大器は早成し、小器は晩成する -28ページ目

大器は早成し、小器は晩成する

50代で仲間と一緒に飲食業を起業、煩悩即菩提的なブログ

帝京と筑波の試合をTVで見ました。

国立競技場に行かなくて良かったと思いました。


帝京は、自陣22メートル付近で、ラックの連続で時間を消費、キックで相手にボールを渡すこともなく、バックスに展開するわけでもない、ただFWの体力が勝っているのでごりごりやっているだけです。

リスクのないゲーム運びということでしょうか。


あんなプレーの連続では、観客が逃げてしまいます。外国や日本のトップリーグでは絶対出来ません。

帝京は、対抗戦でもあんなことをやっていたんですかね。

選手権だからあんあプレースタイルを取ったんですかね。


勝負だから勝つためであれば、自分たちの特徴を最大限発揮するのは当然ということでしょうか。

帝京のバックスは、あんなラグビーをやっていて楽しいのでしょうか。

大学は、プロじゃないんだから、観客など無視していいということなのかな。

だったら、大学のグランドで選手権をやってればいいのです。


まあ、言えることは、あのような試合をやっていても、日本のラグビーの競技力向上には全くつながらないということです。体力が遥かに勝る外国人相手には全く通用しない戦術ですから。



この一年、絆ほど、人々の間で使われた言葉はありません。

今年の漢字にも選ばれました。


大震災前、TBSラジオを聞いていたとき、TBSがアジア大会か北京五輪かで絆というバッジを作ったが、中国語では絆という言葉がネガティブな意味で使われるので、配布できず、大量に余ったという話を聞きました。


それで絆という言葉を学研漢和大辞典でひきました。

1、馬の足にからめてしばるひも。また、人を束縛する義理・人情などのたとえ。

2、しばって自由に行動できなくする。


福武国語辞典では、

1、牛・馬・犬などをつなぎとめる綱。

2、断ち切ることができない人と人の結びつき。


新選国語辞典では、

1、物をつなぎとめる綱。

2、たち切りがたい気持ち。


漢和辞典では、良い意味は全くありません。

国語辞典でも、人と人の積極的な結びつきという意味はあまりありません。


それで、言葉というものは、日本と中国で異なり、また日本でも我々が最近使っている意味と本来の意味が違うんだと痛感しました。勿論、言葉は変化し定着していくものですので、本来の意味で使わないからおかしいというものではありません。


大震災以降、絆という言葉が大流行し、何でもかんでも絆といえばかっこいいということで、ちょっと被災地に行ってコミュニケーションして絆、物資を送って絆、応援メッセージで絆と簡単に使われています。


でも、その絆というものは、おそらく簡単に切れるものであり、忘れることのできるもの、脇に置いておけるものです。


絆は、重荷を背負い込むことであり、相手の重荷になること、それで断ち切ることのできない結びつきが出来るのです。そのことで、孤独から逃れるのです。


マンションの管理組合・自治会の役員をここ2年ほどやりました。まさに人と関わることで重荷を背負いましたが、一方で深い交流を得ることができました。


役員の任期が終わって、さらに絆づくりに突き進むのかなという気持ちでしたが、仕事と面倒くささで、元の状態に戻りました。


僕だけでなく、多くの人が、そのような選択をしているのが今の日本じゃないでしょうか。

本来の絆が生まれる土壌は、もう日本にはないと思います。


政治家・評論家諸氏は、日本にコミュニティーを復活させようといいますが、日本にあったコミュニティーとは、村落共同体・隣組などがんじがらめの経済共同体・末端行政組織です。そういうところに絆があったわけです。


多分、絆の言葉遊びも、そろそろ終わるんでしょうね。

今日は午前からJ-Sportsで、高校ラグビーを見ていました。


最近、ラグビーを余り見なくなっていたんですが、今日は、高校ラグビーを見るぞと気合を入れていました。


ラグビーの中継が少なくなって、ラグビーを実況できる人も減っているなかで、間違いながらも一生懸命伝えている人は好感が持てます。

もっと、勉強して、良い中継を出来るようになってくださいと応援したくなります。


一方、これまで長年にわたって中継をしてきたベテランアナウンサーには腹立たしくなることがあります。


まず、俺はラグビーを知っているぞとの上から目線の言い方。

そのくせ、レフリーのアドバンテージを見逃して、プレーが止まった直前に反則があったなどとうそをつく。

相手方がインゴールに蹴り込んだボールを蹴りだしたときに、どっちのボールになるか分かっていないなど、ルールを知らない。

レフリーしか判断できないような、またはレフリーが間違ったような、きわどい反則でも、あれはいけませんねなどと選手を非難する。


ということで、今日は、四日市農芸と光泉の途中で、見るのが嫌になって、PCに向かっています。


でも、下記のサイトで途中経過をチェックしていますが。

http://www.mbs.jp/rugby/


第2グランドの第一試合で富山第一が東海大仰星に82対ゼロで完封負けをしました。点を取るだけであれば、PGが取れる場面もありましたが、トライを狙いに行った気持ちは大切です。


富山第一は監督が自分で立ち上げ30年間指導されているそうです。

おそらく中学時代にラグビーを経験している選手はほとんどいないなか、ラグビー激戦区の大阪代表に正面から挑戦する姿にちょっと感動しました。


協会は、個々の先生方の努力に依存するのではなく、各地のラグビー環境が少しでも良くなるよう支援してほしいと思うのですが。


今日の朝のバードには、話題の人、元官僚の古賀さんが出ていました。


最近あちこちから引っ張りだこです。


僕が気になるのは、古賀さんが消費税を上げる前に経済を成長させろと言っていることです。

彼の説では、今の消費税は今使われるので、将来もっと少子高齢化が進んだときにその時の消費税では年金は賄いきれないというものです。


もっともですが、だからと言って、今消費税を上げないで、経済を成長させ、将来は現役世代2人で1人を支える社会を作るんだというのは夢物語でしかありません。


まともな方法で、二人で一人を支える方法なんか存在しません。

TV朝日は、本当にそんな方法があると思っているんでしょうか。


坂の上の雲やおごうを見て、歴史の勉強になったという視聴者ですから、こんな話を流したら、錬金術師のような成長経済が存在すると思ってしまいますよ。

本日の朝日新聞の社説は、核廃棄物の中間貯蔵施設を福島県内に作ることについて、「やむをえない」との見出しを掲げています。


これまで、何事においても、「結果が良いこと・みんなが納得すること」を結論としていた社説が、政府の方針をしぶしぶながら認めたことは、大英断というべきでしょうか。


菅さんが8月下旬に発言した時は、総すかんで批判され、誰も方針を支持しませんでした。

その時に、朝日の社説が支持することはできなかったのでしょうか。

何か状況が変わったのでしょうか。菅さんが嫌いということでしかありません。


朝日も少しまともになったかなと思って、紙面を見ると、沖縄県へのアセスメント提出の方法は稚拙だとか、民主党に離党者が出たことについて党内融和の掛け声はどうなった、とか、相変わらずの第三者意識丸出しの記事を書いています。


朝日新聞のご説に従えば、沖縄の市民団体や民主党の離党者にいくら説明しても納得してもらえないときは、書類の提出も消費税論議も永遠にやらないということになります。


普天間の問題も消費税のことも、一切手を付けず、このままでほっておくのが一番いいいということかもしれません。


第二次世界大戦が終わったときに、東久邇首相が「一億総ざんげ」と言ったそうですが、今や、日本は「一億総第三者化」です。

自分たちの関係していることなのに、誰も当事者になりません。子供が、いじめに巻き込まれなくて、当事者を遠巻きにして傍観しているのと一緒です。


特に新聞は、対立に巻き込まれるのを恐れて、総論的な批判に終始しています。


我が家が、江川事件をきっかけに読売から朝日に変えて30年、新聞そのものが必要なくなるときが来たのかもしれません。