読んだ通りの意味で、水を掬ったら、その水に月が映っていた。
禅的には、どう解釈するのかしら?
手の届かないこと、ものだと思っていても、
いざ、思い切って行動に移してみると案外、手にすることができるものだ
ということかしら、と勝手に前向きに解釈しましたが・・・。
あるいは、普段は気づかなくても、いつも手の届く所に、
自分を照らしてくれる人物がいるものだ、
と解釈してもいいかも・・・。とか。
「月に遊ぶ」で臨済宗相国寺の現管長、有馬頼底氏が、古希の時の書。
現在、相国寺、金閣寺、銀閣寺の3つのお寺の住職をおつとめでいらっしゃる。
花は、吾母紅、金水引、底紅。
干菓子は、金沢の老舗「諸江屋」のひまわり。
とっても綺麗で、食べるのが申し訳ない気がして・・・
諸江屋さんのHPは http://moroeya.co.jp/