支援活動の意義 | 千里の一歩大海の一滴

千里の一歩大海の一滴

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12日付け聖教新聞第一面。

驚いた方も多かったのではないでしょうか!!

原田会長とフランシスコ教皇との会談。

もう邪宗だなんて言葉、言っている場合じゃありません。

時代は変わっていくし、もう変わったんです。

 

さて前回では妙法を持った人材が陸続と排出されることを書きました。

実は大事な点を書き忘れていたのでここで加筆します。

それは人間革命11巻大阪の章の一節です。

 

「ここはひとつ、検事の言うことを認めてはどうかね。

私も、もうこれ以上、広げたくないんだよ」
「ほかならぬ弁護士さんまで、そんなことを言われては困りますよ」

 

弁護士は被告である山本伸一に検事の言うことを認めなさいという。

無論、それは事実に正義に反する。

唯一の味方である弁護士であるにも関わらず罪を認めろという。

さらには、検事の言うことを聞いては?と進言する。

その闘争心のなさ、正義などどこにもなく、伸一は孤軍奮闘を余儀なくされる。

そして4年間の闘争の末、伸一は無実を勝ち取ったけれど、

これが先生でなく他の人であれば無実を勝ち取ることは不可能だったのでは?と

わたしは思うのです。

これをうけて原田会長は「御義口伝講義に学ぶ(STB)」において

 

「一人でも数多くの信仰をしている妙法の弁護士やあるいは様々な人材が

陸続と出ていく時代を必ずつくるのだ」との熱い思いが先生の胸中に

しっかりといだかれたのではないだろうかと語っている。

御義口伝の講義に至る時代背景としてそういう深いところを

しっかりと知っていかなければと述べています。

”医は仁術”とは言ったもので本来は人を救う崇高な使命を担っているのに

”医は算術”ならまだしも、命の尊さがわからない人、人の痛みに鈍感な感覚の人が

なってはいけないと思うのです。

そういう意味においても生命の絶対尊厳をうたう妙法を持つ医師、救急救命士が

陸続と登場する社会は本当に安心できるし感謝できると思います。

輸血を拒否する信者が医師になればどうするのでしょう?

やけどを恐れて消防士が務まるのでしょうか?

 

政治が変われば社会は変わりますが、その前に政治を司る人が変わらないと。

そこで政治を駆使して人々の安心安全を担う使命を持つ人材を送り出す、

それが我々の行っている支援活動だと自負している、私は。

今は支援活動云云の時ではありません。

それぞれに様々にいろいろな活動を各所でされております。

が、それをこなすような活動は決してすべきではない。

何故今こうするのか、その意義はどこにあるのか、

これらを明確にしてこそリーダーであると思います。

それをただただ言ってきたから、言われているからするでは、

集まってこられた部員さんたちに申し訳が立たないではありませんか。

 

 

 

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