こだわり つまり 執着 | あきのポヨポヨYOGAブログ ~町田の里山プライベートヨガクラス ディワーリヨガ*Diwari YOGA*

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たのしく・ゆったり伝統的なヨガをしています。日々のおもしろいこと、ヨガサークルやレッスンのお知らせをかいています。

今日は 2月29日!
4年に1度の29日!

なのでその記念に(?)
2018年の自分のブログをば


この当時はヨーガ療法士養成講座の受講中で
改めてこの記事を読んでみると

ちゃんと勉強してるね、えらいえらい

と自分を褒めています、笑

人間五蔵論のあたりなんか
とても上手にまとめてるよね


講座の中で
自分の執着についての瞑想をしたらしく
そこでの気づきを書いていました

「わたしは 人を変えたいという執着が強い」

と客観視してますね

さらにはこんなことも書いてます

「自分の中で境界線を引くことが今後必要になる」
「この執着が今後の課題になるだろう」


え、予言?


ほんとに、今、まさにわたしが抱えている問題が
この執着であり

2018年から5、6年?経つけど
この間でも2年おきくらいに出てきている

なのでまだ乗り越えられていない
わたし自身の問題なのである


人を変えたい

なんていうのは 大きな勘違いだしエゴである

しかし ヨガの先生のような導く役割がある者としては
必要な想いでもある

目の前にいる困っている方を助けるために勉強もする


ただ

他人の人生

であることは確か


わたしがその人のためを思って順序よくお伝えしてきたことが
その人の行動によって台無しになることがある

もちろんご本人は台無しにしたと思うはずもなく
そしてそこに気がついていないから問題なのだが

またやり直しになる


わたしは本当にやる気がなくなるし
悲しいし怒りも湧く

わたし個人の悲しみや怒りを処理することが以前はとても難しかった 
というか 感情の抑えがきかなかった

この根っこにあるのは
「人を変えたい」という執着である


2年ほど前からバクティヨーガを学んで
愛を配ること、愛を与えること 与えられること の歓喜を知った
人にはカルマがあり、役割があり、決められた順序どおりに物事が起こされていく という事も身をもって学んだ

カルマは自分でさえも逆らえないのだから、他人であるわたしが人のことをどうにかするなんて、すんなりいくわけがないし、もし人が変わるのならそれは「その時がきたから」というだけである と思うようにもなった

なので わたしが持つ執着は少なくなったように感じていた


でも また…
だから
このブログ記事が目に止まったんだと思うのです

これもわたし自身のカルマなわけです
順序よく起きているにすぎない

悲しみや怒りに向かうところを
愛で包み込んで受け入れるのがわたしの目指すところなのかなと思うのです


2018年に予言していたとおりなんだけど
こうやって客観視できましたから、そろそろ浄化させてくださいよ、もしかしてダメ押しですか? いやいや、もうおねがいしますよ
と瞑想しましょうかね



お祈りの鐘?
海ほたるです