数cmから1万kmの恋 -9ページ目

40cm「愛に行く」(17)

決して暖かいとは言えないニューヨークの地下鉄だが、地上に上がるとその寒さが体の芯まで伝わるようだった。

吐き出された息は、車のヘッドライトを通して白く顔全体を包んでいく。

コツ、コツ、コツ、コツと私の履くブーツが、一定のリズムを刻む。

さほど歩いてはいないものの、足先がじんじんと感覚を失い始めたなと思った頃に、私とジョンはアパートにたどり着いた。

ホッとするほど暖かな部屋の照明はオレンジ色で薄暗い。

一部ほのかな光に照らされたジョンのベッドに目をやると、数時間ほど前まで幸せにそのベッドで寝ていた自分が垣間見えるようだった。

同じ場所に立つ数時間前の自分と今の自分。

こんな短時間で人間は極上の幸せを味わい、そして極度な悲しみに落ちることもできるのかと学んだ気がした。

ジョンはグラス一杯の水を私に差し出した。

「結構アルコール飲んだよね。水一杯飲んでおけば、明日の朝少し楽になるから。」

「ありがとう。」

何十分ぶりに交わしたジョンとの会話だったが、心理的には数時間ぶりの会話に感じた。

ジョンも自分用にグラスを水で満たし、ゴクゴクと一気に全て飲み干した。

私はテーブルに着き、渡された水を少しずつ喉に流し込んでいく。

ジョンは立ったままシンクを背にもたれかけ、一つ大きくため息を着き、テーブルを挟んで私の前に座った。

私はジョンに目を合わせないま重い口をようやく開いた。

「ジョン。わからない。やっぱりわからないよ、どうして一緒になれないのか…。」

今までの話し合いを振り出しに戻すような発言ではあったが、これが精一杯の自分の言葉だった。

ジョンは一つ、一つの文章に間を置いて、優しくゆっくりと話した。

「黄菜、本当にごめんね。でも一緒にはなれないんだよ。離れていると本当に何も出来ないことだらけなんだよ。それは双方にとってとてももどかしくて、そうやって心が離れてしまう事もある。俺は黄菜とそういう関係にはなりたくないんだ。」

そうして私も間を取り、徐々に顔を上げながら話す。

「…うん…。でも今だって違う国にいながらメールでやりとりもできるし、お互いの気持ちがしっかりしていれば関係を続ける事だってできると思う…よ…。」

自信を持って意見を主張したかったが、途中で声が小さくなった。

遠距離恋愛を経験したことが無い私がいくら正論を並べて述べたところで、実際の経験者であるジョンにとって、それは私のが描く美化された空想にしか聞こえないのであろう。

そう自分でもわかっているだけど、ジョンを”説得”させる話術を備えていない私はもどかしい気持ちで沢山だった。

「黄菜。俺と黄菜は一緒にはなれないけど、俺はいつでも黄菜のBest friendだし、これからもそういう付き合いはしていきたいと思う。だから今までのようにメールでお互いの近況を話したり、日本の事やアメリカの事、英語に関する質問とか、すぐにメールは返せないかもしれないけど、必ず返信するから。」

”そんなんじゃ、物足りない。そんなんじゃ、ここに来た意味がない。”

いくら自分が頑張っても、この人の意見を返る事は出来ないのか。

涙は当に乾いてしまい、自分もそうではあるが、頑固なほど気持ちが揺るがないジョンに対して小さな苛立ちさえ感じた。

「わかった。もういいよ。とりあえず遅いからもう寝よう。私は床に寝るから。」

半ば強引に私は申し出た。

「いやいや、黄菜はベッドで寝て。俺はまた椅子で寝るから。」

「でも椅子じゃよく眠れないでしょ?ここはジョンのアパートなんだから、ジョンはベッドで寝て、私は適当に椅子か床で寝るから。」

小さな怒りが全く関係のない所に反映されていく。

「女の子にそんなことはさせられないよ。お願いだからベッドで寝てね。」

「う~ん。…わかった。それじゃあ、一緒にベッドで寝よう。」

「えっ?」

「ジョンは私に床で寝てもらいたくないし、私はジョンにはベッドでゆっくり休んでもらいたい。ベッドの真ん中に縦線があると思って、半分に別れて寝よう。ジョンが言ったように私たち友達なんだから、一緒に同じベッドで寝たって何も問題ないでしょう?」

自分でも驚くほど強気な提案だった。

ジョンは目を伏せ、長く「ん~ん。」と口をへの字にして少し考えた。

「黄菜は本当にそれでいいの?」

「いいよ。だって私たち友達だから。」

”友達”の部分を強調して自信たっぷりにそう述べた。

ジョンの揚げ足を取るかのように、その”友達関係”を私はすぐに証明させてみたかった。

ジョンは頬を大きく膨らませ、とりわけ大きな長い溜息を一つついた後「OK」とだけ言って、私たちはベッドへと向かった。