心理カウンセラー 奥園 清香 の日記 -15ページ目

心理カウンセラー 奥園 清香 の日記

心理カウンセラー 
奥園 清香 の日記です。


心理カウンセラーとして、
日々感じること、出会った人、
感動したことなど、綴っています。

先日、ある企業で、話しを聴きました。


彼は、とても尊敬していた上司がいたのに

その上司の、たった、一言が許せなくて、

ひとつの行動が許せなくて

上司を尊敬することが出来なくなったそうです。


上司は常に、理想を持っていたはずなのに

立場が変わったら、何を考えているのかわからなくなった。


話したくないし、二人きりになっても、何も話すことがなく

彼のことがストレスになり、仕事に対しての意欲も薄れているというのです。


そのことが段々とエスカレートし仕事にも行きたくなくなっている・・・。



お話を聴かせていただく中で

大変優秀な方なのに、自分のことになると

なかなか冷静に、第三者的感覚では、考えられないようだと感じました。


そして、私に、彼は

「この上司は絶対に変えられない」

「変わるわけがない」と強く言われました。



そのオフィスには黒板があったので

私は、ある絵・ある物語りを描きました。


その絵に・・・


大変、仲が良かった夫婦が悩んでいます。


奥さんが、アルコール依存症になり

だんな様は、どうしたら良いかわからないと悩んでいます。

大切にしてきた家庭や夫婦関係の危機を迎えています。


この夫婦は、どうしたらいいのでしょうか?


彼は、考えます。

一生懸命に、この物語の内容を考え始めました。


彼の答えは、こうでした。


奥さんの話を聴いてあげる。話し合う。


結婚した頃のことを思い出してもらう。


歩み寄る。


大事に思っていることを伝える。


この問題行動がなぜ起こっているのか考えてみる。


奥さんの心を、理解しようと努める。


どこから、そんな風になったのか思い出してみる。



まだ、まだ、たくさん答えが出ました。


私は、彼に・・・


「素晴らしいですね・・・」


そう答えながら、

私は、この黒板の絵を「上司」と「部下」に書き直しました。


彼は、気づかれ、涙を流されていました。


「全部、自分がする必要のあることが黒板に書いてある・・・」

「この答えは、自分で口にしたんだ・・・」



変えられないのではなく、自分が変わらないからダメなんだって。

自分は何で、上司と話し合わなかったんだろう?

何で、たった一つのことが許せなかったんだろう?


変えられないものは「過去」と「他人」

変えられるものは「未来」と「自分」って勉強したのに・・・。


なんで、出来なかったんだろう?



人は、ついつい自分のことになると感情的になり

見えなくなることがあります。


私も、そういうことが、日常生活の中では、少なくありません。


でも、そういう自分と向き合いながら、気づけば

きっと、答えが出てくるのだと思うのです。


時には、少し、自分の中から問題を取り出してみる。


それだけ、セルフカウンセリングは出来ると思っています。


私は、彼にカウンセリングをしたわけではありません。

彼と過ごしたわずかな時間の中で、私が学ばせて頂きました。


やはり、大事だからこそ、大事な人だからこそ

悩むのだと思います。


期待しているから、認めてほしいから

苦しむのだと思います。


でも、その悩みや苦しみの向こう側には

必ず光があると思います。

「出口のないトンネルはない・・・」

そんな言葉を思い出した日でした。


今日、ハワイ島から帰国された瀬古先生にお会いしました。


瀬古先生は、いつも岐阜県・南木曽・森のなぎそ塾にお見えになるのですが

今回、初めてハワイ島へ、ワークショップの様子や視察へ出かけていただきました。


瀬古先生の観点で、カロコハウスを観ていただき

瀬古先生は、さすがに、自然の中でカウンセリングをされているだけあって

私が感じることとまったく違う観点でお話をされる姿勢に感銘を受けました。



ハワイ島・カロコハウスは、山の中にあり、たくさんの木が生い茂り

ハワイ島自体が、映画:ジェラシックパークのロケ地になっただけあって

まさに、ジャングルです。


私は、それだけで、充分に素晴らしいと思っていたのですが

人が森林の中で一体となれるためには、少し、山に手を入れたり

山の中を「現代の日本人」が歩けるように整備する必要があったようです。


瀬古先生は滞在中に

カロコハウスのジャングルの中を人が歩けるように整備してくださったそうで

森を歩けるようになり、森林浴が出来るようになったというのです。


嬉しいです。


私がハワイ島・カロコハウスで開催するワークショップのプログラムの中にも

必ずプラスになりますし、新しい試みが、大きな効果を期待できると思います。




先生の話の中で、驚いたのは


アメリカにある道具と日本にある道具の違いについて・・・


道具というのは、森を整備するときの道具。


アメリカの道具は、すべて、木を切る道具から機材は

「押す」

押しながら、木を切る


日本の道具は、すべて

「引く」

引きながら、木を切る


のこぎり、鉈、すべて、そのように道具を扱うのです。


これは、どうして、このようになるかというと

まず、昔から、日本の家の構造から違う。


日本の住居は、狭い中で、設計されているので

昔方、襖や障子を見てもわかるように

ドアを開くときのスペースを多く取ること、確保することが出来なかった。


そして、ドアも押してしまうと

誰かとぶつかってしまう可能性があるので

引くことでドアの開け閉めをしている。


だから、日本人は、ドアを「押す」のではなく「引く」という運動機能で

体が機能するように出来ている・・・。


その所以が、心理にまで関係している。


アメリカ人は心理的にも「押す」という考え方を持っている

日本人は「引く」という価値観を持っている。




私たちのDNAの中には「引く」というもので

力を発揮する能力を持っているわけです。


今の社会を見てみると、競争社会だったり

「押す」ことが美徳とされたり、でも、日本人には大切にしているものの

根本には、「謙虚さ」や「慎ましい」という言葉があるように思うのです。


そうであるのなら、これからの日本のカウンセリングを考える上で

アメリカからのカウンセリングの技術を、

そのまま日本に取り入れるのではなく

日本には、日本人の文化にあったカウンセリングのあり方が

必ず、あるのでは・・・と私は改めて思いました。


まだ、まだ、私自身、模索中ではありますが

今日、瀬古先生とお話させていただいて・・・


アメリカの文化やアメリカの心理学を学びながらも

日本の価値観に合う、現代の社会で通用する

カウンセリングのあり方を見直して行きたいと

強く、再認識させていただく時間でした。



「中途半端では感動は生まれない」


その言葉から始まって

庭造りに対して究極の「美」を追及するプロのお仕事を見させて頂きました。


己を出さず、自分を出す。

己を抑えてこそ、心は伝わる。


私が、弟子に対してあきらめず、わからない人には

あきらめず、10回でも20回でも伝える。


「主張しない庭」

なんでもないことが素晴らしい。




プロが発する言葉には、何でこんなに重みがあるのだろう?と思います。


弟子に対して、何回か言ってわからないとき

「今は、それが解らないときなんだ」

「まだ、時期が早いんだ」

「解らないということも、その人が選んでいることなんだ・・・」


そうやって、私は、自分に言い訳をして

何回、目の前の弟子に対して、あきらめてきたのだろうか・・・と

なぜ、何回も伝える努力をしなかったのだろうか・・・と

反省し、考えさせられました。

私自身が、もっと、もっと、成長することが必要だと思いました。



適当に作らない。一生懸命にやる。そうでなくては、感動は与えられない。


常に「愛」


あなたに頼んで良かったという仕事をする


答えのない答えを探す。


揺るぎない自分


プロとは・・・

「やめられない人」

「自分の意思では、おけない(置けない)人」

「アマチュアは、やめられる・・・」


言葉の一つ一つが心に響き、

自分とは、庭師という仕事は分野が違うのに

プロの仕事への心意気を聴き感動しました。


どんな仕事でも、根本は、つながっているのだと思います。


お話を聴きながら、自分の足りない部分を見せられたように思い

これからの自分の道をさらに考えていきたいと、強く、思いました。

心から、心の奥から、出てくる言葉は

言霊となり、心に響きます。


シンプルな言葉が、胸に響きました。

こんな風に、言葉を出せる人になりたいと

美しい庭と共に、北山さんの「愛」を感じました。



先日、経営コンサルタントの方とお会いしました。


「コンサルタント」と言われるお仕事をされている方との出会いは

とても新鮮で、お話をしていて自分とは着眼点の違いや考え方の違いがあり

それが、また刺激的な時間でした。


彼に質問されました。

「他の心理カウンセラーと比べて、ここが違うと思うところはどんなところですか?」

「ドゥカウンセリングセンターが、他のカウンセリング関連の企業と違うところ・強みは、何ですか?」


・・・?

私の心の中、頭の中は、この質問に対して自分の中で答えがない・・・

考えたこともないということに「気づき」ました。


私は、今まで他者との比較や、他のカウンセラーの方々が

どんな風にカウンセリングをされているのか?

他のオフィスが、何をしているのか?

他者との比較や競争心を持って、今まで、カウンセリングをしてきたこともないし

カウンセリング事業に取り組んできたこともありません。


そのことを、彼に伝えたら、コンサルタントは常に、企業に対し

同業者との「比較」や「強み」を考え、そこを経営戦略にする。


なるほど、コンサルタントの方は、そうやって、考えるんだ・・・と発見でした。


私たち、カウンセラーのお仕事は、

今、とても忙しく、この社会でニーズがあります。


でも、もし、明日からクライエントさんが、一人も訪れない世の中になったら

誰も、カウンセリングを必要としない世の中になったら・・・

それは、それは、とても幸せなことです。


私は、今まで、カウンセラーといわれる方が

何をしているかを見る余裕すらなかったように思います。

それよりも、現場、カウンセリング、講演活動・・・

そうやって、日々目の前のことに真っ直ぐに取り組んできました。


きっと、これからも、その姿勢は変わらないし、誰かと比べて

自分にはこれがあるという考え方は、この先もしないと思います。


競争心なんて必要ないと思います。




私の大好きな人が教えてくれた、話を思い出しました。


ウサギと亀の話。


なぜ、亀はウサギに勝ったのでしょうか?


あの物語で

ウサギは「亀が、まだ来ないから・・・」と思ってお昼寝をするのです。

ウサギが、お昼寝している間に、亀に抜かれてしまいます・・・。


スタートの地点から、

ウサギは亀を見ていました。

でも、亀は・・・ウサギではなくてゴールを見ていた。


私は、いつまでも、亀でいたいと思います。

先日、映画「幸せのちから」を観に出かけました。


久しぶりの映画館で、自分の心と身体が別世界に連れて行かれる感じがしました。

映画は、本当に素晴らしいです。


映画の中で、印象に残った言葉があります。


「その時 トマス・ジェファソンを思った


彼の『独立宣言』に生命・自由・幸福の追求の権利が書かれているが


なぜ、彼は[追求]という語をちゃんと入れたんだろう


幸せって追求するだけのものか


決して得られないのか


なぜ彼は知っていたんだろう」


幸せの追求・・・なぜ、「幸せ」ではなくて

「幸せの追求」だったんだろう?




私は、当たり前に流れる時間の中に

たくさんの、幸せがあると思います。


普段、気づかないことの中にも

心の目を開くと幸せだと感じることがあると思います。

幸せだと感じる心を持つことが幸せだと思います。


失ってからではなく、今、目の前にあるものに対して

いつも感謝の気持ちを持っていられたら、きっとその心は幸せです。


今日、オフィスの建物をお掃除してくださる管理人さんと、朝、お会いしました。

彼の笑顔は、いつもお月様みたいだなぁ~と感じていて

彼とお話すると、とても心が穏やかになります。

1日頑張ろう!って思い、幸せを感じます。


幸せのちから/クリス・ガードナー


とても衝撃的な話を聴きました。


◇彼は、小学生になるまで

自分に「名前がある」ことを知らなかったというのです。


その理由は、彼は、両親に、


名前を呼ばれたことがなかった。


彼の両親は、子育てに対して関心がなく

母親も父親も「違うこと」に関心がありました。


彼は、きちんとした日本語を教えられることもなく

教育を受ける・しつけを受けることもなく・名前すら呼んでもらったことがなかった。


そんな幼少期を送っていたのです。



小学校に入って出席簿で名前を呼ばれて

自分に名前があること知る・・・


なんてことでしょう。


彼は自分の名前について

今もなお、苦しんでいるのです。



子どもが大人になる過程の中で、

どれだけ環境が大切かということを

裏付けることになると思います。


この話は、ショックでした。


◇このショックな経験を事務所で話していたら・・・


私の友人が自分の経験を話してくれました。


友人は、○○という名前で

父に「○○大事な子」と呼ばれていたそうです。

そうやって、いつも呼ばれて、育てられました。


そしたら、自分の名前は「○○大事な子」だと思っていたそうです。


このことからは、大きな愛を感じます。



◇子どもの時に、聴いた話や経験は、時に大きな違いがあることに

大人になってから「気づく」ことがあります。


でも、その大きな「気づき」が

自分がこの世に生まれて、

「愛されていた」ということを知る経験であって欲しいと思います。


今からでも、遅くないから

今日も「愛」を伝えていける自分でありたいと思います。



カウンセラーとして、日々クライエントさんと向かい合う中で

どうしても、自分の身体が思うようにならないことがあります。


無理をしていないつもりでも

身体が警告を出すことが、年に何回かあります。


段々と、身体のいろいろな部分に支障が出てくるのは、

「自然なこと」だと思っています。

今回は・・・私の身体は、「ヘルニア」というサインを出してきました。


カウンセリングルームで、長時間の座っている姿勢。

聴くことに集中するために、私の身体が固まっている・・・

日々の積み重ねの結果です。


自己を内省し受け止めなくてはなりません・・・。

身体が警告してくれるのは大事なことで

ある意味、健康な証拠だと思っています。


自分が、自分の身体のメンテナンスを怠り

解毒・拝毒をきちんとしなかったことを見直すチャンスです。


今回も、こうやって、身体に支障が起こると良い先生に出会えました。

皆さんに助けられて、ヘルニアというものを

再度勉強できるチャンスもいただきました。


ヘルニアは、現代の、医療で手術をする必要はないこと。

なるべく身体にメスは入れないほうがいいこと。

正しい姿勢が、とても重要であること。

情報を得ると安心しました。


ただ・・・


今回、私は、自己判断で、間違ったことをしてしまいました。


医療機関から大量の痛み止めをもらいました。

私は、薬についての知識がないわけではないので

その処方された薬の名前を見て、

この薬は、患部を治療する薬ではなく

一時的に痛みを感じないようにする薬だから

飲まないほうが良い。


薬を飲むと必ず副作用があるし、仕事にも支障が出る。


・・・と思い、薬を飲みませんでした。


先生は、まさか、自分が処方した薬を飲まないとは思って見えなかったでしょうし

身体の状態から、私に大変な「激痛」があると思ったので薬を出してくれたのです。


それなのに、私は「痛み」というのは、身体からの信号で

「痛み」は、耐えれるから、薬は悪いものだから飲まない。


「薬」や「痛み」に対して自分の頑固な価値観があり

「ダメなものはダメだ」と思っていたのですが

私のこの偏った価値観を打ち破るような「事実」がありました。


ヘルニアの仕組みについて改めて学んだときに、


痛みがあると、段々と体を痛くないほうに持っていこうとして

身体がさらに曲がってくる。


少しずつ、痛みの出ている部分の周りを鍛えていく必要があるのに

痛みがあると、その動きを身体にさせずに

反対に、身体に「痛い」ということを教えてしまって

痛めたほうの身体のパフォーマンスが出来なくなるというのです。


だから、一旦、自分の身体から痛みを取り除き

通常の動きをする中で再度自分の身体の正しい姿勢の保持に

集中してエクササイズを行ったり、呼吸法を行う必要があるというのです。


これには、びっくり・・・。


昨日、ストレッチポール等のエクササイズを行ったら

痛みのせいで、呼吸が取れないのです。

腹式呼吸が出来ない。

私は、痛みによる恐怖で、「腹式呼吸=リラックしよう」と身体がしないのです。


自分の身体の変化に驚き、ショックでした。

ヘルニアになったという事実より、ショックでした。

私の間違った価値観、判断のせいで

薬を飲まなかったせいで、痛みにより無意識にパフォーマンスが下がり

出来ることが出来なくなり始めていたのです。


情報は正しく、新しいことが起こったら、自分の古い価値観は捨てる。


「薬には、すべて副作用がある」

もちろん、副作用があるのだけれど

その副作用とも、どのように付き合うかによっては、身体に必要なときもある。


自分の身体で身をもって感じました。


痛みとは耐えるもの。耐えられる痛みは耐える←間違っていました。

そうやっているうちに、自分の身体は変化していっていました・・・。


勉強になりました。教えていただいた先生方に感謝です。


ヘルニアに対してのいろいろな見解、考え方を

皆さんに教えていただくことが出来て私の身体は守られています。

本当に有り難いです。

「日本一」という言葉について・・・


とても大切に思っている女性が福祉施設で働いています。


その福祉施設の目標は「日本一の施設になること」


施設は、その目標を掲げているけれど、

彼女は、「日本一」って何?って考えて苦しくなるそうです。


誰のための日本一?

誰が決める日本一?


福祉サービスを利用している利用者の方にとっては

その施設が日本一であろうとなかろうと


「自分にとってよりよいサービスが受けられること」

「自分が毎日幸せだと思って生活が出来ること」


こういうことが、大切で、その施設が

もし、日本一になるためのミーティングや会議をしているとしたら

それは、利用者不在のサービスだと思います。


彼女は、スクールの授業の中で

目標は明確にすること、具体的に行動すること

そういうことを学んでいるからこそ

この目標が、すごくおかしい、違和感を感じるというのです。


日本一は、叶わないと思う。


私は、彼女の、この感性は、素晴らしいと思います。


私は、社会の中にいるといろいろと理不尽なことを

感じることはあると思うのです。

カウンセリングスクールで学ぶことが

すべて社会の中で適応できるとは限らないと思います。



ただ、誰かが作った目標が自分の目標になるとは限らないと思いますし

その中で、自分がやれることを考えていったり

自分は自分の目標を新たに掲げていくことも

重要ではないかと思うのです。


組織が何を目指すか?それも重要ですが

自分が、その利用者の方になにを提供できるのか?

そして、自分が、どんな風にお役に立てるのか?

このことにフォーカスしていけば


「日本一になる」目標が現実とずれていても

気にならなくなるのではないかと思いました。


彼女とは、その部分で、共感でき、気にしないようにするのではなく

気にならなくなる自分を見つけ出すことが出来ました。




ただ、この「日本一」という目標・・・考えさせられます。


福祉や心理、教育の分野で「日本一」ってどういう意味なのだろうと思うのです。


営業のお仕事や、何かを販売している場合

日本一というのは数字で計れると思います。


でも、人の心や気持ちは数字では表すことが出来ないと思うのです。


以前にドゥカウンセリングスクールに「入校したい」という方と

お会いした時のことを思い出しました。


その方が、お会いしたら入校の希望理由を

「日本一のカウンセラーになりたいんです」と言われました。



私は、「入校をお断りします」と伝えました。




そして、


日本一という目標は叶わない、と思います。


誰があなたを日本一と決めるのでしょうか?


日本一のカウンセラーにクライエントさんは出会いたいのでしょうか?


カウンセラーは、誰かと比べて、誰かより何かが出来るのではなくて

カウンセラーは、自分と向き合うことだと思います。


こんな風に話したら、その方は、自分の思いを伝えてくれて

最後には、自分の目標の方向が間違っていたことに気づかれていました。


この部分が分かり合えないと

共に学ぶことは出来ないと思うのです。



クライエントさんは、自分の直面している問題に

共に歩むカウンセラーを探していて

その人が、No1でなくてもいい、

Only Oneを求めていると私は思うのです。


それは、もし、私がカウンセリング受けるなら

私の家族がカウンセリングを受けるなら

そういうカウンセラーに出会いたいと思うからです。



隣のカウンセラーよりこれが出来るなんていう指針はないし

計ることもできない。

競争心なんて必要ないと私は思うのです。


心理、福祉、教育、人と関わる方に目の前の方と

真っ直ぐに向き合って欲しいと現場で起こることに

目を向けて欲しいと心から思います。

そして、自分もそうありたいと思います。


先日、「産業観光」に関わっている方と

お食事をさせていただく機会を頂きました。


以前から「産業観光」の施策について

興味深いお話だったので、さらに、深く、お話を聴かせていただきました。



◇「観光産業」ではなく「産業観光」


観光を産業にしているところは

旅行会社のような旅行を企画して産業をしているところの


ことをいうのだと、私は理解しています。



産業観光は、産業を行っているところへ、観光に行くこと。


例えば、物を作っているところや

伝統的な職人さんがお見えになるところ

歴史的に受け継がれているものが、後継者がいなくて

先細りになっているような、でも素晴らしい日本の伝統があるところ・・・。


こんなところを、観光に行くという産業なのだと、私は話を聴いていて思いました。


産業観光を行うと地域の活性化につながりますし

職人の方が技術を見せてくださったり

説明をしてくださったり、そういうことで、職人の方に新たな仕事が生まれます。


大事な日本の伝統を守れるかもしれないのです。



ヨーロッパなどでは、こういうことが当たり前になっていて

観光の定義が、「グルメ」・「買い物」ではなく

観光は、「学ぶ」・「見聞を広げる」という意味合いが強いのだと思います。


日本には、素晴らしい伝統や歴史がたくさんあると思います。


先日も、日本の職人さんが「鉋を削る」この技術が素晴らしくて

ヨーロッパで注目されていることを知りました。


ヨーロッパで、職人の方のオリンピックがあるって。


その、、職人の方が繰り広げる「職人のオリンピック」は

ヨーロッパでは新聞を賑わすけれど

日本では、(日本人の方はとても活躍しているのに)報道もされない。


そのようなことがあることすら、日本人の中では、知らない人が多いのではないかと思うのです。

(私も、先日まで知りませんでした)


職人の方の素晴らしさ

一つのことをやり遂げること・やり続けること

温故知新の考え方

日本の伝統を守ること


こういうことが、もっと、日本でもクローズアップされたら

カウンセリングを受けられる方の中で

世界観が変わる方や、新しいものを発見する方が増えるのではないかと

私は個人的に思っています。


クライエントさんと話をしていると

世の中のレールや現代の社会の価値観

このように生きていかなくてはならない

こういう自分の思い込みで苦しくなっていることが少なくありません。


産業観光の機会や、職人の方の直向な姿勢を

知ることや、観ることで、自分の人生に新しい道を

広げていくことが出来るのではないかと思うのです。


職業選択肢は、多いほうがいいし

いろいろな方と触れ合う時間が合ったほうがいいですし

日本人であることの誇りを持つことが出来る

チャンスはあった方がいいと思います。


そのために、「産業観光」今の日本に必要だと思います。


私は、カウンセリングの文化においても

日本には日本独自のものがあるのではないかと

常に、思って試行錯誤の毎日を送っています。


「産業観光」について、たくさんのお話をしながら

深く勉強したいところだと思いました。


カウンセリングとリンクできるところがあるように思います。

自分の出来ることを考えていきたい・・・と、現在・・・考え中です。



今日、筑波大学 名誉教授 村上和雄先生のお話を聴かせていただきました。


村上先生は

「遺伝子と人生 ~感動と笑いが可能性を引き出す~」

というテーマでお話をされたのですが

大変興味深いお話でした。


人の考え方・感じ方・性格形成・価値観などに到るまで、

「遺伝」か?「環境」か?

私も、すごく考えるテーマです。


例えば、Aさんが、嫌いな食べ物がある。

その食べ物をAさんのお母さんも嫌いだったとします。


これをお母さんが食べれないものは、娘も食べれないという

「遺伝」と、考えるのか?


それとも、もともとAさんの家庭ではお母さんが嫌いな食べ物は

食卓に並ばなかったので、食べなかった・・・食べれなくなった・・・と

考えると、これは、「環境」


カウンセラーをやっていると

大体が、「環境」のほうに目が行きがちなのですが

全く、自分とは違う分野から研究をされている

村上先生のお話しを楽しみに思い、伺いました。


村上先生のお話は


「遺伝子は環境によってOnになったりOffになったりする」


「実験をしました・・・

①食事の後、つまらない話を糖尿病の方に聞かせてみる

②食事の後(同じ条件で)漫才を糖尿病の方に聞かせてみる」


この両方での実験を何回かやりましたら

①は、血糖値が上がり②は、血糖値が下がったそうなのです。

先生は、そのことを、「笑いセラピー」といわれました。


「楽しいお笑いのビデオは、薬の代わりになっていくはず・・・」


「アメリカでは年間10万人の人が薬の副作用で亡くなっている

 薬には、必ず副作用がある。薬ではないものが大事なんだ」


衝撃的なお話の数々を聴かせていただき

大変勉強になりました。


『笑うことが、薬の代わりになる』

私は、村上先生は、こんなにDNAを研究されている方なのだから

全く違う話を想像していました。


しかし、こういう研究をされていることを知り

DNA、遺伝、環境、研究、薬、カウンセリング、

やはり、人に関わる研究や、人に関わるお仕事を

されている方は、すべてつながっていると思います。



お薬の代わりに、

「あなたは、このお笑いのビデオを見てくださいね」

なんて、近い将来、処方されたら、幸せだなぁ・・・なんて想像しました。