前回の続きである。

 

懐かしの姫路駅前界隈を散策した後は、これまた山陽電車に乗車しまして、途中の 飾磨(しかま)駅 で下車しました。

 

     

 

特急停車駅ですので沿線では比較的大きな街で、沿岸部には大きな工場が建ち並び住宅も密集しているものの、いざ駅前に降り立ってみますと、ほとんど人影がありませんでした。

 

 

 

ところで、先の 大阪関西万博 訪問時は、行く前からあまりテンションが上がりませんでしたが、実はこの山陽電車の路線沿いにはいくつかの ディープなスポット があり、かねてより訪問したいと懇願していましたので、もうすでに血圧は200近くに上昇しているのです!

 

と言うことで、この飾磨駅から北へ300mほど歩きますと、最初の目的地でもある 飾磨名店街 に到着します。

 

     

 

ええ感じで御座います!

 

     

 

もう、オチッコちびりそうです…!

 

失礼ながら 廃墟マニア というほどではありませんが、「兵どもが夢の跡」よろしく、かつて繁栄したものの後に斜陽化を経て滅びていく街の様子に興味があり、かつては軍艦島島内を一周した経験もありますので、このような空間に立ちますと興奮がおさまらないのです。

 

 

 

さて、こちらの名店街ですが、実はアーケードを抜けた一番奥に ジャスコ飾磨店 が昭和49年に開業し、その門前町のような形で個人商店などがアーケードの下に密集しているのです。

 

 

     

 

これは、当時 大規模小売店舗法 が公布された直後であり、要は地元の商店街などから建設反対の意見が出た場合、ジャスコそのもののOPENが出来なくなるので、それを阻止すべく一部の土地に地元の商店を優先的に誘致することで、それを鎮静化したことへの申し子とも言えるでしょう。

 

※東岸和田にあった「トークタウンニチイ」も、地元商店街の反対をうけて地元商店が入る「トークタウン」と「ニチイ」を併せて建設されました。

 

     

 

ただ、一時は地域のランドマークになるほど盛業しましたが、袋小路的な県道?に面しているため車でのアクセスがすこぶる悪く、後に近くに イオンタウン姫路 がOPENしたことで、2006年にその息の根が止まりました。

 

     

 

ですから、今ではその核となるジャスコが閉店したことで、この飾磨名店街も衰退の一途をたどり、現在は数店が細々と営業しているものの、触角を失った昆虫の末路と同じくすでに廃墟となりつつあるのです。

 

     

 

 

 

 

さて、飾磨でお腹も半分くらい満たされましたので、次は更に東へ進んだ 高砂駅 で途中下車してみましょう!

 

     

 

     

 

こちらも先の飾磨と同じく特急停車駅ですが、これまたご多分に漏れず駅前は閑散としていましたが、高砂と申しますとかつては山陽電車の他に 国鉄高砂線 が通っていまして、駅前に 高砂北口駅 がありました。

 

現在の様子です。

 

     

 

もうね…

このゆるくカーブしているのは間違いなく廃線跡であって、再びテンションがじわじわと上がってくるのです!

 

で、こちらは40年以上前から変わらず現存する「第一生命」の駅前営業所ですが、かつては 野口ろうご のポスターが貼ってありました。

 

     

 

40年前↓↓↓

 

     

 

※当時のCMはコチラ↓↓↓

 

 

 

 

 

更に進みますと見えてきたのが、今や廃墟となったショッピングセンター サンモール高砂 ですが…

 

     

 

こちらも「ジャスコ飾磨店」とほぼ同時期の昭和49年の竣工でした。

 

     

 

 

 

当時の時代背景から考察しますと、それまでは地産地消と申しましょうか、今ほど行動範囲が広くなく、かつ普段は徒歩や自転車での買い物が中心の生活スタイルでした。

 

しかし、後に個人所得が増えたことで マイカー中心の社会 になり始めたのが1975年辺りであって、その影響もあって大型駐車場を完備したショッピングセンターが 雨後の筍 のごとく全国各地で建設されたのです。

 

     

 

すなわち、この「サンモール高砂」もその類であって、三菱倉庫が主体となって大型駐車場が完備されましたが、今はぺんぺん草が生えて自然に還りつつありました。

 

     

 

 

加えて、先の「飾磨名店街」とは少し異なり、こちらでは同一館内にメインとなる 西友と地元個人店が共存 していたようです。

 

     

※青が西友で緑が個人店

 

しかし、高砂市は平成21年から人口が減少に転じたことに加え、いわゆる住宅街が広がる方向と真逆の立地に加え、これまた幹線道路からほど遠いアクセスの悪さが災いし、2017年に全館閉店したものの、今でもその醜態を晒しているのでした。

 

 

 

 

ところが、どっこい大作!

 

     

 

この高砂駅南地区の狭い空間に、今もなお昔ながらの商店街が現存しているんですね!

 

サンモールから更に南へ歩くこと10分…

見えてきたのは、これまた昭和レトロ感満載の アーチ式看板 です。

 

     

 

更に進みますと、「銀座商店街」に「マツバ練炭」って、もうこんなん 昭和30年で時代が止まってますから失神寸前!

 

もちろん、入る前に深々と一礼はしたものの、こんなん 寒イボ(鳥肌)全開 になりましたわ!

 

     

 

     

 

 

 

ただ、完全なシャッター通りかと申しますとそうではなくて、数店ほどの営業が確認されましたが、ご多分に漏れずほんまに誰も歩いていません…。

 

     

 

で、このアーケードを東から西に抜けたところにはかつての 国鉄高砂駅 があったようですので、同線が廃止される昭和59年頃までは、先のサンモールに近い立地ながら、互角の勢いがあったのかも知れませんね?

 

     

 

 

あと、途中で交差していたアーケードは少し狭くて、これまた更に古風と申しましょうか、少しカビ臭くて線香のような… 言うなれば「おばあちゃんのような香り」 が漂ってきました。

 

     

 

カピカピに風化した「次郎助町センター」看板がお出迎え!

 

     

 

けど、反対に回れば「高砂センター街」?

ってどうなってんの?

 

そして、 今日のお買い物は  の看板に釣られてはみたものの…

 

     

 

買い物するんか?

せいへんのか?

するんか?

せいへんのか?

 

     

 

ってか閉まっとるやないか~い!

  

     

 

※右は高砂市出身の吉田裕氏。

 

 

 

と言うことで、猛暑であるがゆえ徒歩での移動には限界が見えてきましたので、廃墟のような建物を巡る飾磨と高砂の街にはさよならをしまして帰路に付きたいところですが…。

 

これまた興奮がおさまりきらないため、懲りずに次の街へ移動することにしました。

 

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つづく

猛暑を通り越した「酷暑」の2025年の夏ですが、このお盆期間を利用して 姫路方面へぶらり散策 に出掛けました。

 

と言いましても、ごく普通の方が訪問する姫路城などに行く気はサラサラ無くて、毎度のごとくちょっと変わった? プチ変人旅行 へと皆様をご案内したいと思います…。

 

 

 

 

と言うことで、まずは難波駅より阪神・山陽電車を乗り継ぎまして、姫路駅まで向かいます。

 

     

 

もちろん、早やさを選ぶのでしたらJR新快速が一択で、大阪~姫路が65分で1460円に対して、こちらは100分もかかって1440円ですから話にならないのですが、途中あちこちで 途中下車 をしたいもんですから、思案の末このルートを選びました。

 

途中の魚崎駅で、後続の姫路行き特急に乗換えです。

 

     

 

と、どっこい!

クロスシートの5000系が来ると思いきや、ロングシートの6000系でしたので大きく落胆しましたが驚くなかれ! かつての南海電車のごとく モケットが柔らかく沈み込む形状 ですので掛け心地が良く、意外と快適な道中だったと報告しておきましょう。

 

     

 

ただ、塩屋付近ではJRの普通列車にもぶっちぎりで抜かれる鈍足ぶりですが、それでも車窓を楽しむうちに姫路駅のホームへ滑り込みました。

 

     

 

     

 

行き止まり式で、改札口を出ると自社の百貨店と直結している構造は、あたかも 昭和のターミナル をコンパクトにしたような構造ですが、これが鉄道好きにとっては萌えに萌まくるのであります!

 

 

 

さて、ここで難波からの切符を窓口に提出し、新たに 阪神・山陽1dayシーサイドきっぷ 2500円 に変更してもらったのですが、実は難波駅を含めた阪神間の駅では全てが QRコード式 に変更されていたため発券できず、その扱いに疎いものですから山電さんの計らいで清算後に新たに発券してもらった次第なのです。

 

     

     

まあ、言ってもお得感には乏しいんだけれど、全区間途中下車し放題ですから、私にとってはすこぶる使い勝手が良いのです。

 

 

 

 

 

♪ はぁ~るばる来たぜ! 姫路駅~! ♪

 

なんて歌は無いのですが、18歳から3年ほど住んでいた街ですので、懐かしいと申しましょうか、年に一回くいは姫路の空気を吸わないと具合が悪い性分ですが、こちらはさきほど乗って来た山陽電鉄の姫路駅+山陽百貨店です。

 

     

 

そして、斜向かいには JR姫路駅 がありまして、あの頃と比較しますと見違えるほど綺麗になっていますし、新幹線が通っていますから、インバウンドを含めた観光客でごった返していました。

 

     

 

さて、時間もあまり取れないので、駅前周辺のみの回遊になるのですが、大通りを渡ったところにある「みゆき通り商店街」を抜けると、これと並行してこじんまりとした おみぞ筋商店街 がございます。

 

 

     

     

 

何と申しましょうか、姫路城に直結する「みゆき通り」は、どことなく小綺麗で  よそ行きの雰囲気 を漂わせていますが、こちらはその対極にあって、パチンコ屋や一杯飲み屋などが軒を連ねる 雑多でダウンタウンな雰囲気 が、タマランチ会長なのです。

 

 

     

 

 

おまけに、夜は「飲み屋街」ゆえ、昼間でもアルコールの臭いがプンプンする界隈を歩いていますとゾクゾクしてまいりますし、こちらは昭和のジジイであれば皆が知っている サラリーマンスタンド という居酒屋の現在の様子です。

 

     

 

その当時はずいぶんと通いましたね…。

 

 

 

 

それと、 TOPOS姫路駅前店 ね。

 

 

     

 

「おみぞ筋」から少し入ったところにあった、ダイエーグループのディスカウントストアで、当時からレジ袋5円で販売していたほど超低価格が魅力の店があったのですが…?

 

     

 

確かアニメ関係のショップの右側だったと記憶していましたが、今は空地となっていました。

 

歩いたところ↓↓↓

 

     

     

 

 

 

さて、お次は大通りから西側の山陽百貨店周辺もブラブラしてまいりましょう。

 

こちらは、山陽百貨店より少し北側にある 栄通り ですが、どこが栄えているの?と突っ込ませてもらいましょう!

 

     

 

当時は、ピタットハウスの隣に 国鉄物資部の提携店 があって、服から靴にメガネに雑貨まで、一般価格より安く買える店があったのですが、品質はイマイチでした。

 

で、このアーケードを抜けたところにあったのが、風俗店と申しましょうか? どちらかと言うと あべのスキャンダル に似たショーがメインの 5DOOR(ファイブドア) という如何わしい店がありました。

 

     

 

もちろん、40年以上前のことですか定かな場所は不明ですし、もしも間違っていれば申し訳ないのですが、前述の「みゆき通り」や「おみぞ筋」が  であったとするならば、こちらの山陽電車側の商店街は  の部分であって、それゆえ雄の本能としては元気になってワクワクするスポットでもありました。

 

 

 

 

現在はマンションになっているこの建物は、以前は成人映画がメインの 大劇 という映画館があり、その先にはストリップ劇場もあって、当時はゴム無しの「本番まな板ショー」も平気で開催されていた時代でした。

 

     

 

そして、それを少しソフトにしたのが 5DOOR という店で、若者をターゲットとしてカーテン越しに肌着を一枚ずつ脱いで行くショーなんかがメインで行われていて、これまた鼻の下を伸ばしながら随分浪費をしてしまったことを今にして少し悔いています…。

 

     

※イメージ

 

 

 

歴史を紐解いてみますと、古くは明治時代に 陸軍第10師団 が設置されたことによって、この付近の 魚町 に歓楽街が形成された後、終戦直前に空襲を受けて一帯が壊滅。

 

そして、戦後は再び歓楽街となるも、赤線廃止に伴いバーやキャバレーが増えたことで、その方向で街が発展して行ったんです。

 

     

 

ですから、今は 臭い物に蓋をする という時代ですからその痕跡すらありませんが、昭和の終わり頃までは大通りを挟んだ西と東とでは大きく性格の異なった空間でした。

     

と言うことで、ここで長居をする時間もありませんので、次の目的地に移動することにします。

 

 

 

 

※おまけ

山田花子さんがモデル?のポスターが貼ってありました。

 

     

 

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つづく

今から60年近く前になるだろうか…?

 

母は当時3歳だった私の手を引いて買い物に出掛ける時は、必ず徒歩圏にあった 公設市場 のようなとこへ行くのであった。

 

     

※イメージ

 

当時は堺市駅と浅香駅の間にある東雲(しののめ)というところに住んでいて、阪和線のガードを潜った先にその市場があったのですが…

 

     

 

その手前にあるガード下には、老婆が営む屋台の たこ焼き屋 が必ず出店していて、今から考えると完全に闇営業だったけれど、当時は道端で勝手に店を出す露店も少なからずあった時代でした。

 

     

 

 

 

そして、岸和田から再び堺へ移り住んできた頃は、例の浅香駅近くにあった公設市場はとっくの昔にマンションとなり、最寄りの JR堺市駅前 は快速も停まる政令指定都市の玄関口なのに、いささか殺風景な感じがしたのですが、これについては失礼ながら、駅の西側に 大阪刑務所斎場 があるからなのです。

 

     

 

ですから、住宅集積地は線路より東側であって、駅前ロータリー側には古ぼけた都市公団(UR)のビルだけが、平成のはじめ頃までその醜態を晒していましたが、スーパーマーケットはイズミヤが一軒あるのみでした。

 

     

 

     

 

     

 

 

そして、こちらは時が更に過ぎた2000年頃のJR堺市駅前の様子です。

 

     

 

現在は公園になっているところに スーパーイズミヤ があり、少し北に スーパー玉出 の二店舗と、踏切手前に小さな はやし(現在はイズミヤグループ) があって、その周辺人口に対してスーパーマーケットとしては充分な供給があったのです。

 

すなわち、食品に家電や衣料を含めた 総合スーパーのイズミヤが主 で、対して安価なモノを好む層は 従の玉出 へと二極化され、それぞれに住み分けが出来ていましたし、その頃は玉出も勢いがありました。

 

     

 

ところが、2018年に玉出が身売りした後は一気にその斜陽化が進み、2021年に閉店してからは イズミヤの独占 となり、休日にもなるとレジには長蛇の列が出来ていたのです。

 

まあ、言えばイズミヤの黄金時代と申しましょうか、それかがしばらく続いたんです…。

 

 

 

 

しかし、そこそこの人口がある地域なのら、駅前にスーパーが1店舗という歪な状況は長く続かず、他社が虎視眈々と進出を狙う中で、一昨年には北へ300mのところに 業務スーパー がOPENしました。

 

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つまり、元々「玉出」が持っていた安価を好む層が一気にそちらに流れ、加えてて今年に入ってからはイズミヤの斜め前に、これまた 安売りのサンディ がOPENしたのですから、それまでのイズミヤの勢いは鳴りを潜め、もはや青息吐息の状態になったのです。

 

 

 

 

ところが、どっこい大作!

 

     

 

この狭い地域スーパーマーケットが3店舗あり、安価を好む層以外を取り込めば、イズミヤにもまだまだやって行ける素地が残っていたんですが…?

 

今度は、イズミヤのすぐ北側に、客層が同等の スーパーオオクワ が新たにOPENすることになり、こうなりますともはや兵糧攻めの体を成してきた感じですし、この人口に対してみますと明らかに供給過剰とも言える状態になってきたのです。

 

     

 

 

     

 

和歌山が本拠地であり、一気に北進を図る大桑さん一族は勢いがあり、対して元々は関西準大手だったものの後に阪急に身売りして骨抜きにされた イズミヤ とでは、そのレスポンスと気迫にも大きな違いがあると思うのですが、本気の殴り合いが間もなく始まろうとしているのです!

 

     

 

 

 

 

もちろん、私達消費者にとっては 選ぶという楽しみ が出来るのですが、これほどまでに狭い地域に4軒ものスーパーマーケットがひしめくのはどうなんでしょうね?

 

供給過剰とちゃいますの?

 

まあ、お互いが競うのは良いのですが、 廃棄ロス もまた大量に出るんとちゃいます?

 

     

 

米が不足だとか、食品自給率を上げろと叫ぶのは良いけれど、この国は言ってることと行いとの乖離が大きすぎと言いますか、いやはやスーパーマーケットってそんなに儲かる業種なんですね?

 

何だかなぁ~?