駅留め という言葉をご存知だろうか?
これは、かつて小さい荷物の配送は郵便局へ、そしてそれより少し大きめの荷物は国鉄へ持っていくしか術がなかったのは昭和50年以前の我が国のことで、加えて後者の国鉄では届け先に近い 駅に留め置き するのか、はたまた自宅まで配送してもらうのかを選べたんです。
ですからその昔、紀南方面に住む祖母から毎年みかんが送られてくるのですが、国鉄の駅から荷物到着の電話が入ると、その駅までチャリンコで取りに行っていましたね!
まあ、駅ですので始発から終電まで人が居ましたし、はっきり言って職員の態度も悪かった時代でしたが、それでもそれが普通で当たり前の時代だったんですが、あの頃はスマホどころか固定電話すら無い家も多く、要は全て自らが行動しないと何も始まらない世の中でした。
ところがそれを…
あんさんの家まで集荷に行きまっせ!
ほんで、相手さんの玄関先まで届けまっせ!
何ならお渡し時間も指定出来まっせ!
っとやったのが、 ヤマト運輸 であって、この登場で国鉄小荷物が廃止され、今はこのシステムがスタンダードになって久しいのです。
しかし、あれから40年!
我が国の情勢は一気に変化し、 ネットショッピング が一般的になったことで宅配物の数が一気に増加する反面、いわゆる 働き手不足 によ、その業界は年々疲弊しているのです。
そこで過日、国交省が 「置き配」が標準、手渡しは追加料金の新ルール検討! との報が入って来ました。
ぶっちゃけた話し!
口紅一個でもネットで注文し、宅配便で送ってもらえるのが当たり前の令和に生きていて、その全体像すら知らず消費者の権利云々と抜かしている輩連中は、ここで一旦頭冷やした方がええんとちゃいますかね?
これは、とある アマゾンフレックス (アマゾンの荷物を運ぶ人) の方の体験談なのですが…
時間指定しておきながら不在とか…
団地の5階まで階段でビールケース運んで不在とか…
あげくには、指定時間の10分前に訪問すると、時間が違うと追い返されたこともあったらしく、これは 消費者のモラルが著しく低下 しているとも見て取れるのです。
ただ、もしも 置き配 が標準となった場合に危惧されるのが、 荷物の盗難 であって、戸建てならまだしも集合住宅であるとそう簡単には行きませんね。
また、 補助金で宅配ボックスを設置を との意見もあるようですが、昭和人間の私から言わせてもらえば、文句垂れる前に五体満足であるならば己から動けと言うことですが、そもそも一部の人間のために広く民から集めた税金を使うとは、言語道断と申しておきましょう。
家電製品でも車でも電話でも日々性能が向上し、ひと昔前と比較しますと画期的に便利でかつ高性能に進化していて、それに追随する形で 宅配便も進化 してきたんだけれど…
唯一の違いは、宅配だけはマンパワーの上に成り立っている業界であるため、その肝心な 働く人が減少 すれば、そのサービスは維持されなくなるのです。
ドローンで配達なんて数十年後とちゃいますか?
だとすれば、例えば私もよく利用するのが、 荷物は営業所留め にしてもらって、自ら都合の良い時間に取りに行くなどの自衛策をとれば済むことですし、これって何の苦にもなりませんよね?
けど、至れり尽くせり慣れ腐った令和の民は、スマホで動画を観る時間はあっても、自ら荷物を取りに行く時間が無いのとのたまうので、始末が悪いのです。
かつてのように、 足らぬ足らぬは工夫が足らぬ とは言いたくありませんがね…
けど、これほど人口が減少して働き手が不足している令和の時代は、それまで当たり前であった日常サービスの数々が消滅する大きな転換機に入っていると思うのですが、だったら極論としてそのマンパワーの不足を補うために大量の移民を雇用しますか?
まあ、頭数では足りるでしょう?
でも細かい住所など理解できます?
われもの、生もの、冷凍、冷蔵の区別がつきます?
いや、下手すりゃ配達以前に荷物ごとパクられまっせ!
そう考えますと、やはり時代は少し逆行するかも知れないんだけれど、フルサービスのガソリンスタンドが セルフスタンド に駆逐されたように、消費者が自らの意識を大きく変える転換期が、令和の今なのかも知れませんね…?