仏師。
「ぶっし」とよみ、彫刻家の中で特に仏像を専門に作る者をいう。
日本でいうと、古くは飛鳥時代の鞍作止利、各地に「円空仏」と呼ばれる独特の作風を持った木彫りの仏像を残したことで知られる円空、仏像以外にも上野の西郷隆盛像を作った高村光雲などが有名だ。
さて、この人。
大河ドラマの俳優である。
初めて仏像を彫ったのは43歳のとき。
亡き母を供養するため、観音菩薩を彫ったのがきっかけだった。
その母が亡くなったときに、どうすれば感謝の気持ちを伝えることができるのかと思ったとき、母が毎朝、仏壇の前で手を合わせていたことを思い出した。
母はちょっとわがままですが、とてもいい人ですから、あの世でどうか安らかでいられるように面倒を見てやってください
という気持ちで彫ってみたという。
知人にプロの仏師を紹介されて、小さな観音菩薩も借りて、それを見ながら同じ大きさの木を削っていった。
公演後にホテルに飛んで帰って机に向かって、寝るのも忘れて4日くらい彫ったらできた。
彫ったというより、向こうから姿を現してくれたような感じだったという。
大いに喜び、家に持ち帰って、仏壇に置いて「母をよろしくお願いします」と祈ったら、「分かった」と言ってくれた感じがした。
その後も肉親や親しい人たちを失うたびに、仏像を彫り続けている。
この人。
1983年の大河ドラマ「徳川家康」の主演俳優・滝田栄である。
大河ドラマ「徳川家康」NHKオンデマンドより
■「徳川家康」のオファー、その時
滝田氏が33歳のとき、そのオファーが来た。
その4年前、彼は大河ドラマ「草燃える」で伊東祐之を熱演し注目を浴びた。
徳川家康役の話をいただいたときはとても驚きました。
もちろんすごくうれしかったのですが、なぜ僕が家康なのだろうと思い、原作本と渡された資料をよく読み込みました。
しかし、織田信長や豊臣秀吉は想像していたとおりの人物で、彼らの心の中は読めるのですが、肝心の家康は掴みどころがなくさっぱり心が見えてこない。
そこでプロデューサーに
なぜ僕が家康なのでしょうか
と聞いたら
よく言われている腹黒でたぬき親父のような家康の時代劇を始めるのではない。長く続いた悲劇の時代を完全に終わらせ、260年間いっさい内乱もない泰平の世の礎を築いた巨人の魂の物語を始めようと思っている。その魂を演じることができるのは君しかいない
とおっしゃられたんです。
家康という人物について悩んでいた僕ですが、その熱い言葉にくどき落とされました(笑)。
■家康の寺での体験の重大さ
口説き落とされ役を受けたものの、家康がまるで見えてこない。
台本を読む、現場で指示を受ける、彼のポリシーではそれだけで演じられるものではなかったのだろう。
彼は悩み、家康を理解するため、少年時代に今川の人質となって暮らしていた静岡の臨済寺を訪ねようと思い立った。
5歳の家康が織田信秀の人質になった際、彼は法蔵寺の和尚の元でしっかりとした基礎教育を受けていたようです。
その後、7歳から19歳まで今川義元の人質になり、臨済寺で太原雪斎に教えを受けます。
ドラマの中でも彼が臨済寺で過ごすシーンがありますが、人としての基本ができるこの少年時代にこそ、家康を形作る重用な何かがあるのではないかと思い、僕も臨済寺に行ってみようと思いました。
一生懸命頼み込み、お寺で生活をさせていただいたのですが、食事をするときに必ず“五観の偈(ごかんのげ)”という食前偈をお唱えするんです。
それは「食事をいただける行いを自分はしたかよく考えなさい」や「どういう過程を経て食べ物が目の前にあるのかをよく考えなさい」などという内容でした。
400年変わらない生活を送るお寺ですから、おそらく家康もこの作法で食事をしていたのでしょう。
しかも臨済寺の影響で家康は生涯一汁一菜を貫き、将軍になってからも絶対に贅沢をしませんでした。
彼と同じ生活を経験したことで、僕も少しですが家康に近づくことができたような気がします。
大河ドラマの太原雪斎(演・小林桂樹)NHKアーカイブスより
■老師から聞いた家康の本性
しかし、それだけでは、まだ家康を演じるには足りなかった。
僕が追い詰められているのが分かっていたのか、ある日、その寺に隠居していた倉内松堂さんという大老師が「息抜きにお茶でもどうぞ」と声を掛けてくれたんです。
庵(いおり)を訪れると、そこでお茶を3杯いれてくれましてね。
1杯目はものすごく甘くて、2杯目は渋くて、3杯目は苦くて。
「ずいぶん味が変わるんですね」と言ったら、「甘、渋、苦、3杯そろって人生の味わいというんだがね」とニコリ。
そのとき家康の人生はどうだったかと考えたんです。
甘はない、渋もない、苦以上ですね。
想像を絶する苦しみの連続の中を必死に生きて、一つ一つの苦しみを、ぶざまだけど乗り越えて、ついに戦国の世を終わらせて天下を平定した。
「ああ、ぶざまでいいんだ」と思ったんですよ。
僕には耐えられないような苦しみや悲しみを本気で乗り越えていった。
これが家康のドラマなんだなと思った。
ずるいタヌキおやじとかそういうお芝居じゃなくて、家康が生きた理由というものを本気で演じることができました。
臨済寺本堂 Wikipediaより
あるとき、臨済寺の大老師(倉内松堂老師)にお釈迦さまが亡くなったときの涅槃図(ねはんず)を見せられ、
どうしてお釈迦さまを囲んでみんなが泣いていると思うかね
と尋ねられました。
僕が
お釈迦さまほどの方になると誰もがお釈迦さまを失うことが悲しいのだと思います
と言うと大老師は
消えることのない安心はどこにあるのか。そのことを命をかけて人類で初めて考えたのがお釈迦さまです。
命あるものにとっての大恩人だから皆が別れを惜しんでいるのでしょう。
きっと竹千代(家康)は臨済寺で学んだ際に
お前が死ぬときは、命あるすべてのものが涙を流して別れを惜しむような武将になるのだよ
と教えられたのだと思います
とおっしゃられたんです。
それを聞いて
ああ、これが家康の心の根底にあるのだ
と感じました。
私欲で人の命を奪う武将とは違う、家康の本当の魂が見えた瞬間です。
このことがわかっていれば家康を演じられる、もう大丈夫だと思いました。
彼はそこで、常人にはとても耐えられない過酷な人生を生きた家康の人間性の片鱗を知った。
目から鱗が落ちたよう気持ちになりました。その教えが家康の魂の中心になって辛酸に耐え、戦国を終わらせた。
他の武将にはない、崇高な家康の本性が見えたのです。
とも彼は言っている。
■「家康」が僕の人生を変えてしまった
物語前半で描かれた正室の築山殿と長男の信康の話はかわいそうでよく覚えています。
築山殿と信康が敵方と裏で通じているのではないかと嫌疑をかけられるんですね。
しかも築山殿は家来と不倫し、信康はお坊さんを斬ってしまったことが重なり、織田信長に切腹を命じられます。
その命令は絶対に断れないものなので演じていても本当に苦しかった。
家康の苦難の代表的なエピソードは、謀反の疑いを織田信長にかけられた嫡男・信康を、信長に言われるままに切腹を命じたことだ。
私もこのシーンはよく覚えている。
鬼気迫るものだった。
切羽詰まった芝居は忘れないですね。30年以上経った今も鮮明に覚えています。
当時は地位が上の者から命令されたら言い訳できません。言い訳するということは、戦をするということです。
でも、戦力差では話にならないほどあるわけです。
でも、我が子を切腹させるなんて僕だったら耐えられない。
蟄居している息子が夜になって訪ねてくる場面があります。その息子を家康は帰します。帰した後で嵐の中に出て行って
「信康、ワシが悪かった、許してくれ」と泣く。
もう血の涙が出ました。
何回も練習しながらイメージトレーニングをして、自分の気持ちを追いつめていきました。
自分には耐えられないような苦しみや悲しみを本気で乗り越えていった家康を、彼はこうして身を刻むようにして演じ続けたのだ。
松平信康像 (勝運寺所蔵) Wikipediaより
ドラマのシーンにもありますが家康は
百姓が心を込めて作ったものを踏み荒らすようなことがあってはいけない。刈り入れを待て
というようなことを言って、戦の時期も民のことを考えてずらしていました。
遺言を残すシーンでは
天下は天下のための天下である。徳川一家のための天下ではない
という意味の言葉を言っています。
この言葉は実際に史実として残っているんですよ。
本当に家康という人は人間力がすごいですよね。
絶対に不幸な時代を終わらせるという決意があった。
ほかの武将が野望を持って動いても彼は動かずジッとしていましたが、それは天下を取るためではなく、どうしたら不幸な時代を終わらせられるのかという信念があったからだと思います。
このときに、家康の心の一番深いところにあった仏様の教えにも関心を持って、自己流で教典や般若心経を読んでみたり、座禅を組んで初めて瞑想してみたり、いろんなことをしながら仏教というものを考えているうちに、これはすごいなと思うようになったんですね。
撮影後、僕は作品の影響で仏教を勉強しましたし、今では仏像の彫刻を作るようになりました。
改めて家康の偉大さを知り、僕の人生まで変えてしまったのがこの「徳川家康」です。
滝田氏を俳優として目にする機会はあまりない。
ここ10数年は遠ざかっているのではないか。
彼はいま、仏師として活躍している。
2013年には東日本大震災の被災者の供養のために地蔵菩薩を彫り、宮城県気仙沼市に「気仙沼みちびき地蔵堂」を建立したことでも知られている。
仏教を研究し仏像を作るようになったのは、家康を演じ、演じ終わってからも彼の精神の在りようを模索し続けて仏教の奥深さを知ったからです。
不幸のるつぼに育ち不幸な時代を終わらせるために戦った家康の生涯を、今の日本人もっとも知る必要があるのではないでしょうか。
気仙沼みちびき地蔵 同名サイトより
大河ドラマは1年間の長きにわたり、他の芝居の仕事を入れずその人物を演じるのだ。
彼は、「徳川家康」で共演した石坂浩二にいわれたという。
「家康」が終わった時、石坂浩二さんに「大河ドラマをやったら10年は引きずる。滝田君、家康も10年は消えないよ」と言われまして。
たしかに、そうでした。あの頃は普段も家康のままだったんでしょう。家族も迷惑だったと思います。
しかし、10年では終わらなかった。
人物の擬似体験や追体験を重ねることによってその役をきわめようとするうちに、あるとき閃光がはしるがごとく、何かが腑のなかに落ちるがごとくに、自分の本質をも変えてしまうのだろうか。
大河ドラマ「花神」の主人公・村田蔵六を演じた中村梅之助も相当に役をきわめた。
しかし、それ以上に「徳川家康」は滝田栄という俳優の人生を大きく変えたドラマだった。
大河ドラマには、そのような魔力がある。
徳川家康像(岡崎公園)Wikipediaより
[参考]
※NHKアーカイブス NHK人物録
※嫌われ者「徳川家康」を大河はいかに描いたか「太平生来、天下安穏」に隠された真意 2018年02月06日 AERA dot.
※ 【話の肖像画】俳優・滝田栄(2)禅寺で「家康」に出会った 2017年1月10日 産経新聞
※「すべての道は役者に通ず」春日太一著 小学館