こんばんは。
今日もお立ち寄りくださって、ありがとうございます。
昨日の晩ごはんは、やっぱり焼きそばにしました。
今朝は、まずコンソメスープを作って、
朝ごはんはスープスパゲティーにしました。
昼ごはんはスパイスカレーにしました。
晩ごはん、何にするかなあと、考え中です。
* * *
今日は、どういうわけか、午前中に翻訳の推敲のノルマが終わりました。
(体調がいいわけではけっしてないんですけどね。)
それで、昼ごはんのあと、「外歩き」に出かけることにしました。
まずはコーヒーショップでモカを200グラム挽いてもらったあと、地下鉄くいな橋駅まで歩いて歩いて、地下鉄に乗りました。
それで、いったん京都駅で降りて、駅前のヨドバシカメラでレコード関係のいろんな製品を見せてもらったあと(見ただけです)、また地下鉄に乗って、五条駅で降りました。
先日の講演で、講演料をいただきました。そんなつもりはまったくなくて、固辞したんですけど、目上のみなさんが折角ご用意くださったものをお断りするのはかえってよくないかもと思い、結局、いただくことにしました。固辞の理由は、お世話になったのは昔から私のほうだったからです。
なので、自分へのご褒美に、なにかレコード関係のものを買ってもいいかなと思ったのですが、やっぱり貧乏性なんですね。
今すぐ買う必要はないと、あれもこれも思い直して、結局見ただけでした。あはは。
五条駅の、地上に出る階段です。
この前このルートを歩いたのは、5月10日のことでした。
その日も、地下鉄五条駅で地上に出て、五条大橋まで歩きました。
それと同じルートです。
鴨川西岸から撮った、五条大橋です。
川上のほう(四条方面)を撮ると、こんなふうです。
鴨川は、この辺りから、トンビをよく見かけます。
アオサギも多くて、
いましたいました。
この人です。
松原橋のそばで、アオサギを撮っている人(旅行者のカップル?)がいたので、撮り終わるまで待ちましたが、
この風景もいいなあと思って、
撮らせていただきました。
アオサギ、どこにいるかわかりますか?
モデルさんは、この人です。
こういうところにいます。
でもって、
ここにもアオサギが。
この人です。
邪魔をしないように、避けて歩きました。
それからどんどん歩いて、
四条大橋です。
四条大橋をくぐって、いつもよくカワウを撮りに行く、三条大橋の手前の中州へ。
いましたいました。
カワウです。
水から上がってすぐのようで、羽を広げて乾かしています。
羽づくろいに余念がありません。
こういう人です。
(実はこの前、この中州の写真を撮りにきたとき、岸辺で、うつ伏せではありましたがトップレスで日光浴をしている外国の女性の旅行者がおいでになって、はばかられて中州の写真を撮ることができませんでした。[ジジイをどきどきさせるものではありません。]
でも、昔住んでいたアメリカでは、この季節、川辺は日光浴をしたい人たちで溢れますから、場所が違えばなんでもない風景ではありますけどね。
多分その方は、とても爽やかなこんな好天の日に日光浴をしない手はない、しかもここは京都だし、と思われたのかもしれませんね。その方にとって、きっといい思い出になるとは思った次第です。)
でもって、
三条大橋です。
2時間歩いた計算になります。
* * *
数年、多肉植物のベビーサンローズの花が咲かず、
今年、冬の間から、外に出しておきました。
そしたら、数日前から、いっぱい咲き始めました。
今、9輪咲いています。
室内に置いておくのではなく、「ワイルドだろ?」がいいみたいですね。
疏水のグミの実です。
疏水のクワの実です。
さてさて。
近親者の四十九日の準備とか、
ふるさとの農作業の手伝いとか、
また少しずつ準備をしておかないといけません。
もちろん、翻訳の推敲も。
翻訳の推敲は、訳のほうで数えると、あとA4で23枚になりました。(全部で657枚です。)
ここまで来れば、なんとかなると思います。
いつもふと何かに迫られているような気がするのは、いろんなことがありすぎたからかもしれませんね。
こどもたちのことは、ちゃんとしないといけないけど、もうそんなに焦らなくてもいいのかもしれません。
私が送らないといけない人たちは、ふと気づいたら、もう誰もいません。
こどもたちも、それぞれが今幸せなら、それ以上に望むことはありません。
でも多分、私は死ぬまでこんなふうなんでしょうね。身についてしまったものは、なかなか振り払えません。
今日、ニュース番組で、過疎の町の小学校の、一人だけの新入生の話をしていました。
なんだかとても幸せそうな新入生の子と、地域の人たち。
人間って、本来は、そういうふうに幸せに生きられる動物なんでしょうね。
「こうしなければいけない」で、自分もみんなも縛って、そのときはよかれと思ってのことでしたが、そんな自分を、心底バカみたいだと思います。そんなふうに私に強いてきた人たち(両親はそうではありませんでしたが)はみな先に逝ってしまい、なんだか空しい人生だったような気がします。
もとより、すべては自力でそういう流れを断ち切れなかった私が悪いんですけどね。つい人のせいにしようとするのはお門違いですよね。すみません。
晩ごはん、もしかしたら、久しぶりにうどんにするかもしれません。
今日もお付き合いくださって、ありがとうございました。
どうぞよい夕べと、よい明日を。
ではでは。