佐藤輝明のグリップがどうすれば「深く」なるか。
どう説明すれば「低い方がいい」とわかるのか。
事務所で素振りしていて(バットは持ってませんよ・・)思い切り椅子の背に右手をぶつけた堂島猛虎会 会長です、こんにちは。
さて、不定期でお送りする「阪神にいたっけ?」series、
今回は『高橋慶彦』選手
週刊ベースボール
広島カープでの実績は誰しもが認めるところ。
この選手が何故か最終はタイガースで引退した。
「タイガースにいたっけ」というよりは
「タイガースで何してたっけ?」という選手ではないか。
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1974年にドラフト3位でカープに入団。
翌年からスイッチヒッターに転向。3年後には古葉監督に目をかけられレギュラーに定着。
スイッチヒッターとして打率3割を5年、20本塁打以上を4度記録。
33試合連続安打の日本記録をマークしたほか3度の盗塁王、5回のベストナイン 表彰など、走攻守にバランスのとれた名選手であった。
・・・が、私の記憶が薄いのは何故だろう。
おそらくは・・・「嫌いだった」からだろうと思う。
嫌いな選手がなぜ、タイガースにくるのか?
そもそも14年も好成績を残したカープを何故、出たのか。
カープでは14年で通算打率.285、
本塁打も154本放つなど華々しい活躍。
広島の選手としては数少ない全国区のプレイヤーだったがその反面、
「遊び人」として知られるなど野球以外の話題も多かった。
カープ在籍の晩年には通算477盗塁を記録した脚力も衰え、遊撃のポジションも台頭してきた若手の野村謙二郎に奪われる。
また、1989年オフにはRCC(中国放送)が開幕直前に激励会を開くことに対して反対し、その会を欠席したことで球団との関係が悪化し、それがトレードへと発展したと最近のyoutubeでも話している。
当時知り得た情報から思う高橋慶彦のイメージはそんなわけで良くなかった。
その後、ロッテに移籍するが・・・
ロッテは高沢秀昭、水上善雄という当時の生え抜き幹部候補生を放出してまで高橋慶彦を獲得した。
だが、そのロッテもわずか1年で出てしまう。
噂では金やん(金田正一監督)と揉めたとか・・・。
それもオールスター休みに朝の散歩に付き合わされて揉めたとか・・・
いやその真偽はどうでもいいがようするに「そういう事を言われる選手」だったのだろう。
そんな選手がタイガースに。
しかもドラ1投手、遠山奬志(当時は昭治)とのトレードだ。
この「「阪神にいたっけ?」serieでおそらくは毎回つぶやく
「何しにきたんや・・・」
という台詞をこのときも口にしたと思う。
走攻守の力はもうカープ晩年には奪われ、
またタイプ的に過去の財産で打席に立てる選手でもなかった。
タイガースには2年いたわけだが、ロッテ時代と同様、初年度は外野手としてレフトを守って57試合で26安打。
最終年にはショートに戻るが新人の久慈照嘉の台頭により出場機会がなくなり、わずか19試合、27打席で5安打という寂しい数字で引退した。
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先に書いた「嫌いだった」という理由の中には、阪神戦で「痛い目にあわされた」というイメージもある。
つまり、いいところで打たれた、走られた、など「こいつタイガース戦になったら張り切ってるんちゃうか」と思わせる活躍があったということ。
そんな選手が回り回って贔屓チームの一員になったかと思ったら、当時の面影はなく、枯れただけの選手になっていて、なおさら「嫌いになった」のだろうと思う。
また移籍当時、1991年と言えば暗黒時代のど真ん中。
背番号2を背負わせ、かつての名選手にも何かを期待したのだろうか。
「何しにきたんや」と思う暇もなく「何もせず」去っていった。
またこの背番号2という背番号もことタイガースにとってはちょっと曰く付きの数字ではないかと思っている。
がその話はまたあらためて。
あ。
そういえばこの高橋慶彦、珍しい記録を持っている。
すでに書いた通り、3度の盗塁王を獲得しているのだが
1983年に70盗塁をマーク。
だがこの数字で盗塁王は獲れなかった。
70盗塁は「盗塁王をとれなかった」数字として最多記録なのだ。
その年、盗塁王を獲得したのは・・
76盗塁の・・・
そう
「青いイナズマ」
だ.
(しっているかな。。)
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