どんどん先に進むあなたの背中…その2(了) | 愛は限りなく ~DIO, COME TI AMO~

愛は限りなく ~DIO, COME TI AMO~

一粒の雨にさえ心揺れることもある。いつもどんな時も心閉ざさずに…。

9月23日(日・祝)薬師丸ひろ子さんbillboard Live OSAKA公演の続きです。

私が見たのは1st Stageで、しかも本日と合わせて2日間公演あるうちの初日でした。

そのせいか、最初の一言が『今回も既にビルボード東京のステージには上がっていて、それ以前もあそこでライヴをやっていますが、大阪の方に出演するのは今回が初めてです』と挨拶がありました。

しかし、これからは今回同様ビルボードでライヴを開催する時は必ず大阪も日程に入れてもらいたい。

 

薬師丸さんは時々本気とも冗談ともつかない言葉を発してドキッとさせることがあります。

『本日はお忙しい中、私のライヴに足を運んで下さりありがとうございます』ならわかりますが、何と(!)『本日はお忙しい中、またはそうでない方もライヴに来て下さりありがとうございます』ですからね(苦笑)

もしくは終盤になって『ずっと熱心に応援して下さっている方、今日無理やり連れて来られた方、次回はまたホールでお会いできればと思います』とか。

 

結構MCはありました。

頻繁にではなく、2箇所ほどで長めの話があったと記憶しています。

 

 

<何回も公演を繰り返すと、同じ話ばかりしていたらバックの皆さん(註:バンドのこと)が退屈するので、違う話をしようと思うのですが、私は俳優ではないのでそんなに上手くできません。>

 

 

この部分は恐らく私の聞き違いでしょう。

俳優じゃなかったらおかしいし、ビルボードの舞台に立っている間は歌手でも、俳優ですよね?

それに俳優が毎回違う話ができるとは限らない。

 

 

<ならば私が踊れるかと言ったら、それもできない。私は踊れないです。実は幼稚園の時、クラシックバレエに通いましたが3日でやめました。実際、過去に出演した映画の中でダンスのシーンはありました。そこで先生の指導の下、懸命に踊りの練習をしたのに、先生から『真面目に練習してもらえませんか』と言われました。あれは結構ショックで自分に対する認識を改めさせられたほどです>

 

 

他に、おばあちゃん子で3年保育のうち1年だったか、友だちが出来ず殆ど行かなかった話も意外でした。

しかし、その後は友人に恵まれ伸び伸びと学校へも通うようになったそうです。

薬師丸さんの子供時代に住んでいた地域は、私の居住地とは違って大都会であり、自宅がビルに囲まれた所にあった等、何となくわかるような気がしました。

北砂とは違って下町ではありませんからね。

ちなみに、薬師丸さんがおばあちゃん子だった事実は、サハリン訪問のドキュメンタリー番組のナビゲーターを務めていた時に仰っていました。

 

私が座っていたのは、テーブル席ではなく舞台横のカウンター席です。

ただし、他のカウンター席とは異なり、ソファーのようにゆったりと座れるようになっています。

勿論、舞台から見て前方の斜め前だったため、薬師丸さんの表情もはっきり見えました。

1980年代はよく目を瞑って歌っていましたが、今はそれがない。

その代わり、歌いながら時折笑みを交えている様子が見えます。

『どこが?』と問われても、具体的に答えるのは難しいですが、昔の曲では歌詞の一部に今から歌うには恥ずかしい箇所があるのでしょう。

 

代表曲の“セーラー服と機関銃”ではそれはなかったです。

あの歌詞は男言葉で書かれてあり、今歌っても特に違和感ありません。

題名が少し奇抜なだけで、歌詞は非常にまともです。

やや恥ずかしそうに歌っていたのは、“少しだけやさしく”だったと思います。

それから“メイン・テーマ”の♪20年も生きて来たのにね♪の箇所でも。

その話は前々回のコンサートでも出ており、要するに恥ずかしがり屋なのでしょう。

 

当日の衣裳は黒のドレス、マイクはワイアレス。

マイクはいつものように右手で持ちます。

そして歌いながらの身振り手振りは左手で表現します。

歌詞のプロンプターの類は一切見掛けませんでしたし、危うい場面もなかったです。

MC時にはマイクを両手で握って語るのも、昔と変わっていませんね。

マイクはマイクスタンドが舞台上に出ていなかったし、なくとも全く問題ありません。

 

そろそろ音楽の話に戻しましょう。

最後の“アナタノコトバ”がライヴで歌われるかどうか、私は半信半疑でした。

アルバム表題曲~本人の作詞~の登場は予想が付きました。

すると、もう1曲の自作詞“アナタノコトバ”が選曲されるかは微妙だと思ったのです。

でも、取り上げられて良かった。

 

他は皆職業作家によって書かれた歌詞ですが、それらと比べて見劣りのない優れた内容です。

現実に則った部分もあり、そこに強く惹かれます。

♪争いの無い世界なんてない それでも それでも それでも 今日を良く生きよう♪には強く共感!

素人的な、日記の延長のような言葉の羅列に感じられる部分は皆無です。

 

同曲のイントロでは珍しく高島欣伸さんはストリングス・カルテットと共にコントラバスを弓弾しました。

しかし、それが終わるとすぐベース・ギターに持ち替えて歌の伴奏に取り組んでいました。

ただ、高島さんのコントラバスは全体的によく聴こえていました。

ところどころ出過ぎているのでは、と感じる箇所さえあるほどでした。

全曲コントラバスで通してもよかったかもしれませんね。

なお、高島さんがコントラバスを弓弾したのはここだけだったと思います。

このあたりの様子から、新作と言えども、必ずしもスタジオ盤通りのアレンジではなかったです。

 

できれば、アンコール1曲目に“アナタノコトバ”を持って来て、最後に“戦士の休息”を配置してもよかったかもしれません。

映画を抜きにしても名作だし、何より山川啓介さんの代表作ですからね。

でも不思議なことに、山川さんが逝去された時、代表作として同曲の名前が全然出て来なかったのが、私には不満でした。

今後薬師丸さんが同曲を歌い続けることによって、どうか“戦士の休息”を風化させないで頂きたい。

忘れられてしまうにはあまりに勿体ない楽曲です。

これを歌えるのは薬師丸さんしかいません。

 

MCの中で懐かしかったのは、子供の頃お父様と一緒に歩いていた時、学生運動に出くわして危うく巻き込まれそうなになり、それを心配した警察官に助けられる形で“連行”されたそうです。

薬師丸さんは?

おひとりで帰宅し、ご家族から『パパは?』と訊かれ、『おまわりさんに連れて行かれた』と薬師丸さん。

ちょっとした騒動になったのは言うまでもない。

それは私も同じで、実際に学生運動はあちこちで起きており、薬師丸さんのお話は他人事ではありませんでした。

 

他にも通学時に感じた様々な想い出を聞き込むうち、私は『そう言えば、あの頃はそうだったかな…』とひとり相槌を打ちながら、終いには涙が出そうになりました。

もとより、MCに耳を傾けてそんな気持ちになった経験はありません。

諸々の偶然が重なってそうなった…。

 

最後に、これからも定期的かどうかは明言しませんでしたが、コンサートを開くと仰っていました。

持ち歌が200曲もあり、『この先も作家の先生にオーダーすると新曲が増えて行く』から、歌い手としては発表する場が欲しいとのこと。

ちょうどCDを聴けば、それを生で聴きたいのと同じ感覚ですね!

また『今は原曲のキーで歌えていますが、そのうち難しくなるでしょう。ある程度は仕方がないにせよ、あまりにどうしようもなくなってから皆さんの前に出るのも…ね』と現実的な発言がありました。

 

 

 

 

『どんどん先に進むあなたの背中…その1』

 

 

~Fin~

 

 

 

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Ibaraqui, le 24 septembre 2018