秀逸だった中村梅之助の蔵六〜大河ドラマ『花神』ふたたび〜 | 天地温古堂商店

天地温古堂商店

歴史、人、旅、日々の雑感などを徒然に書き溜めていこうと思います。どうぞお立ち寄りください。

一人の男がいる。
歴史が彼を必要とした時、忽然として現れ、その使命が終ると、大急ぎで去った。
もし、維新というものが正義であるとすれば、彼の役目は、津々浦々の枯れ木にその花を咲かせてまわることであった。
中国では「花咲じじい」のことを「花神」という。
彼は「花神」の仕事を背負ったのかもしれない。
彼、村田蔵六。
のちの大村益次郎である。


1977年。
いまから46年前の大河ドラマ『花神』の第1回オープニングのナレーションだ。

私はこの『花神』が、大河ドラマ全61作品のうち最も好きである。
硬派なリアリズム大河で、脚本も、俳優陣も、とにかく素晴らしかった。

その『花神』が帰ってくる。

 

大河ドラマ『花神』タイトルバック NHKウェブサイトより

「時代劇専門チャンネル」では、司馬遼太郎の生誕100年を記念して、ドラマで味わう幕末維新の群像と題して、2本の大河ドラマと映画作品などを放送。
大河ドラマ『花神』総集編が、8月から9月にかけて登場するのだ。

第1回 革命幻想
放送日:8月5日、9月8日

第2回 攘夷の嵐
放送日:8月12日、9月15日

第3回 崩れゆく長州
放送日:8月19日、9月22日

第4回 徳川を討て
放送日:8月26日、9月29日

最終回 維新回天
放送日:9月2日、10月6日

脚本は、大野靖子氏。
『国盗り物語』に続く司馬作品の脚本だ。

チーフディレクターがいう。

司馬さんの歴史を見る時の現代的な合理性と、あの時代の変革期の人たちの情熱ーー晋作であれ久坂玄瑞であれ、松下村塾の仲間たちがいて、奇兵隊を晋作が組織して、それが維新に繋がっていく。
それを分厚いドラマにするために、司馬さんが幕末について書いている本を全部使わせてくれと頼みました。


あまり知名度がなかった村田蔵六の『花神』のほか、吉田松陰、高杉晋作の『世に棲む日々』や架空の刺客が主人公の『十一番目の志士』、河井継之助の『峠』などの原作を下地に、『国盗り物語』でも戦国の司馬作品を手がけた大野氏が、見事に書き上げた。
司馬氏も彼女を信用していたようで、

名脚本家の大野靖子女史を迎えて、『花神』がドラマとしてどう表現されてくるのか、楽しみにしている。

と語っている。

主演の村田蔵六役は、中村梅之助。
俳優・中村梅雀の父君だ。

 

俳優・中村梅之助(1930~2016) NHKアーカイブスより

梅之助氏は2016年に85歳で鬼籍に入られたが、その数年前に『花神』についてインタビューを受けている。

司馬さんの『花神』を初めて読んだのは、NHK大河ドラマの役が決まってからです。
村田蔵六(のちの大村益次郎)は、「お暑うございます」と挨拶されると、「夏だから暑いのは当たり前です」と言う無愛想な人でした。


梅之助氏は劇団にある大村益次郎の資料を20冊ほど読み、それでも落ち着かないため、11日かけて、鹿児島、下関、山口、萩、宇和島、大阪、京都と、蔵六ゆかりの地に立ってどん欲に彼の息づかいを感じたと言う。

蔵六の写真は残っていません。

高杉晋作たち長州の仲間から「火吹達磨」と呼ばれたぐらい前頭葉が張っていて、眉毛も濃かった。
NHKのメークの坂本静春氏がカツラのオデコの部分に綿を詰めるなどして、一時間以上かけて火吹達磨になったんです。

 

大村益次郎 Wikipediaより

 

梅之助氏が蔵六という人をわかったと思ったのは、彼が生まれ故郷の周防・鋳銭司村に6年ぶりに戻ってきたときのエピソードを聞いた時だという。

戻る途中で顔見知りのおばあさんに会って、「若先生、近ごろ腰が痛くてたまらねえんだ」ときいたら、「ああそうか」と答えて、家に入るなり膏薬作りを始めた。
家伝ですから雨戸を閉め切って、しめ縄を張って薬作りを始めるわけです。
蔵六には、あったかい面があるんですよ。



大河ドラマ『花神』の主人公・村田蔵六(演:中村梅之助) NHKアーカイブスより

 

梅之助氏は、一度だけ司馬遼太郎と会って言葉を交わしたことがある。

1977年の大晦日、というから『花神』の放送が終わったばかりの頃だ。

その夜に司馬さんと京都ホテルでバッタリ会ったのです。
ビックリして「中村梅之助でございます」と頭を下げると、司馬さんも挨拶された。そして、そのまま慌ただしくお別れしました。


その話には続きがある。

実はそれより前に、司馬さんには公演のパンフレットに「蔵六という人」という一文を寄せていただきました。

司馬氏はその結びに、こう書いたという。

歴史は蔵六におけるその合理主義のうちのほんの一部の技術(思考の技術)だけを利用してかれの運命を転々させてしまい、私の『花神』の場合も、人間の一生というのはそういうことでひきずられてゆくものだという悲しみのようなものが主題になっている。
そういう本質や人間の全体像を中村梅之助氏はじつにみごとに演じきってくださった。
蔵六がもし観れば梅之助氏こそ私です、とめったにおかしがらないこの男が、顔をゆるめてしまうにちがいないと思った。


司馬遼太郎の賛辞はまだある。
パンフレットの原稿には一枚の手紙が添えられていて、「梅之助さんにお見せくださいませんか」と書いてあった。

手紙とはこうである。

小生は照れくさがりで、とくにえらい俳優と会うのはドキドキするほうで、つい失礼してしまいます。

本当に見事に演じてくださってありがとうございました。
やはり演芸史上に残る大きな演技だったと思います。


司馬遼太郎 NHKアーカイブスより


自分の作品を映像にすることを嫌っていた司馬遼太郎が、こうまで言うのだ。
大河ドラマの蔵六は、小説『花神』の蔵六そのものだったのだろう。

中村梅之助の言葉に、

役になれ、自分になれ

というのがある。

彼の父、三代目中村翫右衛門の教えだという。
夢中になればなるほど、それを演じている自分の中にもう一人の自分がいる。
それが〝自分になれ〟ということらしい。

大河で見た梅之助氏の役としての蔵六への深い傾斜も、司馬氏から得た賛辞も、その信念ゆえかと納得させられる。

◉第1回 革命幻想

緒方洪庵の適塾で蘭学を学び、将来を嘱望されながら故郷で村医者を継いだ村田蔵六。

嘉永6(1853)年、黒船来航という大事件が一介の村医者の人生を変えます。

蔵六は宇和島藩から軍艦作りを依頼され兵書を翻訳、兵術に精通していきます。

一方、長州の革命思想の源となる吉田松陰も時代に翻弄されていました。

蔵六とシーボルトの娘イネとの出会いやお琴との結婚、松陰が安政の大獄で処刑されるまでを描きます。

大河ドラマ『花神』の吉田松陰(演:篠田三郎) NHKアーカイブスより

◉第2回 攘夷の嵐

安政6(1859)年秋、桂小五郎ら松下村塾の門弟たちは、江戸・千住回向院の墓地に、処刑された師・吉田松陰の遺体を引き取りに行きました。
そこで女囚の医学的解剖を行う村田蔵六を見て、桂は蔵六こそ長州藩に大切な逸材になると考えます。

一方、松陰の処刑に憤った高杉晋作は、師の遺志を継ぐのは自分しかないと決意します。
長州藩は攘夷後の開国をにらみ、ひそかに若者たちを留学させるなど力を蓄えていました。

大河ドラマ『花神』の高杉晋作(演:中村雅俊) NHKオンデマンドより

◉第3回 崩れゆく長州

桜田門外の変、外国船砲撃と続く時代のうねりの中で、蔵六は長州に戻ります。
池田屋の変で新選組の襲撃を受け、報復で京へ攻め上った長州藩。
しかし、蛤御門の変で敗北、下関戦争にも完敗し、心ならずも朝敵として長州征討の勅命が下ります。
危機に陥った長州に俗論派が台頭する中で、高杉晋作が挙兵し倒幕派に統一。
やがて桂小五郎も潜伏先から戻り、蔵六は幕府との戦いに備えて民兵組織を作ります。

 

◉第4回 徳川を討て

桂小五郎から長州藩に招かれた蔵六は大村益次郎と改名し、兵力強化に尽力。
また、坂本龍馬の奔走で薩長同盟が結ばれ、時勢は一気に倒幕へと傾きます。
慶応2(1866)年、長州に攻め込んだ旧態依然の幕府軍を、益次郎ら長州軍は近代戦法で撃退しました。
同年、海軍総督として指揮していた高杉晋作が病に倒れます。慶応3(1867)年、「奇兵隊は大村(益次郎)を仰げ」と言い残し、27歳という若さでこの世を去りました。

大河ドラマ『花神』のワンシーン NHKアーカイブスより

◉最終回 維新回天

慶応4(1868)年、新政府軍は江戸城の無血開城に成功。
抗戦派の旧幕臣ら彰義隊が上野の寛永寺に立てこもりますが、新政府軍を指揮する益次郎は、江戸に戦火が及ばぬように綿密な作戦を立てて壊滅させました。
その後、益次郎は新政府のもとで、日本近代軍制の確立や軍事施設建設に奔走します。
しかし、明治2(1869)年、京都で刺客に襲われて重傷を負い、駆けつけたイネに看取られて生涯を終えました。

大河ドラマ『花神』の山形狂介(演:西田敏行) NHKオンデマンドより

刺客に襲われ重傷を負い片足を切断する手術をうけるも、敗血症となり容体が悪化し、益次郎は帰らぬ人となった。

そのエンディングに、ふたたびナレーションが流れる。

吉田松陰
高杉晋作
村田蔵六

と連なる系譜がある。
革命の思想家、行動家、それを仕上げる技術者の系譜である。

村田蔵六は、歴史が彼を必要とした時、忽然として現れ、その使命が終ると、大急ぎで去った。
もし、維新というものが正義であるとすれば、彼の役目は、技術をもってそれを普及し、津々浦々の枯れ木にその花を咲かせてまわることであった。

中国では「花咲じじい」のことを「花神」という。
彼は「花神」の仕事を背負ったのかもしれない。


村田蔵六の中村梅之助
桂小五郎の米倉斉加年
緒方洪庵の宇野重吉
周布政之助の田村高廣
毛利敬親の金田龍之介
井上聞多の東野英心
久坂玄瑞の志垣太郎
白石正一郎の瑳川哲朗
宮部鼎蔵の高橋悦史
二宮敬作の大滝秀治
海江田信義の中丸忠雄
前原巧山の愛川欽也

いまは亡き俳優たちのすべてが素晴らしい。

そして、いまは亡き脚本の大野靖子、音楽の林光。

このドラマがもし一幅の絵画ならば、額装して自室に飾っておき、いつまでもいつまでも眺めて思いを馳せていたい。
思いを馳せていれば、彼らはいまでも生きている。
そんな思いを禁じ得ないでいる。


【参考】

司馬遼太郎『花神』(新潮文庫)

週刊朝日編集部『司馬遼太郎の幕末維新Ⅱ』(朝日文庫)

春日太一『大河ドラマの黄金時代』(NHK出版新書)