この一年、絆ほど、人々の間で使われた言葉はありません。
今年の漢字にも選ばれました。
大震災前、TBSラジオを聞いていたとき、TBSがアジア大会か北京五輪かで絆というバッジを作ったが、中国語では絆という言葉がネガティブな意味で使われるので、配布できず、大量に余ったという話を聞きました。
それで絆という言葉を学研漢和大辞典でひきました。
1、馬の足にからめてしばるひも。また、人を束縛する義理・人情などのたとえ。
2、しばって自由に行動できなくする。
福武国語辞典では、
1、牛・馬・犬などをつなぎとめる綱。
2、断ち切ることができない人と人の結びつき。
新選国語辞典では、
1、物をつなぎとめる綱。
2、たち切りがたい気持ち。
漢和辞典では、良い意味は全くありません。
国語辞典でも、人と人の積極的な結びつきという意味はあまりありません。
それで、言葉というものは、日本と中国で異なり、また日本でも我々が最近使っている意味と本来の意味が違うんだと痛感しました。勿論、言葉は変化し定着していくものですので、本来の意味で使わないからおかしいというものではありません。
大震災以降、絆という言葉が大流行し、何でもかんでも絆といえばかっこいいということで、ちょっと被災地に行ってコミュニケーションして絆、物資を送って絆、応援メッセージで絆と簡単に使われています。
でも、その絆というものは、おそらく簡単に切れるものであり、忘れることのできるもの、脇に置いておけるものです。
絆は、重荷を背負い込むことであり、相手の重荷になること、それで断ち切ることのできない結びつきが出来るのです。そのことで、孤独から逃れるのです。
マンションの管理組合・自治会の役員をここ2年ほどやりました。まさに人と関わることで重荷を背負いましたが、一方で深い交流を得ることができました。
役員の任期が終わって、さらに絆づくりに突き進むのかなという気持ちでしたが、仕事と面倒くささで、元の状態に戻りました。
僕だけでなく、多くの人が、そのような選択をしているのが今の日本じゃないでしょうか。
本来の絆が生まれる土壌は、もう日本にはないと思います。
政治家・評論家諸氏は、日本にコミュニティーを復活させようといいますが、日本にあったコミュニティーとは、村落共同体・隣組などがんじがらめの経済共同体・末端行政組織です。そういうところに絆があったわけです。
多分、絆の言葉遊びも、そろそろ終わるんでしょうね。