1月12日、金曜日です。今日は、家事と「外歩き」で、夕方になりました。それと、【追記】です。 | Gさんのランダム日記

Gさんのランダム日記

         ────

   日々のできごとや若い頃の思い出話、
 音楽や暮らし、電気電子、鳥のこととかを、
   もっぱらランダムに書いています。

   おつきあいいただければ幸いです。

こんにちは。

 

今日もお立ち寄りいただき、ありがとうございます。

 

いつもより随分早い更新です。

 

*  *  *

 

昨夜、書き直した論文を別の専門誌に投稿したら、なんだか気が抜けて、というか、まだ睡眠の乱れが戻っていないんでしょうか、今日はまだ金曜日なのに、ぼんやりしています。

 

朝から家事はいろいろしましたけど、仕事らしいことはなにもしていません。

 

それで、先にブログの更新をして、

それから、どうするか、考えようと思います。

 

*  *  *

 

朝、表の道路の掃除をしようとしたら、どなたかが先にやってくださったんですね。随分綺麗になっていました。

 
そのあと、朝ごはんを食べて、
 
 
Amazonプライムビデオで『警部補アーノルド チェルシー捜査ファイル』の続きを少し見ました。
 
 
お昼前に、昨日銀行の近くのスーパーで買った鮭を冷蔵庫から取り出し、
 
 
スーパーの人のアドバイスに従って、フライパンで焼いてみたのですが、
 
 
フライパンのコーティングがないものですから、
 
 くっついて大変でした。
 
でもって、昼ごはんです。
 
 
そのあと、真空管アンプをひっくり返して、回路を眺めながら、
 
 
『警部補アーノルド』を最後まで見てしまいました。
 
 
 
ふるさとの石材屋さんから、「法名碑の料金、入金していました」との電話があり、
 
それを機に、2時半から、「外歩き」に出ました。
 
*  *  *
 
疏水にサギがいっぱいいました。
 
 
こんなふうです。
 
 
遠くからしばらく見ていたら、
 
一斉に飛んでいきました。
 
 
別に、邪魔をしたわけではありませんけど・・・。
 
 
ハクセキレイです。
 
 
クリクリ目のセグロセキレイです。
 
 
ハナミズキの赤い実が、まだ残っていました。
 
 
 
疏水をずうっと歩いていったところに、ダイサギが1羽いて、
 
 
なにか捉えました。
 
 
すごいすごい。
 
 
 
伏見稲荷大社まで歩いて、
帰ってきました。
 
 
途中の電線に、
 
セグロセキレイがとまっていました。
 
 
*  *  *
 
去年の12月17日に投稿した論文が、昨日、査読に入りました。
 
 
0/2とあるのは、審査員が2名で、まだ審査結果がどちらも出ていないことを示しています。
 
昨夜投稿した論文は、
今朝見たら、編集者が決まったようです。
 
 
編集者が審査員を確定して、審査に入ります。
 
 
昨年、「審査員が決まらずキャンセル」というのがあまりに続いたので、ちっともうまくいくような気がしません。
 
だけど、今は待つしかありませんので、
 
このあと、また元気を出して、翻訳の推敲を進めるつもりです。
 
 
いろいろありますけど、古巣のイギリスの学会に復帰できたのは、少し元気のもとになりそうです。
 
一番の元気のもとは、こどもたちが幸せにいてくれることです。
 
「おとう」も頑張るからね。
 
*  *  *
 
しばらく、かみさんが好きだった歌が続きました。
 
今日は、中島みゆきさんの「命の別名」を埋め込ませていただきますね。
 

 

動画をご提供くださった、雪深冬萌さん、ありがとうございます。

 

かみさんとまだ家の近くのカラオケに行けた頃、よくリクエストされました。

 

彼女が運転する車の中でも、CDで、中島みゆきさんのほかの楽曲とともに、よくかかっていました。(それで覚えてしまいました。)

 

 

こんな話で恐縮ですが、

 

かみさんが亡くなるとき、こどもたちに死に目に会わせてやれなかったことが、ずうっと悔やまれています。

 

毎日、「明日もまた」と思って、もう最後だからとこどもたちに病院に特に集まってもらうことなく、日を送っていました。

 

みんなが集まって、「もう最後なんだね」と本人に思わせ、死に向かっていってほしくなかったという、夫の勝手な気持ちもありました。

 

その日も、朝から(もう退職していましたから、毎日朝から病院に行きました)病院に行って、いつものように、彼女が好きだった入浴タイムに入って、病室で待っていたんですけど・・・

 

 

結局、私1人がかみさんを看取ることになりました。

 

ごめんねと、いつもこどもたちに思います。

 

ただ、もう1人の家族が早く亡くなるとき、あとで聞いた話ですけど、「お父さんがいつまでも諦めないでいてくれるのが救いなんや」という趣旨のことを言っていたそうです。

 

 

いつまでもしぶとく諦めなかった。(だって、人間、明日のことはわからないし、明日になったら、またいいことがあるかもしれませんしね。それに希望をかけよう。それが、私が心ならずも[そんなおこがましいことを考えたわけではありませんが、結果的にそうなってしまった]「人を育てる」ということの基本だと、ずうっと思ってきましたから。私自身がどれほど至らない人間だとしても[それについては自信があります]、それだけはそうでした。)

 

それで許してもらおうと思います。

 

 

 

つまらないことを申しました。

 

公開されてはいますけど、「日記」なものですから、お許しください。

 

 

 

今日もお付き合いくださって、ありがとうございました。

どうぞよい夕べと、よい週末を。

 

 

 

 

 

【追記】

 

こんばんは。

午後6時半を過ぎました。

 

今関わっている二つの専門誌(論文を投稿している専門誌)は、どちらも非常に長いお付き合いです。

 

編集長とは別に、審査員の先生方がおいでになって、審査員の先生方の結論で、編集長が、掲載可・不可を、伝えてくださるシステムでした。

 

なので、編集長は、ニュートラルな立場でしたから、投稿する私などに、ときおり、感想などお伝えくださる間柄でした。

 

もう一つの学会誌も、もとはと言えば、私の英文の本のreviewが掲載されることなりましたということで、ご連絡をいただいたのが、お付き合いの始まりでした。

 

審査員(いずれかの大学の、専門を同じくする先生方です)の審査結果に従って、専門誌への掲載の可否をご連絡くださる点では、どちらの編集長も、同じでした。

 

その2人の、一代目の編集長が、どちらも亡くなられて、時代が変わったと実感しました。

 

あの、オックスフォードでの2004年の国際学会も(それがもしかしたら、そういう人間的なつながりがありつつ、審査は独立というシステムが機能する、私にとっては最後の時期だったのかもしれませんね)、その編集長のお一人が企画されたものですけれども、もう久しく、過去のものとなりました。

 

そうやって、創業者が頑張ったシステムが、あとを継ぐ人々のシステムに受け継がれて、時代は変わっていくんでしょうね。

 

 

 

 

今日のブログの更新のあと、中学生のときの友人と、高校以来の友人とに、久しぶりに電話しました。

 

どちらも、元気そうで、なによりでした。

 

 

 

いずれは、みなこの世からいなくなりますけれども、しぶとく元気でいたいものです。

 

 

 

「お父さんがそう思うなら、今すぐにでもともだちに連絡すれば?」というこどもに(こどもも、ある意味、友人ですよね)感謝です。

 

 

 

 

どうぞよい週末を。

ではでは。