私について① | 【声の調律師】が教える”音大卒じゃなくてもコンクール上位になれる『発声』の秘密”

【声の調律師】が教える”音大卒じゃなくてもコンクール上位になれる『発声』の秘密”

元・『高音の出ないこもり声』がたった2年ちょっとで数々のコンクール受賞を果たし、ペルー大統領夫人の御前で演奏させて頂けるまでになった【世界で通用する芯のある豊かな声】の作り方をご紹介

池袋の声楽・音楽教室Mao's Voice Salon

代表の樹茉央(いつきまお)です。







生徒さんとはレッスンで

毎回色んな話をします。

歌のこと以外、

プライベートなこととか

もはや生き方についてとか

ティータイムにそんな話を

することもあります。







今の私を見ると、

【凛女】のイメージもあり

なんかすごい人みたいに

勘違いされることがあります。








しかーし

残念ながら、私の人生なんて

まわりの友人に比べても

いい加減なもんだし

キラキラしたものでは

なかったんですよ。

もはや、

生まれた時から残念な人でしたから。






そんなわけで、ちょろっと

ワタクシの生い立ちを

誤解なきよう綴ろうなーんて

思ってみました。






およそ40年前、都内某所にて

第二子として生まれる。

【女の子】ときいて駆けつけた父。

そのあまりの醜い顔をみて

無言になったそうな。(実話)

祖父からは

「人は7回顔が変わるから...」

という慰めの言葉をもらい

生まれながらのブサイクさに

あまり祝福されない残念な誕生。

恐らく、産んで安心、

生まれて良かったと思ったのは

母だけだろう。







こうして、

玉のように可愛らしく生まれた兄とは

軽く期待を裏切った

ブサイクな女の赤ん坊は

3歳までそこそこ生きる。






が、3歳のある朝、呼吸困難で

救急車で運ばれ入院。

ブサイクを生まれた持っただけでなく

病まで持って生まれてきたらしい。







その後、一応幼稚園や小学校に

普通に通えたけれど、

高学年までは度々発作を起こし

何かと親に迷惑をかける

医療費と手間のかかる子供であった。







しかーーーし!!

生まれながらのブサイクは

3歳の頃【子供としての特有の】

可愛さがあったことは

一応弁解しておこう(笑)

3歳が可愛いのピークだったな

これは間違いない。

以前にFacebookに写真載せた(笑)







さて、ブサイク女児の私、

小学校に上がったら

人と違うランドセルを持っていた

ことから早速いじめにあう。

好きな色でランドセルを選んだら

この有り様。

「この人たちは余程 赤と黒が好き

なんだろうか?」

と思えてならぬほどに、35年程前は

女の子は赤、男の子は黒のランドセル。

全校で私ともう一人しか違う色の

ランドセルはいなかった。

一応、当時にも青や黄色、ピンクなど

色の違うランドセルはあったのだが

今ほど出回ってなかった。

でも、デパートの売り場の

片隅にちゃんとあったよ。

だけど、例え青や黄色が好きでも

【周りと同じ】を好むんでしょうかね

みーんな同じ色だったよね。







そんなわけで入学早々から

卒業するまでほぼ

くだらないことでいじめられた。

仲良くする友達もいたんだけど

いじめられたからではなく

人と馴染めない毎日を送った。

ちなみに、この【人と馴染めない】は

現在も続いている。

10年も某商社にお世話になったが

あれは正に奇跡的。

ゆえにサラリーマン辞めたわけだが。







子供の頃、他の女の子が

りぼんやなかよしなど

少女マンガを楽しんでいた時

私は少年ジャンプを読んで育った。

聖闘士星矢とかドラゴンボール

シティハンターとか北斗の拳

そういったマンガを好んだ。

それでも、五年生くらいには

りぼんとなかよしデビューをして

っつーか、付録が可愛かったし

読んだら少女マンガも面白いのが

あったから。

その中でもやはり、ギャグ色の強い

【お父さんは心配性】とか

【こいつら100%伝説】などの名作を

生んだ岡田あーみん先生の作品を好んだ。







周りが光GENJIに燃える頃、

こっちは小宇宙(コスモ)を燃やし

少年マンガに没頭。

「周りの女子と話が合わない」

というのはこの頃からずっと。

普通の女の子たちが興味を持つものに

全く興味が持てない。

好きなアイドルに好きな男の子。

いないわ、そんなもん(笑)

ということで、ワタクシ自身は

ギャグに生き、

少年マンガに生きる、

というオタク道をまっしぐらに

突き進んだ。






それでもなんやかんや、

小学校なんて義務教育時間が経てば

卒業できるわけですよ。

小学校時代、家での生活は楽しかったが

学校に対してなんの情熱も

たいした思い出もないまま

嬉しい卒業式を迎える。

とっととつまらん環境から

出たかったからね。

5年と6年の担任が

父母会でも大問題になった教師で

卒業式に誰も担任のところに

駆け寄らないという

ミラクルも起きた。

子供は正直だよねー。

ま、アタシも担任スルーして

とっとと帰宅したけど。






というわけで、

人と馴染めない子供時代を過ごした。



続く(笑)
(続くんかい!)