8月31日月曜日 手術当日 午前5時30分 起床
看護婦さんが起こしに来てくださいました。
お隣さんも起こすことになっちゃって申し訳ない。
渡された小さな錠剤を飲んで、手術衣セット(手術衣、メッシュの下着、キャップのみ。靴下はありませんでした)に着替える。
昨夜シャワーを済ませておいたので、歯を磨いて、顔洗ってちゃーんと保湿して、髪を梳かしてまとめて、お手洗い行って、アクセサリー外して....
後は待つだけ。
妙に静かで、緊張して、だんだんソワソワしてきます。
やっぱ子宮全部取っちゃいました!て言われたりして....
硬膜外麻酔って痛そうやなぁ...
術後の痛みはどんなのかなぁ...
怖いなぁ...
午前6時40分 手術室へ移動 ←やっぱり予定より遅い
私は手術前なので元気ですが、看護婦さんが私のベッドを押して手術室まで移動です。
ベッドの上に座っていたら、気分悪くなるから寝ていたほうがいいですよ、と。言うことを聞いて、横になることにしました。おりこうさん。笑。
手術室前で、看護婦さんから麻酔科の先生にバトンタッチ、ベッドごと奥へ進みます。
そして、ベッドから手術用?のベッドへ移動。ヴュルツブルクの検査手術の時と同様、首から下に毛布をかぶせられたら、そのあと手品のごとく手術衣を抜き取られます。笑。
手術室には麻酔科のチームがたくさん(少なくとも5、6人)いました!こんな早朝に、みんな眠くないのかな、大丈夫かな、なんて無駄な心配。
すると、右腕に血管ルートを作りたいが、内肘はよく動かす場所で後々生活に不便なため、手の甲がいい、と。でも、右手の甲は数日前にぐりぐりされて、大いに傷ついていたので、使い物にならず。
というわけで、右手首の内側の骨の上にある血管に決めたようでその骨の真上のほっそい血管に頑張って刺されたその針が痛いのなんの!!!!(この記事の最後のほうにある写真で場所がわかると思います。)
AKI: ちょ、それめっちゃ痛いんですけど・・・
麻酔科看護婦: 大丈夫大丈夫!がんばって!
AKI: ・・・・・・・・・・
体中にあらゆるものを装着されたのち、硬膜外麻酔のためのカテーテル装着の準備にとりかかります。
脊柱の中を走っている脊髄という太い神経のまわりに管(これがカテーテル)を入れて、局所麻酔薬を投与、術後の手術部位の痛みをとる/和らげる方法。患者自身が痛みに応じて注入ポンプのボタンを押し、鎮痛薬を自己投与するためのシステムです。
背骨と背骨の間に針を差し込むため、背中を丸めて三角座りをするように指示。
力を抜いて、ゆっくり息をして、そんなに痛くはないはずだけど、痛くても動くと危険なので身動きをとるな、とのこと。
鈍痛がしたけど、じーっと耐えました。チームの皆さんも、いいですよー、すごくいいですよーって言ってたのに、なぜかやり直し。なんか嫌な予感するーと思いつつも自分にできることは言うことを聞くことだけなので、2回目もただじーっと耐えました。すると、これで大丈夫だと思います、と・・・
次に、私の普通のマスクを外して、別の麻酔用マスクを装着。
麻酔科医: あとで左手に、もしものときの輸血用のルートを装着します。目覚めたときに驚かないでくださいね。
手術中は我々が常に付いていますので安心してください。また、ご職業はオペラ歌手だと伺いました。気道確保のためのチューブは、喉まで入りませんが、もっと浅いものにしておきますので、声帯や喉付近が傷つくことは免れると思います。
では、ぼーっとする注射を打ちます。頭の中で、100から逆に0まで数えてください・・・
AKI: (いよいよか。さぁ、寝るぞー!100、109、108、107・・・)
午後2時15分 Aufwachraum(リカバリー室)
ウトウト・・目が覚めるような覚めないような。もう手術おわったのかな・・・
看護婦: 辻井さん、目が覚めましたか?手術、うまくいったようでしたよ。気分は悪くないですか?
AKI: 大丈夫です。元気元気・・・めっちゃ元・・・気・・・・ (まだウトウト)
麻酔科医: 背中のカテーテルですが、必要なかったので、抜いておきました。
・・・えええええええ?あれって、術後の痛みのためだよね?必要か必要じゃないかなんて、私が決めることじゃないの?変なの。←覚えておいて。
午後2時35分 まだリカバリー室
Dr.M: 起きてます?手術、かなりうまくいきましたよ。腫瘍は全部とれたし、子宮はまだあるし、リンパ節もすべてクリーンでした。心配しなくていいですよー。
担当医で執刀医のあのDr.Mが声をかけてくれました。
マスク越しに見えるやさしい笑顔と、嬉しい報告に、意識朦朧としながらも、号泣してしまった。
もう大好き。とろサーモンの久保田。←違う!!
AKI: ありがとうございます。忙しいのに、私のこと切ってくださってありがとうございます。幸せです。
Dr.M: お礼を言うことじゃないですよ、僕の仕事ですから。今はゆっくり休んでください。また病室うかがいます。おやすみなさい。
先生が去った後もわんわん泣いてたら、看護婦さんが来て、大丈夫?いじわる言われたの?って。疲れてるのに爆笑。
午後3時 病室
スペイン人の看護師ペッペが、病室までベッドごと連れて行ってくれました。
謎の『私、手術のあとも頭クリアで、元気だよアピール』なのか何なのか、勉強したてのスペイン語で、一生懸命話しかける私。
全身麻酔の影響か、何の影響か、本当に自分が話してるのかもわからないような意識の朦朧具合。なんやこれ。って思ってたのだけは明確に覚えている。
病室にはもうルームメイトの姿はなく、私の手術中に退院していった様子。
昨夜傘を貸した隣のお母さんからは、置手紙と傘、マスカットの差し入れ、そして私の大好きなアジサイの花を置いて行ってくれていました。隣のお母さんはみんなのお母さん説が、確信に変わった瞬間。泣いた。・・・なんや?副作用で、涙腺緩くなってんのか?
好きな花の話なんて一度もしてないのに。どうしてわかったんだろう。
午後3時5分 母に電話
たった今病室に戻ってきたこと、手術は4時間半で、すべて上手くいったと言われたこと、隣のお母さんがアジサイ置いて行ってくれて嬉しかったことなどを伝えました。
お母さんの声を聴くとほっとする。それだけで泣ける。これがお母さんの力。
午後3時13分 ロべちゃんに電話
手術中から終わるまで、応援メッセージを送り続けてくれた彼にも安心してもらいたくて、すぐに電話をました。元気やな、私。笑。
Dr.Mが言っていたこと、手術にかかった時間、パワーを送り続けてくれたことへの感謝を伝えて、切りました。体力の限界。←
今の自分を観察すると、全裸に手術衣はかぶせられた状態。その上に、あの手術前にかけられた毛布がかかっていて、様々な管が私の体から出ているのを感じます。傷口は見る勇気も元気もなし。
様々な管とは
- 尿道カテーテル
- ドレーン(手術箇所から出る液体を排液するための管) 右骨盤前
- ドレーン 膣内
- 点滴 手
- 緊急用血管ルート 左手
といった感じ。
記念に取ったセルフィーがあまりに不細工でぶったまげるけど、記念なので、皆さんどうぞ
どーん!!!!
起きていても、点滴を交換しに来てくださるのを、ただ見てるだけ。
寝たまま高さを変えられない、旧式なのです。誰かにお願いするか、元気になったら自分で、リクライニングの角度を手動で設定するタイプの。
なんって幸運なんだ・・・
その後また眠りに落ちて目覚めたのが午後11時
右腹のDrainage(ドレーン)から、大量に液が漏れて、手術衣も布団もびしょびしょ。
ナースコールを押して伝えます。
ナースコールは日本にあるようなものではなく、写真にも写っている引き出しの下あたりにボタンがあります。
押して、対応してくれるのを待って要件を伝えます。
午後11時45分
ようやく来てくれた看護婦さんが、すべて交換してくれて、ようやく眠りにつけました。
長い長い1日が終わります。まだ意識朦朧。私は寝てただけなのに、こんなに体は疲れてるんだなぁ・・・
つづく・・・
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