大器は早成し、小器は晩成する -48ページ目

大器は早成し、小器は晩成する

50代で仲間と一緒に飲食業を起業、煩悩即菩提的なブログ

東日本大震災から1ヶ月。復興への道筋は全く見えません。


言葉狩りを恐れていた、野党や与党内の反対派、それに大手マスコミの中からも、正面きっての政権批判が多くなって来ました。


現状が改善されないのは、日本にその力はあるのに、やり方が不味いのだという論調です。そして、それは当然最高責任者である菅首相に向けられています。


日本の国力、日本国民全体の地力が、復興を成功させるかの鍵であるにしても、それを発揮することを首相が阻害しているという理屈です。


本当にそうなんだろうか。


僕は、この一カ月、菅さんがやったこと(政府がやったこと)に、明確な失策を見つけることができません。


原発事故は全く先が見えませんが、あの時にこうしていたら今頃は納まっていた、という話は聞きません。断片的には、アメリカやフランスへの協力要請が遅かったとかは言われますが、そうしていたらこんな風にはならなかったのでしょうか。わかりません。


義捐金を早く配れという話もよく言われます。公平に早く配る方法はありませんので、不公平に早く配るしかありませんが、それでも良いから早くしろという人もいません。


風評被害を発生させたと非難しますが、どうしたら起きないかを教えてくれる人はいません。メディアは、普段はしょうもない番組を作って情報を操作し国民に非合理的な行動を起こさせているのに、こんな時は事実を公表する必要があるなどと馬鹿なことを言ってます。


さっき記者会見で、菅さんが地位にしがみついているのはなぜかと聞いた記者がいましたが、「何もやっていないくせに」ということを具体的に証明したうえで言っているわけではありません。

ちょっと前には、TBSのニュースで、記者が「子供手当はばらまき政策」と言ってました。これと同じですね。


菅さんが何もやっていないのは国民が分かっている、選挙結果が示している、という論調も聞きますが、それは、国民がそう思っているのであって、菅さんの対応がきちんとしているかどうかとは関係ありません。


メディアであるのなら、菅さんの駄目さ加減を具体的に示してください。そして、菅さんじゃなかったら、こんなにバラ色の日本になりますよって言ってください。

菅首相が3回目の被災地訪問を行いました。


これが、また形だけだとか、邪魔だとか、余計なことと、マスコミや住民・地方自治体(一部だと思いますが)から批判されています。


首相は国を代表しています。首相に敬意を払わないということは、お世話にならない、自分たちでやるから干渉するなということの意味だと私は思います。


権力者や団体の権威を否定すること・無視することは、自分たちで任意でやるから、関わりあうのは止めましょうということだと考えます。


私は長年、クラブラグビーというものに関わって来ました。このクラブラグビー、自分たちの金で、自分たちの時間を使って勝手にやっている究極の趣味でした。ですから、ラグビー協会のような機関から、全く無視されてきても全く平気でした。


私は、菅首相は、われわれ国民を代表して被災地を訪れていると思っています。だから、首相に対するいわれんき侮辱は、許せません。


首相が、現地で「邪魔」だとか「来るな」とかいわれても、ともすれば一緒になって無能扱いをしている国民やマスコミがいることも許せません。


与党の反菅派や野党の政治家も、嗤っている場合ですか。この国の国民は、政治家をそのように見ているんですよ。別に菅さんだからというわけではないんですよ。


まあ、小泉さんのような人は例外でしょうけど。



福島原発の事故で低レベルの放射線を含む水が海に放出されました。


周辺海域(茨城、福島など)で漁業をおこなう方々の生活を脅かしていることは間違いありません。

抗議をされるのも当然です。


でも、気になるのは「われわれの海」という表現です。海は漁業者のものですか。

そうじゃない、国民、ひいては全人類のものです。


海の恵みは、全ての人を潤すものです。


その海を汚すことは、補償だとか、漁業権とか、経済的対価を払えば済むものではありません。


それだけの価値のある海を汚さざるを得ない、それほどの重大事故ということでしょう。


農地は農民のもの、宅地は住民のもの、海は漁業者のもの。そんな視点で復興計画が立てられ実行されるなら、復興事業で儲かる人はいても、決して新生日本の始まりにはならないでしょう。


関東大震災時の後藤新平が注目されていますが、知っておかなければならないことは、素晴らしい復興計画はあったが、一部分しか実行されなかったということです。それを阻んだものは、国民の私欲です。


大震災の時の国民の態度が立派だと世界から称賛されているという話がありますが、これからの復興計画の中で、国民が公共や社会を優先できるとは思えません。

今回の大地震の時、東京郊外にある我が団地でも相当の揺れはありましたが、被害は食器などの散乱(特に上層階の部屋)にとどまりました。人的な被害はありませんでした。


金曜日の午後ですので、多くの勤め人が団地を留守にしており、電車が再開されたのが23時近くになったため、帰宅難民が現実になりました。


土日には、部屋の後片付けが困難なお年寄り所帯のお手伝いで自治体が協力しました。


また、翌月曜日からは計画停電ということで、住民への告知を始めましたが、実際には停電はなく、エレベーターに閉じ込められるトラブルも発生していません。

節電に協力ということで、照明の一部を消しています。もっとも、照明を抑えるというのが当団地の募集時のコンセプトですので、そんなに明るくはないのですが。


ガソリン不足や食材の買い占めによる買い物困難が発生しましたが、1週間ぐらいで解消しました。


よく週末には、大震災の被災者を支援するとのことで、市の青年会議所に協力する形で自治会が支援物資の取りまとめを行いました。


以上が、今回の大地震の時に起こったこととと、それに自主防災が対応したことです。



戦国時代の戦いの解説をしている本は多いですが、大抵勝った方の作戦の成功と負けた方の失敗が述べられています。少ない資料で、想像力を働かせて作者が書いています。


読んでいる方、下手をすると書いている方も、その時代の空間(距離)、移動の時間、情報の伝わる速度を現代とそんなに変わらないものととらえていたりします。


戦いの現場で、何が分かっていて、何が分かっていなかったか、その状況で指揮官はどのように決断したのか。僕はそんなことに興味があります。


現代の戦争は、圧倒的に資料が残っています。音声や映像もあります。指揮官に厳しい史家は、結果の失敗から、指揮官の無能さを徹底的に糾弾します。


そして、指揮官が無能でなかったら戦いの結果は変わったというようなことを書く人もいます。

第二次世界大戦の日本海軍の栗田健男中将(栗田艦隊)がよく取り上げられる典型的な人物です。


確かに書き手の想像ではない、事実に基づいた批判で説得力はありそうなんですが、僕は違和感があります。栗田中将の作戦指導が全くの間違いだったにしても、その批判は、将棋でいえば持ち時間が1分と8時間ぐらいのハンデ戦で相手の失敗をあげつらっているような気がします。


今、東日本大震災への対応に当たって、まさに指揮官の菅直人首相の能力が問われています。

そして、今は、指揮官の一挙手一投足が、ほぼリアルタイムで批判にさらされています。


それは、現実の悲惨さ、これからの困難さを、菅首相の対応能力の拙劣が引き起こした失敗とすることで、カタルシスを得ようとしているようにも見えます。


菅首相が有能か無能か、この難局に当たるべき指揮官に相応しいかどうか、それはわかりません。

ただ、現実の悲惨さが改善されない原因を全て指揮官の問題にして、それぞれの組織が努力を怠るなら良い結果を望むことはできないでしょう。