自分は、自分のことを知っているようで知らない。
自分をわかっているようでわからない。
あなたはどんな人間か、あなたは何者かをしゃべってください。
と言われ、
高校時代はラグビーに熱中し、社会に出てからは一級建築士として大きなビルをいくつか建てました。
未婚ですが、心優しい男です。
などという。
自分を客観的に語ることはなかなか難しいものだ。
これが、ひとりの私ではなく、「私の国」についてだったらどうだろう。
あなたの国はどんな国ですか。
日本とは、何でしょう。
ある国のメディアが自国民を調査して、日本または日本人について、10のイメージをこんなふうにあげている。
①「仕事中毒」
日本人は責任感が強く、昼夜を問わず仕事に没頭している。過労死も社会問題のひとつだ。
②「がんばれ」
運動会だけでなく、アルバイトや仕事場でよく聞く言葉だ。日本人は何事にも頑張っている。
③「新旧混交」
例えば、世界的にはペーパーレスが推進されているが日本ではいまだにファックスが使用されているように、新しいものと古いものが同時に存在している。
④「女性差別」
日本は世界的に見て女性が管理職に就く比率は他国に比べまだまだ少ない。
⑤「規則」
日本には何事にもルールがある。成文化されたルールもあれば、暗黙のルールも数多く存在する。
⑥「清潔さ」
自分の家だけでなく、公共のトイレでさえ常に清潔に保たれている。なぜなら日本人はトイレの清潔さが心の状態を反映していると考えているからだ。
⑦「心が読めない」
「日本人が何を考えているのか、よくわからない」という言葉をよく聞く。同時に日本人が重視する「空気」もなかなか読みにくい。
⑧「安全」
高齢者や子どもたちが自由に外出できる国、日本はとても安全だ。
⑨「人生観が変わる」
日本に来た外国人は見識が広がったり、思想が変化したと気づくそうだ。今まで当たり前と思っていたことが、日本で人生観が大きく変化した者も多い。
⑩「非日常」
日常の中にコスプレやメイド喫茶など非日常の世界が存在する。アニメやゲームといったサブカルチャーが街のいたるところに存在している。
なるほど、そうかもしれない。
しかし、なぜ、日本人は清潔なのか?
なぜ、日本人は何を考えているかがわからないのか?
それらにはきっと何か理由があるはずだ。
だけでなく、さかのぼれば歴史のなかに答えがあるかもしれない。
あるような気がする。
いつかまた調べてみたい。
「国土の宿命」のようなものも、この国にはある。
例えば、日本には自然災害が多い。
地震、津波、台風、豪雨、洪水、噴火…。
少し違うが疫病や不作による飢饉もある。
その結果、多くの人が命を失う。
自然災害の発生率と自然災害による死亡率は、他の諸国よりかなり多いのではないか。
自然災害とは、偶然である。
定期的な周期もあり予知などもできるというが、過去から現代まで、まずは偶然の産物といえる。
宗教家の山折哲雄氏は、平安末期から鎌倉初期の時相に触れて、いう。
戦乱、火事、台風、飢饉、疫病、地震……。
まさに末法の様相だったようだ。
鴨長明の「方丈記」によれば、京都に4万人もの餓死者が放置されていたという。
生きる者が身近な死と向き合うことが、この国は多かった。
日本列島に生きる人々は、こうした自然の猛威や大量死と背中合わせに暮らしてきた。
永遠なものはなく、形あるものは滅びるという死生観や無常観も培われた。
自然を恐ろしいもの、偉大なものとして崇拝する。この国は、海も、山も、島も、岬も、カミナリさえもカミとして祀られている。
そして、ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず、というように常に変わりゆく人間や人の世をはかなく感じている。
志村けんさんや岡江久美子さんの死で、人のいのちの儚さを実感するひとも少なくはなかろう。
自然観
無常観
少なくとも、これらは日本または日本人の核心をなすものではないか。
「国土の宿命」はほかにもある。
地政、である。
地政とは、地理的な環境が国に与える政治的、軍事的、経済的、文化的な影響のこと。
日本のある極東アジアは、地球規模で見ても、歴史の進行の実験場のような場所だろう。
文明を持つ大陸国家があり、その先に半島があり、その先の大洋上に列島弧・日本がある。
大陸国家はときに分裂し、ときに統一王朝になる。
その巨大なエネルギーは波紋のようにこの極東アジアの空間に地殻変動を起こす。
そういう特殊な環境に存在する日本は、世界で類例を見ない、あるいは唯一無二の珍奇な国であろう。
だから、日本を赤の他人として詳らかに見ることは、決して意味のないことではない。
では、日本とはどんな国か。
その全てではないが、そして、解答ではないが、確実にヒントとなるものはある。
話柄は突然かわるが…。
法華経を納めて諸国霊場を巡礼し行脚する僧がいる。
江戸時代にとくに流行し、僧ばかりでなく俗人もこれを行うようになった。
男女ともねずみ色の木綿の着物に手甲、脚絆、甲掛、股引といういでたちに、背に仏像を入れた厨子を背負い、鉦や鈴を鳴らして米銭を請い歩いて諸国を巡礼した。
これを、六部という。
六部 広辞苑無料検索サイトより
司馬遼太郎の短いエッセイがある。
六部が三十余年、山や川、海をめぐって、思わぬ異郷にたどりついたとき、浜辺で土地の者が彼を取りかこみ、いずかたより参られしか。(略)
日本
と六部がいっても一向に通ぜず、ついにはさまざまに手まね身ぶりまで入れて説明し、あげくのはて、砂地に杖で大小の円を描く。(略)
ひとびと了解せず、
そのような国、いまもありや
と、きく。すでに日落ち、海山を闇がひたすなかで、六部悲しみのあまり、
あったればこそ、某(それがし)はそこから来まいた
と、答えた。
答えては見たものの、あらためて聞かれるとおぼつかない。
さらに考えてみれば、日本がなくても十九世紀までの世界史が成立するように思えてきた。
となりの中国史でさえ、日本なしに成立する。
大きな接触といえば十三世紀に元寇があったきりで、それも中国にとってはかすり傷程度であった。
もし日本がなければ、中国に扇子だけは存在しない。
まさか、そんな国だと言えるはずもない。
ともかく、十九世紀までの日本がもしなくても、ヨーロッパ史は成立し、アメリカ合衆国史も成立する。
次の見立てが、実に辛辣だが心に響く。
ひねくれていえば、日本などなかったほうがよかったと、アメリカも中国も、夜半、ひそかに思ったりすることがあるのではないか。
なるほど、自分をアメリカや中国に仮託して、世界地図を見たら、そう思えるかもしれなかった。
日本を、物事を、客体として見る気分とはこういうことか。
司馬氏は、続ける。
しかしながら今後、日本のありようによっては、世界が日本が存在してよかったと思う時代がくるかもしれず、その未来の世のひとたちの参考のために、とりあえず、六部が浜辺に描いたさまざまな形を書きとめておいた。
それが「この国のかたち」だと思ってくだされば、ありがたい。
(司馬遼太郎「以下、無用のことながら」より)
ただ、著書「この国のかたち」のなかにある〈形〉は、ヒントであって答えではない。
したがって、知識というより、読み手が生かすための知恵といった方があたっている。
作者は、小説を書く筆を擱いてから、いまの日本を憂いていた。
しかし、そうした現在の憂事と直接はわたりあわず、歴史の奥深いところから知恵を拾い集めて、読者に対して、歴史を眺める眼でいまを眺め考えたことを伝えようとした。
知識とは、直截だ。
しかし、「浜辺に描いたさまざまな形」は、見てすぐにはわからない。
毛糸玉を外からほどいてほどいて、その芯を見きわめるようなまどろっこさがある。
そのまどろっこさがあっての、知恵というものだろう。
なにせ、私たちは他国人ではない。
日本人だ。
あえて他国人の気持ちになって、この珍奇な国のことを、まどろっこしい手間をかけながら知ることが、大切なのではなかろうか。