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一宮砦は豊川の町からJR飯田線でひと駅北、三河一宮駅の東の方へ段丘の東端まで行ったところにある。すぐ北に三河国一宮の砥鹿神社があって休日などにはかなり賑わうが、砦を訪れる人は少ないようで閑静な住宅地が広がる。

永禄六年(1563年)に徳川家康こと松平元康の麾下にあった本多信俊が築いたとのこと。元康は桶狭間の合戦を機に今川氏の影響下からの独立を図っていた。この砦は今川氏真が陣を置いていた牛久保城に対する備えとして築かれたとか。今川勢は1万ともいわれる兵で砦を囲んだが、元康が2千の兵で包囲網を突破して砦を救援した「一宮の後詰」なる武勇伝で知られる。


正月のあとの三連休にこのあたりを訪問したときには駐車場を見つけられずに敗退したが、この日は隣の豊川駅前のコイパーに車を置き、パーク&乗り鉄で挑んだ。 

 

現在位置(Googleマップで)

三河一宮駅前からひたすら東に歩き、砥鹿神社の南東の端から南に100メートルほどで、住宅だった左側が竹ヤブに変わってくる。

そして、説明板と石碑が立つ、砦の入口が…


砦のほうは道路から一段高くなっているが、土塁はもう少し内側…

あるいは、堀が走ってたのが埋められた?


入口に立つ説明板。

史跡に指定されたの21世紀に入ってからか…


枡形虎口から郭内へ


説明板のところから数段の階段を登ると、砦の虎口。

小さいながら土塁に仕切られた、シッカリした枡形?…食い違い?

こんなのを函館の四稜郭でも見たような…?


両側の土塁は高さ2メートルぐらいあって、かなりゴツい😮


では、先ずは虎口の中へ…

中の土塁は低くなっているが、往時はもっと高くて井戸の中のような感じだったんだろうか…🤔


郭内から見返す枡形の内部。

進路がキレイにクランクしている😮


郭内は、すっかり竹ヤブ…

それでも、少なくとも郭内は倒竹が少なく、手入れが行き届いているようす😊


南に残る堀

 

西辺の土塁が残っているのは虎口のあたりだけで、南側は削り取られてしまったか…😢

曲輪の南側を守る土塁は、わりと残っている。

道路沿いの数メートルは削られたようだが、あとは残っている。


郭内の裾に、小さい溝が入っている。

豊橋の和田城でも見かけたこんな感じの溝、このあたりの城では広く見られるのかな…?


土塁も、かなり分厚いやつ😮

廃されて幾多の年月を経て、天端はすっかりデコボコになっている…


そして、その外側が…

 

でででかっ🤯


ここに来て竹ヤブの濃さが房総のそれを思わせるヤバさになって見通しは悪くなったが、そんなもんでは隠しきれないぐらい大断面、そして深い空堀だった。

底に降りてみると、途中まで舗装されていた…

段丘の下に降りる道に流用されていたか?

丘城あるあるで、段丘崖に向かう東ほど断面が大きくなっている。


西の方は、底が次第に高く、断面も小さくなっている。


そして、外が道路に接続している。

道路から入れるわな…😮


いまは道路につながっているこの堀だが、かつてはこの道路のところが西側の堀で、ここにつながって砦の外周を守っていたらしい。


東側に…なんだこの溝?

 

さて、つぎは東側に出てみるか。

ふたたび郭内に入ってこんどは真っ直ぐ東へ進む。


東側も縁に低い土塁があって、その内側に小さな堀のような溝が入っている。

これも和田城でも見たやつ。


そして、外側がすごい急斜面🤯

下まで10メートルぐらいあるか。


この土塁内側の溝、館の北東辺まで来ると土塁と一緒に西に折れていた😮


そして、外側にはアパート一室ぐらいの平坦な空間…

これは物見台みたいなところか…?


この空間、西に折れ曲がってもしばらく続いていた😮


その外側はもちろん鋭い切岸加工…

と思ったら、デッカイ空堀かぇ?🤯

深さ10メートル、向こう側まで30メートルぐらいある。


土塁内側を這っていた溝は、この空間が終わるところでクランクして土塁沿いに戻っていた。

手が込んでいる😮


ここから先は、東側と同じように小土塁の内側に溝が這っているというつくり。


そして、ほどなく虎口北隣の土塁に戻ってくる。


な…なんと北の堀にも入れる


さて、これで撤収…


えっ?


このデカ空堀、入れるの?


なんと、空堀へ入って段丘崖の下まで降りられる道が付けられていた😮

勇んで入ってゆくが、堀の中も灌木や竹が多くて全体を見渡せるところがなかなか無い…

やっと東端あたりまで来ると、その巨大な断面を見渡す事ができた🙌

キットレンズだけど、ワイド端で収まりきらん💦


この様子だと、道を通すために堀を広げたりしたのではあるまい。

往時からこの断面だったのだろう。すげぇや✨

主郭の切岸も、竹ヤブの向こうに霞んで上の方が見えんし…😮


ついでに、段丘の東の方へ…

麓は田んぼが広がっていて、一宮砦のある段丘崖は帯状の森になって東西に続いている。

往時は樹木なんて無かったろうから、土壁むき出しでさぞかし威圧的な風貌をしていただろう😨


さいごは、東から段丘上に向かって登ってゆく空堀と道。

左にゆるくクランクしつつ登ってゆく道の軌跡が印象的だった…


こんな巨大な空堀に枡形虎口まで残してて、さらには徳川家康の武勇伝の舞台の一つでもあるのに、注目度がイマイチのように感じられたのは一体ナゼだろう…🙄
史跡に指定されたのも今世紀に入ってからみたいだし…

ともかくも、砦を守るこんな巨大な空堀が、桶狭間の合戦以降にこのあたりを覆った言いようのない緊張感を物語っているのだろう。

こんなもんで撤収💨

今日は三連休の最終日。 あと1城登って帰らんと💦


帰りの飯田線🚃
 

★一宮砦

愛知県豊川市一宮町宮前

駐車場など無し。砥鹿神社の駐車場は参拝者専用で時期により混雑するので避けたほうが良い。

丘城?

 

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(2025年3月4日 記)