そもそもなぜうどん屋なのか? | 脱サラうどん屋のブログ

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滋賀県長浜市で脱サラでうどん屋を開業します。
開業前~開業後の日々の粉闘記です。

僕の妻の両親が夫婦で小さな食堂を経営していた。

8年ほど前に妻の母が他界し、父と妻とで店を続けていくことになった。そんなことで、僕も休みの日には、皿洗いなど手伝いにいくようになった。


父も高齢であり、跡継ぎもなく、この店は将来どうなるのかなと考えるようになり、そのうち自分にできないかと漠然と飲食業に興味を持つようになった。


家族経営の小さな食堂にしては、メニューがやたらと多かった。

麺類、丼、定食、一品料理、中華系もあった。冬季は、鍋物もやっていた。お客さんが一度に来られると厨房はてんやわんやの状態だった。素人考えでも、もう少しメニューを減らしてもいいのではと思っていた。


もし、僕がやるにしても、僕には料理経験がまったくないので、なんでもやの食堂の形態では無理、何か僕にでもできるものがないかなと考えていた時に、テレビで讃岐うどん屋の繁盛店のドキュメンタリー番組をやっていて、「これだ!」とひらめいた。


そんなことでうどんに興味を持つようになり、香川の讃岐うどんや、

大阪方面に多くあるうどん屋を食べ歩くようになり、うどんにはまってしまったのだ。



いろいろ調べてみると製麺機を使えば初心者でもおいしいうどんが打て、実際この製麺機を使って、脱サラで繁盛店となっている店が多くあることもわかった。


うどんは、昔からあるものだが、子供からお年寄りまで食べられている食材であり、最近は、若者や女性向けのおしゃれなうどん屋もできてきて、繁盛している店も多い。僕も昔のうどん屋のイメージとは違うおしゃれなうどん屋をやりたいと思うようになった。


46歳の頃だったと思う。僕が50歳になったら父も80歳、50歳から早期退職制度があり、退職金も割増になることから、50歳で退職し、この店を継いでうどん屋を開業できないかと考えるようになった。


しかし、市役所を辞めるには、大きな覚悟とエネルギーが必要だった。50歳の時には、どうしても踏ん切りがつかず辞めることができなかった。


それでもうどん屋をやりたいという思いは募り2年が経ち、52歳になった。妻の父も82歳になり、体力的にも限界だった。

どうせやるなら早いほうがいい、ここが決断の時と決心した矢先に、昨年10月になんと妻の父が癌で急死してしまったのだ。


店は閉店状態になり、ゼロからうどん屋を開業したいという思いが一層強まった。これがタイトルの答えであり、今年3月で市役所を退職し、うどん屋を開業する。


開業までの日々を記録に残すため、できる限りブログに書き留めていきたいと思う。