第78回 森永卓郎『ザイム真理教』 | 不快速通勤「読書日記」 ~ おめぇら、おれの読書を邪魔するな! ~

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読書のほとんどは通勤の電車内。書物のなかの「虚構」世界と、電車内で降りかかるリアルタイムの「現実」世界を、同時に撃つ!

おれは、何が苦手かって、他ならぬ「経済学」に苦手意識をもっている。

資本主義社会で生活している限り、「お金」が必要なのはわかっている。だが、おれの心のどこかに、むかしから、「金に汲々としたくない」という意識があって、そのため「経済に詳しくなって金を得よう!」という気持ち自体が、どこか「卑しい」ものに感じてしまう。

もちろん、経済学を学ぶ意義は「自分が得をする」だけに留まらないことも理解しているつもりだが、やはりおれにとっては、夢中で学びたくなる分野ではない。


経済(学)については生活に必要最低限の知識だけ持っていればいい・・・、と考えてきたのだが、その「必要最低限」のレベルが変容してきているのも事実なのだ。


その時代時代で、税制をふくめた経済政策にはかならず問題があり、概して庶民は搾取の対象ではあるのだが、それでもまだ、昭和の時代には(経済成長時代だったこともあり)、「お上に任せておけばいい」「それほど悪いようにはしないだろう」「よきに計らってくれるにちがいない」という期待や安心感も存在した。
おれの親の世代などは、けっこう恩恵を受けてきたと思う。



しかし平成に入って消費税が導入されたのを機に、日本の経済発展にブレーキがかかりはじめ、税率が増すほどに景気は冷えていくことになる。

そのような状況にあっては、経済学に関する必要最低限の知識レベルを上げておかないと、無防備に「毟られる」だけになってしまう。


「子供どもや孫の代に一人頭○○○万円の借金を残してはならない!」という偽スローガンを、真に受けているレベルではいけないということだ。

そして、そういった偽スローガンで(官僚や富裕層以外の)国民を騙し、日本国や日本国民の益よりも、省益とみずからの出世・保身を優先する財務省の所業をカルト教団の洗脳に喩えて非難しているのが、


森永卓郎著

 

『ザイム真理教』

 

である!!


すでにベストセラーになっている著作だが、カタカナ書きの「ザイム」を見てすぐに「コエンザイム」を想ったおれは、「健康食品バイアス」に囚われているのだろう。(コエンザイム配合のサプリを利用しているわけではないが)

ともかく、本書を読めば、経済学のイロハや、庶民に隠されている真の経済状況を知ることもできるのだが、はっきりいって、これは「経済学」の本ではない。

そうではなく、欲得に憑かれたエリート官僚たちの宿業を描いた告発書であり、ひいては、(条件さえ整えば)慾望の無間地獄に陥ってしまう人間というものの宿痾(しゅくあ)=難治性の病を描いたノンフィクションだ。

さらには、無自覚のうちに「カルト」に洗脳されてしまっている者たちに、「目覚めよ!」と檄を飛ばしている啓蒙書でもある。

著者が東京大学卒業後、日本専売公社(現JT:日本たばこ産業株式会社)に勤めていた時代に関わりを持たざるを得なかった(当時の)大蔵省の専横ぶりが第1章で紹介されている。これなどは、まさに「戯画」と言える。

生まれてから試験勉強「しか」せずに成人になると、人間は容易に「鳥」や「猿」や「豚」になるんだな~、と思ってしまう。


ザイムカルト真理教の教義の核にあるものは、端的に「財政均衡」だ。

歳入と歳出のバランスをとり、歳入が歳出を上まわることが「善」であり、歳入を増やすための最大で最良の手段が「増税」である。まかりまちがっても、「通貨発行益」によって歳入を増やすなどということをしたら、日本経済はすぐに破綻する・・・というのが教義の基本となるものだ。

そして、本当に日本および日本人の益を考えた場合、その一見もっともらしい教義はまったくの誤りである、ということを本書では繰り返し繰り返し説いている。


財政均衡に固執し、税を上げることを手柄とするザイム省の益と、日本および日本人の益は相反する。日本が滅びてもザイム省とザイム官僚さえ繁栄すればいいのだという思考と、地球が滅びても自分の家族だけが繁栄すればいいのだというDeep・Sの狂った思考は共通している。健康のためには死んでもいいという、戯画化された「健康オタク」の愚かで近視眼的な思考と同じである。

 

もっとも、財務省はDeep・Sの出先機関なのだから、同じ思考で当然だ。


さて、先ほどおれは、「(官僚や富裕層以外の)国民」と書いた。(  )のなかに、あえて政治家を入れなかった。なぜなら、財務省のカルト教義の洗脳対象に政治家も含まれているからである。

むしろザイム官僚にとって、もっとも洗脳させるべきは政治家であり、なかでも最大のターゲットは首相である。首相を自分たちの教義の信者にすることが最高の誉れなのである。

そのためには、ご意見番としてターゲットに近づき、何度も繰り返し耳元で教義を唱えつづける。

もともと消費税反対を唱えていた野田元総理大臣もターゲットになった一人である。

 

財務省は笑いが止まらなかっただろう。もともと自分たちに敵対する思想を持っていた政治家が、説教を積み重ねるなかで自分たちの信者になり、さらにそこから総理大臣にまで出世して、消費税増税というザイム真理教にとってもっとも重要な教義を実現したからだ。(P35)

 

そのなかにおいて著者は、ザイム真理教に取り込まれなかった稀有な首相として安倍元総理を賞賛している。

在任中に、2度も消費税額を引上げた安倍氏が、なぜ教義に取り込まれたとはいえないのか?
結局増税はしたものの、そこに至るまでに、引上げを2度も「延期」したことにこそ、安倍元総理の「反財務省」の姿勢がうかがえたからである。


ところでザイムカルト官僚は、この誤った教義を、自分たちの益のために、誤っていると解っていて方便として布教しているのか。

 

それとも、ザイムカルト官僚自身がその教義を信じているのか?

どうやら、概ね後者のようだ。
 

大蔵省(財務省)のキャリア官僚というのは、東大法学部出身者が多い、出世コースに乗っている人に限れば圧倒的に東大法学部だ。法学部出身だから、あまり経済学を勉強していない。だから、財政均衡、すなわち税収の範囲内に歳出を収めるという経済学的にはありえない話を「正しい」と思い込んでしまったのだ。(P26)

 

若手の財務官僚の半数は、財政均衡主義に疑問を持っているのだという。ただ、そのことを省内で口に出すことはできない。もしそんなことを言ったら、出世コースから外されるか、最悪の場合、地の果てに飛ばされてしまうからだ。だから中高年の上司の前では、財政均衡は大切だと言い続けないといけない。そうして、何度も財政均衡を口にするなかで、だんだん財政均衡主義が体中を蝕んでいく。そのマインドコントロールは強烈だ。(P28)

 

本書では、高級官僚がいかに優遇されているか、いかに自分たちに都合のよい制度を作っているか、あるいは、官僚と一蓮托生である「富裕層」にいかに配慮しているかも解説している。

なかでも「庶民」の盲点をつくのが、「富裕層は消費税をほとんど負担していない」という事実である。
 

富裕層は、自分の会社を持っているか、会社の経費を自由に使える人たちだ。消費税には仕入れ控除という仕組みがあり、経費で支払った消費税は、会社が消費税を納税するときに控除できるのだ。その仕組みを使えば、消費税を負担せずに、モノやサービスを購入できる。
会社でクルマを買えば、車両代金だけでなく、ガソリン代や高速道路代や整備代など、あらゆる支出に伴う消費税を取り戻せる。(中略)カルロス・ゴーン氏は、妻の誕生日を祝うパーティーの費用も会社に付け回していた。
(中略)富裕層にとっては消費税率はいくら上がっても、懐は痛まないのだ。(P165)

 

おれはかつて会社を立ち上げることを考えていた時期があったので(これからも、条件が整えば法人を設立しようという意志はある)、この消費税控除のことは知っていた。

だが、こうしてあらためて読むと業腹だよな~。

たとえ、おれが会社を立ち上げても、おれが考えている事業だと「富裕層」になれるほど稼ぐことは難しいだろうし、その場合、経費で落とせる額もたかが知れている。だが、理不尽な消費税に対抗するためにも、本気で法人を立ち上げようかと考えてしまう。

まあ、でも、悪法のなかを巧く渡り歩くことを考えるよりも、悪法そのものの廃止を目指す姿勢のほうが、まっとうだろう。

あと、本書では、官僚の「少子化対策」が的外れなのは、自分たちがいかに恵まれているかに気づいていない「官僚バイアス」があるからだと説いている。

官僚たちは、自分たちが子供を授かった場合に「嬉しい」と思うような「子育てに対する金銭支援」を手厚くすることを考える。そうすれば、子供を産もうとするカップルが増えるだろう、と。

しかし、そもそも「収入が低すぎて結婚できない」人が多いのだから、非正規社員をふくめた最低賃金の大幅引き上げ等の対策が必要なのだが、官僚にはそのような発想がない。


最後に、本書の記述で残念なことがある。

それは、著者の森永卓郎が「コロナ禍」の存在を疑っておらず、コロナ対策にかける補助金などの費用が年々減じていることを本気で憤慨している点だ。

これなどは、コロナ禍対策としていかに無駄な金が浪費されたかを非難することこそが正解だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マンガにもなっている。2月2日現在は「予約受付中」だ。

 

 

 


島田荘司の傑作長編。1989年(平成元年)4月1日に初めて消費税(3%)が導入された。買い物の際に(わけのわからない)消費税を請求された老人が店主に腹を立てて刺殺した、というのが導入部だ。殺人の動機になり得る(?)消費税。