我が国はいわゆる 温帯 という地域ですが、ここ数年は熱帯じゃないかと思うほどの暑さが列島を覆っています。

 

     

 

ですから、テレビなどを観ていますと 小まめな水分補給云々 と伝えていますが、エアコンの効いたオフィスなんぞで座って仕事をしているのならまだしも、我々のように基本が 屋外での作業 となりますと、そう簡単には行かないのである!

 

そこで、弊社のような看板業を含め、いわゆる建築現場などの屋外で はたらくおじさん たちの一日を切り取ってご紹介してみようと思います。

 

     

 

 

 

 

◆7月18日 8時から朝礼◆

 

過日、大阪某所への現場施工依頼を請けましたが、現地での朝礼が8時とのことでしたので、早朝6時半に弊社を出まして到着。

 

本日のミッションは、8階建てのアミューズメント施設の 壁面にシンボルマークや屋号などをペイント するもので、仮設足場の上での作業になります。

 

     

 

しかし、すでにこの時点での気温は30℃をゆうに超えいるので、ジリジリと照りつける太陽の下では、すでに額から汗が滝のように流れてくるのですが、朝礼が終わればすぐさま作業がスタートします。

 

     

 

 

 

 

◆足場上でのペイント作業◆

 

脚立やハシゴで事足りる低い場所での作業に対して、今回のように高所でなおかつ広範囲での作業となりますと、たいてい仮設足場が組まれています。

 

     

※イメージ

 

加えて、万一転落防止の観点から フルハーネス の装備が必須なんですが、これに加えてヘルメットに長袖+ハーネス1kgほどを装着するんですから、すでに身動きに支障が出るだけでなく、見るからに暑苦しい姿になんですが…

 

     

 

さらに、塗料の入った下げ缶にハケやローラーなどを持っての作業となります。

 

     

 

もうね…

クーラーはおろか陰すらありませんから、何もせんでも汗ダラダラですし、体感ではすでに40℃以上ですので、もはや メラメラサウナの中で作業しているメラメラ のと同じであって、r数分で集中力が低下し意識が朦朧(もうろう)としてくるんです。

 

おまけにこれが8時から10時までの2時間ぶっ通しで行われますから、一気に体力が消耗するのですが、これが仕事ですので続けるしか術がないのです。

 

     

※イメージ

 

 

 

 

◆楽しい休憩とお昼ごはん◆

 

ところで、ほとんどの現場では、作業前に

「小まめに水分補給を…」 とか、

「無理して作業しないで…」 

なんて言われますが、これを真に受ける者はなく、ほぼ10時と15時の休憩時間以外は持ち場を離れず、黙々と作業に打ち込むのが、現場での不文律とされています。

 

まあ、「上見て暮らすな!」と言うことですが、暑いから半日で帰ったとしても、ミッションが終わらなければ本来の賃金が頂けないのです。

 

しかし、やはりと言うべきでしょうか?

約2時間もサウナみたいなところに居れば 脱水症状 になるのは当たり前であって、休憩ともなりますと一気に2Lほどの水分を必ず補給します。

 

     

 

ただ、甘い炭酸系は余計に喉が渇きますから、スポドリやお茶にミネラルウォーターになるんですが、飲まないと命にかかわりますねん!

 

     

 

あと、首回りを冷やしたり、はたまた最近では 熱中飴 なんかもありますので、単に水分だけでなく塩分なんかも併せて捕るように心掛けています。

 

     

 

 

 

ただ、このような環境で仕事をしていますと、「飲んでは出し」の連続なので当然食欲が減退するんですね!

 

ですから、、お昼になっても何も食べたくない気分にもなりますが、これまた食べないと午後からは持ちませんので、出来るだけスタミナが付きそうなものを無理くりねじ込んだりします。

 

     

 

※職人さんの定番は餃子の王将で、あとはラーメン系の脂っこいものが好まれます。

 

 

 

◆スタミナ勝負の現場作業◆

 

さて、午後からも同じ作業の繰り返しですが、不思議なことに暑さに身体が慣れたのでしょうか? 

午前ほどの倦怠感は感じないのですが、この頃になりますと足場の金具がフライパンのように熱せられる時間ですので、下手に持てば火傷するんですね!

 

     

 

で、ようやく作業を終えて何んやかんや片付けもして、現場を出るのが18時過ぎですので、これをローテーションで3日も続けたら5kgくらいは痩せるんとちゃいますか?

 

 

 

と言うことで、ことの大小は別として、大工さんにガードマンに鳶さんなども含め、世の屋外で はたらくおじさん たちは、このような過酷な環境の中でもほぼ文句を言わず、黙々と働いているんです!

 

     

 

もちろん、屋外ゆえ天候に左右されるのは当然なんですが、特に真夏の作業は命にもかかわるほど危険を伴いますし、実際私も5回ほど 熱中症で倒れて運ばれた 経験もありますから、どの辺が自分の限界なのかすでに身体が覚えているのです。

 

 

     

     

 

ですから、同世代のサラリーマン諸君らと比較しますと、まだまだ暑さには耐えれるだけの体力がある方じゃないかと思うのですが、ここへ来てさすがに寄る年波には勝てない時期に差し掛かっている自覚もあるのです。

先の大戦から80年を迎える今年ですが、あの頃の夏は今と同じような猛暑だったのでしょうか…?

 

     

 

さて、開戦当初は連戦連勝を誇った我が国でしたが、早くも翌年からは攻守が逆転し、敗戦1年前の1944年には 絶対国防圏 とされた サイパン島が陥落 した後は、国民の日々の生活すらまともに過ごせる状況では無かったようでした。

 

     

 

すなわち、 衣食足りて礼節を知る という言葉がありますが、大戦末期はその衣食すら事欠くありさまで、はてはその排泄物の処理にも困るほどの状況で、特に東京や大阪の大都市圏では深刻な問題となっていました。

 

※ここで食事中の方は退出いただいて…

 

 

 

 

当時の我が国では 水洗トイレ の普及率はほぼゼロに近く、いわば各家庭では汲み取り式トイレが普通であって、溜まった排泄物は業者が決まった日に回収に来るのが通常でした。  

 

     

 

 

     

※機械も無い手汲みの様子

 

ところが、終戦間近の1944年に入りますと、成人男性は根こそぎ戦地へ送られたことで労働力が極端に落ちく、加えてガソリン不足によりトラックでの輸送が縮小され、一部では 海洋投棄 をしていた排泄物も、そもそも船舶自体も不足していたので、この処理問題が大きく取り上げられる事態となります。

 

ですから、業者を待っていてもいつになるかわからないので、都市部ではその処理に困りはて、ついには適当な場所に穴を掘って埋める者まで現れたため、特に衛生面でも最悪の状態が続くのでした。

 

 

 

 

かつて拝読した 陸軍と厠 にもあるように、衣食はともかくとしてもその排泄物の処理を疎かにすると、衛生面の悪化からひいては伝染病などで部隊が全滅することもあったようですので、その処理には慎重にも慎重を重ねて行っていました。

 

     

 

しかし、前述の理由から打つ手が無かった状況でしたが、当時の国内で唯一大量輸送が可能だった鉄道に白羽の矢が立ち、これで排泄物を都市部から地方に運ぶ計画をたて、それが1944年から走った 糞尿列車 に繋がるのです。

 

 

 

 

当時の農家では、一部の農家で化学肥料が使われていたものの、その大半は人間の 糞尿を肥料として使用 していたため、それを運ぶことで厄介物の有効活用が可能となる 一石二鳥 の効果が期待できるのですね!

 

     

 

そこで、1944年からこれを大量に輸送したのは当時の 西武鉄道 であったようで、西武新宿線井萩駅に併設された集溜槽に集められた糞尿は、同年11月に列車として運行が開始され、初列車には農林大臣、内務大臣などが出席して、盛大に祝賀会が開催されたとあります。

 

     

※アサヒグラフより/発車を待つ糞尿列車

 

加えて、名鉄や京阪京津線、近鉄南大阪線でも同様の列車が走ったとありますが、このことで当面の危機的状況は少し改善されたのかも知れませんね?

 

     

※大阪平野に於ける屎尿利用の変遷より/近鉄阿部野橋駅

 

     

※ウェブ地図より/矢印部分に貨車のようなものが見える?

 

 

 

ただ、物資不足の戦時下ゆえ、急ごしらえで製作された 専用の貨物車は木製 であって、運行を重ねるうちにあちこちに歪みが生じ、走行中に中身が漏れ出すことも頻繁にあったようで、末期には散水車のごとく糞尿をまき散らしながら走ったといわれています。

 

     

 

そうなりますと、踏切待ちでこの列車が通過しようものなら 糞尿の嵐 が降りかかりますから阿鼻叫喚!

 

おまけに、しばらく貯蔵庫で熟成させた代物ですから 「くっさぁ~」 を通り越て「えげつない」芳醇な香りが辺りを包みましたので、沿線住民もたまったものではありませんでした。

 

     

 

臭い物に蓋をしろ ということわざではありませんが、蓋をしたところで下から漏れていたのなら意味はなく、悪臭と衛生面の両方に汚点を残した 糞尿列車 は、あたかも戦時中のあだ花だった訳で、ガソリンが安定供給されだした1950年頃には、ひっそりとその姿を消したのでした。

「こら、熱っいわぁ~!」

 

     

 

「ちょっと埋めてや~!」

 

     

 

と、往年の「花紀京」大師匠の伝説のギャグでは無いけれど、異常ともいえる猛暑が続く2025年の夏は、冷酒を足したからと言って過ごしやすくなる訳ではないのです。

 

さて、そんな猛暑だった過日、私用で大阪日本橋界隈まで出かけたその帰り道に、 黒門市場 などを散策してまいりましたので、その今をリポートしようと思います。

 

 

 

今や大阪庶民の台所という立ち位置はなりを潜め、インバウンドの観光スポットに変貌して久しい黒門市場ですが、一時はコロナ禍で閑散としていたものの、再び活気を取り戻しているようでした。

 

     

 

ただ、訪問時が夕方の6時を回っていましたので、いわゆるインバウンドの姿は疎らであったものの、相変わらずの強気な商売が横行している印象でした。

 

     

 

     

 

日本人の 旅の恥は搔き捨て よろしく、せっかく日本まで来たのだから「何か美味しいものを…」という発想に加え、気軽に  サクっと食べられるダウンタウン的な雰囲気が好まれるのでしょうか?

 

     

 

しかし、我々の感覚から申しますと、さすがに カニ足1本5000円 とはボッタクリ過ぎであって、コロナ禍には 「もっと日本人に寄り添った黒門市場に再生させます…」 とか何とかほざいていたけれど、結局は銭儲けに走るこの市場の本性をまざまざと見せつけられた気がしましたね!

 

 

 

ただ、わからなくもない点もありまして…

 

例えば、貸店舗の賃料が10万円/月で長らく借り手が居なかったところに、外資の借主が 20万でも30万でも借りる あるよ! と申し出れば、地主だって飛び付くんじゃないでしょうか?

 

     

 

ですから、外資の不動産投資が激しさを増す現状をして、これから更にそのスピードは加速され、外資系オーナーの下で低賃金で働く日本人も、それに伴って増え続けるとも読めるのです。

 

 

 

 

さて、北の千日前通りからアーケードに入り南へ抜けたところにあるのが、ご存知 旧松坂屋大阪店(現/高島屋東別館) でありまして、ちょうどアーケードが途切れますと建物の裏側に出るんです。

 

     

 

もちろん、アールデコ調のデザインは正面から見ますと圧巻なのですが、実は裏に回りますとそのツギハギ状態から、二期三期工事の跡が垣間見えたりするのですが…

 

詳しくはコチラを拝見していただくとして↓↓↓

 

 

 

 

 

で、更に南下しますと でんでんタウン に入ってまいります。

 

     

 

戦前は古書街として、そして戦後は主に家庭用電化製品を扱う量販店が密集する地域であって、特に昭和30年代以降は所得の向上も相まって、東京の秋葉原と並ぶ規模の 家電の街 として君臨していましたが…

 

それをモジって「でんでん」と名付けたものの、今やその家電を扱う店ははほぼ無くなってしまいました。

 

     

 

すなわち、昭和の末期頃から郊外に大型家電量販店がどんどん進出したこともあって、当地の衰退が一気に加速され、それを埋める形で増えたのが、いわゆる主に成人DVDを扱う アダルト関連の店 でした。

 

ただ、これとて平成の中頃までがピークであって、後にスマホの発達により気軽にチョメチョメ動画が楽しめる時代がやって来たため、これまた一気に駆逐され…

 

現在は風前の灯のごとく 買取りマックス だけが孤軍奮闘しているものの、それでもほとんど客らしい姿は見えませんでした。

 

     

 

で、今は代わっていわゆる オタク系の店 が増えているのようで、今や「でんでんタウン・オタロード」とも言われているそうですが、陽が長い7月の平日だったためか19時前でもこの明るさだったものの、人影は疎らであって、かつての賑わいとはほど遠い状況でした。

 

    

 

 

 

10年ひと昔と言うけれど、まだデフレであった当時と比較しますと明らかに 購買意欲が低下している印象 で、生きるためには食べなくてはならないんだけれど、それ以外は出来るだけ出費を抑える思考が働いて数年が経過し、財布の紐が更に固く閉ざされている現状をまざまざと見せつけられたようでした。

 

合理的に無駄を省いて質素に生きるのは間違いでは無いんだけれど、人は快楽や娯楽を求めて散財することもまた生きがいのひとつであって、それを封印する道に進んでしまったのですから、経済なんて回る訳がないのです。

 

 

つまるところ、 北風と太陽 の童話よろしく、コートで寒さを凌んでいる民に向けて、今は更に北風を浴びせているようにも見えやしませんか?

 

     

 

一向に経済が上向かなければ、北風を浴びせるんじゃなくて、本来ならばその真逆の方向に舵を切らなければならないのに、それを実行にすら移せない今を私達は生きているのです。

 

現場からは以上です。