選挙戦におもうこと | 千里の一歩大海の一滴

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このマイクオフ問題、最初聞いたとき詳細はよく知りませんが、

カタチだけにして中身のないパフォーマスだったのでは?と思った。

そんな形式だけならやめとけばいいのにとも思ったが、

そこはそれ相手のいることだから、しないわけにもいかず

なら、いっそお茶を濁すことで済まそうと思ったのだろう。

もちろんそこには「寄り添う姿勢」とは真逆の

政府側の奢った態度が見え隠れします。

このとき思ったのが、公明党の坂口力初代厚生労働大臣。

ハンセン病患者に対する国の責任を認め

福岡高裁へ控訴しないことを厚生労働大臣として決定した。

また、厚労省官僚の激しい抵抗には大臣の首を賭して戦った。

そして確定判決となった際には謝罪声明を発表、ハンセン病患者に直接謝罪した。

 

確かに公明党というククリで語れば不祥事を起こす議員もいました。

しかし、生命尊厳の哲学、一人を人を徹底して大切にするという妙法を持つ人材を

政界に限らず、医学の現場、弁護士の世界、ありとあらゆる社会の中へ

送り出すことによって、学会員であろうとなかろうと、

各個人が安心と幸せを実感できる社会をつくりあげていくことは、

これは人としてまた、学会員として当たり前のことではないだろうか。

その一側面として、妙法を持つ人を政界に送り込む。

あの権力の魔性の巣窟と言われる政界に送り込むには

どうしても選挙で戦わなくてはならない。

弁護士なら、医師なら、司法試験などの試験を個人の頑張りで突破できるが

議員はどうしても個人技では不可能。選挙で戦う以外にすべがない。

高潔な人物を政界に送り込む、

権力の魔性と戦い変えていこうとする理想がある。

しかし現場で行われている選挙に対する戦い方が

その理想とは裏腹になんと非常識なこと。

いったいどうしたもんだろうか。

 

 

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