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長岡線 (新潟県/来迎寺-寺泊) その2

●長岡線二回目です。今回は「深沢駅」-「来迎寺駅」間、
そして出発点へ戻り「西長岡駅」-「寺泊駅」の探索を行います。
ちなみに何故出発点が「西長岡駅」だったのかというと・・・
個人的にですが、凄く意味があった駅なのでは?と考えたからでした。

実はこの「西長岡駅」、元々はJR線「長岡駅」へと接続する予定でしたが
すぐとなりにある信濃川を渡るための大橋を資金難により架けることが出来ず挫折、
そのために寺泊や来迎寺方面へと別れるスイッチバック式の駅となったのでした。
詳しくは こちら をどうぞ。ではまずは「深沢駅」を過ぎ、
「渋海(しぶみ)川」を渡り「来迎寺駅」へと向かう廃線跡の探索から参りましょう。
 
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「深沢駅」を出て数百メートル、渋海川へ架かっていたとされる橋梁跡へ。
しかし遺構は発見出来ず。もう少し何かあるかと期待していましたが・・・。
 
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では「困った時の空撮頼み」へ参りましょう(笑)。「廃線跡」はバッチリ
残っているのですが、「橋梁跡」は見事に消えてしまいました。
 
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対岸へ来ました。反対側には無かった高度稼ぎの
(橋を渡るため)「築堤跡」は健在、綺麗な曲線を描いていました。
 
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途中にはこのようなガーター橋も健在でした。
ちなみに奥の橋は県道で、その下を走るのは「信越本線」です。
 
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今のガーター橋を上から撮影。奥へは橋を渡るため高度を稼ぎながら
右へ折れていく築堤跡が。個人的に完璧過ぎる構図だと思います。
 
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まもなく「来迎寺駅」へ到着です。と、その前に「信越本線」との
合流地点がある筈なのですが、完全に消えていました。
 
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「来迎寺駅」に到着です。残念ながら「長岡線」だったスペースには住宅が
立ち並んでいました。※手前の車止めは信越線のものかと思われます。
 
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では空撮で確認です。ご覧のように住宅街へと変貌しつつあります。
この画像ではまだ空き地が見えますが、今は殆ど住宅で埋まっています。
 
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「来迎寺駅」のホームです。このように完全に住宅街と化しています。
駅前が住宅街というのもどうかと思いますが。うるさくないのかな?
 
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そして「もしや?」と思い見てみたら・・・ありました。使われていた当時の
「16」のペイントが。でも16って?まさか16輌編成ってワケじゃないよね。
 
以上で「西長岡駅」から「来迎寺駅」間の探索は終了となります。

この後は一度「西長岡駅」へ戻り、今度は「西長岡駅」から「寺泊駅」間の
探索を行います。ちなみに後から知ったことなのですが、
駅反対側(南口)にも廃線跡があったそうです。

こちらは「長岡線」ではなく、ここから「西小千谷駅」までを結んだ「魚沼線」という
路線だったそうです。全長は 12.6kmと手ごろな距離ですし、
また機会があればこちらの探索も行いたいと思います。では続きをどうぞ。
 
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一度「西長岡駅」を出て直後の分岐点 へ戻り、再スタートしました。
今度はここから「寺泊」へ向かいます。ちなみに距離は31.6kmです。
 
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「西中学校前駅」を過ぎたところだったでしょうか(良く覚えておらず)、
写真のように橋台跡や小さなガーター橋を幾つか見つけました。
 
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レールの残った踏切跡。奥に見えるは「国道8号線(長岡バイパス)」です。
 
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ようやくホーム発見です。こちらは「上除(かみのぞき)駅」跡です。
しかしスゴいところに駅があるものです。周りにはなにもありません。
 
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「上除駅-越後関原駅」間の廃線跡です。緩やかなカーブを描いています。
 
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「越後関原駅」跡より。こんな感じで列車を待っていたのでしょうか。

次回は「越後関原駅」より先、「与板駅」までの廃線跡を辿ります。

長岡線 (新潟県/来迎寺-寺泊) その3

●前回は「西長岡駅」から「越後関原駅」までを探索致しました。
今回はここから先、「与板駅」までの田園地帯を突っ切ります。
 
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「越後関原駅」を出てすぐ、「北陸道」の下を潜ります。実はこのちょっと前に「関越道」の
下を潜ったばかり。ということは、この辺りは「長岡ジャンクション」のすぐ近くなんです。
 
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しかし「北陸道」を潜ると突如として廃線跡は消失してしまいます。
この辺りは大きな田園地帯、無くなってしまっても不思議は無いでしょう。
一応推定線を引っ張ってみましたが、大体合っていると思います。
 
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「王寺川駅」跡に到着です。それにしても田園地帯のど真ん中とは驚きです。
 
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枕木から突き出た犬釘。ここではかなりの遺構を確認出来ます。
 
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更に先へ進みます。この辺りは枕木が健在でした、が。
殆どの枕木が炭化している気がします。どうして?
 
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と言っているうちに次駅「脇野町駅」へ着きました。ところが、事前調査では
駅跡がある筈なのに、ご覧の通り駅らしきものは無く、新たに工場が建ってました。
 
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「脇野町駅」跡を出ると、川(黒川)を渡るため築堤で高度を稼ぎ始めます。
 
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期待に胸膨らませ橋梁跡へと行くと・・・残念、なーんもナシです。。。
 
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気を取り直して先へ進みます。小さな橋梁跡発見。
 
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再び橋梁跡発見。いずれもバラスト、枕木は健在でした。
 
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さぁ次なる駅は「槙原駅」跡です。と、いきなりサプライズです。
ナント僅かな距離ながら、レールが残っているではありませんか。
 
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残念ながらレールはここで途切れます。しかし暫くレールから
遠ざかっていたせいか、妙に新鮮味のあるレール跡でした。
 
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廃線跡はこの回初めてとも言える「住宅街」へと入っていきます。
廃線跡が色濃く残っているというので期待していたのですが・・・。
 
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ご覧の通り舗装されてしまったり、レールも無くなったりと、想像していたものとは
かなり違いました。この辺りは与板といい、残念ですが確実に遺構は減っているようです。
 
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恐らくこの辺りも最近まではレールが残っていた筈だと思われます。
 
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このような真新しい「立入禁止」の柵も多く見ました。まさかこんな結果が待って
いようとは。事前調査では遺構の宝庫と聞いて来たのに。残念です。

この「与板」付近、もっともっと遺構が残っているものと思っておりました。
ところがレールさえ見つけるのも困難な有様でして・・・。
廃線から15年、ずっとこれまでその風景を保ち続けて来たというのに、
私が訪問する寸前に無くなってしまうなんて・・・。
正直、一番期待していた区間だっただけにショックも大きいものでした。
次回はいよいよ最終回、「寺泊駅」までを辿ります。

長岡線 (新潟県/来迎寺-寺泊) 最終回

●残念な結果に終わった前回の「与板住宅街」の廃線跡でしたが、
気を取り直し先へ進むことにします。最終回は当然残された部分、
「与板駅」
から「寺泊駅」までを辿ります。ところが、ここでも予想外のことが起こりました。
 
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こちらは「与板駅」跡です。かなり広い敷地を持っていたようです。
ホーム跡らしいものはありましたが、それらしい遺構は発見出来ず。
 
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近くにボックスが残っていました。このようなものでも嬉しいものです。
 
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「与板駅」を出ると、信濃川沿いに再び田園地帯を走ります。
奥は信濃川の土手です。所々でこのような遺構を発見出来ました。
 
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少々開けた場所へ出ました。ここが「町軽井駅」跡でした。しかし途中で
道路化の工事が進んでいて廃線跡を見失うし、かなり分かり辛かったです。
 
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間もなくJR越後線の「寺泊駅」へと到着します。実はこの「寺泊駅」、
長岡線が現役の頃は「大河津駅」と呼んでいました。これは長岡線で
「寺泊駅」を名乗っていたためで、廃線後に名称変更となりました。
 
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「寺泊駅(旧 大河津駅)」構内です。恐らくこの目の前が廃線跡
だとは思うのですが、それらしい遺構は発見出来ませんでした。
 
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「長岡線ホーム」だったと思われる場所をアップで撮影。
確かに雑草の中へと消えるレールが見えますが、ハッキリとしません。
 
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そして更に接近してみると・・・コレは凄い。久しぶりの収穫です。
多くの遺構が発見出来ました。レールの間から木が生えてますよ。
 
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ではJR線との接続駅だった「寺泊駅(旧 大河津駅)」を空撮で確認して
みましょう。このようにJR線の一部を利用し反対側へと抜けて行きました。
 
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「JR寺泊駅」の北口へ移動しました。すると架線柱を発見しました。
今回の探索では初めての発見カモ(見逃してただけとの説も 笑)。
 
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奥へ入ると、レールまで健在でした。この先にはJR線との分岐点がある筈です。
 
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しかし突然の終了でした。これ以上は進めませんので諦めます。
 
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そしてここからが大変でした。ご覧のように廃線跡は道路と化していました。
一番厄介で分かり辛いパターンです。
 
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そして遂に廃線跡を見失ってしまいました。
予習不足もありましたが、散々走り回ってしまいヘトヘトになりました。
結局「寺泊駅」に行き着くことが出来ず。空撮でも分かりませんねぇ。
 
そして帰宅後に調べてみたら・・・殆どが道路と化してしまっていたようでした。
確かに予習不足も否めない部分もありましたが、どちらにしろ全く喜べなかったかと。
ホント随分と車を走らせましたゎ。気付いたら「大河津分水路」まで行っていました。
 
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ということで、一応「寺泊」まで行った証拠として「寺泊漁港」の
写真でも載っけておきますゎ。カニとイクラとサケを買って帰りました。
 
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もう一枚。「Sea of Japan」です。くそぉ、なんか尻切れトンボだったなぁ。

ということで全 4回に渡ってお送りした「長岡線」は以上をもって終了です。
ご覧頂き有難うございました。しかしホントに知りきれトンボでしたわ。
正直、半体力切れだったし「もういいか」的な部分もあったし、反省っスね。

秩父鉱業専用線 (埼玉県/高坂-高本) 前編

●データ【所在地】埼玉県東松山市 【運営キロ】5.5Km 【開業】1955年(昭和30年)10月
【廃止】1984年(昭和59年)7月31日 【魅力】最大の見所は「関越道」上に
架線柱の残る橋梁か。最寄駅、高坂からは廃線跡探索は容易ですが、
橋梁以降は危険箇所が多く探索注意です。 【訪問日】09.02.14


●関越道を東京方面から北上し埼玉県入り、そして「高坂サービスエリア」を過ぎると
「東松山インター」の手前に「架線」の残っている妙な橋が掛かっているのを
見たことがありませんでしょうか。廃線マニアでない方でも、
「あんな所に電車なんて走ってたっけ?」と感じた方もおいでかも知れません。

実はここが今回のターゲット。私も随分と前から気にはなっていましたが、
ようやく対面する日を向かえました。もちろん暦(れっき)とした廃線跡であり、
今でも所有者に年に一度は掃除をされているそうです。では行ってみましょう。
 
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東武東上線「高坂駅」にやって来ました。ここを起点に北へ向かいます。
 
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「高坂駅」を出ると廃線跡は緩やかに登りながら左へと折れます。
廃線跡らしきスペースはありますが、遺構は見つけられませんでした。
 
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もう少し進むと廃線跡はよりハッキリとしてきます。画面右、
線路用の柵が無いと思えばより廃線跡が浮かぶかと思います。
 
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少々進んで振り返って撮影。こちらの絵の方が廃線跡っぽいでしょうか。
 
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先を見れば、もうこちらは完全に廃線跡です。
 
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それにしても本当に手入れが行き届いていて、芝と見間違えそうです。
 
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暫くはこのような状態なので、廃線跡を辿るのは容易です。
 
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県道344号線と合流します。200mほど併走します。
 
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その後は緩やかに登りながら左へ折れ、県道と別れます。
 
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「関越道」へ随分と近づいて来ました。辿り易かった廃線跡もここまでとなります。
 
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いよいよ例の「架線付き橋梁」へ到達致します・・・が。
後ろに目的地が見えているのに、ここは私有地です。
ということで、アプローチポイントを探してみたのですが・・・
 
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藪が酷く接近不可、こちら側からは断念し反対側へ回ることにします。
画像は既に関越道を越えて反対側へ回っております。場面はここから再開します。
 
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どんどん進みますが・・・だんだん進路が険しくなってきました。
「ひょっとしたら、さっきの方がマシだった」とも思い始めました。
 
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更に困難を極めてきました。中には「トゲトゲ」の付いた「イバラ」もあり、
これが額などに接触・刺さって初の「
流血
」という事態に・・・。超滝汗

初の流血探索でした。腕は引っ掻き傷で血が滲み、額は数滴ですが
血が垂れました。目的地目前(たぶん?)にして心が折れそうです。
そして時間の関係もあり、決断を迫られます。さぁ、どうする!?

秩父鉱業専用線 (埼玉県/高坂-高本) 後編

●メインとなる関越道上の「架線付き橋梁」に接近すべく廃線跡を進むものの、
眼前は超ハードな藪。遂にはトゲ枝だらけの「トゲトゲゾーン」に進入し
この餌食となり腕と額を負傷、額からは数滴とはいえ流血の事態に発展。

目的地の「架線付き橋梁」まであともう少しというところでしたが、予想以上の悪路に
なかなか先へ進めません。時間の都合もあり、このまま「強行」か
「(一時)撤退」かの判断を迫られてきました。場面はそんなところから再開します。
 
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前方はこんな状態で(右方面が廃線跡、左側は崖)ここは仕方無く
一時撤退を決めました。先に残された廃線跡を回ることにします。
 
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これまで辿った悪路を戻るのも辛かったです。気を取り直し再出発、
"架線橋梁"から西へ約 1km、こんな場所を発見しました。
 
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反対側へ行くとこれまでの悪路がウソのように綺麗な廃線跡が。しかしここには
アプローチポイントが無く、時間の都合もありここは残念ですがスルーします。
 
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更に先へ進むとこんな場所が。こんな場所があったとは・・・。
 
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もちろん登ります(笑)。久々の廃線跡を探索している気分です。
短い橋梁に右へ曲がる緩やかな築堤。タマりませんねぇ(笑)。
 
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少々「架線橋梁」方面へ戻ると、今度はコンクリート製の橋梁を発見。
 
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更にその先にはこのような廃線跡が。しかし先ほどの藪がウソのように
綺麗です。ちなみにこの先は4枚上の廃線跡へと繋がっています。
 
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これは架線柱でしょうか。コンクリート製だったようです。
それにしても本当に綺麗な廃線跡です。良く手入れされています。
 
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では先へ進みます。そこで振り返って撮影しました。廃線跡は間もなく終点を迎えます。
 
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この先、終点地点は私有地化されておりました。
「この先行き止まり」の文字も。さすがに進入(侵入?笑)はせず。
 
ということで、とりあえずは終点(高本)を確認。そして先ほどやり残した
「架線付き橋梁」へと向かうことにしますが、問題はアプローチポイント。

先ほどのルートは厳しいことが分かったし、もう行くつもりもありません。
そして考えた結果、出来る限り近くまで行って築堤脇からのアプローチを
試みることにしました。そうしたら・・・この考えがバッチリ当りました。
「こんな脇道があったのね」。む、ムダな血を流してしましました・・・。泣
 
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脇道から築堤を登りようやく廃線跡へ。ここへ辿り着くのにどんなに
苦労したことか・・・涙。目的地の「架線付き橋梁」はもうスグソコです。
ちなみに廃線跡は左の平地部分では無く、黄色線の部分です。
 
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で、出ましたっ!つ、遂に到着致です。本当にここまでの道のりは大変でした。
「予習不足だよ」と言われると、返す言葉もありませんが。。。
 
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橋上はこんな具合でした。無理をすれば入れそうですが、
ご覧のような状態だったので「もう藪はゴメンだ」と進入は断念しました。
 
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しかしこの画像を撮るのに本当に苦労しました。
高速道路上からであれば簡単に撮れるのですけどね。^^;


ちなみに流血を伴ったこの探索、帰宅後に額の傷を確かめたところ、
長さ 1cm・深さはごく浅いものでした。そりゃすぐ血は止まりましたからね。
しかしアノ「トゲトゲ」のある「イバラ」はタマに見るし、今後は気を付けなきゃね。