篠ノ井線旧線 (長野県/明科-西条) その1
【開業】1902年(明治35年)6月15日 【廃止】1988年(昭和63年)9月10日
【魅力】普通ならば歴史の波に埋もれ行く廃線跡ですがこの地は逆。
安曇野の絶景も利用し町興し。徐々に整備されつつある廃線跡に今後注目です。
【訪問日】09.09.11
●やって来たのは長野県安曇野市。JR篠ノ井線に新線が出来たために、
旧線となった路線があると聞いてやって来ました。
トンネルも5本あったということです。
また北アルプスを一望でき、ウォーキングコースとしても
整備中というこの廃線跡、楽しみ方も色々のようです。
そして思わぬ方とお会いしお土産話を、そして本当にお土産まで
頂くという嬉しい出来事もありました。ではご覧下さい。

JR「明科駅」へとやって来ました。ここから旧線跡を辿り「西条駅」を目指します。

とその前に、今回のルートを確認しておきましょう。
新線はトンネル 3本で結ばれておりますが、旧線は 5本ありました。

「明科駅」の北側へ来ました。もう見てお分かりですね。左が旧線跡で、
右が新線、新線は登りながら右に折れ、すぐにトンネルへ入ります。

ここは犀川の支流となる会田川。ちょうど中央辺りに橋が架かっていたと
思われますが、残念ながら面影はナシ。右手には新線のトンネルが。

川を越えて暫く進むと、再び廃線跡が復活。架線柱も現存してました。
画像では分かり辛いかも知れませんが、緩やかに高度を増しています。

こちらには「1984」の文字が。ただ、この 4年後には
新線が完成、僅か 4年で役目を終えることになります。

更に先へ進みます。トンネルがありました。ところが、フェンスがあり入れず。

こちらは「三五山(さごやま)トンネル」といいます。
距離は僅かに 100mほどです。入る隙がはありませんでした。

ということで金網越しに中を拝見。おや?壁が塗り直されていますね。
それにしても最近塗り直したような新しさです。まさか開通の予定でも?

仕方が無いので、今来た道を戻ることにします。
残念ですが廃線跡丸出しのこの道、気分は悪くありません。
ここで一度車へ戻り、一気にワープすることにします。
ワープ先は某工業所を目印とした廃線跡へと通じる入口です。
後々この判断が「美味しいお話」を聞けるきっかけとなるのですが・・・
ともかくワープ先へと急ぎましょう。ワープを終えた私は、先ほどの
すると後方で軽トラが。「車オッケーだったのか。まぁいいや。歩こっと」。

枕木の残る小さな橋が。そしてこの先では画像は割愛しますが、
緑のネットを張った養蜂場が。知らずに近寄っちゃいました(汗)。

随所に残る鉄道施設群です。遺構の宝庫ですね。

「三五山トンネル」東側へ到着。ご覧のようこちら側にもフェンスが。

するとこのような案内板が。なるほど、ここがスタート地点のようです。
逆に「旧白坂トンネル」入口までは整備されているということですか。
それにしても、こちら側も壁が塗り直されていますね。やはり新しいようです。
その1は以上です。次回は偶然お会いした「ある方」のご紹介と、
「旧第二白坂トンネル」入口までを辿ります。
篠ノ井線旧線 (長野県/明科-西条) その2
「旧白坂第二トンネル」西口までを一気ご紹介します。

「三五山(さごやま)トンネル」の東口も確認したことだし、
約 1km先の車を停めた地点まで戻ることにします。

行きでは鉄道施設の標識をご紹介しましたが、
帰りでは架線柱をご紹介。右側は垂れ下がっています。
ようやく車を停めた場所まで戻って来ました。すると・・・
行きでも見かけた軽トラが戻って来たようで、今度は近くで停まりました。
「ん?なんだろう? 特に悪いこともしてないし、
車は問題無いところに停めたし・・・」と思ってると、中からおじさんが。
そして私と目が合うと第一声、「どうでしたか?」と来ました。
内心、マズいことはしてないとは思っていてもやはり焦るもので、
この安心感もあったのでしょう、「いやぁ、結構(距離が)ありましたね~」と
自然に言葉を返すことが出来ました(笑)。
して来てくれたのです。また、やたらとその話が詳しいので聞きながら
「この人は何者なんだ?」と思うようになりました。
そして話が進むうちに・・・「ちょっと休んで行きますか?」となりました。
「え?でも・・・」 「いや、すぐソコですから」
「じゃ、少しだけ甘えさせて・・・」と寄らせて頂くことに。
廃線跡を上から見下ろす場所にありました。
そしてここでようやく相手の方が何者なのかを知ることに・・・
家の中で名刺を頂きました。「○ ○○」さんという方でした。
「アレ???」・・・と、心当たりがあった私は尋ねました。
「○さんですか。そういえば(ここへ)来る時に『○板金』さんを
目印にして来たのですが、何かご関係がおありなんですか?」と尋ねると・・・
やはりここの社長さんでした。
それにしても客室のようなところへ通されたのですが、
この部屋が凄いんです。「篠ノ井線」の写真や記事ばかりなんです。
当然話はこの部分へ及び、そうこうしているうちにこの方の更なる
正体を知ることになります。この廃線跡の管理者でした。
あの軽トラで恐らく廃線跡の見回りに出ていたのでしょう。
そして道中にある案内板等も管理されているのでしょう。
どうりで全てにおいて詳しい筈です。この部屋にある写真や資料は
○さんが撮ったり集めたりしたものだそうです。
ちなみにこれからご紹介する画像等は、もちろん全て掲載承認済みです。
○さん、本当にご協力有難うございました。そして貴重な情報も頂きました。
またその1でご紹介した封鎖されている「三五山(さごやま)トンネル」ですが、
現在、(安曇野)市やJRと協議中で近々開通の見通しだというのです。
なるほど、どおりで修復した壁が新しかった訳です。
誰がどうみても、あそこの封鎖は「廃線敷きウォーキング」活性化に
とっては大きな壁ですからね。開通の日が楽しみですね。

ではごく一部ではありますが、ご提供頂いた画像を
ご紹介致します。こちらは篠ノ井線の年表です。

こちらは篠ノ井線旧線が現役時代だった頃に走っていたSL。
白銀の中、白い煙をもうもうと吐きながら力強く進んでいます。

こちらもSL写真なんですが、こちらは貨車を牽引しているようですね。

○さん宅の庭から撮影。このように廃線跡を見下ろています。
ということでこの後は、近くに立派な隧道(排水用)があるというので
一緒に同行して頂き、確認に行きました。この時の画像は掲載スペースの
関係上、ブログ版・「蔵出し画像」にてご紹介したいと思います。
そしてこの帰り際、顔を出したばかりのタケノコをその場で取って
お土産としてたくさん頂きました。ちなみに頂いたタケノコは、しっかり

では先へ進むことにします。こちらは踏切跡ですね。
依然として架線柱の残ったままの廃線跡が続いています。

いかにも鉄道跡らしい緩やかなカーブに惚れ惚れします(笑)。
そしてこの先にはトンネルがあるということでしたが・・・。

こちらですね。「漆久保(うるしくぼ)トンネル」と言います。
実はこのトンネルも塞がれていたそうですが、最近開通したそうです。

脇にはこのような看板が。これも○さんが作られたのでしょうか?
ちなみこの場所へも行きましたが、これはブログ版「蔵出し」にてご紹介します。

「漆久保トンネル」内です。ところどころ手直しした場所がありましたが、
その1の「三五山(さごやま)トンネル」ほど痛んではいないようでした。

反対側です。ポータル左側に「2」と書かれていますが、
「明科駅側から 2番目のトンネル」という解釈で良いのでしょうか。

暫く距離が開いて「旧第二白坂トンネル」の入口までやって来ました。
ちなみにここが「廃線敷きウォーキング」の終点(orスタート)となります。

こちらが「旧第二白坂トンネル」の南側となります。
全長は 2km以上あり、「ちょっと長い・・・よな」と断念しました。^^;

でも少し中を覗いて見ました。以前はシメジの栽培を
「○確認・退避側・退○所・?0mおき」は確認出来ますが・・・。
その2は個人的には非常に中身の濃い区間でした。
とにかく〇さんにはお世話になりました。その3では「西条駅」手前まで、
新線と旧線との合流地点付近の探索を行います。
篠ノ井線旧線 (長野県/明科-西条) その3
新線・旧線の分岐点の探索を行います。更に

「西条駅」の手前までやって来ました。奥に見えるのは現行線、
「第三白坂トンネル(4.3km)」です。右側には旧線の架線柱が見えます。

こちらが新線と旧線の分岐点となります。
旧線側はここから築堤となり、徐々に高度を増して行きました。

ではこの付近の状況を空撮で確認してみましょう。黄色が旧線跡です。
雪に覆われた地面に出来た影が、築堤であるということを表しています。

当然築堤となれば登りたくなるのが心情、しかし下から見ても雑草が
上の写真には新線も写っています。位置関係が確認出来ると思います。

とても築堤上を歩けるような状況では無かったので、
仕方なく下から撮影。でもなかなかの風景に大満足です。

見て下さいよ、この写真。コレを見ている限りは架線柱、そして架線まで
張ってあるので、とても廃線跡には見えません。驚きの一枚です。

こちらは築堤が終わり、間もなくトンネルへ入ろうかというところです。
ご覧下さい、この凄まじい状況。これでは進める筈がありません。

そして「小仁熊(おにくま)トンネル」の前までやって来ました。
やはりネット上で見た通り、塞がれていました。ということで・・・。
「押してダメなら引いてみな」の要領で反対側(南側)へ移動することにします。
国道と長野自動車道を跨(また)げば、ちょちょいと反対側へ行ける筈です。

看板を見つけました。「旧線?おぉ、廃線跡はこの付近ですか」

すると案内板のウラにはこのような場所が。それにしても、こんな所に

しかし、ふと右側を見るとこのような場所が。「ひょっとしたらこの先に?」と
直感。こ、これを行けってかぁ? (((;゜Д ゜)))カ゛クフ゛ルカ゛クフ゛ル

もちろん慎重に足場を確認しながら進みます。意外と頑丈でしたが、

そしてようやく「恐怖ゾーン」がエンド、そしていざ横を見ると・・・
「小仁熊トンネル」南側へ出ました。しかも開いてますよ。来て良かったぁ♪

と、トンネル探索の前に、周囲の状況がこんな感じなので、先ほどから
気になって仕方がありません。先にこちらをチェックします。
例によって深い雑草が生い茂っていますが、何とか歩けそうです。

架線はありませんが、明科側のアッサリとした架線柱とは違い、
こちら側の架線柱にはまだ碍子などの色々なものが付いています。

小さな橋梁跡がありました。ではそろそろトンネル探索へと参りましょうか。
と、今回はここまでです。次回はいよいよ最終回、このトンネルの探索と
この先(明科方面)の廃線跡や「旧第一白坂トンネル」の探索を行います。
篠ノ井線旧線 (長野県/明科-西条) 最終回
最後は「小仁熊トンネル」、そして「旧第一白坂トンネル」を通り
「旧第二白坂トンネル」の入口までの探索を行います。最終回はトンネル三昧です。

さて「小仁熊トンネル」の前まで再びやって来ました。全長 340mほどの
トンネルです。入口は開いていますが、その手前の雑草が邪魔です。

行く手を遮る草を掻き分け中へ到着しました。中は無風で湿って
いました。反対出口は閉まっていたので、それも当然ですね。

中は廃線決定から時が止まったままのような感じでした。
レールはありませんでしたが、ご覧のような標識は各所に点在。

壁から染み出した「土」でしょうか。よくある光景ですが
何べん見ても「ドキッ!」とするし、気味の悪いモノですね。

ん?反対側出口・閉じられたドアの隙間から光が漏れています。
しかし湿気で撮影距離が出ず、実はようやく取れた一枚でした。

北側出口へ到着。こうしてみるとかなり隙間のあるものなのですね。
ちなみに扉へ当たる妙な丸い光は、ハンドランプのものです。

イキナリですが「小仁熊トンネル」の探索を終え、再び旧線跡へやって来ました。

暫く進むと、レールの付いた小さな廃橋梁を発見しました。
この篠ノ井線探索でレールを見るのは二度目でしょうか。

それにしても度々訪れる深い雑草地帯に足元&体力を奪われます。
どんなトラップが隠れているかも知れませんし、進み方も遅くなります。

「旧第一白坂トンネル」へ到着です。ご覧のように
向こう側が見える僅か 50mほどの短いトンネルです。

さっそく中へ入ると、すぐに出口を迎えました。
再び雑草生い茂る廃線跡が続いているようです。

すると足元にこのようなものが。コンクリート製の土台のようです。
今までにこのようなものは見たことがありません。これは一体ナニ?

「旧第一白坂トンネル」(南口)を抜けました。
左側には梯子のついた見張り台のようなものが倒れていました。

前方には引き続き廃線跡が伸びています。
この区間は何故か雑草が少なく、助かりました。

そして「旧第二白坂トンネル」北口へ到着です。
ところでナニ?この生活感は? 扇風機やらタオルやらがありました。

トンネル出口にはどうみても廃線後から生えたような樹木が。
しかし生えていたのはここだけ。面白い光景です。

「1960(昭和35年)」ですか。ところで、ここのトンネルポータルは
他所とは違いコンクリート製のようですが。継ぎ足したのかな?
部分だけでその後は他所同様、レンガ造りとなっていました。
これにて篠ノ井線旧線の探索は終了となります。ただ、見逃してしまった部分が
原因は予習不足での見逃し・・・。また機会があれば再訪したいと思います。
上田交通真田傍陽線 (長野県/上田-真田[傍陽]) その1
●今回は長野県上田市へとやって来ました。今回の目的は上田交通
分岐する手間の「本原駅」へと向かいます。ここから「真田駅」へと向かい
営業終了から間もなく40年が経過する廃線跡でしたが、
予想外に遺構の残る廃線探索となりました。では行ってみましょう。

画像は上田城です。この脇にある駐車場へ車を停め、
まずは上田駅周辺の廃線跡から探索開始です。

上田駅を数百メートル出たところです。上を走るは長野新幹線です。
この下を走っていた「真田傍陽線」に遺構を求めるのは酷というものです。

こちらは平行して走っていたJR「しなの鉄道」との分岐点付近です。

実はこの付近は当時築堤とでした。崩されてしまったようです。

上田城脇の廃線跡へとやって来ました。

撤去されてしまった架線柱跡。ここ以外にも多く残っています。

最初の停車駅「公園前駅」へとやって来ました。
今でもほぼ完全な状態で残っています。

脇の案内板には驚くべき歴史が記載されていました。
記述によるとこの場所は・・・なんと「お堀」だったというのです。

なるほど、鉄道敷になる以前、ここは水中だったという訳ですね。
世の中には面白い歴史があるものです。架線の一部が残っていました。

先へ進むとここで廃線跡は途切れます。恐らくここからは
地上へ戻るため、徐々に高度を増して行ったと思われます。

上田城跡を過ぎると廃線跡は住宅街へと変貌していました。
そりゃ40年も経てばね。恐らくこの辺りも廃線跡だと思うのですが。

すると一目で分かる遺構の登場です。ナント見事な橋梁跡でしょうか。
ちなみに下を流れる川は矢出沢(やでさわ)川というそうです。

上田駅方面の橋台跡です。このような住宅街の中に
不釣合いな橋台跡。この構図がまた良いのです。

廃線跡は国道18号線を踏切でやり過ごしました。遺構はありません。
駅を過ぎると廃線敷は右手、東の方角へと進路を変えて行きます。
以上が「上田駅」から「北大手駅」までの廃線跡探索でした。
次回は今でも現存する貴重な「樋之沢駅」までを辿ります。