの好奇心はすぐにどこにでも向かって行けるよ。間違いなく人生を楽しめる。経済的に成功する・しないではない。自分の人生を自分でクリエイトして楽しめるかどうか?そこがもう十分に育っている。パパはそう確信しているのだ。

 

ゲームない、テレビない、チーム練習もスクールも塾もない、あるのは自分の好奇心のみ。幼少期にそういう真っ白な時間をたっぷり与えて来た事がここに繋がっている。子供を信じて真っ白な時間を子供自身に委ねる勇気。

 

それが子育てで最も大切なもの。パパはそう思うのだ。