今から60年近く前になるだろうか…?

 

母は当時3歳だった私の手を引いて買い物に出掛ける時は、必ず徒歩圏にあった 公設市場 のようなとこへ行くのであった。

 

     

※イメージ

 

当時は堺市駅と浅香駅の間にある東雲(しののめ)というところに住んでいて、阪和線のガードを潜った先にその市場があったのですが…

 

     

 

その手前にあるガード下には、老婆が営む屋台の たこ焼き屋 が必ず出店していて、今から考えると完全に闇営業だったけれど、当時は道端で勝手に店を出す露店も少なからずあった時代でした。

 

     

 

 

 

そして、岸和田から再び堺へ移り住んできた頃は、例の浅香駅近くにあった公設市場はとっくの昔にマンションとなり、最寄りの JR堺市駅前 は快速も停まる政令指定都市の玄関口なのに、いささか殺風景な感じがしたのですが、これについては失礼ながら、駅の西側に 大阪刑務所斎場 があるからなのです。

 

     

 

ですから、住宅集積地は線路より東側であって、駅前ロータリー側には古ぼけた都市公団(UR)のビルだけが、平成のはじめ頃までその醜態を晒していましたが、スーパーマーケットはイズミヤが一軒あるのみでした。

 

     

 

     

 

     

 

 

そして、こちらは時が更に過ぎた2000年頃のJR堺市駅前の様子です。

 

     

 

現在は公園になっているところに スーパーイズミヤ があり、少し北に スーパー玉出 の二店舗と、踏切手前に小さな はやし(現在はイズミヤグループ) があって、その周辺人口に対してスーパーマーケットとしては充分な供給があったのです。

 

すなわち、食品に家電や衣料を含めた 総合スーパーのイズミヤが主 で、対して安価なモノを好む層は 従の玉出 へと二極化され、それぞれに住み分けが出来ていましたし、その頃は玉出も勢いがありました。

 

     

 

ところが、2018年に玉出が身売りした後は一気にその斜陽化が進み、2021年に閉店してからは イズミヤの独占 となり、休日にもなるとレジには長蛇の列が出来ていたのです。

 

まあ、言えばイズミヤの黄金時代と申しましょうか、それかがしばらく続いたんです…。

 

 

 

 

しかし、そこそこの人口がある地域なのら、駅前にスーパーが1店舗という歪な状況は長く続かず、他社が虎視眈々と進出を狙う中で、一昨年には北へ300mのところに 業務スーパー がOPENしました。

 

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つまり、元々「玉出」が持っていた安価を好む層が一気にそちらに流れ、加えてて今年に入ってからはイズミヤの斜め前に、これまた 安売りのサンディ がOPENしたのですから、それまでのイズミヤの勢いは鳴りを潜め、もはや青息吐息の状態になったのです。

 

 

 

 

ところが、どっこい大作!

 

     

 

この狭い地域スーパーマーケットが3店舗あり、安価を好む層以外を取り込めば、イズミヤにもまだまだやって行ける素地が残っていたんですが…?

 

今度は、イズミヤのすぐ北側に、客層が同等の スーパーオオクワ が新たにOPENすることになり、こうなりますともはや兵糧攻めの体を成してきた感じですし、この人口に対してみますと明らかに供給過剰とも言える状態になってきたのです。

 

     

 

 

     

 

和歌山が本拠地であり、一気に北進を図る大桑さん一族は勢いがあり、対して元々は関西準大手だったものの後に阪急に身売りして骨抜きにされた イズミヤ とでは、そのレスポンスと気迫にも大きな違いがあると思うのですが、本気の殴り合いが間もなく始まろうとしているのです!

 

     

 

 

 

 

もちろん、私達消費者にとっては 選ぶという楽しみ が出来るのですが、これほどまでに狭い地域に4軒ものスーパーマーケットがひしめくのはどうなんでしょうね?

 

供給過剰とちゃいますの?

 

まあ、お互いが競うのは良いのですが、 廃棄ロス もまた大量に出るんとちゃいます?

 

     

 

米が不足だとか、食品自給率を上げろと叫ぶのは良いけれど、この国は言ってることと行いとの乖離が大きすぎと言いますか、いやはやスーパーマーケットってそんなに儲かる業種なんですね?

 

何だかなぁ~?

大阪駅からJR新快速電車の左側に座れば、30分ほどで車窓に 蒸気機関車 が見えてきます。

 

これは、鉄道博物館の一部である 旧梅小路機関区 で、その中心には ターンテーブル と言って、蒸気機関車の方向転換をする装置が備わっているのです。

 

     

 

 

 

さて、本日は8月5日の翌日は、広島に原爆が投下されて80年を迎える訳ですが、更にその3日後には長崎に2発目の原爆が投下されます。

 

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そして、この時期になると新聞紙面では、その被害の伝承云々との記事で溢れますが、今日は少し違った方向から原爆につしい書いてみようと思います。

 

     

 

 

 

先の大戦では後半に入ると、 絶対国防圏 ですら軽々と突破された我が国は、軍部が本土決戦を想定しつつも、最後の最後まで徹底抗戦の構えであったため、連合軍としても終戦への糸口が全く見いだせない状況でした。

 

     

 

そこで、このまま戦い続けますと連合軍としてもいたずらに犠牲者を増やすだけなので、喧嘩でいうところの相手を足腰立たぬようボコボコにシバくため、先にドイツで研究が重ねられていた 原子爆弾 の開発に着目しました。

 

つまり、これさえ手に入れば日本を屈服させることが出来ると睨んだ連合軍は、これに負けじと技術者などが結託して開発した結果、敗戦の年1945年7月に完成にこぎつけたのです。

 

     

 

 

 

加えて、彩帆(サイパン)島に続いて硫黄島陥落後に始まった大都市への 大規模無差別爆撃 は、3月に東京・名古屋・大阪・神戸と続き、以降は地方の中小都市へも執拗に爆撃を繰り返したのでした。

 

     

※爆撃をうける神戸の街

 

ただ、一部例外と申しましょうか、反対にほとんど爆撃されなかった都市もありまして、その代表が京都市や広島市だった訳ですが、これは出来るだけ街をそのままの状態にしておいて、 原爆の破壊力がどれほどなのか? の実験も兼ねていたましたし、模擬爆弾による投下訓練も頻繁に行われるようになり、計画は虎視眈々と進んでいったのでした。

 

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そして、1945年5月段階の会議では、次の5つの都市が候補にあがりましたが…

①京都-AA級目標
②広島-AA級目標
③横浜-A級目標
④小倉-A級目標
⑤新潟-B級目標

 

驚くことに、当初の 第一目標は京都 だったのです!

 

 

 

 

一説では、世界的文化財が集積する京都に投下した場合、仮に戦争に勝ったとしても日本人の心の拠り所となる京都を壊滅させたとすれば、その国民からの反発を食らうのは必須ではないかとの機具もあったようですが…?

 

     

 

他方、平坦な盆地でかつ住宅密集地であるという類まれな地形は、原爆投下による実験成果が十分に得られるので、最後まで投下予定都市になっていたようでした。

 

つまるところ、歴史にIFは無いけれど、軍部が忸怩(じくじ)として敗戦を決断しなければ、3番目の原爆は確実に 京都に落とされていた と言っても過言では無いのです。

 

 

 

次に、実際の投下目標地点です。

 

     

『日本の古都はなぜ空襲を免れたのか』吉田守男 より引用

 

更に拡大して見てみますと、驚くことにその目標地点は前述の 梅小路機関区のターンテーブル でした。

 

     

 

ただ、いくら有視界飛行での投下ゆえにわかりやすい目標地点を選ぶのは通説であったとしても、この地点に投下したとしても半分以上は 田畑ばかりの寒村 ですから、本来の実験データを目的とした場合に満足な結果は得られないと思うのです。

 

     

 

ですから、本来であれば繁華街でもある四条烏丸や京都御所付近に投下すれば、本来の効果をより広範囲に発揮できたと思うのですが、個人的にはこれは住宅密集地の破壊が目的では無く、 大動脈だった東海道本線の破壊 が主たる目的だったのではないかと言うことです?

 

 

 

 

大戦末期には、人と物資を大量に輸送できる船舶そのものが激減し、かつ沿岸に大量の機雷が投下され、我が国の シーレーンは麻痺 した状態でしたし、ガソリン不足でトラック輸送も壊滅、結果その全ては鉄道輸送に委ねられていました。

 

     

 

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となると、この地点に投下する本来の目的は…

 

① 大動脈でもある東海道本線 と山陰本線の両線を壊滅的に破壊し、長期間封鎖する。


② 西日本の最大規模を誇る 梅小路機関区の蒸気機関車 を一瞬で大量に破壊することで、大動脈の輸送を長期間麻痺させる。

 

③ 電化区間(当時の京都~神戸間はすでに電化されていた)の復旧には長期間を要するので、特に京阪間の旅客流動を完全に封鎖する。

 

     

 

④ 爆風とその残骸の集積により、逢坂山トンネル(京都駅東側)を封鎖できる。

 

※代替え輸送ルートとして関西本線経由も考えられますが、輸送量からすると微々たるものでした。

 

 

 

そう考えますと戦争とは冷酷無惨であるのと、連合軍は先の先まで考えたあげく作戦を実行する行動力には長けていましたので、あながちこの推測は間違いでは無いとも思うのです?

 

     

 

いずれにしましても、原爆投下が引き金となって軍部の士気が下がって敗戦を認めた訳ですが、これがあと1ヶ月でも 徹底抗戦 を叫んでいたのであれば、確実に京都に原爆が投下され、今ある神社仏閣もことごとく破壊されていたのかも知れませんね?

 

仕事柄、現場作業に赴く先でとった昼食などを中心に、そのお店の味や雰囲気などを 辛口でリポート するシリーズで、今回は55回目になります。

 

 

 

と言うことで、まずトップバッターは神戸元町にある 金時食堂 さんです。

 

     

 

地域柄、神戸一の繁華街ですのでいわゆる単価の高い「よそ行きの店」が多いのですが、細い路地を入りますと昭和レトロな 大衆食堂 がありましたので、迷わず入店しました。

 

     

 

要はカフェテリア方式で、好きなおかずをチョイスした後+ごはんとみそ汁などを注文するシステムで、相方の職人さんは照り焼きチキン&煮物の小鉢に+ごはん、みそ汁、漬物を…

 

     

 

当方は、 イワシフライ定食920円 を注文しましたが、もうこんなん食べんでも視力だけで美味いてわかりますやん!

 

     

 

加えて、化学調味料を使わない懐かしのおふくろの味で、特に丁寧に出汁をとったみそ汁は絶品でしたので、近くにあれば通いたくなるようなお店でした。

 

 

 

 

お次は、みんな大好き 餃子の王将 さんですが、元々はリーズナブルな大衆中華でしたが、最近は変に色気づいたのかどうなのか? やたら強気な値上げが続いています。

 

     

 

しかし、現場近くであれば自然と足が向いてしまうのは長年の習性でありまして、メニューをあれこれ見てみますと…

 

     

 

今まで一度も食ったことのない 極王天津飯セット 1171円 が目に留まりましたので、迷わずチョイスしました。

 

     

 

玉子2個にエビものっているので豪華な感じがしましたし、確かに栄養的にも良いかもしれないんだけれど、やはり玉子のクドさが前面に出でしまっていて、長年食べ慣れた 普通の天津飯 の方が美味しく感じられました。

 

 

 

お次は、還暦ジジイが初めて食べた インドネパール料理 をご紹介しましょう!

 

     

 

食わず嫌いと申しましょうか、やはりジジイになりますとあっさりしたモノに食指が向くのと、中華料理は馴染があるとしても韓国料理すらあまり好みでは無いし、それを越えて インド料理 なんぞは一生口にしないと思っていたのです。

 

ところが、5人の現場作業でお昼に行く時、たまたま多数決でインド料理に行くことになったのですが、はたしてジジイのクチに合うのかどうか半信半疑でした?

 

     

 

 

 

ぶっちゃけた話し、最近は至るところでこの系統のお店を見るのですが、ランチの価格帯は800円台からと比較的リーズナブルであり、チョイスした Aランチ990円 は、カレー+ナン+スープ+ライス+サラダ+チキン1pに食後のドリンクまで付くのですから、ジャパネット価格に次いでお値打ちと言えるでしょう。

 

 

     

 

そして、肝心なお味はと申しますと…?

 

 

 

うぅぅぅ~美味すぎですぜ、兄貴よ!

 

     

 

日本のカレールーと言えば油と小麦粉の塊のような成分ですが、さすがスパイス本場だけあって 香辛料のブレンドが絶妙 で、かつ初体験の焼きたてアツアツの ナン が美味いのなんの…

 

     

 

当初は、むちゃくちゃ辛くてクドい味を想像していただけにそのギャプが大きく、意外とあっさりと感じましたし、口中に残る香辛料の残り香が心地よく、遅ればせながらまた訪問してみようと思いました。

 

 

 

 

お次は、暑い中で屋外作業していますと、 冷たく冷たくサラッしたものを食べたくなる のですが、そんな時は「ざるそば」や「そうめん」なんぞに食指が向くのです。

 

で、こちらは ザ・めしや というスーパーライフの系列店ですが、この時期だけ特別価格で提供されますので、 ざるそば大盛 504円 を頂くことにしました。

 

     

 

キンキに冷房が効いた店内で食す「ざるそば」は絶品なのですが、これにごはん+おかずなどをセットしますと糖質オーバーになりますから…

 

     

 

よっしゃ! 

今日は小さなアジフライだけで許したらぁ~!

 

     

 

 

 

最後は、昨年北海道の別海に嫁いだ親戚の子供さんが、乳飲み子を連れて訪問してきましたので、近所にある かごの屋 というお店で、100日祝いとして お食い初め の儀を執り行いました。

 

     

※イメージ

 

 

 

古来より、「食べ物に困りませんように」と願いを込めながら赤ちゃんに食べさせる真似をするのですが、ラインナップは、お祝い料理の定番ともいえる 赤飯 に…

 

縁起が良いとされる  に加え、吸い物に煮物で「一汁三菜」をまとめたものですが、左膳の中央にあるのは丸い石なんですね?

 

     

 

さすがに石ともなると硬くて大人であっても食べることは出来ませんが、これは 歯固め と言って、丈夫な歯で長生きしてほしいという願いがこもっているのです。

 

つまるところ、当の本人は何も理解すらしていませんが、食べることは元気の源で、かつ楽しいひとときですから、これからもどんどん食べて大きく育って欲しいと思うのです。