「コンビニ人間」 村田沙耶香 | 映画物語(栄華物語のもじり)

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「映画好き」ではない人間が綴る映画ブログ。
読書の方が好き。
満点は★5。
茶平工業製記念メダルの図鑑完成を目指す果てしなき旅路。




★★★★☆

 仕事熱心な人の話。

 


直近の芥川賞受賞作である。本来なら直木賞の方がよほどすごい賞なのだが、直木賞は受賞しなくても元々(文学界では)すでに名のある作家が受賞するものなので、話題となるのは「新人賞」という位置づけである芥川賞であることが多い。(世間的には)まだ世に出ていない人が脚光を浴びる機会であり、何より、受賞者が若いことが多いのもその理由の一つであろう(かつて「俺はもう新人じゃねえ!」と怒っていた確かに経験豊かな受賞者もいたが)。また、芥川賞はやはりその性質上、大家ではあまり見られない属性の人が受賞することも多い。一番有名なのはもちろんお笑い芸人の又吉直樹の受賞であろう。余談だが、あれは実は「芸人初」であって、「芸能人初」ではない。その先駆者としては、ミュージシャンの町田康がずいぶん前に受賞している。また、「これからは男でも女でもなく中性ですよ~」と言ってストレートパーマをかけたら中山美穂に三行半を突き付けられてしまった辻仁成も、元々はミュージシャンであり、芥川賞受賞者である。

芥川賞受賞者で個人的に一番印象に残っているのは、当時早稲田大学生で最年少受賞となった綿谷りさである。まず彼女は、単純に美人であった。同時受賞であった金原ひとみも、その破天荒な経歴といい、20歳という若さといい、もし綿谷りさと同時受賞でなければ間違いなく一時的にでも時の人となったであろうに、世間は「現役女子大生・早稲田・19歳・清楚そしてちょっと天然」の方に簡単に注目のほとんどを注いだ。当時文学部国文学科というコテコテの文系大学に在学していた私の周囲も、綿谷りさの『蹴りたい背中』を読んだ友人はいても、『蛇にピアス』が話題に上がることは、今思えばびっくりするくらいなかった。近代文学の教授が『蹴りたい背中』を評して「あれ、面白い?」と苦笑しながら言ったのに対して、綿谷りさの顔が好きだと公言してはばからなかった友人は、「いや、いいんですよ、面白いかどうかなんて」と平然と、むしろその教授を諭すように語りかけていたのには、威風堂々たる威厳すら醸し出していた。重要なのは、そこじゃない、と(私が属した文学の世界がいかにレベルの低いものだったかが容易に想像できよう。あくまで私と私の周囲がそうだっただけであり、他の学部生はきっともっときちんとしていたと思うが。あんまり交流がなかったのでよくわからないけどね~)

 そんなわけで、何が言いたいかというと、芥川賞と「キャラクター」は実は密接に結びついている、ということが言いたいのである。マスコミでの報道のされ方は特にそうで、受賞者が二人いるときは、必ずキャラが濃い方がクローズアップされる。まるで当たり前のことを言っているようだが、これもどういうことが言いたいかというと、要するに「本の内容に焦点があてられるわけではない」ということである。キャラがあって、次に、そのキャラが書いた本の内容に興味を移行する報道の仕方なのである。

 これは逆にいえば、キャラが立っていない受賞者は、その受賞の日と後3日くらいは一応報道されるが、その後簡単にフェードアウトしてしまうということである。これは実は重要なことで、注目度は、そのまま、受賞作の売り上げとイコールなわけである。どこまで戦略的に受賞者を決めているかは不明だが、本の純粋な内容の善し悪しだけでなく、作家のキャラが立っている方が、立っていないより断然よいという現実は存在するのである。

 そういう意味では、又吉と同時受賞だった羽田恵介は、あのキャラクターが作られたものだとは思わないが、チャンスを生かして非常に努力をしたと感じていて、個人的には、好感を抱いている。自作を売る努力を作家自らがしていて、好感度大なのである。

 非常に長くなったが、ようやく本著の話。

 本著の作者も、非常にキャラの濃い女性である。現役のコンビニ店員が、コンビニの小説を書いたのである。しかも、会見ではどこか天然っぽい雰囲気がありながら記者を笑わすウィットにとんだ会話を繰り広げ、独身の美人なのである。

 はっきり言って、それで話題になったから私は本著を購入した。そしてきっと、同じような人も多くいるわけで、こう考えると、なんだか声優界の流れと似たものを感じる。

 本来、声だけ、文字だけの仕事だったはずなのに、作り手のキャラクターも重要になるわけである。そういう経済的戦略が確立しつつあるように感じる。作家も声優も実に大変である。

 で、内容の話。

 これがなかなか面白かった。で、何度も話が飛ぶようだが、作者が美人だというのは、下世話な話だがかなり重要な要素となったことは否めない。

 主人公は、作者と同じように、30代半ばで結婚もせずにコンビニでアルバイトをする女性なわけである。必然的に、そこに作者の像を重ねてしまうわけである。その時重ねた像が、美人であるか否かは、非常に重要である(劇中では主人公は不美人のように書かれているが)。

 ものすごく面白いと思った恋愛小説の、作者の写真を見てガッカリ――というのは実によくある話である。それもまた、登場した主人公やその相手に、作者自身を重ねるゆえに起こる悲劇である。

 とにもかくにも、そんな主人公が、コンビニという場所でだけ己の存在価値を感じられる――という話である(超簡単にしてしまったあらすじ)。

 この点も作者と重ねてしまうところなのだが、主人公の女は、世の中に対して「生きづらさ」のようなものを感じている。描かれ方としては要するに「人の気持ちがわからない」というところに生きづらさを感じていて、それがコンビニという場所だと、そういうことはあまり考える必要もなく働くことができるという様子が一人称で紡がれる(それにしては柔軟に環境に合わせているのだが)。「なぜ怒っているのかがわからない」「なぜそう考えるのかがわからない」「なぜ悲しまれるのかがわからない」という想いをずっと抱えて生きてきた主人公が、どうにか調和がとれて、かつ、自分の存在意義を感じられる場所がコンビニという場所であったのだが、ある日そこに異分子となる新人のバイトが入ってくる。

 この新人バイトが、本当にどうしようもないクソ野郎で、ダメな中年男を笑っちゃうくらい極端に絵に描いたような人間なのだが、主人公がぼんやりしているせいで、笑えないくらい読んでいてムカついてくるのである。要はこの男がキーパーソンで、この男との出会いが物語の中心となる。読者としては、はらわたが煮えくりかえるくらいのこの男に対するムカつきを我慢して読み進めるのは、最後に溜飲を下げたい、下げさせてほしいと願うからなわけなのだが、いまいちそうならないのだけは、唯一残念なところであった。正直死ねとすら思っていたので、主人公の性格からしたらまあやっぱりあんまり気にせずのほほんと自分の世界で物を考えるのだろうが、のほほんと自分の世界で物を考えた結果まわりまわってこの男が死ぬ結末を一番望んでいたので、その点消化不良であった。

 ただ、軽く読める読み物として非常に面白い一冊なので、病院の診察で1時間くらい待たなきゃいけないときとかにサッと読むのにおススメである。キャラの極端さなどは、良くも悪くも読み物的である。

コンビニ人間/文藝春秋
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