CSは1stステージを勝ち抜けたものの、ファイナルステージは順当な結果となり。
矢野燿大の4年間が終わった。
矢野監督については2月1日、キャンプインの日に辞任を公表するという暴挙にでたニュースを聞き、記事を書いた。
このときからあらためて書き足すことはあまりない。
全編読み返していただいてもいいが、後半、私の矢野監督への気持ちを綴った部分を抜粋して転記しておく。
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プロ野球球団の監督というものは、おおよそは「なりたくてなる」がほとんどではないだろうか。
現役を退き、次は指導者として。さらにはその頂点にたち采配を振るいたい。
または
話をもちかけられて「その気になる」か、だ。
その場合も「嫌な気はしない」から受けるのだ。
「いやいややる」というのはまずいないとは思う。
だが、「仕方なくやる」人はいると思う。
それが「代行監督」だ。
よくあるのはシーズン途中、成績不振からフロントから「休養」を言い渡され、ヘッドコーチ などがそのまま代行で監督を務めるというもの。
矢野燿大はまさしく金本知憲前監督の代行監督であったのではないだろうか。
盟友・金本知憲の志を引き継ぐ意味で「仕方なく」受け入れたのだろう。
だが矢野燿大は金本に向けられた「外様扱い」の剣が自分にも向けられるとは思ってもいなかったのではないか。
野村克也や星野仙一のうように、あきらかに他球団からの招聘とは違って金本も半分は「タイガースの血」があると自分では思っていたはず。
矢野燿大は選手時代タイガースに来てからFA宣言をして残留というのを2度やっている。
大阪市喜連瓜破の出身で桜宮高校卒業であり、それは金本知憲とは違う関西土着の人間である。
にもかかわらずの「外様扱い」に愕然としたのではなかろうか。
打撃コーチから今季ヘッドコーチの井上 一樹。昨季退任した清水雅治前ヘッドコーチ。
今季も工藤 隆人の招聘。
しつこいまでのドラゴンズカラーの注入。
それはフロントに対する矢野監督の抵抗のように思えた。
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矢野監督の4年間の成績。
就任から4年連続Aクラスとは球団初だそうだ。
矢野燿大が繰り返した「俺らの野球」とは何だったのか。
選手が「自分で考えて動く=野球脳の教育」でもなく
選手が「失敗をおそれずチャレンジすること」だったか。
失敗しても次に取り返す努力が必要ではなかったか。
繰り返し同じミスを連発する選手を「攻めた結果」ではあまりにも指導者として稚拙なのではなかったか。
マルチポジションは「選手の出番が増える」と聞こえはいいが
当会の見解は
「グラウンドに下手が散らばる」
であった。
下手から下手の交代、守備固めならぬ「守備緩め」の場面も幾度となく見た。
来季、岡田彰布は「ベンチワークで勝つ」と明言した。
矢野燿大にとっては「ベンチワークは悪」であったのだろうか。
ベンチワークで買っても意味はない。
選手のためにはならない、と。。。
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キャプテンは航海を前に船を降りると宣言した。
そして秋からはまた巻き戻った時計を見ながら新しい船長の舵取りを見る。
本来であれば「就任から4年連続Aクラス」であれば船を降りる必要はなかったはずだ。
いといろと後を引く辞任であったと思う。
お疲れ様という言葉をかけたいが。。
やはりずっとこの言葉がひっかかる。
「俺らの野球」とは・・・・
何だったのか。
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