2014年9月8日
中日春秋
 雨冠に「淫」と書いて「霪(いん)」という見慣れぬ漢字がある。訓読みは「ながあめ」。度を越した雨、十日以上も降り続くような雨が「霪」だという
▼天に向かって、いささか度を越しているのではないかと言いたくなるような「霪の夏」であった。天気図を見れば、長雨時を思わせるような、長々とした前線が日本列島にまとわり続けた。広島では豪雨による土砂災害で、七十人を超える犠牲者が出た
▼気象庁によれば、西日本の太平洋側では、八月の降水量が平年の三倍にもなった。西日本と東日本の日本海側でも平年の倍以上の雨が降って、日照時間は半減した
▼そういう異常気象の夏であったが、そもそも日本列島の夏の空では水蒸気が増える傾向にあるのだという。これは温暖化の影響とも考えられ、気象の専門家は「温暖化の影響はこの先ますます顕著になるだろう。今回のような大雨は近い将来にまた起こる可能性がある」と警告している
▼漢字に話を戻せば、需要の「需」も雨冠。『字通』によると、「而」は頭髪を切って神に仕える人の形で、そういう人が天に雨をもとめるのが「需」だという
▼人類は、あれもこれもと需要を拡大させ、大量消費文明を築いてきた。温室効果ガスを出し続けた結果、異常な大雨の危険すら招きつつある。「霪」の字の淫は、節度を忘れて求めすぎる現代文明のありようかもしれぬ。
2014年9月7日
中日春秋
 「お月さまへ連れてってよ。お星さまの間で遊ばせてよ」。ジャズのスタンダード曲「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」は一九五四年の発表でちょうど六十年になる。大勢の演奏家たちが録音しているが、最も人気があるのは、軽快で男っぽいフランク・シナトラのバージョン(六四年)だろう
▼この曲といえば、シナトラとなったのには、ちょっとした歴史的背景がある。シナトラの歌が月の軌道上で初めてかかった曲ということになっているためである
▼六九年五月、アポロ10号の船内で宇宙飛行士たちが、この曲をカセットテープで流して聞いたという。一種の洒落(しゃれ)による選曲だろうが、以来、月といえば、シナトラのこの曲で日本でいえば、童謡「うさぎ」を連想させるのに似ている
▼八日は「中秋の名月」だが、今年は特別なのだそうだ。第一にお出ましが早い。例年は九月中旬から十月初旬だが、暦の関係で三十八年ぶりの早さという
▼しかも十一月五日に「後の十三夜」が出現し、八日の「十五夜」、十月六日の「十三夜」と合わせて三たびも「名月」がある。前回の「後の十三夜」は百七十一年前というから、今の世の人には初めて見る月となる
▼忙しく、気鬱(きうつ)な世の中に心が痛くなる出来事。人類を憐(あわ)れんで誰かが特別な月をあつらえてくれたか。月光に嫌なことを忘れ、「お月さまへ連れてって」もらえたら。
2014年9月6日
中日春秋
 ピッチャーが大きく振りかぶって投げるのは、贈答品の熨斗(のし)紙のようなものではないか。辛口のプロ野球評論で知られる豊田泰光さんが、そんな指摘をしていた
▼曰(いわ)く…大きく振りかぶる投手が減り、振りかぶらず小さな構えで投げるピッチャーばかりになった。確かに効率的かもしれぬが、それだけでいいのか。中身さえあれば熨斗紙など虚礼はいらぬと言う人もいるだろうが、美しさも大事だ。効率ばかり追っていて魅力は失せぬのか…(『豊田泰光108の遺言』)
▼豊田流に言えば、中日ドラゴンズの山本昌投手は、大きな熨斗紙を付けたピッチャーだ。一八六センチの体で大きく振りかぶって投げることにこだわり、プロ生活三十年。きのう四十九歳で勝利を飾り、プロ野球の最年長記録をつくった
▼山本さんは中学生の時、野球部の顧問に叱られ「校庭を走っておけ」と命じられた。やがて日は暮れ、みな帰ってしまったが、走り続けた。四時間も走ったろうか。見かねた職員から連絡を受けた顧問があわてて駆けつけてきた。急用で外出し「走れ」と言ったことを忘れ、帰宅してしまっていたのだ
▼山本さんは、この「やめない力」こそが、自分の最大の才能だという。最年長記録は「やめない天才」を飾る最高の熨斗紙だろう
▼さぁ五十歳のピッチャー山本昌、大きく振りかぶって…。そんな野球中継をぜひ聞きたい。