1952〜3年のクインシー.ジョーンズの功績を振り返る
クインシーが亡くなりました。91だから大往生です。残念だけど仕方ないことです。彼の名声はベイシーのアレンジ辺りから始まり、マイケル.ジャクソンにまで至るわけですが、その辺りはみんなが書くと思うので、1952〜3年の業績を書いておこうと思います(多分1953年がメイン)。
クインシーはライオネル.ハンプトンのビッグバンドのツアーでヨーロッパに行きました。そこにはクリフォード.ブラウン、ジジ.グライス、アート.ファーマーなどがいました。ジジは確か当時フルブライトの奨学金でパリに留学していたはずです。この時のヴォーグの録音が後のハードバップの胎動に強くリンクしたことが伺えます。また、1953年のアート.ファーマーのセプテットの録音ではエレキベースを使ったモードジャズの"Mau Mau"が収録されています。世間ではハードバップの黎明期にマイルス.デイヴィスの名前を上げて終わりにする人が多いですが、時系列的にみるとクインシー(とジジ)がこの時代にやった仕事の方がより洗練されたものであったように思えます。ここでのアンサンブル的なものが、クリフォードがズート.シムズのアンサンブルに参加したjazz immortalのセッションに繋がり、このセッションがブラウン=ローチ5のアイディアに直結していることがわかります。ここはもっと評価され るべきところではないかと思います。
伊勢秀一郎さんの遺作が届きました。
7月に亡くなられた伊勢秀一郎さんの遺作CDが届きました。亡くなる半年前と1ヶ月前の録音です。伊勢さんのプレイって、クラシックみたいな「トランペットの音」ではなくて、「自分の声」なんです。何度か2tpでお手合わせ頂きましたが、素晴らしいスタイリストで何をやっても敵わないというか自分のやってることが稚拙に思えちゃうくらいに素晴らしかったのです。末期癌で演奏するのも大変な状況で奏でる1音1音の重さ、歌心に打たれます。
似たような状況での録音にスタン.ゲッツのpeople timeがありますが、それに比肩する作品ではないかと感じました。
能登被災地を見てきました。
金沢でしごとがあるので、朝イチの新幹線で金沢に入って輪島と珠州を見てきました。輪島は25年前に行ったことがあるのだけど、復興状況が全然報道されないので自分の目で見よう、と。駅からレンタカー屋さんまでタクシーで行ったのですが、運転手さんから話を沢山聞けました。道路の破壊が大きく、大型車が入りにくかったこと、廃材を船で運ぶ積み下ろしの手間がバカにならないことなどなどなどなど。地理的条件が足枷になっているようでした。車で入っていくと七尾を過ぎたあたりから突貫工事で道路を付け替えて通した感じです。地震で壊れた場所と大雨で崩れたののダブルパンチでした。土砂崩れはどうみても100ヶ所は軽く超えてて、家や道路に影響ないところは手付かずでした。輪島も珠州も倒壊している建物の大半は築年数のある木造家屋が多い印象です。私は神戸の東灘区から元町くらいまでの大規模破壊の中にいたことがあるので、物量的にはあまり驚かなかったのですが、やはり他の震災被災地同様10年スパンでの復興になるのではないかという印象を受けました。
当初は輪島だけのイメージでしたが、タクシーの運転手さんから珠州回っても時間的に大丈夫と言われたので、珠洲市北部の大規模隆起エリアも見てきました。珠洲市中心部(少し液状化現象の痕跡がありました)からの道が結構土砂崩れでやられててスリルありました。こちらは奥能登の最奥部に近いのでまだ倒壊したままの建物が多いです。もしあの隆起がなかったら津波とセットで全滅したのではあるまいかと思われました。リアルノアの方舟みたいです。ある程度復興が成されたら、ジオパーク的観光資源になり得るのではないかとさえ思えます。過疎地域の復興がどのようになされるのかを引き続きウォッチしたいと思います。もう少し落ち着いたら観光しに訪れてお金を落とすことが復興の後押しになるような気がします。