<教科書検定>「英語で授業」基本に 現場に戸惑い
毎日新聞 3月26日(火)21時1分配信
文部科学省は、今春から完全実施される高校の新学習指導要領に「英語の授業は英語で行うことを基本とする」という新ルールを盛り込んだ。26日に検定結果が公表された英語教科書も、多くがスピーチやディベートなど「コミュニケーション重視」を前面に出し、日本語の記述を減らしている。だが、教員からは指導の不安や疑問の声が聞かれ、実際には「文法重視」の従来型教科書の人気が高まるという皮肉な現象も起きている。
中学と高校で6年間も勉強してなぜ話せないのか--。危機感を強めた文科省は「英語」「オーラルコミュニケーション」「リーディング」「ライティング」に分けていた科目を「コミュニケーション英語」「英語表現」「英語会話」に再編。英語を使うことを重視し、教科書作りも進められた。
今回の検定で合格した教科書は、文章を速く読んで大意をつかませ、理解度を穴埋め問題などでチェックするスタイルが目立つ。さらに、そのテーマで生徒にスピーチやディスカッションをさせるが、文中の文法事項は、それらの合間に挟み込む形で付随的に学ばせるものが多い。
ある東京都立高の50代の女性教諭は「文法が体系的に学べない。これでは生徒の頭の中に英語の形が整理されない」と危惧する。読む・聞く・話す・書くの4技能を総合的に学べるのが「コミュニケーション英語」の売りだが「すべてがグチャグチャに混ざって中途半端になる」と生徒の混乱を予想する。
高1対象の多くの教科書は11年度に検定を終え、今春から使われる。このうち「英語表現1」(全17点)の採択では、特定の1社の2点がシェアの46%を占めた。従来のタイプに近い文法重視の教科書だ。
この教科書を使うことを決めた都内のある進学校の男性教諭は「レベルの高い大学に生徒を入れるには、特に1年生できちんと文法を教えざるを得ない」。別の教科書会社の編集者は「まるで文法のワークブック。新指導要領の趣旨からかなり外れているように見えるのに、なぜ検定を通ったのか疑問だ」と話す。この会社は、今回も「英語表現2」で1点が検定を通過した。現場の支持が集まれば、追随する教科書会社が出ることも予想されるが、文科省は「各校が最も適切な教科書を選んでいるのだろう」と静観する構えだ。
【苅田伸宏、加藤隆寛】
◇教師の意識や力量が問われる 鳥飼玖美子(とりかいくみこ)・立教大特任教授(英語教育論)の話
会話や文書で英語を使うには文法など言語構造の知識が不可欠。教科書に文法の説明がほしい教師の気持ちは理解できるが、文法を日本語で一方的に解説するだけで生徒が英語を使えるようにならないのも明らかだ。使える英語の習得のために文法を教えるという姿勢が大切で、教師の意識や力量が問われる。
以上。引用終わり。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130326-00000098-mai-soci
来春から、とあるが、現場はこれに対応するのだろうか??
なんか、私としては、現場はこんなお達しは無視するんじゃないかと思う。
それは、愛光の授業を見に行けばわかることである。
でも、文科省のお役人さんたちは、英語のみの授業が成り立つと思っているのだろうか?
高校の英語教師は全員、英語で授業をできるとても思っているのだろうか?
そもそも、それは生徒にとって本当に効果があるのだろうか?
文科省は、ちょっと楽観しすぎじゃないだろうか?
以前から述べていることであるが、私は反対である。
というのも、コミュニケーション重視の英語をすれば、英語を話せるようになる、という理屈があまりにも安直だと思うから、である。
コミュニケーションは、基本的には技術よりも気持ちの問題で、どんなにマジメに英語を勉強してきても、相手とコミュニケーションをとろうという気持ちが根本から欠けていたらダメだし、その逆も十分成り立つ。
自分としては、アメリカに行って、日本の英語教育でよかったと本当に思っている。文法や単語、正しいスペリングなどで、みっともない思いをしたことは、何回かはあったが、それでも諸外国の人たちのいい加減な英語に比べたら、すごく上等な英語だったと思うし、回りの人からもそういう評価を得られたと思う。
なんというか、文法というベースが確かにあったので、だからそれに基づいてちゃんとしたコミュニケーションスキルを鍛えていくことができたと思っているし、やはり外国語を学ぶ順番としてふさわしいのは、必要な文法を学んでからそれを応用していくという、それが効果的だと思う。外国語である以上、母国語と逆の順番を行くのが、効果的だと思うのだ。
なんか、長い目で見たら逆効果、という気がしないまでもない。うわべでは英語をペラペラしゃべっているものの、中身がなく、しかも細部にわたりミスの多い教養のない人の英語とみなされるような、そんな人が増えてしまうような気もするが。
例えば、日本語を外国人対象に教えるとして、どう教えたら効果的だろうか?
例えば、「私は…」と、「私が…」の違い、つまり助詞の違いを放置してもかまわないのだろうか?
「…です」と、「…なのです」の違いは、どうするのだろうか?
こういうのは、やはり最初のうちにきちんとニュアンスを、外国人の母国語で伝えてあげたほうが、その後のコミュニケーションスキルを伸ばしていく上で大切だと思うのだが…
それは、関係詞の選択ができない、同格節と関係詞節の違いとか、that と what を区別しない、できない日本人を放置するのと似ているのではないか。
ともあれ、
DJでも、英語の授業を英語を増やしてやってみようと思います。
もしかしたら、新たな発見があるかもしれないので。
やってみてから批評してみようかと、そんな風に思います。