「竜馬がゆく 八」 司馬遼太郎 | 映画物語(栄華物語のもじり)

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茶平工業製記念メダルの図鑑完成を目指す果てしなき旅路。




★★★★☆

 必要なことをすべてやり切って死ぬ、という話。

 


 司馬史観、というものがある。

 これは簡潔に述べれば、文字通り「司馬遼太郎の歴史の見方」のことである。主にはマイナスのイメージとして使われることが多い。

 この司馬史観にはいろいろな要素があるが、具体的なものの一つとして、日露戦争を境に、それより後の太平洋戦争に至るまでの日本を暗黒時代、それより前の明治時代あたりを活力のある時代として捉えているところが、よく挙げられる。特に明治維新を、近代国家を前例にないほどの速さで築き上げたことを素晴らしいものとして捉えているところが、賛否両論を呼ぶ。が、昔はこの価値観がなかったらしく、こここそを評価されたっぽい。

 とにもかくにも、司馬史観は批判を受けやすい。その名の通り、個人の偏った見方で歴史を論ずる、あるいは断ずるからである。個人的なイデオロギーが多分に満ちた史観なのである。

 しかし、小説なんだから、そりゃそうだろう、と思うのである。

 司馬遼太郎がなぜ『竜馬がゆく』を書いたかといえば、それは坂本竜馬を好きになったからである。坂本竜馬が好きだから『竜馬がゆく』を書いた。だから、竜馬に対して好意的に描かれるのは当然のことである。小説なのだから、主人公のことは好意的に書くのが当然であろうし、好意的に思っているからこそ主人公にするわけである(もちろん例外はあるだろうが)。

 しかし、そんな当たり前の理屈があるにも関わらず司馬史観が批判されるのは、ひとえにその影響力の大きさゆえであるともいえる。平たく言えば、司馬遼太郎が描いたとおりに歴史を解釈する人間が多発したわけである。例えば、『竜馬がゆく』が好き、という人は、同時に竜馬が好きであろうし、竜馬の偉大さに心服さえする。なぜなら、司馬遼太郎がそのように描いたからである。

 この点が、歴史学者的な人から見れば、鼻についたのではないだろうか。歴史を偏った見方をしている、と。

 しかし、私が声を大にしてそういう人たちに言いたいのは、細かい歴史認識を一つ一つ挙げてここが違うとかあそこが悪いとか批判するより、面白い話をしろということである。司馬遼太郎が受け入れられたのは、ひとえに面白いからである。だから、司馬史観が広まった(感染した?)のである。これは、本シリーズの劇中にもたびたび登場する頼山陽の『日本外史』の普及のされ方と似ている。『日本外史』は江戸時代最大のベストセラーとなったのだが、その歴史観は多くの非難を浴びた。しかし、非難する当時の歴史学者たちの本は全く普及しなかった。なぜなら、面白くないからである(この辺のことを語り出すと長くなるので割愛)。

 正しいかどうかではなく、面白いかどうかで、話は広まる。そういうものである。

 何が言いたいかというと、超面白かったよという、ただそれだけであるというね。。。

 そんなわけで、本著である。

 最終巻なので、最後に当然、竜馬が死ぬ。

 竜馬を暗殺した下手人は、今もって判明されていないとし、歴史ミステリーとして根強く語り継がれている。浅田次郎著『壬生義士伝』の中では、竜馬を殺したのは新撰組三番隊組長の斎藤一であるとしていたが、もちろん何か確たる証拠があってそう言っているわけではない。唯一の証拠といえるのは「あの竜馬を殺せるのだから、相当な使い手だ」という程度である。

 が、本著を読むと、暗殺犯はほぼ判明しているとある。

本文中で「その死の原因がなんであったかは、この小説の主題とはなんのかかわりもない(中略)その死を語ることは、もはや主題のそとである」として詳しくは語らなかった。にも関わらず、調べたことはどうしても語りたくなってしまうという人間のSAGAからか、「あとがき」で結局詳しく述べるというよくわからないこだわりを見せているのが笑えた。そもそも「主題のそとである」と断る人間が、「余談だが……」と脇道に逸れまくる「余談の代名詞」ともいえる人間の言葉であるというのは、真顔で冗談を言っているようなものである。

ちなみに、下手人は京都見回り組であるらしい。それはほぼ確実のよう(に書いている)が、直接の命を奪った者は不明であるという結論であった。つまり、狭義での「殺した犯人」はやっぱりわからないのだが、京都見回り組数人の襲撃を受けて殺され、その襲撃をした見回り組のうちの数人はわかっている、ということらしい。しかし、誰が手を下したかは、『藪の中』のように、供述が食い違ってやはりわからない。その辺のくだりがかなりくわしく語られているので、興味ある方は一読されたし。

坂本竜馬が行ったことで、大きなことのみ挙げるなら「薩長同盟」と「大政奉還」の二つである。本著では、後者の「大政奉還」がメインとなる。

大政奉還は、幕府に「政権を朝廷に返還せよ」というもので、現代で例えるなら、安部首相に「天皇に政権を渡しましょうよ」と言うようなものである。こう書くといかに無茶な話かよくわかる。しかし、それを実現した。実現してから、死んだ。

これを作者は、「歴史が必要として竜馬が現れ、その役目を終えたので竜馬は死んだ」というような感じで、ロマンチックに書いている。この世の混乱の収拾のためにこの世に生を受け、その道筋ができたので天に還った的な話である。使徒のような話である。

 


 仕事というのは、全部をやってはいけない。八分まででいい。八分までが困難の道である。あとの二分はたれでも出来る。その二分は人にやらせて完成の功を譲ってしまう。それでなければ大事業とうものはできない。


 

 というのは、劇中での竜馬の台詞である。それを地で行くように明治維新の八分までで死に、それ以後の鳥羽伏見の戦い等戦争は、薩長が竜馬抜きでやることになる。なかなか出来すぎた台詞である。

 そんな竜馬が、大政奉還を成し遂げるために、一度は捨てた自分の出身藩である土佐藩を味方につけ、ことをなしてゆく様子が描かれる。しかし竜馬は今もって「脱藩者」であるため、役人に追い返されるという場面がある。その場面での文章。

 


 気の利かぬ役人こそ、本当の役人だ。そうあらねば、藩は成り立たぬ(中略)役人が変に気が利くようになれば、藩組織は立ってゆかぬだろう。


 

 現代の公務員批判に通じる批判である。昔も今も、役人が言われることというのは変わらないものなのか。

 私自身は杓子定規に物事を考えて判断する人間なので、お役所の「こういうのはダメ。こうならばOK」という気の利かない感じは、基準が明確でむしろ好きなのだが。それこそ、気を利かせてばかりだと、声が大きい人が得するようになってくるだろうし。

 ちなみに、「このままでは声の大きい方が勝つ」というシーンもある。イギリスに、英国人殺傷事件の濡れ衣を着せられたときの話であるのだが、割愛。

 何はともあれ、『竜馬がゆく』を全巻読み終えて感じるのは、得も言われぬ達成感と、「高知に行ってみたい。桂浜に行ってみたい」という想いである。そして、坂本竜馬記念館には記念メダルがあるのである。

 ああ、行ってみたい。女子と旅行がしたい(不純)。

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