アメリカン・スナイパー | 映画物語(栄華物語のもじり)

映画物語(栄華物語のもじり)

「映画好き」ではない人間が綴る映画ブログ。
読書の方が好き。
満点は★5。
茶平工業製記念メダルの図鑑完成を目指す果てしなき旅路。




★★★★★
 人間が、磨り減っていく話。




 ★5つをつけたが、オススメしているわけではない。この作品を観た感想を言葉にするのは難しい。私が愛読する映画ブログの1つでは「若い人にこそ観て欲しい」と述べていたが、私はあんまりそう思わない。「戦争」というものに対して真面目に向き合おうと思う人が観るべき映画であると考える。私には、少し覚悟が足りなかったかもしれない。
 この作品は実際にアメリカ軍の「伝説」となったスナイパーの自伝を原作としている。私は「シールズ」と呼ばれるアメリカ海軍の特殊部隊に昔から(下世話な)興味があるので、クリス・カイルという「シールズ」で伝説となったスナイパーの話は前から興味があった。ちなみに、その存在を知るきっかけとなったのは、そのクリス・カイルが退役軍人によって射殺された事件が報道されたことによる。本作の最後にも、その事件については言及されており、エンドロールではその時の葬儀の様子が流される。
 こういった映画が公開されると、必ず「殺人者を英雄視している」といった論争が起こる。実際クリス・カイルは160人以上を射殺したことにより「英雄」と呼ばれるようになった。それを殺戮者ととるのか英雄ととるのかは論議が分かれるところであろうが、この映画で描かれているのはそういったことではなく、「戦争によって人が壊れていく様子」である。殺戮者か英雄かではなく、戦争そのものを否定しようとしているものである。この映画を「反戦」の映画としてみない評論家は、ちょっとどうかと思うくらいである。なぜそんなにひねくれた心で映画を観ようとするのか理解に苦しむ。
 主人公だけではなく、主人公の周囲の人物もどんどん磨り減っていく。同じく戦地に赴いた弟は別人のようになり、共に戦ってきた「シールズ」の隊員ですら、詩的に嘆く手紙を家族に送る。主人公の帰りを待つ妻もまた、どうにもならない不安に押しつぶされそうになる。戦争で誰も幸せにならない。また、戦争をしているのに、全く別の世界のこととして幸せそうにしているアメリカ国内に、派遣期間が終わり帰国した主人公は納得がいかない。結果、また戦地へ行くことを選択する。
 この行動に対する主人公の根底にあった気持ちには、いろいろな見方がある。『ハート・ロッカー』のように「戦争中毒」になっていると考えるものもあれば、仲間を救いたいという使命感、国を守りたいという愛国精神という見方もある。つまらぬ結論を言えば、きっとどれも当てはまるのだろうという着地点になるのだが、私には、自分が五体満足で生き残っていることに対する罪悪感を抱えているように見えた。戦地ではいまだ戦争が行われていて傷つき死んでいる者がいるのに、自分は五体満足で帰国してまるで全てが終わったかのように暮らしている、そのことに対する罪悪感から、また戦地へ赴く決断を下しているように見えた。劇中では帰国した主人公の前に、足を失った者や失明した者といった戦争で傷ついた者が必ず現れる。そしてまた戦地へと赴く。そして、軍を辞める決意をした後関わりをもった人たちもまた、戦争で手足を失った退役軍人達なのである。そして最期は、その力になろうとした退役軍人に殺されるという結末である。
 戦争映画だけあって、残酷描写が少なくない。中でも最悪なのが、ドリルで子供の腿と頭を生きたまま貫くシーンである。人が死ぬシーンにはトラウマがあるので戦争映画は元々苦手な上に、今まで観てきた映画の中で史上最高に最悪なシーンであった(そういう残酷描写がある作品はほとんど観ないからだろうが)。このシーンがあるだけで、あまり人にオススメできない。
 敵側にも凄腕のスナイパーがおり、スナイパー同士の戦いを描いた『スターリン・グラード』を彷彿とさせる。しかし、本作は今まで述べてきたようにそこに主眼は置かれていない。「スナイパー同士の熱き戦い」だけを期待して観たら、私のように手痛いしっぺ返しを食らうことになるだろう。 
 作品の出来不出来で言えば、常につきまとう緊張感からスクリーンから目が離せなかったという点でよい出来であると考える。しかし、映画館だからこそ観ることができたものであり、わざわざレンタルしてきてお茶の間でポテトチップスを食べながら鑑賞するような作品ではない。私なら、好んで借りないような映画である。
 観てよかったと思うのだが、きっともう観ることはないだろう作品である。あんまりふざけたコメントできない映画だし。