松尾大社さまの御朱印に想う 過去生のこと
京都在住の親友からたくさんの贈り物が届きました。その中に入っていたのがこちら松尾大社の限定御朱印繊細な切り絵ですまさか御朱印が入っているとは思いがけなかったせいか御朱印に御力が宿っているせいか見た瞬間 うるうるっと涙腺がゆるみました。守られている。。そんな気がして親友に話すと「松尾さんもご縁が深かったんじゃない」松尾さん「も」 というのは。。 数年前京都に遊びに行った際親友が案内してくれたのが今宮神社でした。印象的だったおみくじ名物あぶり餅境内の桂昌院さまのレリーフをみてそこでも なぜかうるうるっと涙腺が。。桂昌院さまは今宮神社付近が故郷なんだそうです。今宮神社復興にもかなり力を入れていたそう。徳川家光公の側室5代将軍綱吉の生母になりましたので玉の輿の語源になったとかなんとか。実は あとからわたしの過去生のひとつが桂昌院の弟本庄宗資(むねすけ)だったと教えてもらう機会がありました京都なんて神社仏閣が多数ある中なにも知らずにピンポイントで今宮神社に案内してくれた親友すごいですよね~桂昌院さまをみてなんだか切ないような申し訳ないような気持ちになる意味がすっきり判明しましたわたしも昔から引き立てられる運があるんですがわーい ラッキーと単純に喜べばいいところ実力が伴っていないような申し訳なさや自信のなさなどがつきまとうほうでした。姉の桂昌院と将軍綱吉に度々引き立てられた宗資だった時もそうだったのかもすごく思い当たる気がしますそうそう 両国 隅田川沿いにある旧安田庭園 (現在は復興後のものですが)過去生のわたしがつくりました~行ってみてね~ なぁんて ふふふ浅草が昔からなぜか好きなのもそのせいでしょうか姉の桂昌院と共に寺社造営、修復に力を注いだようです。幕府からの多額の支出にそんなことにお金を使うな と非難中傷のほうが多かったみたい。。実際苦労した人たちもいたのでしょうねでも 以前、この記事を見つけて少し救われました。一部抜粋させていただきます。『花も実もあるシンデレラガール 綱吉政権期の寺社造営・修復は、貞享2年(1685)の日光、翌年の熱田神宮をはじめとして、全国で106例ほどが確認されています。公儀普請で多額の費用が幕府から支出されましたので、本来は綱吉の名が冠せられるはずですが、「桂昌院再興!」のフレーズが世間にとおっている事例がたくさんあります。たとえば京都では上賀 茂・下鴨神社、嵯峨釈迦堂(清凉寺)、真如堂・・・。奈良では東大寺、法隆寺、春日神社・・・と、世界最古の木造建築・世界最大の木造建築も、このときの造営・修復がなければ今日の世界遺産はないといってよいでしょう。 それだけではありません。近年、永井規男先生と城市智幸さんが、公儀普請の枠外で、本庄宗子と本庄宗資が私的に行った善峯寺・金蔵寺・今宮神社・槇尾西明寺の造営について研究を進められています。特に善峯寺と金蔵寺は、桂昌院と本庄一族の菩提寺として篤い信仰が寄せられ、特別な存在だったことが明らかになりつつあります。 元禄の寺社造営が幕府財政を圧迫し、民衆の疲弊を招いたという評価もありますが、今日の京都・奈良の古刹・名刹が守られた意義を、もう少し深く考えてみる必要があるようです。このような時代の動きが、庶民の意識や価値観にも大きな影響を及ぼし、広く受け入れられたことも見過ごすことができないと考えるからです。桂昌院がすごいのは、ハードだけではなく、途絶えていた葵祭や今宮神社の祭礼再興なども行い、灯籠・道具・飾り物などを、きめ細かく寄進していることです。私は長岡京市域の寺社悉皆調査に参加させていただきましたが、村人による半鐘・三具足、石灯籠・石鳥居などの寄進がこのころに顕著になることが、強く印象に残っています。幕府による元禄の寺社再興のうねりが、桂昌院というシンデレラをとおして社会に深く浸透し、現代に受け継がれていることを意識すると、いろいろなことが見えてきます。」桂昌院と本庄宗資◆三思一言◆◆◆ 2018年5月3日chidori-jyuku.jimdo.com長岡京・乙訓れきし回遊ー百瀬ちどりの楓宸百景 さま今は理解を得られなくても・・・というのは多いですね。もし今理解を得られず苦労している皆さまも諦めずにがんばってください。大好きな伊勢神宮 五十鈴川の敷石も桂昌院さま寄進です成田山のお不動様を東京でも拝めるように深川不動堂の出開帳にも桂昌院さまが関わっているようです。自分一人の願いのためにではなく皆さんも成田山までは行けないでしょうからという想いがあったはずです。松尾大社は宗資つながりか 秦氏とかのほうか。。詳細はわかりませんがわからないながらも 縁があるものには魂は反応するものですよね松尾大社さまいつか行けるといいです長々読んでくださりありがとうございました深川さんか 旧安田庭園いってこよう~