以下、ここ最近、サブスクで観た映画の一言レビューと評価点。


『おんどりの鳴く前に』B-

タイトルの異様さから、ルーマニアの因習を描いた作品かと思いきや、展開は終始ダラダラ。

ラストにたどり着くまでに爆睡。(アマプラで鑑賞)


『フランケンシュタイン』B+

『パンズ・ラビリンス』の監督ギレルモ・デル・トロ作品。
独自の世界観により物語に没入できた。特に美術や衣装にしっかりお金がかかっていると感じる。

(ネットフリックスで鑑賞)


『#真相をお話します』B

監督が『怪談新耳袋』シリーズの豊島圭介だけに、短編エピソードは安定感あり。
ただし、ラストはやや失速。

(アマプラで鑑賞)


『散弾銃の男』B

劇中の舞台(山奥の酒場)が、日本なのか?と疑いたくなるほどウエスタンな設定。

ショットガンが火を吹くぜ!!
(アマプラで鑑賞)


『マリウポリの20日間』A

終わらないロシアとウクライナの戦い。
AP通信の記者が捉えた現実は、ただただ凄惨。

目を背けたくなるドキュメンタリー映画。
(アマプラで鑑賞)


『理想郷』B+

スペインの山岳地帯で繰り広げられるご近所トラブル。

いわゆる村八分な展開で、胸糞必至。
(アマプラで鑑賞)


『コンパニオン』B+

 

お手伝いロボットが突如「ロボット三原則」を無視し、狂い始めたら……。

こういう話は個人的に大好物。『ウエストワールド』を思い出す。
(U-NEXTで鑑賞)


『罪人たち』A

文句なしに面白い。
デルタブルース、ヴァンパイア、ヒューマンドラマの融合。

こういう作品を観ると、ハリウッド復活かと心が躍る。
(U-NEXTで鑑賞)


ドラマシリーズ『キリング・イヴ』A

美しき暗殺者と、それを追う庶民的な風貌のFBI女性捜査官。
そのコントラストが実に妙。

(U-NEXTで鑑賞)


『鮮血の美学』C

女性を凌辱し復讐する、というパターンの源流ではあるが、今観るとあまりにチープ。

演者の演技もかなり厳しい。
監督がウェス・クレイヴンというだけの映画。
(U-NEXTで鑑賞)


『ミッドナイトクロス』A

デ・パルマ作品の中で、一番好きかもしれない。鬼リピ鑑賞映画の一本。

ラストのオチ(叫び声)が強烈。
それに身を震わせるトラボルタが最高。
(U-NEXTで鑑賞)


『ラ・ブーム』B-

高校時代、ソフィー・マルソー目当てでジージャンズの連中と観に行ったが、
どうやら記憶を美化していたようだ。

今観ると内容はお粗末。
しかし、ソフィーはやはり可愛い。
(U-NEXTで鑑賞)


『モンキー・シャイン』B

ゾンビ御用達監督ロメロの一作。
猿が人を襲う映画は色々あれど、人間の脳細胞を注射で注入され賢くなるパターンは珍しい。

今なら動物虐待で確実にNGな映画。ちなみにモンキー社員ではありません💦
(U-NEXTで鑑賞)


他、『フィースト』シリーズ、『レクイエム・フォー・ドリーム』、『死体語り』などを貪る。

以上

 

映画『禍禍女』を観た正直な感想(ネタバレあり)

お笑い芸人・ゆりやんレトリィバァが初めて映画監督に挑戦した作品
『禍禍女(まがまがおんな)』を鑑賞した。

「好きになられたら終わり」という思想を持つ“禍禍女”という設定、
そして自身の恋愛体験を投影したという触れ込み。
予告編も独特の空気感があり、正直、少し期待して劇場に足を運んだ。

しかし、結論から言うと、かなり厳しい出来だった。

本作はホラーテイストをまとっているものの、
映画としての構成がほぼ成立していない。
内容は、YouTubeのホラーチャンネルで見かける短編ドラマを
ただ繋ぎ合わせただけのように感じられ、
一本の映画としての流れや緊張感がない。

シェアハウス、美大生、高校生、謎の一家と
複数の登場人物やグループが描かれるが、
それぞれの関係性は希薄なまま進行する。
説明も整理もないため、観客は物語からどんどん置いていかれる。

終盤になってようやく、
辻褄合わせのような役割の人物が登場し、
無理やり物語を収束させてエンディングへ。
何も感じる事はなく、「終わった」という印象だけが残った。

また、中盤に挿入されるミュージカルシーンや
ラップ調の台詞は、世界観への没入を妨げる要因でしかない。
※友情出演やセルフパロディ的な演出も多く、
映画というより内輪向けのどんちゃん騒ぎを見ている感覚に近い。

※ホラー映画の白石監督(ネトフリ『極悪女王』の監督)、清水監督が友情出演、俳優も幽霊役で唐田エリカ(ネトフリ「極悪女王」で共演、YouTubeの「好井まさおの怪談を浴びる会」(YouTubeでゆりあんが何度も出演)をそのまま登場させている。

キャスト陣は豪華だが、
その魅力を活かしきれているとは言い難い。
結果として本作は、
「ゆりやんレトリィバァというブランド」に人が集まり、
自由に撮影された動画、という印象に留まってしまった。

評価としては C。
公開直後の映画.comの評価が3.3ではあるが、

話題性による部分が大きい為、

一か月後には2.5点くらいに落ち着くと思われる。

評価点が示すようにオススメはしない。

以上

購入したことのない映画雑誌『映画芸術』。

雑誌ではワーストワンに映画『国宝』が選ばれたというので興味で購入した。

以下に読んだ思うがままに列記。

はじめに

雑誌『映画芸術』の2025年ベスト/ワースト企画において、映画『国宝』は極端に評価が割れた作品となった。邦画実写として記録的な興行収入を達成する一方で、ワーストに10点を入れる批評家も少なくない。この落差は単なる好き嫌いではなく、日本映画における「芸道もの」「大人のエンターテインメント」「映画表現の限界」をめぐる根源的な対立を浮かび上がらせている。

今回は、①全体要約、②各批評の要点要約、③それぞれへのコメント、という流れで整理し、『国宝』をめぐる論争の射程を確認したい。


① 全体要約(総論)

酷評派と賞賛派の意見を大づかみに整理すると、対立点は明確である。

酷評派は、『国宝』が歌舞伎、とりわけ女形という題材を扱いながら、その本質にあるはずの「性」「身体性」「政治性」を意図的に排除し、結果として表層的で安全な物語に留まっていると批判する。また、エピソードが連続せず、人物造形や葛藤が積み重ならないため、映画としてのドラマツルギーが成立していないという指摘も多い。

一方、賞賛派は、若者向けジャンルやアニメが市場を席巻する中で、観客層を限定しない実写の大人向け娯楽作が成立したこと自体を評価する。人生の長さを体感させる編集や構成、俳優の身体表現によるカタルシスを、映画ならではの達成として肯定する立場だ。

つまり本作をめぐる議論は、「映画はどこまで踏み込み、どこまで削ぎ落とすべきか」「多くに届くことと表現の危険性は両立するのか」という、日本映画が長年抱えてきた問いの再燃なのである。


② 各批評の要点要約

井上淳一(脚本家・映画監督)

『国宝』は完成度こそ高いが、中身は空虚であり、歌舞伎や女形から性と政治を抜き去った結果、極端に薄っぺらい作品になっている。ショット中心で語られる現代の映画批評や映画観そのものにも強い不信を示す。

岡本安正(年金生活者)

時代が飛ぶごとに物語が断絶し、人物の葛藤が継続しない。歌舞伎世界の表層だけをなぞり、模倣に終始している点を問題視する。映画は歌舞伎の再現ではなく、歌舞伎を通して人を描くべきだと主張する。

北村匡平(映画研究者)

興行的成功は認めつつも、日本映画史に残る芸道ものにはならないと評価する。美しい俳優のアップと音楽で押し切るメロドラマで、持続的な鑑賞に耐えないとする。

小嶋千佳(映画芸術編集者)

3時間にわたる予告編のような映画で、特に女性キャラクターの心情描写が不足している点を批判。新聞連載小説的で、感動に至らなかったと率直に述べる。

前田耕作(映画産業研究者)

製作規模や準備期間といった外的要素に比して、映画そのものの完成度は低いとする。演技の真実性、脚本構成、キャスティングいずれにも瑕疵があり、熱量だけでは補えない問題を抱えていると指摘する。


③ 各批評へのコメント

井上淳一の批評は、単なる作品評価を超え、現代日本映画が危険な領域に踏み込むことを避けている現状への告発として読むべきだろう。女形を描きながら性を描かないことへの違和感は、極めて正統な問いである。

岡本安正の指摘は構造的で、なぜ多くの観客が違和感を覚えつつも作品を肯定できてしまうのかを説明している。「歌舞伎みたいなもの」を描く映画という言葉は、本作の限界を端的に示している。

北村匡平の評価は歴史的視座から冷静だが、同時代的な支持の理由についてはやや距離を取っている印象もある。だが「後世に残るか」という問いを避けなかった点は重要である。

小嶋千佳の批評は、男性中心の芸道映画が抱えがちな女性描写の軽視を可視化している。これは感想に見えて、実は批評的な射程を持つ指摘だ。

前田耕作の論は、産業と表現の双方を見据えたバランスの取れた酷評であり、「準備に時間をかけたこと」と「映画的真実性」は別物であるという点を明確にしている。

一方、賞賛派が評価するように、『国宝』が多くの非コア層に「大人の映画体験」を提供したことも否定できない事実である。編集や構成によって人生の長さを体感させるという評価は、酷評派の言う「断絶」を別の角度から照らしている。


おわりに

『国宝』をめぐる論争の本質は、この映画が良いか悪いかという単純な二分法にはない。むしろ問われているのは、この作品を日本映画の「到達点」と呼んでしまってよいのか、という点だ。

欠落を抱えたまま成立した大ヒット作をどう位置づけるのか。その判断こそが、今後の日本映画の方向性を静かに規定していく。『国宝』論争は、その分岐点を私たちに突きつけている。

 

 

※おまけ

大好物の山崎製パンの「スペシャル」シリーズ。

新たに「あんマーガリン」が加わった。

「アーモンド・スペシャル」を超えることができるのか?!

このシリーズはカロリー爆弾。メガトン級だ!

「一つで十分ですよ」(映画『ブレードランナー』より※ブレランは二つ)

以上

〇あらすじ

パワハラ上司に苦しめられてきた会社員リンダは、
出張中の飛行機事故で、上司ブラッドリーと2人きりで無人島に取り残される。


怪我で身動きの取れないブラッドリーに代わり、
サバイバル・マニアのリンダが生存を主導することで力関係は逆転していくが、
彼の傲慢な態度は変わらない。


極限状態の中で、リンダの中に抑圧されていた怒りと復讐心が覚醒し、
人間の狂気が次第に露わになっていく。


サム・ライミ監督が描く、
逃げ場のない孤島を舞台にした心理スリラー。
2026年製作/112分/PG12/アメリカ

 

サクッと映画を紹介するYouTube動画「サクッとシネマ」の解説はここ

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〇感想

正直に言ってしまうと、本作は完全にノーマークだった。
タイトルと予告編からは、あまり期待できそうにない印象を受けていたが、鑑賞後の感想は真逆。

掘り出し物の一本だった。

観ている最中、どこか既視感のある演出やテンポを感じていたのだが、エンドクレジットで監督がサム・ライミだと知り、思わず納得した。『死霊のはらわた』『スパイダーマン』シリーズ、『スペル』などで知られる彼らしい、ダークさとブラックユーモアが随所に感じられる作品だ。

物語は、パワハラ上司と部下という歪んだ関係性を軸に、無人島という逃げ場のない極限状況で展開していく。邦題にある「復讐」という言葉から、単純なリベンジストーリーを想像しがちだが、実際には人間同士の猜疑心や心理戦が主軸となっている点が興味深い。

特に印象的なのは、主人公リンダの過去が語られるエピソードだ。元夫との関係を巡るある出来事は、観ていて強烈な不快感を覚える一方で、彼女という人物をどこまで信じていいのか、観客自身にも疑念を抱かせる巧みな演出になっている。このあたりの「観客を信用させない作り」は、まさにサム・ライミらしい。

ホラー描写も健在で、島に生息する猪のモンスター的な扱いや、虫を食べる、目を潰す、嘔吐といった生理的にくる表現は、『死霊のはらわた』や『スペル』を思い出させる。単なるスリラーにとどまらず、ホラー、サスペンス、コメディ、アドベンチャーの要素がバランスよく詰め込まれており、上映時間112分をまったく長く感じさせない。

評価は文句なしの Aランク。
久々にサム・ライミ監督の持ち味を存分に味わえる一本だった。理屈抜きで楽しめるタイプの映画なので、気軽に吹き替えで鑑賞するのもおすすめしたい。

劇場へGO!!(観ないと後悔するレベル)

以上

 

 

 

YouTubeチャンネル「サクッとシネマ」の解説はここ↓

 

『カリギュラ』は1980年の公開当時から、映画史上きわめて特異な立ち位置にある作品である。
私は学生時代に、いわゆる三番館で他作品と併営で、900円くらい?で本作を鑑賞した世代だが、その記憶は「物語」よりも、モザイク越しに氾濫するエログロ表象の衝撃として刻まれている。

 

1980年公開版の『カリギュラ』は、製作総指揮はボブ・グッチョーネ、監督ティント・ブラス、主演マルコム・マクダウェル(「機械仕掛けのオレンジ」)、脚本ゴア・ヴィダルという豪華なメンバーで制作。

撮影現場は対立と混乱が続いた。後に追加された過激なポルノ描写は製作総指揮ボブ・グッチョーネによる別撮りで、主要キャストは関与しておらず、出演者にも事前に知らされていなかった。

結果としてヴィダルとブラスが意図した政治的風刺は大きく損なわれたが、作品はスキャンダル性によって世界で興行的成功を収めた。

製作総指揮のボブ・グッチョーネは、本作に約46億円を投じた張本人であり、いわば完全な自主映画である。

これだけの資金を投下できた理由は明快で、彼がアメリカの成人雑誌『ペントハウス』の創業者だったからだ。同誌は『プレイボーイ』と並び称される男性向け成人雑誌で、最盛期には莫大な利益を上げていた。

グッチョーネは、その資金力を背景に「エロティックな歴史超大作」を映画として実現しようとした人物で、事実、彼は一時期F1のスポンサーを務めるほどの財力を誇っていた。しかし、『ペントハウス』がソフトコア中心からハードコア路線へと傾くにつれ、スポンサーは次第に離れ、雑誌の影響力も衰退していく。

なお、『ペントハウス』自体は現在も存続しているものの、かつての文化的・商業的影響力は失われている。2023年に完成した『カリギュラ 究極版(アルティメット・カット)』は、そうした悪名高いイメージを脱色し、本来目指されていたはずの“芸術映画としてのカリギュラ”を復元する試み。

 

 


〇物語構造の再整理

本作は、ローマ皇帝カリギュラの即位から暴政(ぼうせい)、そして暗殺に至るまでを直線的に描く権力悲劇である。
究極版では、従来の公開版で過剰に前面に出していた性描写や猟奇性をひっこめて、権力が精神を腐食させていく過程に物語の重心が置かれている。

特に、

  • ティベリウスからの権力継承
  • 妹ドルシラの死をきっかけに、カリギュラの精神の支えが完全に崩壊する
  • 自分を神と名乗り始めたことで暴政が一気に激化し、破滅へと突き進んでいく

といったドラマの因果関係は、1980年版よりも明瞭になっており、主役カリギュラのマルコム・マクダウェルの演技も「狂気のアイコン」ではなく、カリギュラを初めから狂人としてではなく、権力と喪失体験によって段階的に変質していく人間として捉え直せる構成になっている。


〇編集思想と制作史の問題

本作最大の特徴は、1980年公開版の映像を一切使用せず、未使用ネガのみで再構築されている点にある。プロデューサーのトーマス・ネゴヴァンは、約90時間に及ぶ素材を精査し、脚本の異なる複数バージョンや制作関係者の証言を踏まえて編集を行った。

このアプローチは、

  • 「失われた作者の意図」を復元する
  • 商業的歪曲を除去する

という点で、映画修復・再編集の理想形に近い。しかし同時に、本作は重大なパラドックスを抱えている。

それは、『カリギュラ』という作品の悪名そのものが、商業的歪曲の産物であったという事実。

 

1980年公開当時は、歴史ドラマとして公開された『カリギュラ』は、実際には過激な性描写を前面に押し出したエクスプロイテーション映画であり、タブーやセンセーショナルな題材を集客のために利用する作品だった。その過激さゆえにアメリカの一部地域で上映禁止となったが、逆にそれが話題性を高め、日本では「禁止されるほど見たくなる」「他者からダメと言われると反対にやりたくなる」という逆説的心理を指す「カリギュラ効果(現象)」という言葉が生まれるきっかけとなった。


〇「正しい映画」と「記憶される映画」の乖離

究極版は、監督のティント・ブラスと主演のマクダウェルが目指したであろう「歴史悲劇としてのカリギュラ」に確実に近づいている。
実際、演技の焦点化、場面構成の整理、音響や画質の改善によって、作品の完成度は客観的に向上している。しかし同時に、1980年版が持っていた

  • ポルノと芸術の境界を破壊した異物感
  • 商業映画としての暴走
  • 観客の倫理を試す不快さ

といった要素は、意図的に排除されている。

その結果、究極版は「より良い映画」にはなったが、
「語り継がれる映画」としての毒を失ったとも言える。


〇上映時間と演出密度

178分という上映時間は、権力悲劇としては過剰である。
セットの豪華さに比べて、下手な演技やチープな踊りなどが反復し、グダグダと長さだけが目立つ。
結果として、スペクタクル感が昇華する前に消滅する瞬間が多い。

これは、編集によって「説明可能な映画」にした代償とも取れる。


〇評価と結論

『カリギュラ 究極版』は、映画史的には重要であり、修復プロジェクトとしては誠実である。

だが同時に、『カリギュラ』という作品が持っていた“逸脱の力”を弱体化させたバージョンでもある。

評価:B−

本作は、

  • 「本来あるべき姿の『カリギュラ』」を知りたい観客
    には薦められるが、
  • 「なぜこの映画が伝説になったのか」を体感したい観客
    には、1980年版の方が適切かもしれない。

映画は常に「正しさ」よりも「記憶」によって生き延びる。
その意味で、『カリギュラ 究極版』は正しく、そして少し惜しい作品である。

以上

 

作品情報

  • 作品名:恋愛裁判

  • 監督:深田晃司

  • 製作年:2025年

  • 上映時間:124分

  • 製作国:日本

主演の山岡真衣を演じる齊藤京子は、日向坂46の元メンバーで、実際にアイドル経験を持つ俳優である。本作では、他の出演者にも元アイドルが起用され、アイドルのマネージャー役を唐田えりかが演じている。

本作は、アイドルの「恋愛禁止ルール」を題材に、裁判という枠組みを用いて描かれる社会派ドラマとして紹介されてきた。

 

サクッとシネマの解説はここ↓


あらすじ

人気上昇中のアイドルグループ「ハッピー☆ファンファーレ」でセンターを務める山岡真衣は、偶然再会した中学時代の同級生・間山敬と恋に落ちる。

恋愛禁止というアイドルとしての立場と、一人の人間としての感情の間で葛藤する真衣。ある出来事をきっかけに、彼女は恋を選ぶ決断をする。

それから8カ月後、真衣は所属事務所から「恋愛禁止条項」の契約違反として訴えられ、裁判にかけられる。
法廷で事務所側から追及される彼女の姿を通して、日本独自のアイドル文化と、暗黙の了解として存在してきた恋愛禁止ルールの是非が問われていく。

劇中に登場する架空のアイドルグループ「ハッピー☆ファンファーレ」の面々。


感想:法廷劇を期待すると違和感が残る

タイトルが『恋愛裁判』である以上、ある程度シリアスで構造的な法廷劇を想像して鑑賞した。しかし実際の本作は、法廷を主軸にした映画とは言い難い。

予告編では裁判シーンが前面に押し出されており、アイドル文化に詳しくない観客でも「法廷ドラマ」として興味を持つ構成になっている。そのため、タイトルと予告編に導かれて観た人ほど、本編とのズレを強く感じるのではないだろうか。

映画の大部分は、アイドルグループの日常や活動、恋愛に悩む主人公の心情描写に割かれている。
それ自体が悪いわけではないが、「裁判」という設定が十分に機能しているとは言えず、結果としてテーマが散漫になってしまっている印象を受けた。

唐田えりかの無駄使い・・・


恋愛禁止ルールと人権問題の扱い

本作がもし、恋愛禁止ルールそのものを

  • 日本国憲法第11条「基本的人権の尊重」

  • 第13条「幸福追求権」

といった観点から真正面から問う作品であるならば、裁判という場は極めて有効な装置になり得たはずである。

しかし実際には、法廷での議論は断片的で、踏み込みも浅い。
恋愛禁止が「どこまで正当なのか」「契約として有効なのか」といった核心部分が十分に掘り下げられないまま物語が進んでいくため、社会派ドラマとしての切れ味には物足りなさが残る。


他作品との比較で際立つ弱点

同日に鑑賞した『マーシー AI裁判』は、画像や動画といったデジタル証拠を積極的に使い、裁判そのものを視覚的・構造的に描いた法廷劇だった。

それと比較すると、本作は「裁判」という言葉をタイトルに冠しながら、その舞台を十分に活用できていない。
法廷はあくまで装置の一つに留まり、物語の推進力にはなっていない。

 


評価とまとめ

評価は B−

タイトルと予告編が示す内容を期待して観ると、どうしても違和感が残る作品である。一方で、アイドル文化に強い関心があり、登場人物の感情や日常描写を中心に受け取れる観客であれば、印象は変わるかもしれない。

印象に残った点としては、倉悠貴演じる主人公の恋人役のパントマイム、ボールジャグリングなどの大道芸は努力が感じられた。

また、終盤で描かれる「同性なら恋愛は許されるのか」という価値観の転換など、部分的には興味深い場面もあった。

ただし総じて、本作のストライクゾーンはかなり狭い。
そして本作が2025年・第78回カンヌ国際映画祭で、『国宝』『ルノワール』『遠い山なみの光』

『8番出口』と並び、出品されていたという事実には、正直なところ驚きを禁じ得なかった。

以上

 

本日も映画のハシゴをしてきましたが、実はもう一本もタイトルに「裁判」が付く映画で、『恋愛裁判』でした。
こちらは日向坂46の元メンバー・齊藤京子さんが主演。
「アイドルが恋愛したらNG」という世界観のもと、実際に法廷で賠償命令が出た事案をベースに

制作された作品です。
こちらは動画にするかどうか、現在検討中。

 

サクッと映画を紹介する「サクッとシネマ」はここ↓

 


〇あらすじ

近未来、司法をAIが担う世界。
敏腕刑事レイヴンは、自らが提唱したAI裁判制度「マーシー裁判所」によって、妻殺しの容疑で拘束されてしまう。

事件当日の記憶は断片的。
無実を証明できなければ即処刑という、極限の状況に追い込まれる。

残された時間はわずか90分。
レイヴンは世界中のデータベースを駆使して証拠を集め、AI裁判官が算出する「有罪率」を下げるため奔走する。

AIによる完全管理社会の恐怖と、人間の意志を描いた、リアルタイム進行のアクションスリラー。

2026年製作/100分/PG12/アメリカ


〇感想

率直に言って、ものすごく面白かったです。

映画が始まった瞬間からフルスロットル、ノーブレーキ。
観終わった後は「一気に走り切ったな」という感覚でした。

ただ、正直に言うと、映画開始から10分ほど経ったあたりで少し不安になりました。
「この映画、AI裁判所のCG空間だけで、まるで舞台劇のような映像を最後まで見せられるのでは?」と。

ところが、その不安はすぐに払拭されます。
物語が進むにつれて世界観が徐々に明らかになり、観客は90分間、主演のレイヴンと共に“真犯人探し”に没入することになります。


〇本作の没入感が高い理由

本作の独自の没入感を生み出している最大の要因は、
現代のネット社会・クラウドによる情報管理が、

そのまま延長線上で成立しうるリアリティにあります。

写真や動画は至る所で撮影され、
自宅でも街中でも常時ウェブカメラに記録されている。

さらに、人の行動は映像だけでなく、
キャッシュカードの利用履歴、位置情報、会社の出退勤データなど、
テキストから画像まで、あらゆるデータとして管理されている。

「これだけ情報が揃っているなら、人を裁くことも可能なのでは?」
そう思ってしまうリアルさが、この映画にはあります。


〇過去の刑事ドラマとの対比

1970年代の刑事ドラマでは、
刑事が自ら現場に赴き、足で情報を集め、聞き込みを重ね、証拠を積み上げていく。

いわゆる「捜査は足でかせぐ」という時代です。

その代表作が、映画『砂の器』。
丹波哲郎演じる今西刑事と、森田健作演じる若手刑事・吉村は、
東京から秋田、島根、石川、三重、大阪と、日本中を旅するように捜査を続けます。

「ムダと手間を食うのが捜査なんだよ」
そんな台詞が象徴するように、時間と労力をかけて真実に近づく捜査でした。

しかし、これを現代に置き換えたらどうなるか。
監視カメラ映像ひとつで、事件は即解決。
AI裁判なら、半年の捜査が数秒で終わってしまう。


〇『マーシー AI裁判』の世界

本作の舞台は、そう遠くない未来――2029年のロサンゼルス。

犯罪は増加し続け、刑務所は常に満杯。
法廷も「行列ができる状態」で、一件の事件に何か月もかけていられない。

そこで開発されたのが、AI裁判。
そして、そのAIを擬人化した存在が「マーシー」です。

本作に登場する警察描写も非常に魅力的。
特に、女性警官が操縦する“空飛ぶ白バイ”(勝手に命名していますが)がとにかくカッコいい。

陸路なら30分かかる場所へ、空路なら5~6分で到着。


主人公レイヴンは90%以上の時間を裁判所の椅子に縛り付けられたままですが、
現場で動く警官たちとのシーン配分が絶妙で、全く退屈しません。


〇ラストについて

そして本作のラストは、
意外な方向へ大きくシフトチェンジします。

最後までハラハラ、ドキドキ。
ここは完全にネタバレになるので語りませんが、
ぜひご自身の目で確かめてほしいポイントです。


〇評価とまとめ

評価は A。

近年の近未来映画の中でも、かなりの秀作だと思います。

法廷劇、ミステリー、そしてアクション要素も豊富。
ぜひ 大画面・大音量の映画館で、
フルスロットル、ノーブレーキで鑑賞してほしい作品です。

また、画面上には犯人を追い詰めるための映像資料やデータが数多く登場します。
そのため、個人的には 吹き替え版での鑑賞がおすすめです。

以上

 

 

映画『国宝』をIMAX上映で鑑賞した。
本作についての感想や解釈は、これまでYouTubeや各種SNSで繰り返し述べてきたため、作品全体の評価にはあえて踏み込まない。ここでは「なぜ『国宝』をIMAXで観る意味があるのか」という一点に絞って書いておきたい。

これまでIMAXでは『ゴジラ-1.0』から、『タイタニック(25周年上映)』といったような、映画を

いくつか鑑賞してきた。
料金は決して安くないが、その分「アトラクション的体験」を期待して足を運ぶ、というのが正直なスタンスだった。

一般論として、IMAXはアクション映画やパニック映画、スペクタクル作品と相性が良い。
では、歌舞伎を主軸とする本作『国宝』に、その効果はあるのか。
鑑賞前は正直、疑問の方が大きかった。

IMAXについての専門的知識はないが、理解している特徴は
「大画面・高画質・高音質」
その程度である。
その前提の上で、率直な感想を記す。


京都・二条TOHOシネマズで鑑賞。劇場が限られているのが玉に瑕。

台詞が“届く”という体験
まず特筆すべきは、台詞の聞き取りやすさだった。
これがIMAXの音響効果によるものなのか、あるいはすでに6回以上観ていることによる理解の深化なのかは断定できない。

ただ、明らかに「言葉が入ってくる」感覚があった。

たとえば、少年時代の喜久雄(黒川想矢)が発する
「生みの母が――」
という台詞。
これまで何度も耳にしてきたはずの一言が、今回は妙に強く引っかかり、「あ、何度も言っている言葉だったのか」と、あらためて意識させられた。

この台詞は、物語の核心に直結している。

映画に登場する喜久雄の母・マツ(宮澤エマ)は育ての母であり、
本来の産みの母・千代子は原爆症を患い、喜久雄が2歳の時に病死している(※千代子は原作小説のみに登場)。

千代子に代わり、喜久雄の世話と看病をしていたのがマツだった。
そして「堅気にさせてほしい」という産みの母の願いは頑なにマツは守ると同時に

歌舞伎に魅せられ、喜久雄に女形を学ばせたのもマツである。

 

育ての母・マツの詳細はここ↓

 

映画冒頭、花井半次郎(渡辺謙)が宴席に現れた際、
マツが目を輝かせ、羨望の眼差しで彼を見つめるカットがあるが、
あの一瞬に、彼女の“選択”と“罪”が凝縮されているように思える。

IMAXの音響は、こうした台詞のニュアンスをより鮮明に浮かび上がらせていた。

 

「歌舞伎を観ている」という錯覚
大画面による効果は、歌舞伎の場面でこそ真価を発揮する。

スクリーンのサイズ感によって、
映画を観ているというより、劇場の客席に座っている感覚に近づく。

劇中、三階席から舞台を見下ろすショットがあるが、
あの場面では思わず身体がフワリと浮くような、
落ちそうな錯覚すら覚えた。

これは家庭用モニターでは得難い体験だ。

IMAXが最も力を発揮する瞬間

そして何より、本作最大の見せ場である
ラストの「鷺娘」。

国宝に認定された喜久雄が、圧倒的な技量で踊り切るこの場面で、IMAXの映像表現は決定的な効果をもたらす。

漆黒から濃紺へ、
濃い紺から浅葱色へ、
そして最後に、光を放つ白へ。

衣装の色彩の移ろいが、単なる美しさを超え、
「完璧に踊り切った者だけが到達できる境地」を可視化している。

観客は喜久雄と同時に、その陶酔の世界へ引きずり込まれる。
この瞬間のためにIMAXがある、そう感じさせる説得力があった。

音楽が“距離”を消す

エンディングで流れる「Luminance」も印象深い。
目を閉じて聴くと、まるで耳元で歌われているかのような距離感が生まれる。

映像だけでなく、音響においても、
IMAXは作品世界への没入を一段引き上げていた。

 

※大ヒット御礼特典第2弾ももらった!



結論
IMAX鑑賞は、単なる“贅沢な上映形式”ではなかった。
映画『国宝』を、さらに一段高い次元へ押し上げる装置として、確かな意味を持っていた。

鑑賞料金以上の価値は、間違いなくあった。

IMAXで観た『国宝』は、
これまで観てきた『国宝』とは、わずかだが決定的に違う映画だった。

以上

ドラマ『俺たちの旅』は高校生の頃にテレビで視聴していた。その後に制作されたスペシャルドラマは未見である。当時は、3人の破天荒な行動にやや引き気味になりながら観ていた記憶がある。そのような距離感のまま、本作を鑑賞することになった。

 

 

〇あらすじ

昭和の名作ドラマ「俺たちの旅」の世界を、20年ぶりの続編として映画化した作品。

70代を迎えたカースケ、オメダ、グズ六の3人は、それぞれの立場で穏やかな日常を送っていたが、再会や不可解な出来事をきっかけに、過去の記憶と向き合うことになる。

とりわけ、亡くなったはずの元恋人・洋子が生きているかもしれないという事実が、カースケの人生を揺さぶる。

友情、恋、悔恨、そして再生を描き、長い歳月を経た男たちの「旅」の続きを静かに紡ぐヒューマンドラマ。

2026年製作/109分/G/日本

 

〇感想

本作は、少なくともアラカン以上の世代でなければ受け入れにくい作品だと思う。
加えて、当時のテレビドラマを未見の観客にとっては、物語展開のチープさに違和感、

場合によっては怒りすら覚えるのではないだろうか。

作中の台詞にもあるが、「いつまで友達ごっこをしているんだ」という印象を抱かせる映画である。

現在の出演者たち

 

一方で、当時のドラマのファンであれば評価は大きく変わる。

中村雅俊が歌うテーマ曲(オープニング「俺たちの旅」、エンディング「ただお前がいい」など)、

劇中の挿入歌、そしてお決まりの3人の会話や関係性が、良くも悪くも当時のまま描かれており、

懐かしさに支えられて最後まで鑑賞できるだろう。

また、スクリーンサイズも昭和のテレビを思わせる比率で統一されており、その点も含めて徹底した懐古主義の映画である。

70年代の画面のざらつきがいい

 

しかし、映画作品として大きな視点で見ると、評価はどうしても低くならざるを得ない。

複数のエピソードが脈絡なく中途半端に挿入され、観客を置き去りにしてしまう構成だ。
特に、オメダ(田中健)の妹・真弓(岡田奈々)が、入手経路不明の拳銃を突然発砲する場面や、

カースケ(中村雅俊)の元恋人・洋子(金沢碧)が憑依したかのような描写は、サスペンスや

心霊ホラーを思わせ、作品世界に不要なノイズとなっている。

また、劇中にテレビドラマ本編の映像を大量に挿入し、それに多くの上映時間を割いている点も気になった。

出演者の多くが高齢であることもあり、画面全体に動きが乏しく、「よく最後まで寝ずに観られたな」と自分でも感心するほどである。

もっとも、これらの不満点も含めて受け入れてしまうのは、自分が「俺たちの旅」のファンであり、昭和という時代そのものが好きだからなのだろう。

「俺旅」の岡田奈々さん。可愛かったなぁ~

 

評価はファン目線でB。
映画として客観的に見ればC。

改めて、「俺たちの旅」は1970年代、あの時代だからこそ成立した作品だったのだと実感した。
サブスクで、テレビドラマ版の「俺たちの旅」をもう一度見直そうと思う。

以上

 

 


1979年か1980年頃だったと思う。
たしか地元の三番館、弥生座系の場末の映画館で、
B級の刑事アクション映画との併映上映だったと記憶している。

主演は映画『時計仕掛けのオレンジ』のマルコム・マクダウェル。現在は82歳。

 

この映画は“完成した姿”で公開されることを許されなかった。
モザイク、カット、検閲――

モザイクが強力で、目を細めて観ても

スクリーンに何が映し出されているのか分からない。
狂気の核心は徹底的に隠蔽され、
観客は断片だけを見せられていた。

それ以来、観る事は無かった・・・


だが、2026年1月23日。
ついにその封印が解かれる。
検閲なし。妥協なし。言い逃れなし。
暴君カリギュラの狂気が、
完全ノーカットで解き放たれる。

 

テアトル梅田へGO!

 

※本作は【R18+指定】作品です。

過激な性描写、暴力表現、倫理観を強く揺さぶる演出が含まれます。
18歳未満の方の鑑賞はできません。あらかじめご了承ください。

以上