「夢と妻」について
昨日というか日付的には今日、寝ていた私を妻が起こした。
どうやらうなされていたらしい。
実にナイスタイミングで起こしてくれた。
滅多にみないような怖い夢だった。
起きてから少しして眠れたが、その後の夢は怖くなかったので助かった。
なんやったんや。
あの日本人形。
恐すぎる。
みなさんも人形は大切にしましょう。
しかし、私には特に覚えがないので、今もただ単に怖いのです。
くわばらくわばら。
どうやらうなされていたらしい。
実にナイスタイミングで起こしてくれた。
滅多にみないような怖い夢だった。
起きてから少しして眠れたが、その後の夢は怖くなかったので助かった。
なんやったんや。
あの日本人形。
恐すぎる。
みなさんも人形は大切にしましょう。
しかし、私には特に覚えがないので、今もただ単に怖いのです。
くわばらくわばら。
「妻と犬」について
当初の予定では、まだ臨月手前のはずが、お腹の子の成長が早く、もはや臨月となりそうな状況。
今週の検診で、お盆が明けたらいつ生まれてもいいってお墨付きを産婦人科の先生にいただいたらしい。
と言ってもあわてふためくようなこともなく、賢明な妻が前もって用品を揃えていてくれたことに感謝。
ただ、実際に生まれてきたら、私自身は対応にあたふたしそうである。
私が、男ってほんとうに頼りないなぁと自分自身痛感するのは、生活面で何もできない時。
これは親の躾や、自分の性格によるところが大きいと思うのだが、家事もろくに出来ず、きっと育児もままならぬのだろうと容易に想像できてしまうのが我ながら情けない。
最近ようやく台所に立つようにはなったが、掃除はまだしも、洗濯ができない。
仕事柄機械音痴なわけはないのに、生活家電に疎いのはいかがなものだろう。
パソコンにしか興味がないと言えばそうなのだが。
結婚して、私がするようになったことと言えば、ペットシーツの交換。
実家の犬は外でしか用を足さないのだが、妻の実家にいる四匹の小型犬たちはみな自分のケージの中でするので、その交換枚数たるや一日八枚から十枚ってところである。
もちろんそこに大も加わるので、結構な仕事量となるのだ。
今でこそ慣れたのだが、当初は汚物という認識が強く、触ることにさえ抵抗を感じたものだ。
シーツはまだしも、ティッシュで掴む大の方は抵抗が強かった。
実家の犬にですら抵抗感があったのだから、仕方ないのだが。
しかし、処理は迅速に行わなければならない。
特に、匂いを発する方は至急である。
なぜかこちらの食事中にするので、気付いたら即処理が絶対で、放っておくと、食事が困難になるのは言うまでもないだろう。
しかも四匹いるので、毎日何かと忙しかったりする。
もうすぐ赤ちゃんも生まれるので、大忙しになりそうな。
今週の検診で、お盆が明けたらいつ生まれてもいいってお墨付きを産婦人科の先生にいただいたらしい。
と言ってもあわてふためくようなこともなく、賢明な妻が前もって用品を揃えていてくれたことに感謝。
ただ、実際に生まれてきたら、私自身は対応にあたふたしそうである。
私が、男ってほんとうに頼りないなぁと自分自身痛感するのは、生活面で何もできない時。
これは親の躾や、自分の性格によるところが大きいと思うのだが、家事もろくに出来ず、きっと育児もままならぬのだろうと容易に想像できてしまうのが我ながら情けない。
最近ようやく台所に立つようにはなったが、掃除はまだしも、洗濯ができない。
仕事柄機械音痴なわけはないのに、生活家電に疎いのはいかがなものだろう。
パソコンにしか興味がないと言えばそうなのだが。
結婚して、私がするようになったことと言えば、ペットシーツの交換。
実家の犬は外でしか用を足さないのだが、妻の実家にいる四匹の小型犬たちはみな自分のケージの中でするので、その交換枚数たるや一日八枚から十枚ってところである。
もちろんそこに大も加わるので、結構な仕事量となるのだ。
今でこそ慣れたのだが、当初は汚物という認識が強く、触ることにさえ抵抗を感じたものだ。
シーツはまだしも、ティッシュで掴む大の方は抵抗が強かった。
実家の犬にですら抵抗感があったのだから、仕方ないのだが。
しかし、処理は迅速に行わなければならない。
特に、匂いを発する方は至急である。
なぜかこちらの食事中にするので、気付いたら即処理が絶対で、放っておくと、食事が困難になるのは言うまでもないだろう。
しかも四匹いるので、毎日何かと忙しかったりする。
もうすぐ赤ちゃんも生まれるので、大忙しになりそうな。
「無意識と思考省略」について
無意識とは?―
読んで字の如く、意識せずに行う(または、行える)ことを意味する言葉。
たとえば、朝起きたら顔を洗う。
赤信号ではブレーキを踏む。
これらの行為は、わざわざ意識せずとも無意識のもとで行うことであって、いちいち意識していたらやってられないはず。
ある方曰く、人の行為のうち、実に95%は無意識で行われているらしい。
なるほど確かに、私は今、携帯でこの記事を打っているが、「お」はあ行の五番目だから、「お」を出すためには、「1」のボタンを五回押せばいいんだ、とかわざわざ考えながら打っていたのでは夜が明けてしまう。だから無意識に、指が覚えた通りの操作を単純に繰り返しているのである。
つまり、無意識とは癖であり、習慣であると言える。
意識することから習慣化―
普段から面倒臭いと感じることを習慣にしてしまえば、面倒臭かったことを無意識で行うようになり、面倒臭さく思わなくなるという。
たとえば、ブログに書いた文章を投稿前に見直すように意識していると、最初は面倒臭くても、やがて、見直さずに投稿すると、誤字脱字はなかったか、文章の意味が通じるように書かれているのかと不安になる。
ブログの場合、読まれているいないに関わらず、不特定多数の方がすらっと読める状態に保持することが重要だと私は考えている。
ちなみに、私はメールでも必ず一回二回見直す癖をつけている。
このような些細なこと以外に、仕事柄外に出る時は景色を意識して見ることが多い。
私が意識しているのは、ただ漠然と景色を見ることではなく、建物の形、自然の色合い、人の動き、服装など様々なものを直感に頼って見る。
これは意識している段階ではあるが、散歩がてらに何も考えずプラプラしていても、目に留まる景色があるので無意識との混同と言える習慣である。
念のために、なぜわざわざこのようなことをするのかと言うと、デザインのアイデアとして使えそうなものを頭の片隅に溜めるためだ。
つまり、意識から無意識に刷り込まれ、習慣とする行為は仕事でも使えるという良い例ではないだろうか。
より踏み込めば、カメラやメモとして残すまでを習慣化したいのだが、いかんせんまだそこまでは出来ていない。
思考省略とは?―
癖となった行為を起こす時に気を付けたいのが、思考省略である。
無意識下で行うのだから、思考は省略されて当たり前と思われるかもしれないが、実はここに無意識の落とし穴がある。
それはつまり、間違いに気付きにくいということと、自分が正しいと思い込んでしまうことの二点。
ならば、意識して意識して、やっと無意識に刷り込まれ、ようやく習慣化された行為が無駄なんじゃないのかと言われそうだが、それらを習慣化する前に、まずはたった一つのことを習慣化してしまえば、すべての習慣は無駄にならず、さらにはより良い習慣にさえ成長させることも可能になる。
それは、「思考省略しないこと」を習慣にすることだ。つまり、「考える」習慣を付けるわけだ。
慣れた行為に対して、人は何も考えずに対応しがちである。
これが思考省略なので、ここで一瞬考える癖をつけると、その成果は大きなリターンとなる。
「これでいいのか?」
「もっと楽に出来ないのか?」
これらはつまり、会社で言うところの業務改善の思考である。
まとめ―
面倒臭いことを意識的に習慣化することには、大きなメリットがある。
なぜなら、人の行動の95%が無意識で行われているのだから、そこに面倒臭いことを含めれば、意識することを他に回せるからである。
ただし、無意識の落とし穴に気を付けなければ、習慣によって、被害を被ることになる。
まず習慣化すべきは、落とし穴である思考省略をしないこと。
そうすることで、習慣はより有益なものとして発展し、研ぎ澄まされたメリットだけが残っていく。
これはつまり、「より良い方法を考える」癖を付けるということである。
読んで字の如く、意識せずに行う(または、行える)ことを意味する言葉。
たとえば、朝起きたら顔を洗う。
赤信号ではブレーキを踏む。
これらの行為は、わざわざ意識せずとも無意識のもとで行うことであって、いちいち意識していたらやってられないはず。
ある方曰く、人の行為のうち、実に95%は無意識で行われているらしい。
なるほど確かに、私は今、携帯でこの記事を打っているが、「お」はあ行の五番目だから、「お」を出すためには、「1」のボタンを五回押せばいいんだ、とかわざわざ考えながら打っていたのでは夜が明けてしまう。だから無意識に、指が覚えた通りの操作を単純に繰り返しているのである。
つまり、無意識とは癖であり、習慣であると言える。
意識することから習慣化―
普段から面倒臭いと感じることを習慣にしてしまえば、面倒臭かったことを無意識で行うようになり、面倒臭さく思わなくなるという。
たとえば、ブログに書いた文章を投稿前に見直すように意識していると、最初は面倒臭くても、やがて、見直さずに投稿すると、誤字脱字はなかったか、文章の意味が通じるように書かれているのかと不安になる。
ブログの場合、読まれているいないに関わらず、不特定多数の方がすらっと読める状態に保持することが重要だと私は考えている。
ちなみに、私はメールでも必ず一回二回見直す癖をつけている。
このような些細なこと以外に、仕事柄外に出る時は景色を意識して見ることが多い。
私が意識しているのは、ただ漠然と景色を見ることではなく、建物の形、自然の色合い、人の動き、服装など様々なものを直感に頼って見る。
これは意識している段階ではあるが、散歩がてらに何も考えずプラプラしていても、目に留まる景色があるので無意識との混同と言える習慣である。
念のために、なぜわざわざこのようなことをするのかと言うと、デザインのアイデアとして使えそうなものを頭の片隅に溜めるためだ。
つまり、意識から無意識に刷り込まれ、習慣とする行為は仕事でも使えるという良い例ではないだろうか。
より踏み込めば、カメラやメモとして残すまでを習慣化したいのだが、いかんせんまだそこまでは出来ていない。
思考省略とは?―
癖となった行為を起こす時に気を付けたいのが、思考省略である。
無意識下で行うのだから、思考は省略されて当たり前と思われるかもしれないが、実はここに無意識の落とし穴がある。
それはつまり、間違いに気付きにくいということと、自分が正しいと思い込んでしまうことの二点。
ならば、意識して意識して、やっと無意識に刷り込まれ、ようやく習慣化された行為が無駄なんじゃないのかと言われそうだが、それらを習慣化する前に、まずはたった一つのことを習慣化してしまえば、すべての習慣は無駄にならず、さらにはより良い習慣にさえ成長させることも可能になる。
それは、「思考省略しないこと」を習慣にすることだ。つまり、「考える」習慣を付けるわけだ。
慣れた行為に対して、人は何も考えずに対応しがちである。
これが思考省略なので、ここで一瞬考える癖をつけると、その成果は大きなリターンとなる。
「これでいいのか?」
「もっと楽に出来ないのか?」
これらはつまり、会社で言うところの業務改善の思考である。
まとめ―
面倒臭いことを意識的に習慣化することには、大きなメリットがある。
なぜなら、人の行動の95%が無意識で行われているのだから、そこに面倒臭いことを含めれば、意識することを他に回せるからである。
ただし、無意識の落とし穴に気を付けなければ、習慣によって、被害を被ることになる。
まず習慣化すべきは、落とし穴である思考省略をしないこと。
そうすることで、習慣はより有益なものとして発展し、研ぎ澄まされたメリットだけが残っていく。
これはつまり、「より良い方法を考える」癖を付けるということである。