姫ちゃん中学受験/ゲームにハマる子が失うもの(2) | ドングリクンパパのブログ

前回からの続き

 

パパはゲームを「化学調味料」に似ていると考えている。化学調味料は味覚を刺激するよう旨味成分を過剰に作りだしている為、子供はそれこそスナック菓子などにすぐ夢中になってしまう。でもその刺激に慣れ過ぎてしまうと自然な美味しさ、繊細な風味などを「物足りない」と感じるようになってしまう。

 

 

「うま味調味料を使うことに慣れるとそればかりを好むようになり、食材そのもののうま味を感じにくくなってしまいます。そのためお子さんの味覚が未熟なうちは多用しないようにし、食材のうま味を多く取り入れてあげられるといいですね」

 

例えば空き箱を使って何か工作する。それはとても面倒な事でもある。しかしその面倒さを上回る好奇心があれば工作の楽しさに辿りつく事が出来る。そこに何度か辿りつくと見えてくる。実はその「面倒さ」こそが面白さの元であることにね。

 

大変だけど一生懸命考えて、工夫してやったらスゴイものが出来ちゃった!大変さを乗り越えた先にある達成感は何物にも代えがたい。そこには受け身のゲームでは得られないスケールの大きな喜びがある。

 

ところがそこにゲームがあると、それが非常にお手軽でなおかつ刺激が強いがゆえに「面倒そうな工作」は選択から外れてしまうのだ。そうしてゲームに明け暮れてしまうとその子は本来出会えるはずだった「スゴイ工作を作りだして爆発的な喜びを感じる創造的な体験」をする事がないまま大人になってしまう。

 

確かにゲームは脳を活性化させる。でも工作で得られるものはその比じゃないよね。創造性、創意工夫、図形的イメージ力、GRIT力、あらゆるものが育つ。特にこれからの社会に必要なのは0から1を生み出す力、その発想力によって新たな価値観を生み出す力だ。1を2にする分野の多くはAIが担うようになるからね。

 

ゲームはその手軽さに対して得られる刺激が半端ではない為、そうして0から1を生み出すような作業に夢中になる事を妨げてしまうのだ。

 

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ゲームについて色々調べている時に次のような言葉に出会った。休日に子供がずっとゲームばかりしている。心配でやめさせようとすると「じゃあ他に何したらいいの!?」と逆切れされてしまって何も言えないと。1日家に居る子に宿題やお勉強が終わっている状態でそう言われると「仕方ない」と思って許してしまうそうだ。

 

それはもったいないな~とパパは感じてしまう。だって昔はゲームなんかなくても子供は勝手に何かに夢中になって遊びまくっていたんだよ?その当時の子供達と今の子供達、どっちが楽しんでる?ゲームがないならないで必ず何かしら勝手に遊ぶ、それが子供だよね。

 

例えばゲーム中毒の小学生がいて、その子を電気も通ってないようなヒマラヤの山奥に連れていって1年間暮らすとする。その子は「ゲームがないから」と言って1年間ずっとぼ~っと椅子に座って過ごすかい?そんなわけないから。せいぜい3日だよ、何もせずぼうっと出来るのは。子供は本来誰でも遊びを生み出す天才なのだ。

 

逆に言えば、ゲームやテレビに頼れず、自分から動かないとな~んにも始まらない、そういう時間こそが子供にとって最も大切なものだ。そこで自ら遊びを創作する力、それこそが自分の人生を切り開く力の源になる。パパはそう考える。

 

テレビ、ゲーム、ユーチューブ、おもちゃ等全てそれらは大人から与えられたものだよね?誰かに何かを与えてもらえないと自らな~んにも出来ない、指示してもらわないとまるで動けない、そういう大人にはしたくないよね?

 

だったらそうしたものを与え過ぎず「自ら動かないとなんにも始まらない」という時間を子供のうちににたっぷり与える事だよね。勉強なんかよりずっとずっと大事な事だ。空き箱が3つ4つあればそれだけで即座に遊びをクリエイト出来てしまう。「面白さ」を自分で創出できる。そうしたクリエイティブな力こそ最も大切に育てるべき子供の才能だとパパは思うんだよね。

 

ゲームに限らないんだよ。塾、スクール、習い事も実は同じ側面を持っている。パパが小学生の頃塾に行っていたのは学年に1人、医者の息子の安里君だけだった(笑)。ファミコンすらなかった時代、まだ子供は日が暮れるまで泥だらけで遊ぶのが普通だった。放課後の子供は全員が「子供の王国の主人公」で、大人はそこに関与することはなかった。子供がやる事は「子供に委ねられていた」のだ。

 

今の子供達はあまりにもスケジュールに追われ過ぎている。大人に管理され過ぎなのだ。そして塾やスクールの合間にやるのは「大人が開発したゲーム」だ。大人が介入せず、子供が自らの好奇心にひたすら身をゆだねて自らの時間を自分でクリエイトする、そういう経験が日本全体で減り過ぎている。キラキラした目で何かに夢中になる、そういう子供が減り過ぎているんだよね。

 

これでは時代をひっくり返すような大胆な発想、規格外のビジネスパーソン、それまでの常識を覆すような研究者は育たない。まあこの話は一旦置いておく。ゲームの話に戻ろう。パパが今書いているのは「ゲームにハマってしまうと、自分で自分の時間をクリエイトする楽しさを知ることが難しくなる」という話だ。

 

そうすると国全体のクリエイティビティが落ちて経済的没落に繋がるよ、という話でもある(そしてまさにそうなっている)のだが、でもそうした経済ベースの話が一番大事なポイントではない。パパが一番の大事だと思うのは「自分の人生の主人公がきちんと自分になっているかどうか?」なんだよね。

 

「自分の人生が面白くなるかどうかは自分次第という生き様」とも言える。「ゲームがないと楽しめない」という発想は「○○がないから人生が上手く行かない」に繋がってしまう恐れがあるのだ。それは「日々のスケジュールを全て大人に埋めてもらっている子供は、スケジュールがないと生きられない大人になってしまう可能性がある」という話でもある。

 

そして現在日本ではそのスケジュールに疲れてしまう子供たちが続出している。長年現場にいる人達はそれを実感しているはずだ。今日本中で子供達の間に蔓延しつつあるもの、それは「無気力」である。このシリーズで後ほど詳しく書くが、今史上空前の中学受験ブームの陰で、不登校の子供の数がここ5年で2倍になっている。わずか5年で2倍だよ?

 

間違いなく日本の危機だと思う。その危機の根本的な原因は「子供達の人生が子供達のものでなくなっている」ことから来ているのだ。パパはそう考えている。

 

続く